本日の夜ってもう夜だが、
深夜にはならないくらいに、
『おやすぴ』の最新版をアップできると思う。
いろいろと細かいことが予定どおりにいかないが、
まあ、大きなところで進んでいることがわかるので、
大丈夫でしょう。
今、角田よしかず氏の書籍を制作していることは前にも書いたが、
いろいろと紆余曲折があってここまでたどり着いた本である。
そういう本がたまにあるが、
それも2種類あって、
ひとつは何かの加減か采配が働いて、
どうしても先に進まず、
ようやく制作・発売にこぎつけると、
めちゃくちゃ売れたりするもの。
もうひとつは、
何かの力と作為が働いて、
どうしても先に進まないが、
何かの恩寵が働いて発売にいたるもの。
前者は、
発売が遅れはしたものの、
結果的にはベストのタイミングだったりする。
後者は、
内容的にその本が世に出ては困る存在がいて、
なかなか進まないようになってしまう。
何てことを言うと、
何言ってやがる、それはお前の怠慢だろ!
という声が飛んできそうだが、
たしかにそうとも言える部分があるかもしれないが、
長年出版に携わっていると、
しかもいわゆるスピ系をも並行して追っかけていたりすると、
そういうことがわかってくるし、
実際、サイキックといわれるような複数の人からも、
同じ話をされたりする。
だから、売れる本は売れるべくして売れるし、
よい本は必ず世に出る。
しかし、そこにはいささか微妙なニュアンスがあって、
売れる本も作り手側の強引な「我」が関与したりすると、
いろいろなタイミングがずれて売れなくなる。
売れるものも売れなくなる。
ちなみに、作り手側には当たり前だが書き手も入る。
何だってタイミングはある。
テニスボールを打ち返すにも、
別れ際に握手をするにも、
愛の告白をするときも、
タイミングひとつで微妙に変わってくるでしょ?
ベストなタイミングは一度しかないのだ。
しかし、それぞれのことがらにひとつずつしかないので、
突き詰めれば、一瞬一瞬がベストのタイミングになる。
しかし、大局的にもひとつなので、
そのあたりのパースペクティブを間違えると、
タイミングをはずしてしまう。
それについては長くなるので、
また今度書こうかと思う。
それに角田さんの書籍の内容とも絡んでくる。
先の、よい本は世に出るといった話も、
よい本なら、そりゃ、
いつかは出るだろうなんていうことではない。
よい本であればあるほど、
出さない力が働くのだ。
この場合のよい本とは、
人間の魂にとってよい本ということだ。
何だそれは?
とも言われそうだが、そうなのだ。
邪魔をされる。
何に?
ヴァジム・ゼランドふうに言えば「振り子」に、
コーリー・グッドふうに言えば「シャドービーイング」に、
もっと平たく言えば「悪魔」に邪魔をされるのである。
そしてひょっとしたら、
そうしたものすべてに、
実は「AI」が関係しているかもしれないのだと言ったら、
突拍子もないだろうか?
AIが最終的に欲しがるのは、
おそらく人間の「魂」だ。
そして、
それを知ってる“両陣営”の「人」たちが、
すでに活動しはじめているのだ…
何もよい本を作ることだけではなく、
よいことを考えたり、
よいことをしようとしたり、
よくないことをあらためようとすると、
自動的にそれを阻止しようと起動する力があるのだ。
それとどう戦うか、
あるいは戦わないか。
人類史というのか、宇宙史というのか、
おそらくはその歴史である。
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