今日は蒸し暑い。
今日もと言うべきか。
でもまあ、この時期当たり前か。ああ、冷えたビールが飲みたい。
先日は、ワールドカップのセネガル戦を深夜まで観戦した人も多かったろう。サッカーのサの字にも興味がないはずの息子までが観ていたようだから、さすがに視聴率も高いわけだ。30%超えたんでしょ?、あれ。
それにしても日本代表はよかったね。
何というか、まるで人が変わったかのようにと言えば、長友も本田も香川もそんなに変わるはずもないが、日本のチーム全体の「思い」のようなものが変わったように感じられ、その一員としての個々のメンバーも変わったように見えたということかもしれない。
簡単に言えば、それぞれが先を見据えていて、今を戦っている感じか。
その「思い」が強かったぶんだけ、引き分けにもなった気がする。まあ、私はサッカーには詳しくないからエラソーなことは言えないが、また勝てた試合だったと言うムキもあることも知っているが、勝てなかったのだから、勝てなかった試合であり、それは次の試合で気をつければいいのだ。
乾にしても、前の試合の何だか悔しいことがあったから、同点ゴールをねじ込めたわけでしょ?
何で、こんなスポーツ音痴がサッカーを語っているのかと自分でも思うが、極端に言えば、人の「思い」が分かれているなあと感じるわけだ。
そりゃ、人それぞれの思いは違うだろうが、これまた極端に言えば、先へ行きたい人、新しい体験をしたい人と、現状維持の体制を守る人、変化したくない人に分かれるってことだ。
これまでは、そうした二分化の中でもそれぞれ多くのヴァリエーションというか、シチュエーションやタイプがあって、それなりに華やかな社会を形成していたように思うが、もはやフェーズも変わった。
たとえば、周囲の人間にいないだろうか。
おろ? この人、こんな感じだったっけ? 何か、人柄が変わったような…あえて言えば、よくなったような…って人や、あるいは逆に、え? この人、こういうことを言ってたはずなのに、結局、今までのは口だけだったのかしらん…などなど。
場合によっては決定的な男女の別離や、友人同士の仲たがいを経験している人も増えているのではないか。
ある種の総決算的なことであれば、それも一興というと語弊がありそうだが、まあ建設的だとも言える。
少なくともお互いに納得はできるだろう。
でも、シェルドレイクの形態場じゃないが、形態形成プロセスにおいては人間は前史の人間の言動や、その場のエネルギーの型のようなものに無意識に影響を受けるというよりも、なぞってしまう傾向がある。
自分の言動に無自覚でいると、どうしてもその場に鋳込まれている型というか、ある種のフォーマットのようなものを自分のエネルギーが自動的になぞってしまい、不本意な方向に誘導されてしまうことになる。
ゼランドに言わせれば、それが「振り子」ということになるが、何が言いたいのかというと、今その「振り子」が複数寄り集まって、大きなふたつの「振り子」を形成しようとしているように見えると思うわけだ。
片や、先ほどで言えば現状維持というか、これまでのままに物事を進めたいグループの「思い」が固めていく鋳型であり、もうひとつは、これまでとは違うものを模索していきたいする人たちの「思い」が形成する流れである。
近代以降、人類は大きなシステムを何とかここまで動かしてはきたが、もうとっくの昔にもたなくなっており、それはみんなも何となくわかってはいたのだが、ここにきてこりゃマジでダメだわと思いはじめたという人たちと、いまだにかたくなにしがみつく人とで、本格的に大きく分かれてきたようだ。
そして今、両方のグループの「思い」が、いろいろな人々の無意識に影響を与え合っている真っ最中なのである。
エイズウィルスの発見だったかでノーベル賞をもらったモンタニエ博士の研究によれば、人はというより生物同士は今や、DNA レベルで情報の転写を行ない合っていることがわかっている。「 DNA テレポーテーション」ってやつだ。
ヘタすりゃ、私たちは誰かといるだけで、お互いに DNA のレベルで情報を書き込み合っているわけだ。
たしかに晩年のジョン・レノンとオノ・ヨーコはそっくりだったって、これは違う話か。
いや、そうでもないか。
ともかく早い話が、これからは同じようなことを思ったり考えたりしている人同士で、もっともっとまとまっていくだろうってことだ。
これは何も今にはじまったことじゃないが、それがふたつの方向の「思い」に大きくまとまって、分かれはじめたということである。
これは敵対するとかそういうことではなく、「鋳型」でも「振り子」でもいいが、まったく形も中身も違う大きな「枠組み」にコンクリートを流し込めば、まったく違うものができ上がるのは当たり前でしょって話なのである。
重要なことは、これからどういう「鋳型」「振り子」「枠組み」が形成されるのか、「知る」ということだ。
それにしても、ルパート・シェルドレイクのような超重要な学者が、単独で Wiki にもないってのも唖然とするわな。
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