何が途中経過だという感じもあるが、
どうにもブログの更新や、
「おやすぴ」の更新や「宗任問答」の更新ができずにいる。
予定でいえば、
「おやすぴ」は今週の土曜に収録することになっているので、
来週前半にアップすることになると思う。
「宗任問答」はすでに2回収録しているので、
まずは先々週のものを明日にはアップしたいと思う。
何だかのろまなことになっているのは、
12月に発売予定の角田よしかず氏の書籍の原稿で苦労しているからだ。
いや、苦労というのは物理的な話で、
作業する人間が私しかいないということだ。
角田氏のことは何度もこのブログでは取り上げているので、
もうプロフィール的なことは詳しく書かないが、
氏の書籍の制作を通じて、私がこれまでにいろいろいと、
いわゆるスピリチュアル系のことでリサーチしてきたことの、
集大成へと向かうきっかけを与えてくれることになったようだ。
紹介するとか、
試論として発表するなどと以前にも言いながら、
いまだに書いていない錦戸無光先生の書籍に関する論考や、
途中で尻切れトンボの形になっているゼランドの思考モデルなど、
カタをつけなくてはいけないものがギャッと言いたくなる感じで、
ある。
もっとも、別にプレッシャーになっているとかそういうことではなく、
むしろそれはワクワクするような魅力的な作業になるのは間違いないのだが、
それぞれの内容がある意味で尋常ではなく、
普通の人に言わせれば、頭、大丈夫?となることであろうし、
個人的にもスピ系に関しては、
ほぼ全容が見えてきた感じがあるわけだ。
別に全容が見えたからと言って、
特に今までと変わりはない。
ただ、ちょっとすっきりしたことと、
あらたな問題と言うか、課題と言うか、試練と言うか、
要するに冒険ができるということだ。
群盲ゾウをなでるといった言葉があるが、
あれだ。
何人かの盲人がゾウを触って、
ゾウとはどういうものかをそれぞれが語る。
足を触って柱のようだと言い、
耳を触って団扇のようだと言い、
しっぽを触ってはヘビのようだという。
何か違うような気もするし、
前にも何度も書いた気がするが、まあいい。
でも、それぞれにはゾウの全体像は見えていない。
その伝で言えば、
ゾウが見えてきたということだ。
でも、ゾウが見えたからと言っても、
ゾウについて何もかもがわかったわけでは当然ないわけだ。
そういうことである。
何が?って感じだが、
大したことのないオツムから繰り出される駄弁や、
錆びきった感性から押しつけられるゲージツよりは、
まだまだマシなものが世の中にはあるし、
そういうものを創造している、
いまだ名もなき人々はゴマンといるらしいということだ。
これが人類の喜びでなくて何であろうか?
人間の死亡率は100%であり、
人は死ぬまで生きるのである。
願わくば、馥郁たる生を(性を?)生きようではありませんか、
諸君。
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