2020.10.23 想念 真実を探究する問答 真実を探究する問答 54 相談:20年間、霊的影響を受けている 人類の真我が開花する時期に入った 他 『宗任問答』の最新版をアップする。 Share Commentコメント 好本健一 より: 2020年10月26日 5:27 AM 宗任様 西塚様 最初の話題で、20年間霊的な影響を受けておられる方の「原因」を、宗任さんが、ご自身のエネルギー・フィールドに受け入れてチューニング・サポートをしておられるご様子は素晴らしいなあ、と思いました。 チューニングのサポートを進めるプロセスにおいては、様ざまなリアクションがメンタルとフィジカルの双方に現れますから、宗任さんは、その中和にも長けておられるのだろうと思いました。 「原因」の解消は、「幸せ」の進展につながりますから、「情報プラットフォーム五目舎」の存在もまた素晴らしいと思います。 「真実を探求する問答」は、もう54回目になるのですね。すごい継続力だと思います。 五目舎のような情報プラットフォームがたくさんできて、それらが必要に応じて、自由につながって、いろんな問題の解消に向けて励まし合い、支え合っていくといいなあ、と思いました。 というのも、今は、日常の暮らしそのものが、地球的スケールの大転換期に組み込まれて、避けようのない激動の入り口に、急速に向かっているように感じられるからです。 私個人のレベルで言えば、これまで学び、ささやかながら実践してきたもので、これから私の暮らしを直撃する大潮流を、どこまで乗り切っていけるか、という心境です。 「霊感・霊能力の話題が増えている!?」について。 これまでよく分からない霊的体験をしてこられた方々が、孤独の手探りから解放されて 情報の共有、励まし合い、乗り越えへと向かわれるのは、とてもいいことだと思います。 日本の常識が、多様な霊的体験を、乗り越えに向けて受け入れる体制にはまったくなっていないのを、今後、大潮流が、どのようなプロセスを経るのか分かりませんが組み替えていくように思います。 その霊的体験の広がりについて、自分に役立つ情報の選別をするに当たって、ひと言でまとめれば、「幸せになる」という視点から選別を進める時、個の幸せが、ご縁のある友人たち、知人たち、仕事上関わりのある人たち、暮らしの中で関わりのある人たちの、個々の幸せと何らかのつながりを形成するようなヒントを、「真実を探求する問答」で、継続して取り上げていただきたいと思いますので、よろしくお願いします。 多様な情報とのふれあいについて、「それも縁なんですね」というご指摘は、深いものがあると思います。 自分が、なぜ、その情報に関心を示すのか、なぜ、その情報が自分に必要なのか、自問自答することで、「縁」の内容が見え始めてくると思います。 意志エネルギーを「ベクトル」と呼べば、「縁」とは「複合ベクトル」として構成されていて、直近の自分の旅を、ポジティブにもネガティブにも変化させる流動性を持った働きかけを行うと思います。 (「複合ベクトル」は、それぞれが、バラバラに、勝手に自己主張する傾向があり、それによって、ポジ、ネガ両方の流動性が生まれると思います。) 自問自答によって見えてきた「縁」の内容を見つめながら、今、情報選択している自分の心境をも並行して見つめて、「縁」と「心境」の関係に見いだせる整合性を深め、あるいはそこにあるズレを狭める方向で、全体に自分として納得いく統一性を与えながら、そのまとめの印象を導き手として最善の選択を工夫することで、ネガティブな「縁」を退けてポジティブな「縁」を拡大する選択が可能になると思います。 「それも縁なんですね」のあとに「偶然はなくて」とあり、続いて個の意識の投影が、個が見る世界、個が体験する世界を現すと指摘されていますので、個の体験は、その投影のもとになる「個の意識」が必然的に体験させるもの、とお話を理解しました。 「個の意識」が体験するものを、(それまでは、それが偶然だと感じていた意識が)、そこに(たとえば「真実を探求する問答54」の視聴を通して)何らかの必然性を自覚し始めると、それを通して自己の関与に具体性がもたらされて問題が自己の意志、自己の選択権の行使へと収斂し、バラバラに働く「複合ベクトル」の、今必要とする統一的ありようも見えてくると思います。 それによって、未来へ向かう「縁」を活かし、不要な因習に逆戻りさせる「縁」を越えて、自己の人生の選択の幅を、(ふれあいによって生まれる縁の、自己とつながる周囲のベクトル群との関係性も見据えて)多様な個の幸せの実現と自己の幸せの実現を絡ませる内容へとシフトさせる可能性が深まると思います。 「偶然ではない」ということが、別の視点からも指摘されていて、それは、ある特定の情報を、気づきを得るために求める自分がいる、ということですから、今、自分は、どのような気づきを求めているのか、と積極的に自問自答することで、これまでの習慣に流されて無自覚の選択を行っていた自分を変える手がかりが得られると思います。 積極的に無自覚の選択を減らせば減らすほど、自分の人生を、自分が、より創造的に選択し、構築する実感が生まれると思います。 「コツコツではなく総決算に入っている」というご指摘には、深く同意します。 「コツコツ」の積み重ねについては、天からの働きかけにおいても、地上での探究においても、これまでに長い積み重ねがあり、共に臨界点に達しつつあると感じます。 冬来たりなば春遠からじ、という感じです。 冬に、気温が下がり、条件が整うと、(臨界点に達すると)あっという間に雪が結晶化し始めますね。 そう思いながらも、「千篇一律男」を自認する私としましては、「コツコツ」を抜くと自分が消えてしまいそうになりますので、総決算期以前のコツコツにおいては結果が出るのに時間が掛かったけれども、総決算期の今においては結果が出るのが早くなったと受けとめています。 総決算期とは、あらゆる営みの質が変化する時期、と言えます。 開花を求めて何年も探究を続けてきたことが、一瞬に花開く体験をしておられる方が増えているのは、ご本人にとっては素晴らしいこと、こちらにとっては有り難いことです。 その増加によってシンクロニシティが強化され、地球の各地で、探究の花が一瞬に開花する状況が促進され、こちらからあちらへの働きかけと、あちらからこちらへの働きかけの相乗効果で、素晴らしい未来が勢いよく現代に向かって走り寄ってくるようです。 そうなると、現代の地球では、表立って、未来を受けとめる、調和度の高いシステムは、どうなのでしょう、存在するのでしょうか。 情報不足の私は、日々強化されるシンクロニシティ・ネットワークがその受け皿になると今のところ考えています。 具体的には、ローカルな小さなシステムがたくさん生まれて、それらがネットでつながっていくというイメージです。 「人類の真我が開花する時期に入った」というビジョンについては、大雑把に言って、人類全体に影響を与えるレベルの「幸せになる」(これが、「真我が開花する」というビジョンの、私の受けとめ方ですが)という思い、その地球レベルでの意志の拡大が、その意志を構成する大中小の複合ベクトルたちを、拡大に呼応して多次元的なつながりを強化していく時期を迎えている、と受けとめています。 生き方として、100パーセント自分に正直に生きてきた人であろうと、不本意ながら様ざまな条件下で、外から提示される生き方を受け入れてきた人であろうと、全肯定の宇宙は、地球人類、一人ひとり、その全員を、(それぞれの個の思いを尊重して―「求めよ、さらば与えられん」ですから―逆から言えば、求めていないものは、与えられない、となる、その各自の思いを尊重して)幸せにするよう導いてくださっていると信じていますから、実に多様な個の思いを大枠で分類しつつ、時空を越えて、近似するベクトル群で関連づけてベクトル昇華することになるのではないかと思います。 人類全体をひとつにまとめてシフトさせようとしたら、個々の思いが構成する波動域の幅が多様すぎて、新しい地球の振動層全体にそれらを納めようとすると、新しい振動層は数値が高いので、そこに今現在のすべての思いを(とても限られた時間内に引き上げて)組み込もうとすれば強制的なシフトに持ち込まざるを得なくなる場合もあって(私など真っ先に)大変しんどいことになると思います。 強制しないとなれば、変化はグラデーションの様相を呈すると思います。しかし、今回は、総決算ですから、グラデーションとは言ってもその変化が急カーブで上昇するタイム・ラインの中を人類は旅しなければならないと思います。 これにしたって、私個人にとっては、とても大変な変化です。 総決算においては、サバイバルを志し、その役に立つ「実際的な言動」に賭けて動くのみです。 一瞬一瞬訪れる宇宙からの導きは、完全だと信じています。ただ、それを受けとめる私が不完全なのです。 自分の不完全さは棚上げできませんから、私は、姑息な心で被害者意識に陥ろうとする自分を的確に見つめて、完全な宇宙からの導きを可能な限りありのままに受け入れるために(導きを歪めて受けとめる心の働きをすべて切り離す姿勢で)内観を精緻に働かせたいと思います。 ところで、宇宙の導きは、受けとめる側の(つまり私の)不完全性を熟知して導いておられると思います。 すべてを、ありのままに受け入れようとしても、とことんそう決心しても、心の弱さから、これまでの習慣性から抜けきれなくてそうできないありようをも宇宙はすべて熟知して人類を導いておられると思います。 瞬間瞬間、完全なものが立ち現れても、その「ありのまま」を見つめられなくする意識の歪みを支配する幻想を、宇宙は、どのように取り除こうかと、その取り除きに向けて、本人の自発的意志を励起させるよう、多次元的な、あらゆるアプローチで働きかけておられると思います。 多様な個による、宇宙の導きの受けとめ方は、千差万別。どれが善いとか悪いとかではなく、全肯定の宇宙ですから、今現在、多様な個の課題の克服のもとに受けとめたありようを「すべてよし」として、その受けとめ方を構成する個々の複合ベクトルを全体調整して「次へ進ませる」ために、宇宙は、その千差万別なベクトルをひとつ残らず多次元的につなげて活かして導いておられると思います。 もっと踏み込んで言えば、非可逆的な「過去→現在→未来」の時間軸を越えた領域から人類すべての内面を見つめる宇宙は、すべての個がどのような受けとめ方をするのか先刻ご承知で―地上に最も近い波動域においては(限定領域では高い精度を刻む)ボーアの確率予測も大いに活用されることでしょう。守護霊たちの中には数学者や物理学者の地上滞在経験を持った存在たちもたくさんいるでしょうから。彼らは、地上の、志が響き合う数学者や物理学者の(地球全域に広がる)潜在意識の解析回路にアクセスし(意志と意識のコアは量子ですから階層性を踏まえた量子プログラミングで)脳のパルスに働きかけて(当然地上の彼らにはない補足情報も加えて算出した)確率情報を入手する、と奇想天外な夢想も楽しみながら―その予測データのすべてを活かして先手を打って(そうです、偶然はないのですから、運というものもなく、サイコロを振らない神の(多層的な愛へと拡張された)視点によるアインシュタイン数学に方向づけられた確率情報による)サポートの準備は複数の確率過程に応じて完備しておられると思います。 ということは、一瞬一瞬投影される習慣性のありようは、(それらもまた複合ベクトルで構成されていますから、ポジもネガもあり)、たとえ表層のプロセスがネガティブなものとして投影されようとも(宇宙によって先回りされたサポートにより)そのベクトルには事態を好転させる「肯定ベクトル」が接続されて組み込まれているので、内観を鋭く保ってネガティブな表層を掘り下げてネガに組み込まれた肯定ベクトルを見出すように努めることで「ありのままのありようを、ありのままに受けとめる」精度は高まっていくと思います。 その一方で、過去から続く習慣性の感性、思考、論理というものは、どうしても抜けられない一面も持っており、そこに対応する急激なグラデーションの上昇カーブを別の言葉で表現すれば「見切り発車」という具合に見えてしまう場合もあると思います。 総決算とは、これまで充分に地上への働きかけは行ってきたということで、それを受け入れないのであれば、「受け入れない思い」を尊重した上で全体のベクトル昇華にそれらも組み入れて最後のプログラムを発動することになると思います。 ありのままに起こることにジャッジメントしないためには、まず、心の中に現れてくるものでも、目の前に現れてくるものでもいいのですが、その本質が習慣性を起因として現れたものか、あるいは本来性を起因として現れたものかを判別する眼力を、成功したり、失敗したりしながら養う必要があると思います。 失敗したら、それをバネにしてより的確な眼力を養成する力になりますし、成功したら、その感触を手がかりにより的確な眼力を深化させることができると思います。 それによって、ありのままに起こることにジャッジメントしないことの大切さを、手応えが豊かに納得できると思います。 今は古いヒエラルキーの弊害の立て替えが行われ始めていますから、横のつながりが強調されていますが、(単純な話、歌を楽しく歌ってメロディやハーモニーを満喫するにはドレミファソラシという異なる振動層の縦の階層性が必要なのと同じで)地上の営みには縦のつながりも必要で、多層構造宇宙の基本力学は、縦横無尽の働きで本領発揮、となると思います。 繰り返しになりますが、ヒエラルキーに限らず、今は、総決算期以前の営みすべてが質的にシフトする状況が進展していますので、(ヒエラルキーについては、ピラミッド型階層性という権力構造的コンセプトは「役割分担による支え合い階層性を営む宇宙」へと根本から変化する)自分の心の機微を、鋭くしっかり見つめて、(周囲を見つめる場合、そのありように反応する自分の心の機微を、鋭くしっかり見つめて)新しくトランスフォームした「質」を活かして楽しむよう努めています。 返信 nishi より: 2020年11月9日 8:33 AM 好本様 ポストありがとうございます。 いやはや、長文ですね。 このコメント欄ではキャパオーバーかもしれません(笑)。 >意志エネルギーを「ベクトル」と呼べば、「縁」とは「複合ベクトル」として構成されていて、直近の自分の旅を、ポジティブにもネガティブにも変化させる流動性を持った働きかけを行うと思います。 重要なご指摘かと思います。 その「働きかけ」は、やはり自分の意志が発端になるというところが、悩ましいですね。 >ネガティブな「縁」を退けてポジティブな「縁」を拡大する選択が可能になると思います。 個人的には、ネガティブを退けるというよりは、ネガティブをポジティブに変換するということかと思っています。 そのことをたとえばゼランドは、「意図のコーディネーション(調整)」と呼んで実践的なテクニックとして提唱し、国常立神は「三真釣り」として「口・心・行」の統合の奥義を開示したようです。 つまるところ、これまで世に伝わるスピリチュアルな文献は、すべての不調和を正すことができるのは「人間」であるということを、「人間」に伝えているということかと思います。 西塚 お気軽にコメントをお寄せください コメントをキャンセルメールアドレスが公開されることはありません。 名前(ニックネーム) コメント ※ Δ
Commentコメント
宗任様 西塚様
最初の話題で、20年間霊的な影響を受けておられる方の「原因」を、宗任さんが、ご自身のエネルギー・フィールドに受け入れてチューニング・サポートをしておられるご様子は素晴らしいなあ、と思いました。
チューニングのサポートを進めるプロセスにおいては、様ざまなリアクションがメンタルとフィジカルの双方に現れますから、宗任さんは、その中和にも長けておられるのだろうと思いました。
「原因」の解消は、「幸せ」の進展につながりますから、「情報プラットフォーム五目舎」の存在もまた素晴らしいと思います。
「真実を探求する問答」は、もう54回目になるのですね。すごい継続力だと思います。
五目舎のような情報プラットフォームがたくさんできて、それらが必要に応じて、自由につながって、いろんな問題の解消に向けて励まし合い、支え合っていくといいなあ、と思いました。
というのも、今は、日常の暮らしそのものが、地球的スケールの大転換期に組み込まれて、避けようのない激動の入り口に、急速に向かっているように感じられるからです。
私個人のレベルで言えば、これまで学び、ささやかながら実践してきたもので、これから私の暮らしを直撃する大潮流を、どこまで乗り切っていけるか、という心境です。
「霊感・霊能力の話題が増えている!?」について。
これまでよく分からない霊的体験をしてこられた方々が、孤独の手探りから解放されて
情報の共有、励まし合い、乗り越えへと向かわれるのは、とてもいいことだと思います。
日本の常識が、多様な霊的体験を、乗り越えに向けて受け入れる体制にはまったくなっていないのを、今後、大潮流が、どのようなプロセスを経るのか分かりませんが組み替えていくように思います。
その霊的体験の広がりについて、自分に役立つ情報の選別をするに当たって、ひと言でまとめれば、「幸せになる」という視点から選別を進める時、個の幸せが、ご縁のある友人たち、知人たち、仕事上関わりのある人たち、暮らしの中で関わりのある人たちの、個々の幸せと何らかのつながりを形成するようなヒントを、「真実を探求する問答」で、継続して取り上げていただきたいと思いますので、よろしくお願いします。
多様な情報とのふれあいについて、「それも縁なんですね」というご指摘は、深いものがあると思います。
自分が、なぜ、その情報に関心を示すのか、なぜ、その情報が自分に必要なのか、自問自答することで、「縁」の内容が見え始めてくると思います。
意志エネルギーを「ベクトル」と呼べば、「縁」とは「複合ベクトル」として構成されていて、直近の自分の旅を、ポジティブにもネガティブにも変化させる流動性を持った働きかけを行うと思います。
(「複合ベクトル」は、それぞれが、バラバラに、勝手に自己主張する傾向があり、それによって、ポジ、ネガ両方の流動性が生まれると思います。)
自問自答によって見えてきた「縁」の内容を見つめながら、今、情報選択している自分の心境をも並行して見つめて、「縁」と「心境」の関係に見いだせる整合性を深め、あるいはそこにあるズレを狭める方向で、全体に自分として納得いく統一性を与えながら、そのまとめの印象を導き手として最善の選択を工夫することで、ネガティブな「縁」を退けてポジティブな「縁」を拡大する選択が可能になると思います。
「それも縁なんですね」のあとに「偶然はなくて」とあり、続いて個の意識の投影が、個が見る世界、個が体験する世界を現すと指摘されていますので、個の体験は、その投影のもとになる「個の意識」が必然的に体験させるもの、とお話を理解しました。
「個の意識」が体験するものを、(それまでは、それが偶然だと感じていた意識が)、そこに(たとえば「真実を探求する問答54」の視聴を通して)何らかの必然性を自覚し始めると、それを通して自己の関与に具体性がもたらされて問題が自己の意志、自己の選択権の行使へと収斂し、バラバラに働く「複合ベクトル」の、今必要とする統一的ありようも見えてくると思います。
それによって、未来へ向かう「縁」を活かし、不要な因習に逆戻りさせる「縁」を越えて、自己の人生の選択の幅を、(ふれあいによって生まれる縁の、自己とつながる周囲のベクトル群との関係性も見据えて)多様な個の幸せの実現と自己の幸せの実現を絡ませる内容へとシフトさせる可能性が深まると思います。
「偶然ではない」ということが、別の視点からも指摘されていて、それは、ある特定の情報を、気づきを得るために求める自分がいる、ということですから、今、自分は、どのような気づきを求めているのか、と積極的に自問自答することで、これまでの習慣に流されて無自覚の選択を行っていた自分を変える手がかりが得られると思います。
積極的に無自覚の選択を減らせば減らすほど、自分の人生を、自分が、より創造的に選択し、構築する実感が生まれると思います。
「コツコツではなく総決算に入っている」というご指摘には、深く同意します。
「コツコツ」の積み重ねについては、天からの働きかけにおいても、地上での探究においても、これまでに長い積み重ねがあり、共に臨界点に達しつつあると感じます。
冬来たりなば春遠からじ、という感じです。
冬に、気温が下がり、条件が整うと、(臨界点に達すると)あっという間に雪が結晶化し始めますね。
そう思いながらも、「千篇一律男」を自認する私としましては、「コツコツ」を抜くと自分が消えてしまいそうになりますので、総決算期以前のコツコツにおいては結果が出るのに時間が掛かったけれども、総決算期の今においては結果が出るのが早くなったと受けとめています。
総決算期とは、あらゆる営みの質が変化する時期、と言えます。
開花を求めて何年も探究を続けてきたことが、一瞬に花開く体験をしておられる方が増えているのは、ご本人にとっては素晴らしいこと、こちらにとっては有り難いことです。 その増加によってシンクロニシティが強化され、地球の各地で、探究の花が一瞬に開花する状況が促進され、こちらからあちらへの働きかけと、あちらからこちらへの働きかけの相乗効果で、素晴らしい未来が勢いよく現代に向かって走り寄ってくるようです。
そうなると、現代の地球では、表立って、未来を受けとめる、調和度の高いシステムは、どうなのでしょう、存在するのでしょうか。
情報不足の私は、日々強化されるシンクロニシティ・ネットワークがその受け皿になると今のところ考えています。
具体的には、ローカルな小さなシステムがたくさん生まれて、それらがネットでつながっていくというイメージです。
「人類の真我が開花する時期に入った」というビジョンについては、大雑把に言って、人類全体に影響を与えるレベルの「幸せになる」(これが、「真我が開花する」というビジョンの、私の受けとめ方ですが)という思い、その地球レベルでの意志の拡大が、その意志を構成する大中小の複合ベクトルたちを、拡大に呼応して多次元的なつながりを強化していく時期を迎えている、と受けとめています。
生き方として、100パーセント自分に正直に生きてきた人であろうと、不本意ながら様ざまな条件下で、外から提示される生き方を受け入れてきた人であろうと、全肯定の宇宙は、地球人類、一人ひとり、その全員を、(それぞれの個の思いを尊重して―「求めよ、さらば与えられん」ですから―逆から言えば、求めていないものは、与えられない、となる、その各自の思いを尊重して)幸せにするよう導いてくださっていると信じていますから、実に多様な個の思いを大枠で分類しつつ、時空を越えて、近似するベクトル群で関連づけてベクトル昇華することになるのではないかと思います。
人類全体をひとつにまとめてシフトさせようとしたら、個々の思いが構成する波動域の幅が多様すぎて、新しい地球の振動層全体にそれらを納めようとすると、新しい振動層は数値が高いので、そこに今現在のすべての思いを(とても限られた時間内に引き上げて)組み込もうとすれば強制的なシフトに持ち込まざるを得なくなる場合もあって(私など真っ先に)大変しんどいことになると思います。
強制しないとなれば、変化はグラデーションの様相を呈すると思います。しかし、今回は、総決算ですから、グラデーションとは言ってもその変化が急カーブで上昇するタイム・ラインの中を人類は旅しなければならないと思います。
これにしたって、私個人にとっては、とても大変な変化です。
総決算においては、サバイバルを志し、その役に立つ「実際的な言動」に賭けて動くのみです。
一瞬一瞬訪れる宇宙からの導きは、完全だと信じています。ただ、それを受けとめる私が不完全なのです。
自分の不完全さは棚上げできませんから、私は、姑息な心で被害者意識に陥ろうとする自分を的確に見つめて、完全な宇宙からの導きを可能な限りありのままに受け入れるために(導きを歪めて受けとめる心の働きをすべて切り離す姿勢で)内観を精緻に働かせたいと思います。
ところで、宇宙の導きは、受けとめる側の(つまり私の)不完全性を熟知して導いておられると思います。
すべてを、ありのままに受け入れようとしても、とことんそう決心しても、心の弱さから、これまでの習慣性から抜けきれなくてそうできないありようをも宇宙はすべて熟知して人類を導いておられると思います。
瞬間瞬間、完全なものが立ち現れても、その「ありのまま」を見つめられなくする意識の歪みを支配する幻想を、宇宙は、どのように取り除こうかと、その取り除きに向けて、本人の自発的意志を励起させるよう、多次元的な、あらゆるアプローチで働きかけておられると思います。
多様な個による、宇宙の導きの受けとめ方は、千差万別。どれが善いとか悪いとかではなく、全肯定の宇宙ですから、今現在、多様な個の課題の克服のもとに受けとめたありようを「すべてよし」として、その受けとめ方を構成する個々の複合ベクトルを全体調整して「次へ進ませる」ために、宇宙は、その千差万別なベクトルをひとつ残らず多次元的につなげて活かして導いておられると思います。
もっと踏み込んで言えば、非可逆的な「過去→現在→未来」の時間軸を越えた領域から人類すべての内面を見つめる宇宙は、すべての個がどのような受けとめ方をするのか先刻ご承知で―地上に最も近い波動域においては(限定領域では高い精度を刻む)ボーアの確率予測も大いに活用されることでしょう。守護霊たちの中には数学者や物理学者の地上滞在経験を持った存在たちもたくさんいるでしょうから。彼らは、地上の、志が響き合う数学者や物理学者の(地球全域に広がる)潜在意識の解析回路にアクセスし(意志と意識のコアは量子ですから階層性を踏まえた量子プログラミングで)脳のパルスに働きかけて(当然地上の彼らにはない補足情報も加えて算出した)確率情報を入手する、と奇想天外な夢想も楽しみながら―その予測データのすべてを活かして先手を打って(そうです、偶然はないのですから、運というものもなく、サイコロを振らない神の(多層的な愛へと拡張された)視点によるアインシュタイン数学に方向づけられた確率情報による)サポートの準備は複数の確率過程に応じて完備しておられると思います。
ということは、一瞬一瞬投影される習慣性のありようは、(それらもまた複合ベクトルで構成されていますから、ポジもネガもあり)、たとえ表層のプロセスがネガティブなものとして投影されようとも(宇宙によって先回りされたサポートにより)そのベクトルには事態を好転させる「肯定ベクトル」が接続されて組み込まれているので、内観を鋭く保ってネガティブな表層を掘り下げてネガに組み込まれた肯定ベクトルを見出すように努めることで「ありのままのありようを、ありのままに受けとめる」精度は高まっていくと思います。
その一方で、過去から続く習慣性の感性、思考、論理というものは、どうしても抜けられない一面も持っており、そこに対応する急激なグラデーションの上昇カーブを別の言葉で表現すれば「見切り発車」という具合に見えてしまう場合もあると思います。
総決算とは、これまで充分に地上への働きかけは行ってきたということで、それを受け入れないのであれば、「受け入れない思い」を尊重した上で全体のベクトル昇華にそれらも組み入れて最後のプログラムを発動することになると思います。
ありのままに起こることにジャッジメントしないためには、まず、心の中に現れてくるものでも、目の前に現れてくるものでもいいのですが、その本質が習慣性を起因として現れたものか、あるいは本来性を起因として現れたものかを判別する眼力を、成功したり、失敗したりしながら養う必要があると思います。
失敗したら、それをバネにしてより的確な眼力を養成する力になりますし、成功したら、その感触を手がかりにより的確な眼力を深化させることができると思います。
それによって、ありのままに起こることにジャッジメントしないことの大切さを、手応えが豊かに納得できると思います。
今は古いヒエラルキーの弊害の立て替えが行われ始めていますから、横のつながりが強調されていますが、(単純な話、歌を楽しく歌ってメロディやハーモニーを満喫するにはドレミファソラシという異なる振動層の縦の階層性が必要なのと同じで)地上の営みには縦のつながりも必要で、多層構造宇宙の基本力学は、縦横無尽の働きで本領発揮、となると思います。
繰り返しになりますが、ヒエラルキーに限らず、今は、総決算期以前の営みすべてが質的にシフトする状況が進展していますので、(ヒエラルキーについては、ピラミッド型階層性という権力構造的コンセプトは「役割分担による支え合い階層性を営む宇宙」へと根本から変化する)自分の心の機微を、鋭くしっかり見つめて、(周囲を見つめる場合、そのありように反応する自分の心の機微を、鋭くしっかり見つめて)新しくトランスフォームした「質」を活かして楽しむよう努めています。
好本様
ポストありがとうございます。
いやはや、長文ですね。
このコメント欄ではキャパオーバーかもしれません(笑)。
>意志エネルギーを「ベクトル」と呼べば、「縁」とは「複合ベクトル」として構成されていて、直近の自分の旅を、ポジティブにもネガティブにも変化させる流動性を持った働きかけを行うと思います。
重要なご指摘かと思います。
その「働きかけ」は、やはり自分の意志が発端になるというところが、悩ましいですね。
>ネガティブな「縁」を退けてポジティブな「縁」を拡大する選択が可能になると思います。
個人的には、ネガティブを退けるというよりは、ネガティブをポジティブに変換するということかと思っています。
そのことをたとえばゼランドは、「意図のコーディネーション(調整)」と呼んで実践的なテクニックとして提唱し、国常立神は「三真釣り」として「口・心・行」の統合の奥義を開示したようです。
つまるところ、これまで世に伝わるスピリチュアルな文献は、すべての不調和を正すことができるのは「人間」であるということを、「人間」に伝えているということかと思います。
西塚