『宗任問答』の最新版の編集が終わったので、
確認が終わりしだいアップする。
しかし、今回もテーマとしてはヘビーというかディープだ。
テーマとしてはということだが、
実際、ヘビーだディープだといっても、
まったく興味も関心もない人には関係ない話だし、
それはそれでいいのだ。
当たり前だ。
ただ、子どものころから、
スピリチュアル的なことに関心があったり、
普通に生きてきたら、
結果的にスピリチュアル的なことに関わることになったり、
もう初めから真剣に取り組んでいるという人たちがいる。
私にしてもそうで、
上の3パターンすべてに少しずつあてはまる。
そして私なりに、これはいったいどうしたことか、
などと吟味しながら生きてきたわけだが、
いろいろと痛い目に遭いながらも、
それなりにスピリチュアル的な交流関係もできるのだが、
突然、風来坊になったような気持ちになることもある。
何というか、
無我夢中で一緒に遊んでいた仲間が、
夕飯どきになって普通の小学生に戻って、
一目散に家に帰っていくようなことだ。
残された私は孤児になったような気持ちになる。
いや、遊びは遊び、
ゲームはゲームで楽しめばいいわけで、
何も本当に鬼ごっこで鬼になったわけでも、
お医者さんごっこで医者になったわけでもないことは、
賢い子どもはよくわかっていて、
夕飯どきにはちゃんと家に帰るのだ。
理科の課外授業でどこぞの森に行っても、
ここからここまでの範囲と自由を与えられ、
境界線を突破してあっちゃこっちゃ行こうとすると、
「あ、いけないんだ、先生に言いつけてやる」とか言う、
こまっしゃくれた女子が必ずいるものである。
「うるせー」とか言いながら、
仲間と小川のほうへ降りていっても、
結局はほどほどのところで誰かが、
「おい、そろそろ戻ったほうがいいんじゃね?」
的なことを言い出して、
戻ったら戻ったで先生に怒られるわけだ。
小川にきれいな魚がたくさん泳いでいても、
魚を捕ったり、小川を下ったり上ったりして、
どこかへ行ってしまおうと思うヤツは、
まずいないのである。
どこで戻るか。
どこまで行くか。
スピリチュアル的なことだけではないだろうが、
その範囲や距離、幅の違いが、
それぞれの体験の違いにもなる。
体験の違いは価値観の違いになり、
人生観の違いになる。
あるいは、人生観や価値観の違いが、
体験の違いになる。
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