だるまさんこちら向かんせ世の中は月雪花に酒と三味線…とまあ、こういきたいものです。

世界の創造~ゼランド編②

前回、現実は基本的に夢の中の現実と同じだといった。

ただ、夢の中では、夢の中の現実に遭遇したとき、そのときの気分に従って、その気分に見合った現実が瞬間的に展開されていく。

気分は、潜在意識・魂といってもいいのだが、気分のほうがわかりやすいと思うからそう呼んでいるが、それでいいかどうかは正直わからない。

とにかく、理性の理屈ではなく、自分の奥深くからくる感覚で、やはり魂とか潜在意識というしかなく、超簡略化しても気分としか、今のところ思いつかない。

だから夢では、潜在意識によくない気分が多くあると、夢の中の現実の展開によっては、いやな気分が作動することも多くなり、あまりいい夢は見ない。

でも、潜在意識にいい気分のバリエーションが多くあれば、たとえば普段から、宝くじを買って大当たりすることを夢見ていて、いずれ本当に当たると疑いなく思っていれば、たまたま夢で宝くじという素材が出てきたときには、見事大当たりし、ヤッター!と喜んで、これはまさか夢じゃないだろうな?と思った瞬間、目が醒めてがっかりしたなんてことも起こるのだ。

だから夢では、明晰夢ではない限り、意識的に気分をコンロールできないから、あらゆる気分、大きく分ければいい気分とよくない気分だが、自分の中にある気分にしたがって、ありとあらゆるバリエーションの現実が荒唐無稽に展開し、しかも理性が眠っているから、どんな論理破綻をきたしていても、理性はそれを容認し、ヘタすりゃ、夢の中ではそれを当然だとすら思っている。目が醒めて思い返してみて初めて、何とバカバカしい筋書きだろうと笑うのだ。

そしてこの世の現実も基本的に夢と同じなので、自分の知らないうちに湧き起こってくる気分によって、現実が創造されている。しかし、この世の現実では夢と違って、理性がはっきりと働いているので、いい気分が作動して、いい現実が起ころうとしても、理性が邪魔をし、せっかくのいい気分を台無しにしてしまうことがほとんどだ。いい気分と理性がなかなか一致しないというか、理性がエラソーにいい気分をたしなめることが多い。

唐突にいい気分に襲われて、そうだ!私はこれをやりたかったんだ!とか、何かの判断に迫られて、突然いい気分がやってきて、こっちを選ぼう!と思っても、いつも理性がシャシャリ出てきて、んなワケないだろ、何を考えてるんだお前は! そんなバカなマネをしてはいけない。今までの常識からいっても、そんなことをすれば失敗するのは目に見えていると、理性が “論理的に” 諭してくれる。

それで、いい気分クンは、そうかなあとションボリし、思い立ったことをやらずに、理性に従って “常識的” な判断・行動をして、本来、素晴らしい展開になるはずだったラインから大きくはずれていくのである。

だから、いい気分に見合った現実は、なかなか現実化されない。逆に、イヤな予感・わるい予感はよく当たるのである。

イヤな予感、わるい予感、避けたい出来事というのは、心の底から避けたいと思っており、これは理性とても同じなのだ。だから、よくない気分と理性は見事に一致し、その気分と理性が選んだ現実化が、かなり高い確率で起きることになる。

だから、いい気分を保ち、理性にもそれを納得してもらう必要があるのだ。

方法はある。それは、“重要性” を下げることである。

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