だるまさんこちら向かんせ世の中は月雪花に酒と三味線…とまあ、こういきたいものです。

西部邁氏の思い出

昨日、西部邁氏が亡くなられた。

昨日の夕方、ヤフーのニュースで知った。ショックを受けてツイッターを見ると、宮台真司氏のツイートが目に入り、悲しくて泣いていますといったコメントを見て、思わず涙が出てきた。

両者の間には論戦もあったが、おふたりの根底には “情” があると思っている。

西部氏には『朝まで生テレビ』をはじめ、私はかなり影響を受けていると思う。これは私の世代のちょっと知的な人間は、みんなそうだろう。

西部氏はどうしたいきさつかはわからないが、故立川談志師匠の番組に出ていて、私はそのころ談志を追っかけて、全国のホールを回っていたこともあり、東京 MIX のその番組もよく見ていた。

そうしたある日、新宿の棋士が集まることで有名なバーで、西部氏に遭遇したことがある。このことは以前にもちょっと書いた

そう言えば、昔は FC2 で記事を書いていて、2015 年にこのサイトにごっそり記事を移設したから、昔の記事は改行もなく流し込まれていて、非情に読みにくい。

あまり読む人もいないだろうとそのままにしていたが、やはりこれは整えよう。と言っても改行を入れるだけだが。

また脱線した。

とにかくそのころ、新宿の酒場で私は西部氏に遭遇したことがある。

西部氏は鼻唄をうたいながらわりと上機嫌で、編集者と店に入ってきた。すでに一杯入っていたのだろう。

私は出版社を経営している先輩と一緒に、狭い店内のカウンターに座っていた。

西部氏も編集者とカウンターに座って、店のママさんや編集者と話していた。

先輩が著作のことで西部氏に声をかけたことをきっかけに、私も西部氏と話をした。

いい機会だったので、私はかねてから思っていたことを話した。

西部氏には三島由紀夫について書いた文章があり、たしか三島由紀夫はバカである、といったような出だしではじまるものだった。

三島には実は明晰さが欠如しているという内容だったのだが、私はそれを読んで驚愕した覚えがあったのだ。

三島が明晰ではなく、しかもバカであると言い切るこの人は、いったい何者だろうということだ。

だから、あれには驚きました、三島をああいうふうに評したのは西部さんだけじゃないか、というようなことを言ったのである。

すると西部氏は、ありがとうと言った。

そこから会話がはじまるのだが、酒場でのことなので、どこまで氏の本意であるかどうかはともかく、いくつか印象に残った話がある。

調子づいた私は、無礼にもパーパーとくっちゃべったのだが、西部氏は三島由紀夫に関しては、自分は間違っていたと言い出した。

三島は頭がいい…

としんみりと言うのだ。

私は当時は出版社の編集者だったが、下卑た太鼓持ちのようになって、

そんなことをおっしゃられても、あの三島をバカとお書きになったくらいスから、西部さんのほうが、頭がおよろしいということなんじゃございませんでしょうか?

と、今となっては穴にでも入りたいようなことをぬかした。そうしたら西部氏は、

俺もそう思ってた。でも、そうじゃなかった。三島のほうがはるかに賢かった…

という内容のことを言ったのだ。

それから、先の記事にも書いたが、

人間は酔っぱらってるくらいがちょうどいい。そりゃ、ときには間違いもあるだろうが、酒はやがて醒める。すると反省する。反省したぶんだけ進歩する。でも、現実というのは、醒めない悪夢を見ているようなもので…

と話されたことを覚えている。

醒めない悪夢を見ているようなものだから、どうしたらいいのかということは、覚えていない。そこで話は終わったのかもしれない。

あと、私も酔っていたせいか、ちょこちょこ会話をしているうちに、何かのはずみでふと “文学的” な気持ちになり、西部氏に、

でも、詩人の道もあったんじゃないですか?

と聞いた。

西部氏は一瞬だけハッとした表情をされて、私の顔を見てニコっとされ、また、

ありがとう。

と言われたのである。

西部氏との会話の思い出はそれだけだ。

私は、想像していたとおりの方だなあと思った。冒頭にもちょっと書いたが、“情の人” ということだ。

誤解されるといけないが、情の人という意味は、抒情的だとか感情的ということではなく、何と言うか、昔ふうに言えば、“情け” があるというか、思いやりがあるというか、相手のことを慮る人だということだ。

先の店に入ってきたときも、その店にはあいにく気の利いたつまみがなくて、西部氏は酔っぱらった江戸っ子のような態度で、

何かないの?
小なすのからし和えとかさ…

とねだると、お供の編集者が、

じゃあ、私が探して買ってきます

と言って店を出て行ったのはいいが、なかなか帰ってこない。

私も遅いなあと思ったが、すでに深夜である。そう簡単には、小なすのからし和えは売ってなかったに違いない。

おそらく編集者も苦労したのだろう。でも、ちゃんと買ってきた。

西部氏は、

遅い!

と言いながらも、ニコニコしながら、黄色いからしがまぶされた小なすをうれしそうにつまみ出した。

そのころ談志と番組を一緒にやってたからだろう。西部氏は何事か、都都逸とも端唄とも長唄とも演歌ともつかない鼻唄をうなっていて、その夜は始終、ご機嫌だった。

何かつまみがないのか?と言う態度も、どこかわざと江戸っ子を気取って見せている感じがあり、編集者に「遅い!」と軽く叱ったときも、言い放つ前に、これから怒るぞと言わんばかりにひと息飲み込んでから、「遅い!」と言い放ってみせるのだ。

すべてどこか暖かいものがあった。

作りごとではなく本当に 4、5 日前から、西部さんとまたどこかの酒場で遭遇しないかなあ、と思っていたところなので、ニュースを見たときはショックだった。

ご冥福をお祈りいたします。

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