だるまさんこちら向かんせ世の中は月雪花に酒と三味線…とまあ、こういきたいものです。

所感

記事のアップがだいぶ遅れた。

相変わらず身過ぎ世過ぎいろいろあって、もう大変なんスからと三平ばりにボヤいていてもしょうがないので、またこのへんでよしなしごとを書きつけておこうかと思う。

 

 

ちょっと前にジョセフ・グレゴリー・ハレットの動画を紹介したが、今また新しい動画が日本語訳でもアップされている。

何だかすごいことになってきたが、その前に以前の自分の記事を確認してびっくらこいた。

JGH の記事で Q アノンについて触れているのだが、グレッグが「 Q 」は 17 番目のアルファベットだから云々と言うところにイチャモンをつけて、「 Q 」は 16 番目のアルファベットなのに何言っちゃってるんだこの御仁は、みたいなことを書き、アホ丸出しだったのである。

何をどう思ってのことか、私は Q が 16 番目のアルファベットだと勘違いしていたらしい。

ちゃんと幼稚園児のように「えー、びー、しー…」と指折り数えてのことだと思うが、どういうわけか「…O、P、Q、R…」を「…O、Q、P、R…」と数えたとしか思えず、まさかツマミのきゅうりのかたわらにあったキューピーマヨネーズのせいでもなかろうに……

ともかく、Q はアルファベットの 17 番目であり、私の完全な勘違いだったので訂正するしだいだ。記事のその部分は削除した。ったく、ボケたのか……

しかし、JGH の動画の内容はすさまじく、なぜ世界で話題になっていないのか不思議だが、くだらない陰謀論といったことになってるのだろうか。

実際、事実関係がはっきりするまではヘタなことは言えないということかもしれないが、それはともかく、あれを見ればぶったまげていろいろな人が、スピ系でなくても取り上げてよさそうである。

彼が主張していることは、簡単にいえば、現在のイギリス王室はインチキであり、正統性がなく、イングランド王ヘンリー 8 世の妻アン・ブーリン王妃の血を継ぐ JGH が、ジョン王 3 世としてイギリス国王の座につくべきだというものである。

そして、そうしたことが本格的に動き出すのは、今年 2020 年 12 月 21 日からだというのである。

興味のある向きは、こちらでこれまでの動画が観られる。

しかし、JGH の主張やサポートするスタッフの話には、いわゆる “Qアノン” 関係のことや、今回のコロナ禍の陰謀、さらには一部 “お花畑” と揶揄されてきたスピ系が叫んでいた「 NESARA 」や「 GESARA 」に関するものも登場してくるので、早急に結論を下すのではなく、興味が向いた真摯なスピ系知性の検証を待ちたいと思う。

私としては、JGH が多分にガチなスピ系マインドを持っていることに興味があり、だいたいが自分はイエスの血を引くとまで主張しているわけだし、あの 16~17 世紀あたりのイギリスというかイングランドやスコットランド、ウェールズ、アイルランド王の血統に思いっきり関係してくることなので、アーサー王やピクト人、ケルト人などと日本の古代神話との関連を研究する自分としては、かなり刺激的な話ではあるわけだ。

あのポルトガルの洞窟の話やサー・ウォルター・ローリーとの時代を超えた暗示的連関、その他さまざまな聖書の内容とのシンクロ体験など、前にも書いたが、まさに映画『ダ・ヴィンチ・コード』も真っ青である。

もし、動画の内容が事実ならば、イギリスの王室は一掃されるし、JGH の政策が始動していくのならば、マジに世界の経済システムはリセットされ、『もののけ姫』や『風の谷のナウシカ』のラストを思わせるような、相互扶助的な生活がはじまることになるだろう。

ただ、こうしたことは、いわゆる Q アノン信奉者やトランプ信奉者の一定部分が主張していることでもあるからややこしく、さらには今年のダボス会議でも「グレートリセット」が宣言されたりもしたので、何となく似て非なるものが混同され、マインド的にはミソもクソも(失礼!)一緒的な方向にいく可能性もあり、まさに強靭なスピ系知性の検証力が問われることになると思うのである。

そのへんのことは、弊社の『おやすぴ』でも取り上げていくつもりであり、徐々にディープというとおこがましいが、弊社の研究結果報告を含め、探究者たちとあーだーこーだやっていこうと思う。

これらのことはというか、今後の世界的事象のすべてのことは、スピリチュアルな視点・観点なしには到底、認識も理解もできない世界に入っていくだろう。

 

 

それに関連していえば、まずは今のコロナ禍に対する見識・立場において、人ははっきりと 2 つに分かれた。

そしてその二極性は、その人のマインドがポジティブ性かネガティブ性か、どちらの極性を帯びているかを現わしている。

これも誤解を受ける言い方になるのは免れないだろうが、“人”として分かれているということだ。

いわゆる「善‐悪」に関することは、これまでもいろいろと私見を述べてきた。

あっちゃこっちゃ文献を並べ立てながら紹介することもできるが、今はとりあえず、下記のようなことを述べるに留める。

 

「人、神を投映(うつ)し、人、神と成る。神即(すなわ)ちこれ一切完全の理念なり。神は撰(えら)び給(たも)うも完全に偏在す」るのであります。

この〔例えば善悪の〕撰択にしても、明らかに、人間の側の考え方から出て来たものであります。

人間は撰択をしなければならぬのではあるが、全体、即ち完全なる原理、即ち又(また)神霊の枠から外に出ることは決して出来ない、というのが大師方の不変の思想です。

その意味はもちろん人間はその本来の実存、即ち本源〔神我〕から決して分離しているものではない、という事です。

自分の事を決めるのは他ならぬ自分ではあるが、その自分は、実は本来常に絶対的に原理〔神〕と一体であって分離したものではなく、又、原理以外の何かに依存するものでも決してないものであります。

『ヒマラヤ聖者の生活探究』より ※()内ふりがな:西塚

続く

Commentコメント

  1. 好本健一 より:

     西塚さんの「もう大変なんスから」の中には、ご自身のことはもちろん、ジョセフ・グレゴリー・ハレットをめぐる諸々のことから、コロナ、「善-悪」、本源〔神我〕その他のことに取り組んでおられるのですから、これを「もう大変なんスから」と言わなければ、あなた、どうしますか、なんちゃって、スイマセン、スイマセン、と三平師匠もおっしゃるのではないかと思いました。

     ハレットについては、西塚さんの詳細な情報を踏まえた論考を待たせていただくことにして、私は、『現代の黙示録』だけから学んだビジョンを踏まえて書きます。
     ハレットは、世界の裏事情に詳しくない視点で大雑把に見ると、Qグループもしくは、Qグループを含む、もっと大きな組織の一員のような印象を受けます。
     彼らは、そしてハレットは、ユダヤ教徒がヤハウエとモーゼの契約違反を犯していることも、バチカンがユダヤの救世主であるイエスの天命をねじ曲げて偽りのキリスト教を世界に広げていることも、その偽りのキリスト教の犠牲者になっている世界中のキリスト教徒のことも、さらに(今書いた事情によって)キリスト教スピリットを土台とした西欧文明が今根底から揺らいでいることも明確にしないで、自分たちのミッションを遂行するために、聖書的世界から自己証明を導き出しているように感じられます。
     これまで、地球文明は、そして地球人類は、裏から(地球外知的生命体たちの関与も含めて)コントロールされて、様ざまな苦難を乗り越えて現在に至っていると、大雑把な類推ですが、そう考えています。
     今も、そのコントロールは存在するようですから、それならば、できる限りソフトな(つまり世界戦争や世界恐慌などのない)全体戦略であってほしいと思います。
     その一方で、コロナは、「2019年~2020年」の第1期大流行から、「2020年~2021年」の第2期大流行へと切れ目なく進行しながら世界経済に大打撃を与えています。そしてこのパンデミックは、いや、そうではなくてシンデミックである、ということでこれまで曖昧に見過ごされてきた社会的矛盾を極限まで拡大し、根本的な立て替えを迫る様相を呈してきています。
     地球文明は、これから更にエスカレートする世界的なカオスに対して、そこに秩序をもたらす手立てを持っているのでしょうか。
     これまで、長い期間にわたって地球文明に関わってきた地球外知的生命体たちの集まりである宇宙連盟は、今後、地球人類と対等な関係のもとに交流するのか、地球人類を管理下に置くのか、あるいはこれまでの地球文明の運営サポートも自然環境整備サポートも(やむなし)ということで放棄して地球の文明も自然もカオスの極限まで進ませ、そこからのやり直しに直面させるのか、という(『現代の黙示録』から学んだビジョンですが、その)「今ここにある危機」に対して、新しい地球を再構築する志をお持ちの皆様は、どのようにお考えでしょうか。

    • nishi より:

      好本様

      ポストありがとうございます。
      返事が遅れてすみません。
      いろいろ大変なもんスから。

       

      >これまで、地球文明は、そして地球人類は、裏から(地球外知的生命体たちの関与も含めて)コントロールされて、様ざまな苦難を乗り越えて現在に至っていると、大雑把な類推ですが、そう考えています。

       

      そうですね。そして、その関与のレベルもいろいろあり、「苦難」に関しては必然であり、それはある種の慈悲のようなものです。で、いろいろなレベルで関与しているものも、そのほとんどがその慈悲の構造(のようなもの)に気づいていないというか、知らないということのようです。

       

      >これまで、長い期間にわたって地球文明に関わってきた地球外知的生命体たちの集まりである宇宙連盟は、今後、地球人類と対等な関係のもとに交流するのか、地球人類を管理下に置くのか、あるいはこれまでの地球文明の運営サポートも自然環境整備サポートも(やむなし)ということで放棄して地球の文明も自然もカオスの極限まで進ませ、そこからのやり直しに直面させるのか、という(『現代の黙示録』から学んだビジョンですが、その)「今ここにある危機」に対して、新しい地球を再構築する志をお持ちの皆様は、どのようにお考えでしょうか。

       

      ここは、それぞれの方がいろいろと考察されていることでしょうが、ある認識といいますか、理解を共有していないとなかなか展開していかないように思います。どうしても、我(われ)とは何か、ということからはじめるしかなく、そこからやがては知識がやってきて、知恵となり、力となっていくようです。この力が不調和・不秩序を整えていくようです。

      西塚

  2. 好本健一 より:

     西塚裕一様

    『所感』について、その2、「本源、善悪」。

    「人間はその本来の実存、即ち本源〔神我〕から決して分離しているものではない」。
    (諸説あるうちの、私の類推が、役に立つことを願って、わかりやすく「言い切り」の形で表現します。)

     本源について、「天と地」から考える。
     AとBに分かれる。
     A 地から、本源を見ると、「本源=天」であり、地は、そこから切り離されて存在する。
     B 天から、本源を見ると、「本源=天&地」であり、Aの視点においては切り離されている天と地が「天&地」になっているのは、本源の愛によるもの。つまり「人間はその本来の実存、即ち本源〔神我〕から決して分離しているものではない」という視点は、Bにおいて常に成り立つが、Aにおいては、(ひとまず、表層では)成り立たない。

     Aとは、「地上の人間」のありよう。
     Bとは、「天における人」のありよう。
     Aの心の中にBは、存在する。地上の旅とは、このありようを自覚し、体現する旅。

     ところで、Bは、自身のありようを愛によって、Aの中に投影する。
     Aの中に、Bが100パーセント投影されていれば、Aが生きる地上は、「天&地」になっていて、Aは、肉体をまとう制約を受け入れた上で、神我そのものを、100パーセント生きる。
     もちろん、そのAのありようと、Bの「天における人」のありようとは、内においては完全に「ひとつ」であっても、その「ひとつ」が、肉体を通して表現されると不完全性を含む表現になる。
     この不完全性は、内における完全性と、余すところなく調和している。

    「天における人」が、宇宙運営という表現を行う場合、手がかりにする座標軸は、無数。
    「天&地」を生きる「地上の人間」は、内における完全性を、4つの座標軸(空間3次元、時間1次元、計4次元で、4つの座標軸)でしか表現できない。

     天と地の間は(AとBの間は、と言っても同じ)、地上の人間が、本源の愛を求めない限りにおいて、切り離されている。
     真実は、毎日24時間、「天&地」であり、切り離されている、という迷いが、その錯覚にリアリティを与える。
    「本源の愛を求める」心の働きは、BからAへの投影をナチュラルに促進し、迷いを解消し、錯覚から目覚めさせていく。
    「本源の愛を求める」方法は、複数存在する。どれかを選択する場合、慎重な検証が必要。似て非なるものを選択したら、人生が破綻する。(当然、私個人の類推も、読み手によって、鋭く、慎重に検証される必要がある。)

     Aという学びの場のプロセスは、地上の人間が、まず、本人の意志で、本源の愛を求めないプロセスをとことん旅し(ここにおいて、相対的な善と悪が発生する)、それから、その紆余曲折の果てに、本人の意志で、本源の愛を求めるプロセスを旅する(ここにおいて、相対的な善と悪が一元論へ統合されていく)。

     相対的なものであろうと、善を求め、悪を退ける旅は重要。そのプロセスを通して、善の中の悪に気づき、悪の中の善に気づき、二元論では、どうしても解決できない人生の壁を如実に体験し、その克服を求めて一元論に導かれる。

     相対的な善と悪を発生させた心には、本源の愛に背を向けた「心の闇」が存在し、内観で、それを白日の下に晒し、本源の愛によって昇華して頂くプロセスが不可欠になる。

     僥倖の旅と試練の旅について。(私を主人公にして)。
     私が、本源の愛に背を向けて、今を旅していても、本源の愛は、私に投影される。ただし、この場合、私が自発的に本源の愛を求めるプロセスに入るように投影される。僥倖の旅も試練の旅も共に、このプロセスに入るように最大限に活用される。
     私が、本源の愛を求めて、今を旅していると、本源の愛は、私の天命を成就させる方向で、私に投影される。ところが、私が、本源の愛を求めていても、そうする以前の、本源の愛に背を向けていたベクトルが残っているので、僥倖の旅と試練の旅の両方を最大効率で組み合わせて、そのベクトルが昇華されるように導かれる。

     地上の旅のすべてに、人間の自由意志を、大枠で認めて、本源の愛は投影されている。大枠の外においては、本源の愛が、宇宙的必然性のもとに投影されている。大枠の内においても、本源の愛が、宇宙的必然性のもとに投影されている。ただし、大枠の内においては、私の自由意志が、ある程度尊重されているために、宇宙的必然性が薄らぐ場合もある。その「薄らいだ宇宙的必然性」が、地上で行使された私の自由意志のタイミングで、(地上レベルの)必然、もしくは偶然と判断される。最終結論としては、「薄らいだ宇宙的必然性」であろうと「濃い宇宙的必然性」であろうと、また自由意志が尊重される大枠の内であろうと外であろうと、宇宙の隅から隅まで、「宇宙的必然性」としての本源の愛のみが、無数の相に姿を変えて働いている。内観によって深化する、個の「思い」を通して、その愛は、輝きを増す。

     私の実践度が浅い理解のレベルで類推したビジョンのもとになったテキストは、『人間やりなおし』(献文舎)。

    • nishi より:

      好本様

      貴重な論考をありがとうございます。
      ここでは長い話はできませんでので、簡単に感想を述べます。

      冒頭で、本源について天と地、AとBに分けて論じられている部分ですが、ここにはいろいろなテーマがありますね。視点の相違や、観察のレベルの相違ということかと思います。

      しかし、簡単にまとめると、Aの「地上の人間」もBの「天における人」も、本来は本源と一体であり、かつてはAとBも一体であり、今はそれぞれの一部が自覚的に一体化の体現を求めています。そして、Bにはいろいろなものがおり、Aに関与し、複雑怪奇な構造をあえて生み出してきました。

      重要なことは、後半にある次の部分、

       

      >相対的なものであろうと、善を求め、悪を退ける旅は重要。そのプロセスを通して、善の中の悪に気づき、悪の中の善に気づき、二元論では、どうしても解決できない人生の壁を如実に体験し、その克服を求めて一元論に導かれる。

       

      にある、「克服」かと思います。
      今やもう流行らないというか、嫌われる感がある考え方ですが、やはり言葉にすれば、「努力」「克服」「克己」といったことが最重要なことで、そういうことを言動できるものたちのみが、今は求められているようです。

      ここは詳細な説明が必要なところですが、この場では誤解もやむなしとして、述べておきます。ですので、さらに言えば、「努力はいらない」「簡単なこと」といった方向の誘い文句・謳い文句には、十分な警戒が必要です。

      もはや実際の言動を最優先にして、検証はあとからしていくといった段階に入ったようです。

       

      西塚

  3. 好本健一 より:

     西塚裕一様

     お忙しい中、ご返事ありがとうございました。お二つのご返事について、まとめて書かせていただきます。

    「展開」のための「認識、理解の共有」の必要性、そして、そこから進展するプロセスへのご指摘は励みになりました。ありがとうございます。
    「慈悲の構造(のようなもの)」についても共有が進むことを願っています。

    「克服」について、スピ系では、「今やもう流行らないというか、嫌われる感がある考え方」になっているというご指摘を読み、なるど、今はそういう状況なのか、と思いました。当然、本筋は、西塚さんのご意見の通りだと思います。

     結びの言葉にある、現在の「段階」についてのご指摘も、とても励みになりました。
     これからの荒波を乗り越える力になる「実際の言動」を、ブログで、『おやすぴ』で、よろしくお願い致します。

    • nishi より:

      好本様

      ポストありがとうございます。

      いえ、私の場合、何と言いますか、サガなんですね。

      こちらこそ、よろしくお願いします。

       

      西塚

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