前回、エラソーに映画の話でもしようかなどと言ったものの、私はあまり映画をマメに観るほうではなく、新作や話題作にも疎いのだが、好きな映画は繰り返し観るし、ハッと思った映画は何としても観ることはある。
しかし、いまだに『ロッキー』や『スター・ウォーズ』も観たことがないという始末だから、何とも心もとない。
前にも書いた気がするが、『ロッキー』は高校時代に公開され、クラス中というか学校中というか、日本中が大騒ぎしていたので、ヘソ曲がりの私は断固として観なかったわけだ。それっきりまだ観てない。バカですね。
『スター・ウォーズ』は大学のときに女の子に誘われてイヤイヤ観に行ったが、イヤイヤというのはその子がイヤだったのではなく、『スター・ウォーズ』を観るのがイヤだったのだが(シリーズの最初を知らないし)、「帝国の逆襲」だか「ジェダイの復讐」だかどっちかだったのは間違いないが、どっちを観たのかも内容も覚えていない。よほど性格がよろしくなかったのだろう。
それでも映画はときどき観るわけで、『ジョン・ウィック』シリーズもそうだったのである。あ、ちなみに映画を観てない人には、とんでもないネタバレになるので、あらかじめ断わっておきます。
主演はキアヌ・リーヴスで、もともと私は彼の映画はけっこう好きでよく観ているが、『ジョン・ウィック』を観たとき、ああ、これは『マトリックス』と関係しているなと感じた。
もちろん主演はキアヌ・リーヴスだし、監督も『マトリックス』でキアヌのスタントを担当したチャド・スタエルスキだし、シリーズは 3 作あるが、チャプター 2 からは『マトリックス』のモーフィアス役ローレンス・フィッシュバーンも登場するし、例の『マトリックス リローデッド』の日本人っぽいキー・メーカーも医者役で出ているから、そりゃ『マトリックス』と何かしらニアミスしてもおかしくないかもしれない。
たとえば、セリフでいえばシリーズ 3 作目の『ジョン・ウィック パラベラム』では、コンチネンタル・ホテルの支配人ウィンストンが、主席( High Table=ハイテーブル )が送り込んだ武装グループと闘うジョンに、
What do you need?
何が必要かな?
と聞く場面があるが、ジョンは即座に、
Guns. Lots of guns.
銃だ。それも大量の。
と返す。
これはご承知の通り、『マトリックス』1 作目でエージェント・スミスに捕らわれたモーフィアス=ローレンス・フィッシュバーンを取り戻そうとネオとトリニティがマトリックスに入ったとき、どう考えても勝ち目がない彼らに向かってタンクが、
Okay, so what do you need, besides a miracle?
よし、君らのお望みは何だ? 奇跡のほかに?
と聞いたとき、ネオが答えたのとまったく同じセリフである。
しかしまあ、こうしたことはよくありがちな “お遊び” っぽいことかもしれない。
しかし、シリーズのチャプター 2 でジョンがモーフィアスじゃなかった地下組織の親分バワリー・キング役のローレンス・フィッシュバーンを訪ねて、鳩小屋のあるビルの屋上で初めて会うシーンでのやりとりには、なかなか興味深いものがある。
映画では、かつて何かしらの縁があったらしきジョンと久しぶりに会ったバワリー・キングが、遠くを見るような目でとつとつと語りはじめる。
以下、実際の英語のセリフと字幕を紹介する( K =バワリー・キング、J =ジョン・ウィック)。
K
「 As I live and breathe! 」
こいつは驚いたな。
「 John Wick. The man. The myth. The legend. 」
語り継がれた伝説。
「 You're not very good at retiring. 」
引退が苦手なようだな。
J
「 I'm workin' on it. 」
頑張ってるんだが。
K
「 Mr. Wick doesn't remember, but we met many years ago, 」
彼は忘れているだろうが、以前、会ってる。
「 before my ascension… 」
私が王の座につく前だ。
「 When I was just a pawn in the game. 」
私は捨て駒だったが
「 We met and you gave me a gift, the gift that would make me a king.」
君の贈り物のおかげでキングになれた。
「 You don't remember, but there I was, standing in an alleyway.」
あの時、私は路地に立っていた。
「 I didn't even hear you comin'.」
足音も聞こえなかった。
「 You gave me this. 」
君がくれたのは、これだ(右の首筋の二本の斬り傷跡を見せる)。
「 Gift from the boogeyman. Perfect for every occasion.」
ブギーマンは、どんな時も完璧な贈り物をするが――
「 But you also gave me a choice. 」
君は私に選択肢をくれた。
「 Pull my gun, shoot you in the back, and die. 」
君を後ろから撃って死ぬか――
「 Or keep the pressure on my neck… 」
首の傷を押さえて――
「 and live. 」
生きるか。
「 And so you see, I survived. 」
おかげで私は生きている。
「 No one sneaks up on me anymore, thanks to you. 」
それ以来、私に忍び寄る者はいない。
「 I am all‐seeing and all‐knowing. 」
今の私には、何もかもが見えている。
J
「 Then you know why I'm here. 」
俺が来た理由も分かるな
『ジョン・ウィック』にはいろいろと興味深いシーンがあるが、このシーンはある種わかりやすい。
『マトリックス』でいえば、ネオとモーフィアスとの邂逅ということになるし、まあ同じ役者が違う作品に出るということは当たり前にあるから、それ自体はどうということはないが、下記のようなやり取りを聞くと、おろ?っとなるわけだ。
「 Mr. Wick doesn't remember, but we met many years ago, 」
彼は忘れているだろうが、以前、会ってる。
「 before my ascension… 」
私が王の座につく前だ。
『ジョン・ウィック』では、ジョンは殺人者というか、はっきりと組織に属していた元殺し屋ということだから、バワリー・キングが「彼は忘れているだろうが」というのはちょっとヘンだ。
たしかにジョンはすさまじい数の人間を殺しまくっているから、いちいち殺した相手を覚えていないだろうということで、「彼は(自分と会ったことを)覚えていない」と言ったのかもしれないが、やはり違和感がある。
そもそもジョンは、バワリー・キングを知ってるから訪ねてきたのだ。といっても、自分の力だけで来たわけではなく、殺し屋の元仲間連中に追われる身になって、地下鉄の電車内でそのひとりのツワモノと闘って打ち勝ち、さらに構内でも追われて、ホームレスにコイン(といっても金貨)をやって身を匿ってもらう際、「 Take me to him. Tell him it’s John Wick 」(彼に会わせろ。ジョン・ウィックだ)と言って会ってるわけだから、初めからジョンはバワリー・キングを知っていたことになる。
ちなみに、ジョンを連れてきたホームレスもバワリー・キングの手下であり、ジョンが逃げ込んでくるまではホームレスのふりをして、地下構内で “おもらい” をしていたのだが、そのときに叫んでいたセリフは、
We say things, we see things.
The things you see are nightmares, man.
Like this one time……
である。
俺たちが見ているものは、何もかもが悪夢なんだ、わかるか? 一度だけでも……
ってな意味だが、このシーンも何気ないが、意味深長ともいえる。「一度だけでも」って後に何と言うつもりだったのか気になるが。
ともかく、だからジョンがバワリー・キングを知らないわけはないのだが、でも何かしら別の意味において、ジョンは自分に会ったことを覚えていないだろうとバワリー・キングは言うわけだ。
てか、一応、断っておくと、私は英語はシロートです。
で、次の、「私が王の座につく前だ」というのも、その後の映画のストーリーの流れからいえば、バワリー・キングはニューヨーク地下街の暗黒組織のボスのようだから、「 ascension 」を普通に「昇進」とか「即位」の意味にとれば日本語訳も何ら不自然ではないが、映画の役者もスタッフも一筋縄ではいかない連中だけに、いわゆるスピ系でいうところの「アセンション」の意味にもとれるように思うわけだ。
つまり、「ヤツは覚えていないかもしれないが、私がアセンションするずいぶん前に、私はヤツと会っているのだ」という意味にもとれるのである。
もちろん、私が勝手に『マトリックス』のネオとモーフィアスの関係に引きつけてるわけだからアレだが、でもそうとなると、ジョンに対する「語り継がれた伝説」とか、「引退が苦手なようだな」というセリフにも、何やら妙な意味合いが漂ってくる。
映画では、ジョンは 5 年前に殺し屋稼業の世界から引退したことになっていて、死んだ妻からの贈りものである犬を殺された復讐と、奪われた愛車を取り戻すために再び殺し屋の世界に舞い戻ってきたのだから、「引退がヘタだな」という言い方もちょっと不自然だ。
また映画では、傷ついたジョンがスマホの動画越しに観る妻との回想シーンから始まり、病院のベッドでの妻の死の場面へと流れ、自宅に妻からの贈り物である犬が届けられるシーンに移っていく。
贈り物の犬につけられた妻からのカードには、こう書いてある。
ジョン、一緒にいられなくてごめんなさい
あなたには愛する人が必要
この子を愛して
車じゃダメ
愛してるわ
病気で長く苦しんだ私は安らぎを見つけた
あなたも安らぎを見つけて
私はあなたの親友よ
ヘレン
カードというか便箋のおもてには、“ひなぎく” の花がうっすらとプリントしてある。ひなぎくの花は妻のヘレン、あるいはヘレンと過ごした時期を象徴しているようであり、その後も何回か出てくる。
で、贈り物のワンちゃんの名も “デイジー( Daisy =ひなぎく)” とつけられていた。ちなみに、ひなぎくという花は “太陽崇拝” の象徴として知られている。
ジョンにとっては妻との記憶は唯一の幸せな記憶であり、映画を観ている者にとっても、いや少なくとも私には、どこか別の次元の世界のことのように思われてくる。
そして実際『ジョン・ウィック』シリーズには、一般の世界にいる一般の人間は、背景的な意味(これも怪しいのだが)以外では、誰一人出てこないのである。たしか。
みんな殺し屋か、元殺し屋か、その殺し屋連中を支配している組織( High Table =主席と呼ばれており、12 人で構成されている)の関係者だ。
いったいどこの世界の物語なのかと思うくらいだが、ジョンの妻だったヘレンだけは、いわゆる普通の平和な世界の住人のようである。
ジョンも妻と一緒にその “普通の世界” にいたのだが、妻が病気で死に、贈り物の犬を殺され、愛車を奪われ、復讐のために、もとは自分もそこにいた妙ちくりんな世界に戻らざるを得ないハメになるのである。
この “もとの世界” という概念も映画ではけっこう強調されており、1 作目でジョンがコンチネンタル・ホテルの秘密バーで、旧知の支配人ウィンストンと会うシーンでは、カウンターの女バーテンダーと会話を交わし、女に「 how was life on the other side?(向こうの世界はどうだった?)」と聞かれる。
つまり、「向こうの世界」と「こちらの世界=もとの世界」の二つがあるわけだ。
映画『ジョン・ウィック』シリーズは、この「二つの世界」が重要なテーマとなっている。
特にシリーズ 1 作目では、そのあたりのことが凝縮されてる感じがあり、たとえばジョンの元殺し屋仲間で、親友らしきウィレム・デフォーが演じるところのマーカスという人物が出てくるが、彼は何かとジョンのことを気にかけており、自分のボスを裏切ってまで彼を殺し屋から守ってやったりする。
最初にマーカスが登場するのはジョンの妻の埋葬シーンで、小雨の降る中、じっとジョンの様子をうかがっており、参列者が帰るとジョンのところへ来て、「久しぶりだな。お気の毒に。大丈夫か?」と言う。
ジョンが、「なぜ、彼女が死ななければならなかったのか、問い続けている」みたいなことを言うと、「理由などない。人生に悲しみはつきものだ」と言う。そしてこう続く。
J
「そうかな?」
M
「自分を責めるな」
J
「何のために来た、マーカス?」
M
「古い友人の様子を見に来た。じゃあな、ジョン」
マーカスはその後、組織のボスに殺されてしまうが、ともかくジョンを見守る役を担っているようなのだ。
ボスに殺される直前、マーカスは最後にジョンと会うことになるが、そのときのやりとりはこういうものだった。
って、この調子で進めると、とんでもなく長い話になるな。今後、何回かに分けて書くことにする。先のネオとモーフィアスならぬ、ジョン・ウィックとバワリー・キングの邂逅のところだけでも書きたかったのだが、他用もあるので次回にします。
*
ともかく、『ジョン・ウィック』シリーズは『マトリックス』シリーズと完全にリンクしており、ヘタすればそれぞれの新作である 4 作目は、何かしらあからさまな連動を見せる可能性すらあるのではないかと思うわけだ。
また、これは制作側がそんな意図を持っていなくても、結果として連動する作品になるだろうということである。
『ジョン・ウィック』シリーズには、随所にその “鍵” が隠されているように思われるのだ。もちろん個人的な見解だが。
そしてその鍵をひとつずつ開けていくと、映画『マトリックス』と連動しながら、壮大な “人類の救済物語” が現われてくると思われるのである。
今、全部を述べることはできないが、取り急ぎ鍵のいくつかをあげれば、『マトリックス』の 1 作目の冒頭、トリニティが登場するビルの部屋は「 303 」号室だが、『ジョン・ウィック』の冒頭に出てくる倉庫の看板には、「 313 」の数字が光っている。
『ジョン・ウィック』の最初に現われる愛車のナンバープレートには「 XAB235 」とあり、チャプター 2 で登場する最初の車には「 ABZ3719 」とある。
チャプター 2 のラスト、ニューヨークのセントラルパーク、ベセスダの噴水に腰かけたコンチネンタル・ホテルの支配人ウィンストンは、ジョンにホテルを使用する権利をはく奪する「追放( excommunicado =エクスコミュニカド)」を言いわたすが、そのときにちらと腕時計を見る。夕方の「 16 時」になるところだ。
ちなみに、先のウィレム・デフォーのマーカスも、組織のボスに殺される場面でちらと腕時計を見るが、その時間は午後「 19 時」だった。
ベセスダの噴水の前でジョンとウィンストンは会話を交わすが、そのやりとりを噴水の天使像が見下ろしている。セントラルパークのベセスダの噴水と天使像は、ヨハネの福音書に出てくる話をモチーフにしているが、天使については「水の天使」ということしかわからない。しかし、左手にユリの花を持っているのだから、これはガブリエルだと私は思う。
そして何といっても、シリーズ全編にわたって何度も聞くことになる “再会と別れ” のあいさつの言葉だ。
じゃあな。
ごきげんよう。
お会いできて光栄です。
また会おう…
特に、「また会おう= Be seeing you 」は、1 作目のラストでジョンとロシア人マフィアのボスがサシで闘った際、ジョンに刺されたナイフを首に突き立てたまま、ボスが「 Be seeing you 」と言って果てて以降、死にゆく人間によって何度も繰り返されることになる。
先のガブリエルではないが、『ジョン・ウィック』の世界観には聖書、特に『旧約聖書』の影が色濃く落ちているのは間違いない。
「追放= excommunicado 」や「復讐」、「誓印」といった概念……実際、チャプター 2 に登場する “姉殺し” のサンティーノ・ダントニオはラスト近く、コンチネンタル・ホテル内でジョンに撃たれるが、直前に食べていたものは「鴨の脂身( Duck fat )」だ。
『旧約聖書』の「創世記」第 4 章は、人類最初の兄弟殺人といわれる「カインとアベル」の物語だが、アダムとイヴの長男カインは土を耕す者となり、主に供え物として畑で獲れたものを捧げるが、どういうわけか無視され、羊を飼う者となった弟のアベルのほうは、羊の初子の脂身( Fat portions )を捧げると、これまたどういうわけか主の目に留まる。
妬んだカインはアベルを殺すが、弟の血で汚された土地は呪われ、もうここには留まることはできないとして、主はカインを「追放」する。主の加護から離れ、地上の放浪者となったカインは、私を見つける者は誰でも私を殺すだろうと嘆く。
すると主は、「いや、誰でもカインを殺す者は 7 倍の復讐を受けるだろう」と言い、誰もカインを殺すことのないように一つの印し( a marker )を与えた。
で、先のホテルの支配人ウィンストンも、天使像の前で最後にジョンに誓印( a marker )を渡すのである。
そのときジョンは言う。
伝えてくれ、彼ら全員に。
俺に近づく者は誰だろうと殺すとな。
全員殺すと。
するとウィンストンはなぜかニヤリとし、
そうだろうとも。
と返すのだ。
「創世記」の第 4 章第 23、24 節ではカインの子孫、アダムを 1 代目とすれば 7 代目にあたるレメクがふたりの妻にこう言う場面がある。
レメクの妻たちよ、わたしの言葉に耳を傾けよ。
私は受けた傷のために人を殺し、受けた打ち傷のために若者を殺した。
カインのための復讐が 7 倍ならば、レメクのための復讐は 77 倍である。
要するにレメクの場合は、自分を傷つけようとする者はすべて殺すと言っているのだ。
あと、映画では「 7 」という数字も頻繁に出てくるのだが、数字の話はまた次回以降にする。
続く
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