だるまさんこちら向かんせ世の中は月雪花に酒と三味線…とまあ、こういきたいものです。

十人十色なんだが・・・

群盲、ゾウを撫でる、というよく知られた話がある。

盲人が5、6人で動物のゾウを触るわけだ。
これはブログで何回も話したかもしれないが、ひとりは足を触り、ひとりは鼻、ひとりは耳、というようにゾウの一部を触って、「ゾウとはどういうものか?」と問われると、それぞれがいろんなことを言うわけだ。

鼻を触ったやつはロープのようだと言い、足を触ったやつは柱のようだとかね。

この話は各宗教でも取り上げられていて、細かい部分は鼻がヒモだったり水道管だったり、耳が扇だったり蓑だったり、まあ、それはその国というか土地というか、それぞれバリエーションがある。

で、鼻を触ったやつでも耳を触ったやつでも、足を触ったやつでも、本気にゾウはロープのようだとか、扇のようだとか柱のようだとか思っている。

それはもちろん間違いではない。
ただ、ゾウは見えていない。

霊能者、サイキック、ヒーラーと呼ばれる人にも、当たり前だが、いろいろなタイプの人がいる。先のゾウの話で言えば、極端に言えば以下、3つのタイプだ。

1 自分が触った足なり鼻なり耳なり、何でもいいが、その足なり鼻なり耳なりに関しては超専門家であり、その足なり鼻なり耳なりに関してはよく知っていて、そこに生じるトラブルを独自のメソッドで解消できるタイプの人。そして、自分が何でそういうことができるのかに関してはあまり追求せず、治せるということ以上のことをあまり求めようとしない人。

2 1のようなことができる人で、それぞれ自分の“足体験”“鼻体験”“耳体験”を通して、それぞれの“足理論”“鼻理論”“耳理論”をその人なりに構築していく人。

3 最初から象の姿が見えていて、1のようなことができる人。

実際は、123が絡んだいろいろなバリエーションがあるが、わかりやすく言えば、そういうことだ。

そして私は、これまでいろいろな霊能者、サイキック、ヒーラーを取材してきたが、上記の分類で言えば今は3の人を中心に取材しているわけである。

もっと細かく言わなければならないのだろうが、たとえば、何でお前に123の区別がつくんだよ!とか、いろいろツッコミどころはあるだろうが、それは五目舎のコンテンツを通して伝えていくしかない。

ちょっと立ち飲みでやってきたんだが、やっぱり文章がちょっと甘いかな。

Commentコメント

お気軽にコメントをお寄せください

メールアドレスが公開されることはありません。