関東は梅雨入りしたらしいが、たしかに昨日から雨が降っている。
梅雨の時期と言えば、カビだろうが、なぜかまだジメジメした感じはなく、気温が低いせいか、むしろすがすがしいのは私がおかしいのだろうか。
でも、私は昔から雨がきらいではなく、雨なら雨でどこかうれしいと言うと語弊があるかもしれないが、アメアメフレフレかあさんが♪という歌があるように、個人的には別に暗いイメージはない。
まあ、それでもたいがいは湯原昌幸の「雨のバラード」じゃないが(古いな相変わらず)、雨に対してはしっとり&しっぽりしたイメージを抱くのだろうし、雨の日や月曜日というものは、always get me down♪ という人が多いのだろう。
それでも私は、ガキのときは雨が上がると一目散に外に出て、そこいらに這いだしたカタツムリを見に行くのが好きだった。
だから、雨の日には今でもカタツムリを思い出すのだが、最近は見かけないんだよね。いないはずはないと思うのだが、まあ自宅と酒場の往復の道には生息してないというだけなのだろう。
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ところで、今からちょうど 75 年前の 6 月 10 日、岡本天明に艮の金神(うしとらのこんじん)の『日月神示』が降りた。
いや、特に意味はないが、今日は 10 日かと思ったら思い出したのである。やはり 75 年前の今日も梅雨入りしていたのだろうか。
でも、もし梅雨入りした雨もよいの日で、『日月神示』の冒頭「富士は晴れたり、日本晴れ、神の国のまことの神の力をあらわす代(よ)となれる」ときたら、けっこういいのだがなあと思う。
同じ艮の金神の神諭ではあるが、『大本神諭』の冒頭「三ぜん世界一同(いちど)に開く梅の花、艮の金神の世に成りたぞよ」と同様、個人的には両者とも爽快な文章のひとつだ。
艮の金神系の神諭は、文体と言うか口調と言うか、江戸後期から明治・大正の言葉遣いから、ときどき上代から古代にさかのぼる表現もあったりしてなかなかに面白く、何と言うか、いいのである。
まあ、私が人の言葉遣いや言い方、表現の仕方、語彙などに敏感だったり、興味を持っているからなのだろうが、私なりの評価ってもエラソーな意味ではなく、基準というか好みがある。
これは誰にでもあると思うが、ルックスでも何でもそういう好みがあり、たとえば顔は好みだけど声が好きではないとか、物を買うときでも、形はいいけど色がねえとか、何かそれぞれがある意味手探りで対象をまさぐっているところがあり、その “手つき” みたいなものにオリジナリティが現われるのだが、大げさに言えば、その人の文章を読めばそういうことがだいたいわかるのである。
そういう意味では、私は艮の金神とされる一連の神諭の文章が好きであり、その誠実さ、厳しさ、包容力、諧謔、ユーモア、知性などなど、まあ一流だろうと思うわけだ。
一流っても、文学者ではないだろうから、何と言うか、とんでもない知力と胆力と創造力を持った講談師とか噺家のようなイメージなのだが、そんなことを言うと怒られそうだな、誰かに。
艮の金神は国常立大神(くにとこたちのおおかみ)ともされるが、その神様って何だ?とか、本当にいるのか?とか、人間なのか宇宙人なのか?といったことはおいといて、単純に文章からわかるところで話しているわけだ。
あえて言えば、空恐ろしいモンスターに変身した小林秀雄のようなことだが、こうなると何を言ってるのか言いたいのかわからなくなってくるので、やめとく。
小林秀雄と言えば、講演テープもあって、今も販売しているのかどうかわからないが、本当にもう落語のようだった。冗談ではなく、教養のある志ん生みたいなもので、何とも陶然とした覚えがある。
晩年と言っていいのかどうかわからないが、それに実はそれほど詳しくもないのだが、小林秀雄は評論ができなくなって骨董に凝った。
モーツァルトだドストエフスキーだ何だといろいろ書いているうちに、本人が芸術家のようになってしまって、主体と客体が織りなしたり、綾なしたりすることに倦んだのかどうなのか、今度は対象と一体化しようとするのかのように骨董に接するわけだ。
で、骨董が本物かどうか見分けるコツみたいなものを聞かれて、それはできるだけ多くの本物に接することだみたいなことを言っていたはずだ。たしか。
それで思い出したが、甘粕大尉だったと思うが、てか甘粕大尉は前にもどこかで書いた気がするが、それはともかく、満州かどこかで小林秀雄と会っているはずだ。
それで、甘粕大尉が中国の骨董の壺だったか花瓶だったか皿だったか覚えてないが、逸品を持っていて、当時すでに骨董の目利きとして名を馳せていた?小林秀雄に、会食しているときにそのブツの真贋を聞いた。すると小林秀雄はにべもなくニセモノだと言ったのである。
一応、甘粕大尉(だったと思うが)と言えば、当時は軍では泣く子も黙るかどうかはわからないが、それなりの人物だっただろう。
だから、そこにいた甘粕大尉の部下(ふたりだったと思う)が小林秀雄の態度に激怒して、その夜に成敗しようと寝ている部屋に行った。
つまり、殺そうということだが、どうにもまだ荒っぽい時代だったのだろう。満州だし。
したら、小林秀雄は、どうせ大酒をかっ食らっていたのだろうが、描写は忘れたが、意味としては、あまりにも無防備に(無邪気に?)引っくり返って寝ていたらしい。
殺しに行った部下のふたりは互いに顔を見合わせ、そのまま引き上げたってんだが、その気持ちもわからなくもない。と言うか、個人的にはいい話に聞こえる。
で、翌朝かなんかに部下たちが甘粕大尉にそのことを報告すると、甘粕大尉は呵々大笑し、これも意味としては、そりゃそうだろう、あれはお前たちが太刀打ちできる相手ではないというようなことを言ったというのだ。
ディテールは違うかもしれないが、そんな話を昔何かで読んだ記憶があるのだが、それが何だったのかさっぱり思い出せないのだ。ネットで探してもわからない。誰か知りませんかねえ、もう一度読みたいのである。
ちょっと用ができたので、いったんおきます。
続く
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