東京の中野はさきほどからいきなり大粒の雨が降り出し、
雷が鳴っている。まあ、これは予報通りだ。
私の事務所は 4 階の一番端の角部屋なので、
南側の窓を開けると見晴らしがいい。
っても、4 階だから大したことはないが、
それでも目の前に高いビルがないので、
新宿のほうまで抜けている。
が、高層ビル街方面だけは、
ちょうど近くに大きなマンションがあって見えない。
ここのところバカ暑い日が続いたので、
たまにはこれくらいの雨が降ってくれたほうがいい。
それじゃなくても、昔から雨は嫌いではないし。
前回はちょっと怪談めいた話を書いた。
と、おっと、今ものすごい雷がパリパリと響いた。
何だか、怪談話に合わせたかのようだが、
それはともかく、怪談というよりは、
単なる思い出話と言ったほうがいいかもね。
でも、前回書いたように、
同級生のお母さんの話にはわくわくしたものだ。
前回の話にしても、今でもごくたまぁに思い出す。
そこの家は代々続いている古い家で、
家の周りには小さな森だか林だかの名残りがあって、
やたらとヘビが出る家だったそうだ。
それで家の主は代々、
ヘビを殺して始末するのが日課のようにもなっていたらしい。
それでも時代が下るにつれて周囲の環境も変わり、
ヘビもあまり出なくなり、
結婚した若旦那というか当時の当家の主にしても、
ヘビを殺すことはなかったそうだが…まあ、
そういうことになった…
とかなんとかという話だった。
実は私は、その話をずいぶん後になって思い出したとき、
すでにインターネット時代に突入していたので、
事実関係を調べようとしたのだが、その四谷の話は出てこなかった。
まだ、あきらめたわけではないので、今でもときどき探そうと思う…
しかし、その同級生のお母さんの話は不思議ながらも、
どこか妙というか、ヘンというか、
どこか変わったところがあるなと当時は思っていた。
深夜にテレビで見たとかいう、
気持ちの悪い番組の話というのもあって、
それなんかも、何だそのヘンテコな話は?と思ったが、
やはりどこか気味が悪かった。
怪談話というほどでもないのだが、
その話を “怪談その 2 ” ということで書こうかと思ったが、
おそらくそのまま書いても、
当時の私が感じた気味の悪さは伝わらないなあと思うのと、
それにあっという間に終わってしまう話で、
その話はたしかふたつの話になっていたのだが、
もうひとつは忘れてしまっているし、どうしようかと思っていたところ、
別の話を思い出したのでそちらを書くことにする。
*
それは小学生のときの話ではなく。
私がもう 20 代の後半で編集の仕事をしていたころのことだ。
当時の会社は六本木にあり、毎日のように仕事で遅くなったり、
飲んで遅くなったりしていて、帰りはほとんどタクシーだった。
私はちょっと郊外のほうに住んでいたので、
六本木からタクシーで帰るとそれなりにいい時間がかかる。
(お金、じゃないところが微妙にバブルだね)
だから私はタクシーに乗ると、
必ず運ちゃんに何か不思議な体験をしたことはないかと聞いて、
仕事の延長のように車中でインタビュー取材をして時間をつぶしていた。
運ちゃんの 95 %くらいは、
「いやあ、特にありませんね」と言う。
でも 0.5 %の運ちゃんは、よくわからない体験をしていた。
私はそれらの話をすべて覚えているわけではないが、
今振り返れば、ちゃんとメモしとけばよかったなあと思う。
一応、私もそれなりに聞き出していたわけだし、
運ちゃんにしても、一生懸命に話してくれていたのだ。
でも、私はいつも仕事疲れか酔っぱらいで、
運ちゃんの話をラジオの深夜番組代わりに聞いていたので、
ときどき質問したり相槌を打ったりするくらいで、
ノートにはしてなかった。
それでもいくつかの話は今でもはっきりと覚えている
あれはもう 20 代の終わり、30近いときだったと思う。
3 月の終わりか 4 月の中ごろか、とにかく春が終わりかけていたが、
まだ初夏というほどではなく、日によっては肌寒いような季節だった。
その日も私は仕事で遅くなったか、
ちょっと飲んで遅くなったのかは忘れたが、
深夜、六本木 7 丁目にあった会社の裏道あたり(昔、『トゥーリア』ってデスコ!があったらへん)を歩いていた。
大したことはないが、いつの間にか雨が降り出していて、
私は霧雨の中を小さな公園を抜けて龍土町のほうへ向かった。
タクシーを停めるためだ。
龍土町ってわかるかしら。外苑東通りを挟んで、
昔の防衛庁があったあたり(今のミッドタウンだ)の向かい側の一画だ。
霞町のアメリカ大使館から外苑東通りにつながる道を、
防衛庁のほうに向かって歩いていると、
外苑東通りにぶつかる手前のビルの前に空車が 1 台停まっているのが見えた。
私は駆け寄ってタクシーに乗り込み、
行き先を告げてからほどなくして、いつものように運ちゃんに話しかけた。
「運転手さん…ちょっとお聞きしたいんですが、
これまでタクシーのお仕事をされて、何か不思議な体験ってしたことあります?」
「不思議な体験?…ですか?」
「そう。ほら、たとえばよくあるじゃないですか、深夜に女の人を乗せたら、
いつのまにかその人が消えていて、見るとシートがぐっしょり濡れていたとか…」
「ああ(苦笑)、そういうことですか」
「ちょっとしたことでもいいんですが、そういう不思議な体験というのは…」
「はあ。たしかにあたしらの仲間でも、そういうことを言うヤツがたまにいますね。
こないだ、ヘンな客を乗せたとか…お客さん、何か雑誌とかそういう関係の人ですか?」
「まあ、そんなところです。タクシーに乗るたびに毎回、聞いてるんです」
「実はこないだ、2、3 日前かな、ほら、さっきお客さんが乗ったビルの前ね、あそこで客を乗せたんです」
私は外苑東通りにぶつかる手前の左側、さっきのビルを思い出した。
ビルの入り口あたりに飲み屋や小料理屋のプレートがいくつも並んでいる、
よくあるテナントビルだ。
龍土町にはそういういわゆる飲み屋ビルみたいなのがいくつもあって、
そのビルは赤レンガ調の外観の渋いビルで、
テナントのほかに入居者もいるような大き目のマンションだった。
格調が高いと言えば聞こえはいいが、まあ古臭いと言えば古臭い。
そのあたりは日中でもよく通る場所なので知ってはいるが、
私は龍土町はあまり好きなエリアではなかった。
だいたい六本木は、個人的には全体的にあまり好きな町ではない。
六本木の交差点から飯倉方面も好きではないし、溜池のほうもそうだ。
乃木坂方面も、乃木坂の駅あたりからはちょっと変わるが、
それまではちょっと苦手。
渋谷方面はそうヘンなこともないが、
骨董通りあたりからのほうがいいな。
麻布十番なんかは人々の活気が残っているからまだいいが、
いわゆる六本木でいいと思う場所は、
旧テレ朝通りの…と書いて気づいたが、
今は六本木ヒルズになってるんだよな、あのへん。
だから、ちょっとまた違うか。
昔で言えば、旧テレ朝通りから少し入ったエリア、
麻布台とか、有栖川公園あたりの一部かな、
そのくらいしか個人的には、
いいなあと思った場所はなかったんじゃないか。
話がズレた。
とにかく、その運ちゃんは 2、3 日前にも、私が乗った場所で客を乗せた。
以下、運ちゃんの話をまとめる。
2、3 日前、その日も細かい雨が夜半から降り出していた。
深夜、運ちゃんは霞町から外苑東通りに抜けようと車を走らせていた。
すると、ちょうど私が乗車した場所と同じビルの前にタクシーが 1 台停まっていた。
見るとタクシーのそばで、雨に当たらないようにビルの入り口に少し入って、
4、5 人の男女が何やら話している。
運ちゃんは、あの人数だと 1 台のタクシーには納まらないので、
何か相談しているんだろうと思い、
乗れない客を捕まえようとしばらく離れて停車していた。
ワイパーが左右に動くフロントガラスの向こうで、
4、5 人の男女はタクシーに乗り込む気配をなかなか見せず、
相変わらず何事かを話し合っている。
運ちゃんもさすがに不審に思い出したころ、
ようやく彼らはひとりを残して車に乗り込んだ。
タクシーが走り去ったので、
運ちゃんがひとり残っていた男性に車を近づけると、
男性が手をあげて車に乗り込んできた。
行き先を聞くと、
「野方まで」と男が言った。
やがて、「運転手さん、信じてもらえるかなあ。
今、行ってきた店が、ものすごく気持ちがわるかったんだ」
と話し出した。
男の話によると、
その日は気の合った仕事仲間と久しぶりに飲む会だったらしい。
先ほど乗車した前のビルにスナックが入っていて、
そこのマスターが病気になってしばらく店を休んでいたのだが、
ようやく快復して店を再開することになったので、
マスターの友人である知人がそのお祝いとともに、
久しぶりに懐かしい仲間も呼んでみんなで会おうという話になり、
飲み会が企画されたということだ。
そして5人そろったところで一緒に店に入ったが、
カウンターに座ってワイワイ話しているうちに、
その中のひとりの女性が、マスターにはわかならないように、
「店を出よう」と言い出した。
みんなは「何を言い出すのか」と笑い、
リーダー格のマスターの友人も飲み会の企画を立てた手前もあり、
「まだ早いし、会はこれからだよ」とその女性をたしなめた。
それでも女性は、どうしても店を出ると言ってきかない。
さすがにみんなも困り果て、
リーダー格の男もムッとしてトイレに立ってしまった。
みんなでどうしようかと思っているところに、
トイレからリーダーが戻ってきて、見ると真っ青な顔をしている。
みんなが「どうしたんだ?」と聞くと、
リーダーは「やっぱり出よう」とだけ言った。
マスターには適当なことを言ってごまかして、
みんなは店を出て、
ちょうど通りがかったタクシーを停めておいて、
ビルの前でしばらく話し合っていたという。
「私はわけがわからなかったし、いったいどうしたんだと、
そのリーダー格の男と女性に聞いたんです」
とその客は運ちゃんに言ったそうだ。
「そうしたら女性のほうは、とにかくあの店に入った瞬間から、
何とも言えないイヤな感じがしたと言います。
何でイヤなのかわからないが、一刻も早く店を出たくてしょうがない、
出なくてはならないと思ったと。
特に店の入り口あたりからイヤなものが漂ってくると言ってました」
そして続けて、
「リーダー格の男は、せっかくの飲み会なのに、
突然帰ると言い出した女性に腹を立てたそうです。
ケンカにもなりそうだから、頭を冷やすためにトイレに立った。
そしてトイレで用を足そうとした瞬間、自分の両肩に何かがズンと乗ったと。
明らかに何かが肩に乗ったのが、はっきりとわかったそうです。
彼はものすごい恐怖に襲われ、用を足すのも忘れて、
これはすぐにでも店を出たほうがいいと思ったと」
さらにその客は、
女性が入り口のあたりがイヤだった言うのを聞いて、
ふと思い出したそうだ。
その店に入ったときに、
ドアを開けるとすぐ目の前に格子状の衝立てがあって、
その衝立てに千代紙で作った平べったい人形がいくつも貼ってあった。
古くて、ところどころ汚れたような煤けたような千代紙で、
色ととりどりの着物を着た小さな女の子の紙人形だったそうだ。
その客はそれほど気にしたわけではないが、
ちらと見たときに、どことなく気味が悪いと思ったという。
タクシーの運ちゃんは、
ちょうど5人がビルの前でそんな話をしているところに出会い、
その中のひとりを拾ったわけである。
そして、彼らはある有名な朝の長寿番組のスタッフたちだったのだ。
これは私ぐらいの年齢、60 年代前半までの生まれの人間であれば、
ほぼ誰でも知ってるだろう番組だ。
タイトルを出すのは一応控えるが、
有名な長寿番組のメイン出演者とスタッフだったということらしい。
私は「なるほど…」とうなり、
これはこれで面白い話を聞いたと内心喜んだ。
だからまあ、こうして記憶してるわけだが、話はまだ終わらない。
運転手が続ける。
「それでね、そのお客さんが、運転手さん、信じてもらえるか?と言うんで、
あたしはこう言いました。信じますよ。だってお客さん、
たくさん連れてきてますよって」
私は「へ?」と言った。
「どういうことですか?」
「ガラス窓ですよ。窓がものすごく曇ったんです。
あたしはその日は、暖房は切ってましたからね。
今時分はまだ寒い日があるから、ときどき暖房入れますが、
その日は入れませんでした。それにその客を拾う前に、
前と後ろにサラリーマン 4 人を乗せてたんですが、
4 人の酔っぱらいがワイワイ騒いでも全然曇らなかった窓ガラスが、
そのお客さんが乗ってすぐに曇ったんですから」
「誰かほかに乗っていたということですか?」
「そうです。そのお客さんにも言いましたが、
これはひとりやふたりじゃないですよと。
あたしはそういうことにちょっと敏感なタチでしてね」
「それで、どうしました?」
「ええ、そのお客さんもどうしたらいいですか?と青くなってるから、
向こうについたらあたしが活を入れてあげますと言いました」
「カツ?」
「ええ、憑いてるものを追っ払うんです」
「……」
タクシーが野方に着くと、運ちゃんはその客を降ろして活を入れたそうだ。
客は恐縮して何かお礼をしたいと言ったが、運ちゃんが断ると、
ちょっと待っててくれと言って自宅に入り、一升瓶を持ってきて、
お払いだと言って、タクシーの屋根からダバダバと酒をかけたそうである。
「あたしは車が錆びるから止めてくれと思ったんですがね(笑)。
まあ、せっかくの気持ちなので…」
運ちゃんの話し方や話す内容が、
どうもタクシーの運転手らしからぬような気もするので、
そう聞いてみると、多少武術の心得があるということだった。
私は話を聞き終えると、明日その店を見てみたいと思った。
「そのお店の名前、わかりますか?」
「ええと、何だっけなあ…聞いたんですが…
何か、“舞う” という字がついてたような…よく覚えてません」
私は翌日の昼食時に、さっそく前の夜にタクシーに乗った場所に行ってみた。
ビルの入り口に並んでる店の名前を見ると、「舞〇」という店があった。
〇の中にはよくある漢字が入るが、もう店はないと思うが一応、伏せておく。
私はその話を会社の同僚などにも何回かした。
すると営業部の人間が興味を示し、
その店が入っているビルのマンションに知人が住んでいて、
実はとんでもない目にあっていると言い出したのだ。
その知人はあるレコードメーカーに勤めている人で、
そのマンションに引っ越してきたのだが、
稲川淳二ばりの恐怖体験をしていたのである。
その話はまたいずれ。
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