野暮用がすぎましたね、すみません。
いや、いろいろ大変です、もう。
何だか、この前はなんちゃって時事放談のようになって、どうも自分のキャラではなさそうだが、まあいいや。
でも、私もときどき “スピ系的にいうと” なんていってるが、ヤスさんこと高島康司氏との企画『おやすぴ』の初回でもいった気がするが、私にとってはすべてはスピ系なので、さまざまな現象・事象については、これは果たしてどういうことか?と私なりに常に考えているわけである。
それで、最近というか令和に入ってからの流れがどうも思ってたより早いようで、うかうかしているとヘンな “もの” に持ってかれる可能性がある。
“ヘン” なものというのは、これもわかりにくいかもしれないが、実はみんなもわかっていると思うのだ。というか、感じているはずだ。無理に言葉で表現する必要も本当はない。
私はほら、言葉にうるさいというか、わりとこだわっているっても大したことはないし、どこかでいろいろと間違えたり勘違いしてるとは思うが、でも、ことスピ系に関しては、長いこと見たり聞いたり、取材したり体験してきてるから、しかもこれはいまだにそうであるから、どうしても正確というか、きちんと表現したいという思いはある。
で、前回は “表現の自由” に関わる騒動があったのでちょっと書いたわけだが、ほかの目についた騒動についてもホザこうとしているところへ野暮用ができ、間に一日挟んでしまったというわけである。
N コクだった。
マツコ・デラックスをぶっ壊すとかで第 2 弾の抗議をしていたようだが、てかあれは “糾弾” だね。
マツコに対しては、自分の発言を謝罪しろ、MX に対しては放送法何条がどうたらこうたらで謝罪だか釈明だかせよってことでしょ?
糾弾は必要だし、時の権力が民衆の意にとんでもなく反することをすれば、国会の前で糾弾したり、デモ行進したり、シュプレヒコールしたりの示威行為をすることはままあるわけだ。
いつもは毒舌でならしてるマツコだが、ありゃ驚いただろうね。私はおそらくマツコのよき理解者ではないと思うが、マツコにしても今後は多少発言に気をつけるようになるだろうが、毒気は抜いてほしくない。
タレントなり芸人は一般の人がなかなかいえないことを代弁する部分もあるし、それは昔からそうで、談志でもたけしでもそりゃあヒドい発言はいくらでもあったし、テレビ以外の講演などでは、すげえこといってたもんね。
もと談志の弟子の快楽亭ブラックなんか、それはそれはとてもここではいえないことを普通に話していた。
しかし、あまりひどいことをいえば、それはそれなりのリアクションは起こるし、また別にそれこそ “表現の自由” ってな問題にもなってくる。
今回のマツコ・デラックスをぶっ壊す騒動がどう落ち着いていくのかはわからないが、少なくともマスメディアにおけるその場にいないものへのキツめの発言は、あのような強い抵抗を受けることがあるということはわかった。
また、逆に一応正当性があるように見える反論というか糾弾や弾劾でも、その内容や方法によっては第三者に不快感を与えたり、暴力的な脅威にもなるということもよくわかった。
今回の N コクの糾弾は、個人的な意見をいえば、流れから見るとどうも私怨によるもののような気がするし、いくら本人に権利や権限があるとしても、ちょっとズレてる気がする。
N コクにふざけて投票した人がいるとかいないとか、マツコがいったというので怒ったらしいが、それも自分は何をいわれてもいいが、投票者を侮辱したということでキレたようだが、ふざけて投票したヤツだってそりゃいるだろう、普通に。
N コクじゃなくても、ふざけて共産党に入れたりすることもあるよ。少なくとも私はあった。若いとき。
それを目くじらどころかノボリ旗まで立てて抗議にいくってのはどうなのかしら。国会議員になったのだから、もっとほかにやることがあるのではないだろうか。それともこれがまずはやることであって、見逃すわかにはいかないということなのか。
実際、二度目の抗議ではマツコ個人への攻撃ではなく、MX というテレビ局への口撃へと矛先が変わった。
どうも私には首尾一貫しているようには見えないのだ。そりゃ、NHK をぶっ壊すということでずっとやってきたし、NHK というテレビ局との絡みでいえば、今回の騒動も MX というテレビ局も絡んでいるので、何かしら政党の政策や本人の主張などともリンクしてくるだろう。
それでも、マツコのあのくらいの発言が、ああした糾弾をするほどの重要案件とは思えない。
「権力の犬!」とまでいってたもんね。いちタレントだぜ? それは当代切っての超売れっ子タレントだけれども、こういっては何だが、発言の影響力は大きいだろうが、権力でいえば国会議員のほうがはるかに勝るだろう。
そして、その国会議員を選ぶのが私たちなのである。
N コクの立花氏には、ぜひその行動力と迫力をもって、もっと大きな世の不正を糺すことだけに集中してほしいものだ。
じゃないと、世の中の “気は優しくて力持ち” ではない人たちの “想い” を反映させて、妙な鬱憤を晴らすだけの笛吹き男になりかねない。
ぶっ壊すのが NHK だけならまだいいが、てか私は個人的にはよくないと思っているし、NHK は変わればいいとは思うが、今後もいろいろと取り上げて◯◯をぶっ壊す!ってなことになってくると、いろいろと個別の不満を持った人たちの個別の “ぶっ壊す!” に火を点けて、よくわかんないけど N コクならぶっ壊してくれるかもしれないから応援しよう ♡ ってなことにもなりかねない。
それくらいやらなければダメだという意見もあるだろうが、私はそうは思わないし、何でもかんでもぶっ壊すという方向へ感情を持っていくことはかなり危険だと考えている。
ぶっ壊すのは簡単だが、よいものを作り上げたり、築き上げたりすることは時間がかかるのだ。
しかし、私がそう思っているからといってどうなるものでもなく、日本のことであれば最終的には日本人全体が想うことに準じるわけで、そのときどきの日本の姿が私たちの姿なのである。
*
しかしあれだね、煽り運転で逮捕された事件も、あれも “動画” があればこそのことだろう。
1980 年代から世に普及しはじめた防犯カメラも、今や 500 万台くらいあるらしい。ドライブレコーダーも当たり前になったし、詳しくはわからないが、たしかに犯罪防止や犯人検挙に大いに役立っているのではないだろうか。
あの煽り運転のヤカラにしても、あの殴打動画が拡散されなければ、ここまでの騒動にはならなかったろう。逮捕のときに速報が流れたからね。
それだけ社会的関心が高かったということだろうが、そのへんはマスコミも敏感だから、それなりに大きく報道したわけだ。
今はあっという間に動画が拡散される時代だし、その即時性やビジュアルによる圧倒的なリアリティーはかなりの吸引力を持つから、動画の威力はもはや武器ともなる。
動画でリアルタイムに表現できるから、先の N コクの抗議も効果的だったわけだし、だいたいが最近はシロウトでも何かあれば、まるで証拠映像を残すかのようにスマホで動画を撮り出したりする。
煽り運転のヤカラと一緒にいたいわゆる “ガラケーの女” もそうだし、古くはオウム騒動のときのオウム信者がそうだった。
警察がガサ入れにくると、オウム信者たちは一様に映画を撮るように撮影していたものだ。ああいったことも何かの威嚇のつもりなのだろう。
ちょっとずれるかもしれないが、ときどき酔っぱらったオヤジが交番の前で警官に絡んだりしているのを見かける。何かあったのかなあと立ち止まって聞いていると、ただよくわからない不満をぶつけているだけだったりする。
あれは、絶対に逮捕はされないだろうなという姑息な計算のもとに、自分のいいたいことをいってるだけなのだろう。あまりひどいと逮捕されそうだけどね。
そういえば、N コクの立花氏も街頭で演説中に、一般人のオッサンが何かヤジかなんか飛ばして絡んだら、逮捕!逮捕!と叫んで羽交い絞めにして警察を呼んでいた。
動画の撮影にしても、警官に絡んだり、ちょっとヤジられただけで逮捕したりすることにしても、何だか見ていて悲しく、情けなくなってくるのは私だけだろうか。
前にも書いたが、これはいわゆる “ミラーリング” が極度に低くなっていることなのだと思う。
アメリカの武道、瞑想の達人、リチャード・ハイト氏はこういっている。
ミラーリングとは、人が互いに交流する際に注意を払う度合いを表わしています。ミラーリングが高いときは、個人の欲望よりも人間関係を維持することが優先されるので、関係する人々はチームとしてうまく機能し、互いの幸福を深く気にかけます。
しかしミラーリングが低いと、怒りや欲求不満によって人々は対立関係に陥ります。パートナーの中に最善のものを探し出すかわりに、私たちはすべての間違いに目を光らせます。つまり、私たちはエネルギー的に間違いを呼び出しているのです。
ミラーリングが最低レベルに達すると、人々は諦めて離れます――親密さが失われるのです。
(略)
真実を話すことができるということは、私たちの健康や人間関係、そして社会にとって必須です。私たちが、もはや力のある真実を安全に話すことができないと一度信じてしまうと、それは人間関係の中でミラーリングが弱くなることを意味します。
そうした人間関係を復旧させることは可能ですが、関係するすべての人に対して多大なる忍耐、気配り、正直さが前面に出る必要があります。
現在の社会を見てみると、いじわるがはびこっている一方で、ミラーリングは一貫して低い状態にあります。派閥の両極性はこれまで以上に極端になり、真実は冷えきっています。社会は限界点に達しようとしているのです。
リチャード・ハイト『インスピリエンス』より
まさしく、そのとおりかもしれない。
このままミラーリングが低くなれば、つまりお互いに人を信用できなくなり、アラ探しばかりするようになったとき、どうなるのか。
前にも書いたが、そうした場合に唯一頼れるものは、“規則” になり、“法律” になり、カッコ付きの “正論” になり、長いものに巻かれろの “長いもの” になり、つまりは “権力” っぽいものとなるわけだ。
何度もいうが、“お墨付き” がほしいのである。
好きだもんね、人は。お墨付きが。日本であれば、この印籠が目に入らぬかってのもそうだし、皇室御用達とか、これシャネルよ ♡ とか、彼は東大出てるの ♡ 、電通です、外務省です、朝日新聞です、年収◯◯です……
まともな国の場合、普通は社会をよくしようとするのは国会議員だから、民意を十分に汲んだ議員たちが、ああだこうだといって民意に問いながらよき方向を模索していく。
本来であれば、悪徳資本家というか私利私欲に目がくらんだ我利我利亡者は、まっとうな民意をバックにした国会議員がいちばんコワイはずである。ましてや大統領や首相となればそのトップだ。
だから、ケネディは暗殺されたわけで、あのままケネディがやろうとしたことが実現されていれば、アメリカは、いや世界は今とはだいぶ違ったものになっていただろう。
ちょっと余計なことだったが、ともかく今後は、特に政治家を注視していかなければならない時代になったと思う。ほっといてはいけない。
その言動、顔つきをちゃんと見て行けば、何かおかしいことが起きれば私たちは気づくはずだ。最初はよくても、取り憑いてくる “もの” が必ずあるから、用心していなくてはならない。
ヒットラーその他、最初の目的は違っていたのに、まんまとヤラレてしまった指導者の例はけっこう多いようだ。
もう、いわゆる “お墨付き” の世界はなくなった。
正確にいえば、自分の外部にあるものに権威づけしようとしても、その対象を成り立たせている基盤というかシステム自体が崩れ去っているのである。
今は、いまだにそれらにしがみついている “もの” たちの幻影として、かろうじて生きながらえているだけだ。
これはあらゆる分野でそうであり、たとえば西洋占星術でもそうなのである。いうまでもないが、占星術師たちは太陽を中心に土星までの範囲で仕切られていたものを見、その中で地球や宇宙の流れを見、その流れに則る形でその国や王や人々の流れを見ていた。
そもそもがその王国や王、あるいは豊作かどうかなど、宇宙の流れを見ていたのだ。
その後の個人の運命とか、性格がどうとか、今日の運勢は?といったものは、むしろ大きな宇宙の流れに当てはめた形で示されていたわけであり、天王星が発見されて以降、いわゆるトランスサタニアンの時代に入ってからは、極端にいえば、通用しない話でもあるのだ。
通用しているとすれば、与えられた役割を自分で演じているだけである。
さらに2013年以降、これまでその中で何だかんだとやってきた私たちの意識のベースが変容している。
令和になって、そうしたことの現実的な兆候が出はじめている。これまで通用してきたことが通用しなくなってくるから、まったく新しいことが創造されていく流れになるだろうが、そしてそれを創っていくのはやはり人間なのだが、そういう新しい人間にまた取り憑く “もの” があるということなのだ。
何だかバカバカしいことのようだが、とにかく自分の “思念” には気をつけよう。
*
あと、これまたびっくりしたが、何とまさかの『マトリックス 4 』の制作発表があったね。
ネオは死んだはずだ。物語としては。
内容は発表されていないが、ネオはキアヌ・リーヴスだし、トリニティもキャリー・アン・モスのまんまだと。
その後の世界なのか、過去のエピソードなのかわからないが、あのウォシャウスキ姉妹だけに、これもただごとではない。
Commentコメント
執筆中のBGMとしてストリートウォーキングの動画流してますが、通りすがりにうっかり映されたマヌケ面が世界中に配信されるリスクを配慮して外出しなければならないので都心で活動する方は大変だなと思います。見てる方は気楽なものですが。それにしても動画の通行人みんな隙がなくてエキストラみたいです。
https://youtu.be/7ajFDne7BX8
Saki Konno様
ポストありがとうございます。
アハハハ。
たしかに最初の『マトリックス』に出てくる一般ピーポーみたいですね。
動画撮影にもっとリアクションする人がいてもいいような気がします。
異様といえば異様な気もしますね、昔に比べると。
人びとの警戒度が高くなっているのかもしれません。
西塚
こんばんは。イノと申します。
4月ぐらいのユーチューブなのに、すでに「小児性愛」や、ぼかして言っていたけど、今(8月)は
すっかり有名になっている「リトル・セント・ジェームズ島」の話をしているのにはビックリしました。
また新札が発行されるあたりの話から増税やインフレ、社会保障費の削減に至る話まで、スピード感
あふれる語り口で、騒々しい居酒屋さんの雑音が気にならなくなっていました(笑)
ところで一つ疑問がわいてきたところがありますが、日本を裏から動かすサムシングがある、イルミナティ―
とか。でも、実のところ、官邸内部にあって政権を動かし、保守革命を進めている右翼団体が現実的に日本を
動かしているように思うのですが高橋先生はどうお考えでしょうか。
亥野様
ポストありがとうございます。
返信が遅れてすみません。
今度、高島氏に会ったときに聞いていますね。
西塚