いや、失礼しました。
ちょっと野暮用ができてしまって、丸一日かかってしまった。
で、記事が途中だったのだが、ってちゃんと書き切ってから上げろよという感じだが、いつも泥縄だからこういうことになる。
目先というか直近の計画というのが立てられないせいだっても、大きな計画ならすでに決まっているというとエラソーだが、実際、大きな流れに従っているから日々があるということにしておいてください。
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参院選だった。
ドラスティックな変化はよくないということだが、これは普通のことだと思うわけだ。
しかし、こんな世の中を変えるには一気に変えるしかない!ってなムキもあるかもしれないが、レベルがある。
たとえば、自分を変える!くらいのことであれば、一気に変えられるだろう。
いやいや、自分を変えることなんかなかなかできないし、簡単なことではないといわれそうだが、簡単に変えられる。
なぜなら、自分が変えようと思えばいいだけだからだ。
自分の意志でできる。
毎朝 5 時に起きようとか、仕事が終わったらジムに通おうとか、一日一食にしようとか、転職しようとかという類いのことであれば、すぐできる。
そりゃ、朝は眠いとか、深酒するから早朝には起きられないとか、ジムにいくお金がないとか、食欲を抑えられないとか、家族もあるし、現時点での責任もあるから、今は会社を辞められないとか、いろいろ理由も出てくるだろうが、それもこれも根本的には自分の決断しだいでどうにでもできることだ。
語弊があるかもしれないが、大した努力も勇気も本来はいらないことである。
消極的な性格を変えたいとか、貧乏から抜け出したいとか、会社でのポジションを上げたいとかになると、多少の知識と理解力が必要になるかもしれないが、それでもできる。
だから、今の自分を変えようと思っていてもできないとしたら、単純に今の自分がベストだと思っているからであり、自分の意志で今の自分を選択しているということである。
誰の意志でもない。自分の意志だ。
でも、その “意志” ってのは本当に自分の意志なのか、ってのが本来は書きたいことなのだが、今は流れ的においておく。
ともかく、今の自分の状況というのは、自分が選択しているものを確認するためにあるようなもので、ちゃんと確認さえできれば変えられるものでもあるわけだ。
だから、ああ、いやだな、変えよう、と思えばすぐ変えられる。ホンマに。
選挙の話だった。
私の場合、選挙ではその政党の公約と候補者の人柄を見る。これもおそらく当たり前のことだろう。
特に候補者の人柄は重要だと思うのだが、人柄というとソフトな言い方になるが、もっとその人の奥底にある野心・野望、さらには欲望が何を土台にしているかが気になるところだ。
そんな心理学者じゃあるまいし、そんなことがわかるのかといわれそうだが、その人の過去や今後の言動を見ればわかる。
これはいわゆるスピ系のセミナーやサイキックでも同じで、私がいろいろ経験してきたことからもいえるのであり、普通に会社の中のことでもいえる。
たとえば、幼少時代に仲間にいじめられたことがあれば、人によっては社会人になって会社で◯◯長のような権力を得たり、社会的にもステイタスの高い官僚になったりすると、立場の弱い相手に対して高圧的になったりする。
ガキのころの腕力が社会的ポジションに変わっただけで、やってることはイジメと同じだ。
まあ、ある種の復讐というか意趣返しというか、要するに『魔太郎がくる!!』じゃないが、“うらみはらさでおくべきか” ってヤツだ。
本来ははらす相手が違うのだろうが、つまるところ心理的なバランシングみたいなことであり、はらされたほうは超迷惑だが、けっこうこの魔太郎タイプは多いと思う。
大人になるということは経験値が上がることでもあり、たとえば先のいじめでいえば、いじめっ子の想いとか、逆にいじめられっ子の想いがわかるということであって、だからこそ人を思いやるということも学べるのであり、大人になっていく経験で学ぶことがあるとすれば、まずはそういうことだろう。
それでも会社での出来事などは大したことはないというとアレだが、これが国政などに絡んでくると笑っていられなくなる。
トラの威を借る何とかじゃないが、いろいろな小魔太郎たちがわらわらと大魔太郎に群がってくるからだ。
それも会社程度なら、傍から「ようよう、いいかげんしにしろい!」とテメエもヤクザもんのくせに程度のわるいヤクザをたしなめる待田京介みたいなヤツもいるからいいのだが、国家権力を持っちゃったヤツに引っついて、テメエ勝手なウラミをはらそうとする連中が増殖するという流れができてしまうと、これは待田のアニキだけでは太刀打ちできなくなる。
何たってバックに国家権力があるわけで、本気に倒そうと思ったら、「ようよう!」ですむはずもなく、本気のドンパチになってムダな血が流れかねないわけだ。
そうならないためにも、国会議員なんてものはよくよく監視しておかなければならないものであり、泡沫候補だろうが何だろうが立候補のときから注意しなければならない。
だって今どき議員になろうとするようなヤツは、商売つまり損得勘定か、自己中の欲望を叶えるためか、本気で国政にコミットしようとしているかのどれかだからだ。
だから、前者ふたりは簡単に変質するし、てことは公約も平然と反故にし、数合わせのために喜々として大魔太郎の傘下に入る。
後者に関してのみ、有権者も本気でお手並み拝見と決め込めるのであり、また期待するわけである。
私たちは誰でも内部に小魔太郎を抱えているので、それを見透かしている大魔太郎や、さらにはその大魔太郎さえも操作する大魔王にいいようにされないように気をつけなければならない。
それにはやはり、みんなでああだこうだとちゃんと言い合うことしかなく、映画でいえば『十二人の怒れる男』のように、ヘンリー・フォンダの言い分もちゃんと聞けるマインドと場を保持していくことしかないのである。
だから、私たちは超単純な一つや二つや三つのイシューの連呼にボーッと洗脳されることなく、くどくしつこく見極めていかなければならない。
んなまどろっこしいことやってられっか!と怒られそうだが、それでも生活の基盤にかかわることは、つまり大勢の民衆を激しく動かし得ることについては、ことさら慎重に冷静に検討する必要がある。
なぜなら、大魔太郎や大魔王は自分たちの目的を果たすために、それこそ冷静沈着、巧妙無類に準備をしてきたかもしれないからだ。
そうした目的が何であるかは、私たちが冷静沈着に検証しなければわからない。
いずれにしろ、今回の参院選でいえば、レイワや N コクの存在が既存の与野党を脅かしたことは間違いないだろう。これでちょっとはまともに考え直すムキも出てくるかもしれない。
しかし、次の衆院選までは、私たちはレイワや N コクの動きはしっかりと見ておかなければならない。
また、特にレイワへの報道に関しては注意が必要かもしれない。
私が見ただけでも、すでに “レイワ批判に対するバッシング” が目立ちはじめたように思うが、いかがなものだろうか。
ちなみに私は今回、レイワに投票した。
Commentコメント
これから起こる変容が人々の目に明らかになる前に、変容の擬態としてレイワという器が用意されたと思いました。あからさまにモンスターな言動をすると人目を引くことができるし、実際私も意識を囚われしまったようで、本来使われるべきエネルギーがレイワに逸らされてしまうのは注意しないといけないです。
Saki Konno様
ポストありがとうございます。
そうですね。
魅力的だけれどもまだ正体不明なものや、
うんざりするけれどもまだ安心なものもあります。
最終的には、私たちの言動を何かに譲り渡さなければ大丈夫でしょう。
西塚
返信ありがとうございます。
どうにか維持されてきた均衡が崩壊する瀬戸際に人類が来ている感が半端ないです。
捨て去るタイミングに即座に呼応するハートの識別力が失われるととんでもないところに着地してしまうような気がします。
マインドによる特権意識は誰にでも多少なりともあるものでしょうが、それがいざという時に足枷にならないよう日頃から気をつけようと思います。
Saki Konno様
ご返信、ありがとうございます。
>どうにか維持されてきた均衡が崩壊する瀬戸際に人類が来ている感が半端ないです。
そうですね。
私などは、まさにゼランドのトランサーフィンではないですが、波の上をサーフしているような感じです(笑)。
>捨て去るタイミングに即座に呼応するハートの識別力が失われるととんでもないところに着地してしまうような気がします。
まさに。
自分たちの守備範囲内に着地させようとする、つまり操作適用範囲内に閉じ込めておこうとする力がありますから、いろいろなメディアやインフルエンサーがそういう力の影響下にあるのかないのか、それを判別する能力というか検証力が問われてきますね。
>マインドによる特権意識は誰にでも多少なりともあるものでしょうが、それがいざという時に足枷にならないよう日頃から気をつけようと思います。
おっしゃるとおりです。
私自身、自戒しております。
ただの酔っぱらいでしかないことを確認するためにも、お酒を飲んでいるのかもしれません。
完全に言い訳でしょうけれども。
西塚
聖書にはいつ何が起きるか明確に記されている。
米国がDEFCON2か1に成ったら…
第三次大戦が始まり、5ヶ月で終わる。
残された10億人は水と食糧の奪い合いを止めない。
つまり絶滅はしない。生きている。
永久の為に、感謝して生きることを貴方は選ばなかった。
さあ“探究”した知識と理性が役に立つか実践ですよ。
れもん様
ポストありがとうございます。
世界の終末を描いた文書はいろいろありますね。
ある種の警告のようなものだと私は受け取っております。
何が起きるにせよ、自分が無関係であることはないでしょう。
>永久の為に、感謝して生きることを貴方は選ばなかった。
さあ“探究”した知識と理性が役に立つか実践ですよ。
ちょっと意味がとれないのですが、日々、探究と実践はしております。
西塚