何か、ブログを更新しようと思ったが、
今日は節分だったことを思い出し、あ、豆あるかな…と思い、
家に電話したら買ってないと…
帰りに西友で買えばいいとは思うが、もう夜の11時近い。
あるかしら。
しかし、トランプ旋風だね。
昨年の選挙キャンペーンのときもそうだが、
まだまだ続いている。
それも大統領に就任したわけだから、
やることなすことモロに世界に影響する。
公約を守るためなんだろうが、あの大統領令の連発はすごい。
移民制限に否定的だったイエーツ司法長官代理かなんかをさっそく解任したってんだから、おだやかじゃない。
いや、トランプはとにかく反対するものは片っ端から排除してる感じだ。
前回もトランプ政権の正体について識者らの見立てを紹介したが、
私自身はまだよくわからない。
格差社会やグローバルスタンダードとやらを無批判に強硬に拡大する、
といった流れにストップをかけたことには賛成で、
また今後の世界の流れとしても必要・必然だとは思うが、
トランプ個人に対しては、ここにきて???
といった感じ。
やってることは完全に鎖国だし、
今の時代に鎖国って…
アンタ、バカ!?
と、アスカ・ラングレーのように言いたくもなる。
移民法が改正される前に早くアメリカに入り込もうって手合いを、
できるだけ少なくしたい気持ちもわからないでもないが、
やることが早すぎるというか、強引すぎる。
あのやり方は、見てると完全にビジネスだね。
決断が早くて行動力があるっていう、有能な経営者の動きだろ、あれ。
それでもって自分の家族というか一族郎党の親分で、
やたら身内びいきの頼りがいのある頑固一徹のオヤジってことだろ、つまり。
普通の社会における家族の長であれば、すばらしいことだ。
破産しながらもビジネスで成功し、莫大な財をなし、
面倒見がよくて頼もしいオヤジなら尊敬もされる。
でも、それを国家でやったらいかがなものか。
しかもアメリカだぞ。
北朝鮮よりはいいかもしれないが、ワンマン経営は会社だけにしてほしい。
まさか、国が破綻しても、また建て直せばいいくらいに思ってるのかな。
いや、まさに破綻しそうなんだから、ムダな金は使わないってことか。
でも、経済的な破綻と国家の破綻は意味が違う。
まあ、私は政治的なことは疎いのでただのヨタ話だが、
実際、そもそも当選したこと自体がそうだが、
大統領令の連発や、気に食わないヤツに「お前はクビだ!」と言って、
グローバリストやエリート連中にひと泡吹かせたのは事実だし、
それくらいのカンフル剤を与えないと、
アメリカのあの停滞感はどうしようもなかったろう。
だから、大きな流れではやはり必要な人選だったと言えるかもしれない。
それにしても最近は、フィリッピンのドゥテルテにしてもそうだが、
ずいぶんと極端なヤツがトップに上がるね。
日本の竹下さんみたいに、
言語明瞭意味不明でやっていけた時代ではもはやないけれども、
飛びぬけた即断即決力と行動力がないとウケなくなったらしい。
もちろん、即断・即決・即行動は何においても成功の秘訣といわれる。
そういえば、思い出したが、この間、知人のイベントに呼ばれて出かけたが、
その知人というか先輩は、あちこち海外で活動する人で、
インドやイスラエルやフィリッピンによく行くらしいが、
フィリッピンの刑務所に慰問に行ったら、
何でも100人収容の刑務所に3000人詰め込んでいて、
これはうろ覚えだからアテにならないな、
1000人収容のことろに5000人だったか、
まあ、とにかくそんな感じで、
完全にキャパオーバーな刑務所に慰問に行くと、
2階から銃声が何発も聞こえ、
要するに麻薬関係で捕まって刑務所にいるわけだが、
本当に銃を乱射して囚人を殺していて、
しかも床を貫通して1階の囚人にまで危険が及ぶといった状況だったらしい。
それでも国民の相当数はドゥテルテを支持してるわけだから、
それなりの理由というか、それまでの遺恨というか、
鬱憤みたいなものがあったのだろう。
じゃなきゃ、普通は、オイオイってなる。
何を言いたいかというと、
トランプも没落した中間層の怨念が担ぎ上げた大統領って感があるから、
ルサンチマンを託つ層の溜飲を下げるためとはいえ、
あまり過激なことはおやりにならないほうがいいのではないかということだ。
何しろアメリカだからだ。
もちろんそんなことは杞憂であり、
トランプはもっと賢い人物で、先への計算と勝算があるのかもしれない。
あるいはもっと壮大なアジェンダのもとで、ただ操られてるだけなのかもしれない。
そのへんはもう少し経たないとわからないが、
でも何となく、『おやじ太鼓』とか『寺内貫太郎一家』みたいな匂いがする。
*
『世界の創造~ゼランド編』が滞っている。
ちょっと長くなってきたので、このブログではなく、
別にページを作って専用にまとめようと思う。
ゼランドを読んだ当初から感じていたのだが、
実は『リアル・トランサーフィン』のソースは、
『エメラルドタブレット』の叡智をもたらしたソースと同じではないか、
とずっと思っていて、それを検証していたのである。
ゼランドを読んだ人ならわかるかもしれないが、
そう思いませんか?
本文の内容にそれっぽい表現や単語がときどき出てくるのだ。
実際に『エメラルドタブレット』の名自体も瞬間的に触れられてるし、
“謎の監視人”とか、“汝自身を知れ”とか、“古代の神官”とか、
ときどき、お?と思う言葉が何気に出てきて、
もちろんそうした言葉はもはや一般的かもしれないが、
どうも関係してると思うのだ。
しかも、ゼランドの話は、エメラルドタブレットのみならず、
ビリー・マイヤーやヘタすればコーリー・グッドの、
一連の秘密宇宙プログラムの話とも関連してると思われる。
このあたりを検証するのはけっこう大変だが、実に興味深い。
まあ、そんな壮大な内容はゆっくりと進めて、ちょこちょこと更新はしよう。
そろそろ西友にいかなきゃならないが、あともうちょっと書くと、
今後も覚醒するとか、束縛から解き放たれなければならないとか、
その種の言動が増えてくると思う。
覚醒するといってもその意味は人によってさまざまだし、
別に束縛それ自体がわるいわけでない。
束縛から解放されるために、さらに別のものに束縛されるということはよくある。
あるいは、束縛から解放されなければならないと説く誰かさんが、
説いてる相手を束縛してる場合もある。
だから今後は、どうしても“見極める”ことが必要になってくる。
見極めると言ってもそう簡単じゃないかもしれないし、
私のようにすぐに飛び込んで、時には痛い目を見て、
やっとわかるということもある。
この飛び込むというのは、私は大事だと思う。
もちろん、君子危うきに近寄らず、ということもあるが、
やってみなければわからないということはある。
言い方を変えると、やりたいんだからやるということだ。
やらなくてもわかるということは、やりたくないということである。
やりたいことがあって、やらなくてもわかるなら、
なおさらやるだろう。
つまり、自分がやったことはやりたいことなのである。
ついでに言えば、やるべきことをやるというのは、
やりたいことをやるということだ。
問題は、やりたくないのにやらなければならないことや、
やりたいのやれないことだ。
先の束縛云々に関して言えば、あ、これ、でんでんじゃないからね、
って、あれには本当に笑ったというか、膝から崩れ落ちそうになった。
スマホのYahoo!のニュースで私は知ったのだが、
おまけにスクロールしていったら、俳優のでんでんも出てきていて、
マジで椅子からずり落ちそうになった。
もう、マンガだ、日本のニュースは。
いや、何だっけ。
そう、束縛云々に関しても、
束縛から解放されようとして別のものに束縛されることや、
束縛から解放されるべきだと説く相手の圧に飲まれて、
その人物の言動に囚われたり、巻き込まれることも確かに問題だが、
一番問題なのは、その人が本来進むべき方向から外れるということだ。
そして、その方向を知っているのは自分しかいないのである。
他人が知っているはずがない。
当たり前だ。
自分の魂が一番、自分のいくべき(やりたい)道を知っている。
だから魂が欲することをすればいいだけなのだが、
それがなかなかわからなかったりするわけだ。
どうしてか。
理性、理屈、論理、常識、経験(という名の統計学)が邪魔するからだ。
あ、これは別のシリーズで書くべきだな。
小難しくなるので。
とにかく、体験は大事だ。
ベタだが、最後に薩摩藩に伝わる島津家の「男の順序」をあげておこうか。
まあ、男の値打ちみたいなものか。
5段階で、上から順番に、
1 何かに挑戦して成功した者
2 何かに挑戦して失敗した者
3 挑戦はしなかったが、挑戦した者を手助けした者
4 何もしなかった者
5 何もせず、批判だけしている者
成功したといっても、セコイことじゃしょうもないが、
男なら(女でも?)せめて2番目で生きましょうや。
ね。
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