だるまさんこちら向かんせ世の中は月雪花に酒と三味線…とまあ、こういきたいものです。

酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting vol.16 「“遊ぶ”ということ」

人気ブログ『ヤスの備忘録』でもおなじみ、
社会分析アナリストの高島康司氏をお招きして、

1 世界で今、起きていること
2 人間の新たなる「精神性」「意識」「思考」

について、飲みながら自由闊達に話すシリーズ。
基本的に毎週更新。

〇『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』第16回
「「遊ぶ」ということ」

ゲスト:高島康司氏
聞き手:西塚裕一(五目舎)
2015年10月11日 東京・中野にて収録

西塚 『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』、今日は16 回です。前回はすみません、僕がボロボロに酔っぱらったみたいで。

ヤス いえいえ、いいです。いつものことですから(笑)。

西塚 今日もよろしくお願いします。カンパーイ!

ヤス はいはい、どうもどうも、カンパーイ!

ロシア寄りの中東情勢

西塚 毎回毎回、最後には、じゃあ次はもっとスピリチュアル的なことをと言うのですが、時事問題からついヤスさんの話に惹きつけられて、僕の進行がヘタでなかなかそちらにいけないのですが、やっぱりその前にですね、ヤスさんが言ったとおりと言うか、前回ロシアがシリアに空爆を始めて、これは長く続きますよと。僕は脅し程度で終るのかなと思ったのですが、実際いまだにやってるし、報道されてるところによれば300人くらいのISの戦闘員が死んでるみたいですね。今後もまだ続けると。地上部隊まで差し向けるのではないかと言われてます。

これは個人的にヤスさんにお聞きしたいのですが、前回オバマとプーチンの話とか、エゼキエル書の話も出ました。エゼキエル書の見立てどおりになっていくのかどうかも含めて、イスラエルがどう出るか、トルコがどう出るかという話で言うと、僕の感じではたとえばロシアの戦闘機がトルコの領空を侵犯したと。でもロシアはすぐに謝罪して、トルコのエルドアン大統領もロシアとの友好関係を強調した発言をして、そんなにきつい非難をしかったし、イスラエルのネタニヤフも、どうやらちょっとロシア寄りの感じがするんですね。

ヤス そうですね。

西塚 EUも何となく、どちらかと言うとオバマもですが、いわゆる軍産複合体の戦争をやりたい連中以外は、徐々にロシアに歩み寄っているという印象があるんですが、そのへんはかがですか?

ヤス 基本的にそうですね。今の状態を見ると。

あ、ところでですね、未確認情報なんですけど、今日の第一報、『デイリーメール』というイギリスのタブロイド紙の情報なんですけども、トルコ上空で領空侵犯したロシア軍機が、どうもトルコによって撃ち落とされた可能性があるというんです。ただそれはまだ未確認情報で、それを目撃した人たちのツイッターが飛び交ってて、それからデイリーメールが報道したというものなんですね。

たとえば、そういった事件はあるんですけど、じゃあトルコとロシアが緊張関係にあるかと言うと、そうじゃないんですよ。むしろトルコは、歓迎してるとまでは言えないけれども、ロシアがやってることに十分理解を示して容認している形ですね。対立するという意志はまったくない。イスラエルのネタニヤフ政権にしても、プーチンは空爆を開始する前にですね、イスラエルを訪問してるんですね。首脳会談をやってる。そこでやはりゴーサインをちゃんと取りつけてると思うんです。

西塚 ああ、あいつらを叩くぞと。

ヤス そうそう。それで、どうぞと(笑)。だからおそらくプーチンは、我々はイスラエルと敵対する意志はまったくない、ただISを叩きたいためだ、というようなことを伝えたのではないか。

現在プーチンがISを叩いてる一番大きな理由は、アサド政権を支持するということなんですよ。これからどんどんロシアの空爆によって、またロシアが地上軍を送ってくる可能性も出てきたので、ISは壊滅状態になってくるでしょう。そうするとアサド政権は倒れるどころか、むしろロシアのバックアップによって強化される。ロシアのシリアに対する介入ははるかに強まって、ある意味ロシアの管轄下、保護下でね、アサド政権が維持されるという形になる。

一方アサド政権というのは、強烈な反イスラエルということを国是にしながら国民を統合してきたという長い歴史のある政権なんです。ロシアがもしアサド政権の保護者になるならば、シリアの反イスラエルの態度を和らげると。少なくともロシアが保護者である限りは、シリアのアサド政権は極端な反イスラエルの姿勢はとらない、そのような活動もしない、またさせないといったような何らかの保証を僕は与えたんじゃないかと思った。

西塚 なるほど。十分あり得ますね。実際ロシアが本格的に空爆を始めたら、もう青ざめて、みんな三々五々逃げっちゃったIS兵士がたくさんいるみたいですね。

ヤス これは3、4日前の情報なんで最新ではないですけど、もうすでにISの40%以上は壊滅したということなんです。

西塚 ほお。僕は別にスピ系で言うわけじゃないですけども、いわゆるエゼキエル書、たとえばロシアとイランと北アフリカ連合軍と、対イスラエル、トルコ、まあアメリカも入ってくるんでしょうかね。一部EUという構図がですね、これはヤスさんともよく話すテーマですけども、あらかじめ想定されてるシナリオはどちらかと言えば回避される方向にいくということがありますから、今回のエゼキエル書のラインもですね、ちょっと弱まったかなと。イスラエルもロシアに対して何となく柔軟な姿勢を見せているような気がするし、トルコもそんなに好戦的ではないという。

いずれにしろヤスさんもおっしゃったように、中東の覇権図が変わることは間違いない。勢力図が変わる。やはりロシア、ましてや今度は中国が絡んできたとなると、これはエゼキエル書的なシナリオがあったにせよ、興味深いことですね。我々は今歴史を作りつつある中で、世界的にもですね、そこに直面しているということをちゃんと見ていきたいという気になりましたね。生々しく。だからヤスさんの情報が貴重なんです。本当に。

ヤス いえいえ。

西塚 日本のマスコミを見てもしょうがないですからね。

ヤス まあ、しょうがないですね。本当に。ぐしゃぐしゃですよ。最近のね、ロイターの記者が安倍にね…

安倍政権の異常な報道規制

西塚 そうそう、あれは面白かったですね。ああいうことは本当にあるんですね。要するにかいつまんで言うと、安倍がニューヨークの国連総会にいったときにですね、内外の記者会見があった。そこで当然、難民の問題が中心の国連総会だったので、その話が出るわけですが、基本的には安倍に対する質問は全部シートになっていて、それれに対する答えも、まあ官僚が書いたんでしょうけども、その答弁も安倍がプロンプターに書いてある文章を読むだけだという…実は日本でもやってきたことだけど、それをあそこでもやっちゃった。

でも、海外メディアの記者はそんなに甘くないので、社交辞令的にその予定調和的な想定内の質問はするんだけども、その質問にかぶせてロイターの記者がすかさず、難民を受け入れないのはなぜか?と聞いた。安倍の表情がピキッと変わった。想定外の質問にアワ食っちゃったんですね。それに対する答えが、いやまあ、日本は出生率の問題もあるし、女性の活躍もまだまだだしと。要するにトンチンカンなことを言うわけです。

難民に関しては、まず難民が出ないような土壌を作らなければならないし、それに対して日本は貢献したいんだと。だから難民問題は国際社会で協力関係を築きながらうんたらかんたらという、何と言うかなあ、すっ頓狂なことを言うわけですよ。それが海外のメディアにトップの見出しで出てしまった。要するに、日本は難民を受け入れる前に、テメエたちの問題で精一杯だといった見出しがついちゃった。それがまた日本ではまったく報道されない、ということですよね。

ヤス そうそう。それは安倍政権になってからずっと続いている実態です。

西塚 僕はあまり知らなかった。ここまでとは思わなかったんです。ほんとにビックリしました。

ヤス フフフ。ムチャックチャですよ、今の安倍政権は。その報道管制のコントロールの仕方というのは、すさまじいですね。たとえば日本に対して否定的なニュースを書きそうな、または書いたような新聞であるとか通信社にですね、地元の外務省の担当官が抗議するんですよね。ひとつは、去年あったことで、『フランクフルト・アルゲマイネ』という新聞があるんですよ。フランクフルトを中心としたドイツの全国紙なんですけど、そこでですね、秘密保護法に対する否定的な報道をしたんですね。日本は今後ね、戦後70年間守ってきた民主主義の価値を台なしにしようとしている。これはとんでもない法律だと。

西塚 極めてまっとうな記事ですね。

ヤス それを書いた記者というのは、日本のいわゆる外国人特派員協会にも所属していて、日本に長い記者で、確かフランクフルト・アルゲマイネ紙のどこかの部門の編集長か何かになって、それで本国に戻ってその記事を書いたんですね。日本に関しても極めて正確で、悪意を持った批判的な記事では全然ない。その記事を書いた直後に、確か日本のフランクフルト公使館の公使とか、書記官みたいな人たちが何人かで押しかけて面談を申し込んだらしいですね。これはなんたる記事だと。これは日本をけなしてるみたいなことを言って抗議をした。そのフランクフルト・アルゲマイネの記者が言うには、こんなことは初めてだと(笑)。他の国でも経験してないと言うんですね。

あと『ニューヨーク・タイムス』の東京支局長マーティン・ファクラーもですね、長年ずっと日本で取材してきて、たとえば民主党政権下の報道はどうだったかと言うとね、まずとにかく説明してくれると。懇切丁寧に説明して情報を与えると。あなたの報道に関しては、我々はそう思わないということもはっきりと言って、でもいろいろ説明してくれる。ただね、圧力とか報道管制はなかったと。安倍になって初めてだと言うんですね。

西塚 それは日本の、外国も含めたプレスやメディアに対する扱いとしても異常事態ですね。

ヤス 異常事態ですよ。9.11以降のアメリカのメディアがどうなったかと言うと、極右的なメディアになって、みんな右へならえで、アメリカ国家バンザイになって頭イカレましたから。だからアメリカのメディアが一番すばらしいかというわけでもない。国家的な危機になると頭がおかしくなるんですよ。メディアというのはね。

しかしながらルールはあるんですね。侵してはならない絶対的なルールがある。何かと言うと、記者会見という現場は、誰がどのように質問しても自由であるということ。記者会見というのは、際どい質問をして、失言ないしは政府の情報のリークなりね、要するに真実を取ってくる現場なんですよ。極めて緊張感のあるところ。そこにね、初めからシナリオがあるなんて北朝鮮と同じようなものです。

西塚 本当にそうですね。北朝鮮とか中国みたいなもんで。

ヤス 確かね、習近平の記者会見でもそこまでやってないでしょ。

西塚 異常だよなあ。

ヤス 異常です。

西塚 それが通用すると思ってるところからして、もうある種の幼児性とですね、ひょっとしたら官僚側とかブレインも含めて劣化してるんじゃないですか? そういった意味では。

ヤス 僕は相当劣化してると思いますね。植草(一秀)さんもよく言われる、政官財の既得権益、癒着構造。基本的にですね、長く続いてきた官僚主体の統治機構、これを維持するための政権であることはもう間違いない。そのような政権から見ると、日本国民とは何かと言うと、統治するため管理するための対象にしかすぎないわけです。自分たちの作った枠組みの中に、日本国民をどうやって引っ張り込んで埋め込むかというような視点になってくる。そのときの日本国民に対する見方は、おそらくリアルタイムで存在しているこの日本国民とは全然違う。

西塚 そこですが、前回かなあ、ヒゲの隊長の話がありましたよね。あれこそが政府が日本国民を見てる見方ですよね。

ヤス 見方です。そうそう。

西塚 あのヒゲの隊長。あかりちゃんネっていう…バカにしてる本体がアホだったら、ヤスさんが言うように、アホなトップが我々をアホと見てるんだから、とんでもないことになりますよね。国際的には、日本の国民はどんだけバカなんだって話になるじゃないですか。

以前、宮台真司と大塚英志の対談があって、そこで日本の大衆のことを、宮台は「田吾作」と言うんですね。そうしたら、大塚英志が、それじゃ生ぬるいと。「土人」だと言うんですね。

ヤス アハハハハ。

西塚 完全な差別用語ですが、でも比喩としてわかります。僕はもちろん土人とは言いませんが、我々がそういう状態だから、上もそうなんですよね。まあ、よく言われることだけども。その状態を今回の安保法制で、安倍さんありがとうで、ぶち壊してくれたかもしれない。

ヤス やっぱり土人だ、田吾作だという見方は、日本国民に関しては長く続いてたし、言ってみれば日本の支配的なエリート層、それはたとえば左派と言われる人たちも含めてですね、国民そのものに対する見方はそうだったんじゃないかと思うんですね。それは現在の安倍政権的なもの、全体主義的な国家を夢想するような人たちのみならずですね、やっぱりどちらかと言うと左派、リベラルといったような人たちも、基本的にはそういう見方を共有していた部分があったんだろうと思います。

西塚 あったと思いますね。

ヤス だから日本国民というのは、レベル的には西洋の国民から比べると低いんだと。理性に訴えかけるような運動をやったとしてもね、基本的に難しいと。難しいので、大きな政治的な力になるための組織に依存せざるを得ない。労働組合とかね、宗教団体とか、非常に大きな組織に依存せざるを得ない。そうじゃないと政治そのものに大きな影響力を及ぼすことは無理だと。個という意味での国民が田吾作レベルだという感覚は、多くの人たちが共有してたんじゃないかと思いますね。

社会システムの安定性と「遊び」

西塚 さきほど、この収録の前ですけどね、雑談で飲んでるときに話した、植草さんが立ち上げた『オールジャパン平和と共生』ですか、そこで岩上(安身)さんから志位(和夫)さんの話も出たみたいですが、連合政府を構想するのであれば本当にやってほしいなと。ある種の期待を僕はしちゃいますね。

ヤス たしかにね。僕も期待してるんですけど、ただ一方、いわゆる共産党というものに対する何か嫌悪感みたいなものを持つ人は多い。僕はあまりないですけど。持つというひとつの理由は、議会制民主主義の政党ではなかったということね、最初。なおかつ、ある意味で国家主体の社会主義管理体制の中に国民を埋め込むというような眼差しで、社会をずっと見ていたということですね。

西塚 僕は変質してもいいと思うんですよ、共産党は。別に戦争放棄の憲法を守ろうでいいじゃないですか。コミュニスト・パーティーですか? もう党名を変えてもいいくらいだと思うんですよね。今回も他の野党が嫌がったのは、ある政治評論家に言わせると、いつもの手だと。社会党もそうだったけど、共産党はいつも連合しようと言うんだけども、ワンイシューで連合するにはリスクが高すぎる。根本的なものが全然違うので。それでみんな断るんだけど、そうすると我々は呼びかけたけど、野党のみんなが断ったと。それがパターンだという言い方があるわけですね。今回もそれだろうとタカを括られちゃってるというのが、どうやらあるようです。果たして志位さんがそうなのかどうかはわかりませんけど。

ヤス 我々の政治的な状況が転換してきた。いわゆるゲームのルールの大もととなる状況があると思うんです。ひと言で言うと安定性です。だからどんなに、たとえば共産党がどうのこうの言ったとしてもね、自民党がどんな右派の政権を立てたとしても、基本的に経済の部分、国民生活の部分、それから日本国といったものが、大きな紛争に巻き込まれる可能性が極めて低いと。

言ってみれば、どんな政権になっても、政治的な状況がどうあれね、我々の日常生活は徹底して安定してきた。戦後70年のある意味で価値を象徴するような、戦後経験を象徴するようなものがあったとすれば、それだと思うんですね。基本的な安心感。基本的な安定であったということ。

さっき宮台さんのことが出てきましたけど、宮台さんが出てきた80年代にですね、彼は面白いことを言った。「まったりとした日常」と言ったんですね。

西塚 ああ、そうですね。「終わりなき日常」。

ヤス 本当に刺激がないと。何をやったとしても変わらない現実がそこにある。その変わらない現実はとことん安定してるという状態だったんですね。だからそのような状態になったときに、たとえば政治はひとりひとりの国民の生活にね、大きな影響を及ぼすような力としての意味をなくしてしまう。何をやったとしても、まったりとした日常が続いていく限りはね、政治というのはショーと化すわけです。

そういう政治をショーとして上演するための党派間のルールがあるわけですよ。だからたとえば共産党がいつも連合しようと言って、それでみんな拒否したと。それで最後に、我々が呼びかけたんじゃないかと言って、それをリソースとしてね、またキャンペーンをはるみたいなこと。それはある意味で、戦後70年経験の前提ででき上がった、政治がショー化したときのルールの上で成立してることなんじゃないかと思います。

問題は今何かと言うと、その前提がなくなりつつある。おそらくなくなってるということだと思う。

西塚 宮台さんがですね、今、渋谷とかが町田化したと言うんですね。僕もかつて町田にいたんですが、町田が悪いと言うんじゃなくて、つまり均質化、フラット化してしまったという。どこの地方都市でも町田化する傾向にあると。要するに特別なものはない。昔は都市というのは、田舎なり郊外から出てくると、何かこうワクワクして、さえないシケた自分の生活に何か刺激を与えてくれるんじゃないかと期待する場所だった。それがなくなった。何でもそろってるんだけども、期待するものがないという(笑)。それが日本中の地方都市に起きてるのではないかと。それが都心でも起きてるという話かもしれません。

そこでヤスさんが前回、「遊び」ということをおっしゃった。戯れですね。AIの話が出たときに、左脳的にどんどん進化してきたんだけども、ここにきて子ども的な、右脳的なものが一番難しいんだけど、今はそこに取りかかってるらしいということになった。AIは合理的な、目的達成度合いを測るような形で進行してきたんだけども、それは人類も同じであって、左脳的なものではなく、ここにきて右脳、戯れ、要するに無目的、フレキシビリティー、そっちにきたんだという話になりました。

それでさきほど言った、町田化してフラット化していくというときに一番必要なのは、やはり遊びじゃないですか。だからAIじゃないですが、都心の筋肉と言うのか、遊びの感覚を鍛えるにはどうしたらいいかという話になった場合、個の問題にも結びついていくと思うんですね。そういうことを含めてみんなで考えようよということが、今回の安保法制を発端に起きつつあることであって、我々はそれを目の当たりにしているのではないかと。

ヤス たしかにね。ちょっと話を戻すとね、戦後の政治は大かたは安定してた。国民生活そのものがずっと安定してて、まったりとした日常が続くくらい安定してるわけですから。1979年のイラン革命ってありますでしょ? 大学1年だったかな? イラン革命というのはイスラム原理主義の初めての革命ですよね。

西塚 ホメイニを持ってきて、パーレビを追い出すという…

ヤス そうそう。本当に一気に革命が起こりましたから。当時から僕は外国のメディアを読んでいて、外国のメディアで一番大きなポイントになっていたのは、これからホメイニによる原理主義革命がどこまで中東に広がるかということだったんです。場合によっては中東全域が流動化してくるのではないかといった見方が、極めて強かったんですね。これはどえらいことになったぞと。そして同じ年に、今度はソビエトがアフガニスタンに軍事介入するわけですよ。アフガン侵攻が始まった。これは世界がこれから流動化していって、とんでもないことになるんじゃないかという激震のあった年なんですね。79年から80年。

一方で、80年くらいになってくると、カンボジアでポルポトの虐殺がどんどん伝わってきて、それによって膨大な難民が出てくる。100万人規模の虐殺が行なわれてきたことがわかってくる。それは、今までの我々の枠組みでは理解できないような現象が一気に出てきたという、大きなことだった。ただ一方、日本国内に目を向けると、当時の79年、80年の経済成長は5%くらいありますから、みんなのほほーんとして、まったりとしてるんですね。

西塚 してましたね(笑)。

ヤス 当時、インベーダーゲームが流行ったりね。しばらくするとゼビウスというゲームがすごく流行ったりね、要するにこれだけ世界が変動してるのに、日本だけカプセルに入った、何て言うかな、隔離された特殊な世界の中に籠もっているような状態にいる。これはいったい何なんだと。日本という社会に生きてる限りはね、そのカプセルの中に籠もったような状態に無理やり押し込められる。このストレスみたいなものを強く感じてたんですね。

西塚 なんて言うんですか、孵化器というか、インキュベーターのような…

ヤス インキュベーターですよ。まさにインキュベーターみたいなものの中に無理やり押し込められて、それで80年代の初めですから、チューリップの歌を聴きながらね、ニイチャン、ネエチャンのようにね、そしてオンナの尻を追えと(笑)。みんなそういうことをやってるんだから、お前やらないのかと。そういうような感じですよね。

そうすると自分が世界に対して持ってる問題意識というのは、ほとんどどの会話の中でも、どこにいっても全部空回りするわけですよ。じゃあ、そういうような問題意識で話している人たちがいるかと言えば、いるんですね。いることはいるんですが、それは党派の人たちなんです。共産党だとかね、社会党であるとか、労働組合であるとか、いろんな党派の勉強会みたいなところでやってる。

西塚 組織に属してるわけですね。

ヤス 彼らはそういう問題意識を持ってはいるんだけどね、いわゆる党派が勢力拡大するためのツールとしてそれを使ってる。じゃあ、個人としてその問題意識を普通に考えたいといったときに、自分たちはどこへいけばいいのか。僕は1980年かな、たまたま派遣交換留学生に選ばれたのでアメリカにいった。アメリカにいったら、キャンパス内のどこでもあるんですね。そういうワークグループみたいのが。教授が中心になって、みんなで討論しようよみたいなワークグループがいろんなところにある。そこに出るとですね、こちらの知的な関心が満足させられるわけです。そんなような感じだった。

ただね、今思い起こしてみると、僕がストレスを感じた本体になっていたものは何だったのか。すなわちまったりとした日常に囲まれた、インキュベーターの中に入ったような状態。それは何かと言うと絶対的な安定性ですよ。すごい安定性です。そうするとですね、ここがひとつのポイントなんですけど、こういう我々の日常生活の安定とか、日常生活の安定の大もとになっているシステムとか、組織の安定性といったものは、最初から担保されるものではない。保障されるものではない。

どの現場にいっても人間たちは遊ぶんですよ。遊びっていろんな形態をとると思うんですね。たとえば自分がどこかの会社の係長あたりになってると。自分の部下を何人か監督してる。係長は係長のやらなくてはいけないような目標であるとか、ルーティンワークがある。普通にそのルーティンワークどおりにやってれば問題は起こらないはずなのに、やっぱり部下の中には、合う合わないの人間関係がある。場合によっては、隣のOLに惚れちゃったなんてことがある。それはほとんどコントロールできない面なんですね。お前は全員を好きになれと、誰かが強制するっていうのは無理なんですよ。合う合わないは、確実にありますからね。

合う合わないというふうなところから、合う人間ばっかりが集まって、内部にひとつのグループを作る。しょっちゅう飲みにいく。その中で何人かがえらくなっていくと、自然にそれが派閥化してくる。派閥そのものというのは、何かの政治的な理由ででき上がるかと言うとそうじゃなくて、もともとは会社単位であれば、合う合わない人たちの集団だったという側面が強いのではないか。それは組織のルールとか、党派のルールでコントロールできるかと言えば、できないんですよ。言ってみれば、遊びの部分ですね。予測不可能な部分ということだと思います。

西塚 小学生のときだって、自然発生的にみんな集まって遊んで、勝手にルールができて、何となくこれ面白いからと言って、いくつかにグループに分かれていきますもんね。あれと同じ構図が社会にもあると。

ヤス 社会にもあるということですね。その遊びの部分というのは基本的に管理できない。では、その遊びの部分から何が生まれてくるのか。平易な言葉で言うと「意味」が生まれるわけです。それは、規制されない意味。規制されないさまざまなものが生まれてくる。

我々の経済生活が安定してる場合は、システム、会社もそうだし、国の政府機関もそうだし、いろんな政党もそうだろうし、いわゆる我々の経済が安定しているということは、そのシステムが安定しているということですね。システムが安定してる場合は、その遊びの部分はあまり大きな影響力を及ぼさない。だから遊びの部分が創り出すものは、どちらかと言うと新しい商品の開発とかね、そちらのほうに向かう。ちょっとしたアイデアといったようなタイプ。

たとえばどこかの党派がある。共産党でも社会党でも何でもいんですが、その中で気が合う連中が集まる。そして酒飲みにいって、不満がたまったと。今の指導体制はおかしいとだんだん不満がたまって、どこかと一緒に分化してちっちゃい党を作った。それがどれほどの影響力があるかと言えば、ないんですよ(笑)。やっぱりない。会社もそうですよ。どんどん右肩上がりで業績を伸ばしているときに、今の社長のやり方はおかしい、部長が気に食わねえと言って、文句のあるちっちゃいヤツらが集まって、ブツブツ言い始めたと。それで、我々は会社から出るぞって出れるかと言ったら、出れないんですよ、だいたい。右肩上がりでどんどん昇ってて、自分の給料もどんどん増加してる。それで嫌だと言って会社を辞めて、全部リスクを負うヤツがいるかって言ったら、誰もいない。

西塚 ガス抜きですよね。

ヤス そうそう。したがって遊びの部分、すなわちシステムの内部の規定に入らない部分というのは、ある意味でガス抜きの中で終わってたと思うんですね。

西塚 飲みにいくときに、ちょっと3つか4つのグループが分かれるくらいの話ですよね(笑)。

ヤス そうそう。その程度で終わってたと思うんです。経済が安定してる場合というのは、ある意味で遊びの部分は脅威ではなかった。政治的に脅威でなかったということですね。脅威じゃない場合は、たとえば昔、ビーパーって英語で言うんですが、呼び出し電話、なんて言うんでしたっけ?

西塚 ああ、ポケベル?

ヤス ポケベル、ポケベル。ポケベルが出たときっていい例だと思うんですけど、最初ポケベルって、ビービーってビープ音が出るんですが、それに15文字のメッセージを送れるようにしたんですよ。そうしたら、これはメーカーも予想しなかったんですけど、15文字のメッセージで今のメールのようにやりとりし始めた。インターネット前の時代。メッセージ付きが、こんなふうにコミュニケーションの手段として使われるとは思ってもみなかった。それでポケベルがですね、まさに現代の携帯電話に近いメールの機能として使われ始めた。それは消費者が自ら開発したことです。

西塚 そうですね。ひとつかふたつの単語に、いろんな意味をかぶせるというような、文化と言うと大げさですが、そういうような「お約束」的な遊びができてくる。

ヤス そうそう。そこから、言ってみればポケベル文化みたいなものが一気に出てくる。ポケベルによる言語表現みたいなものが一気に出てくるということですね。だから経済が安定してる場合は、遊びの部分というのは、むしろそういうような形の発揮のされ方をしてたのではないかと思います。今の状況はどうなのかと言うと、全然違う。

西塚 むしろそういう、何と言うか、「衣食足りて礼節を知る」とは古い言葉だけども、それの現代版みたいことがあって、安定して、生存を脅かされるような極端な危険性や不安材料を持ってない場合は、人間は遊びたがる。それがものすごくクリエイティブなことにつながっていくというお話ですね。

ヤス そうです。

西塚 今は要するに一部のですね、巨大な力を持った連中、一部の連中が自分の思うがままにしたいがために、とんでもなく古臭くなった規則を温存させて、そのためにはもう暴力も辞さないという感じの、何と言うか、硬直状態に近いようなことになっているんじゃないか。そういう現象が、宮台さんも言ってましたが、会社とかいろんな組織、国レベルでも、日本の場合は金太郎アメのように出てくる。

ヤス そう。だから経済が右肩上がりの場合は、今言ったように遊びの部分というのは、本当に商品開発であるとか、いわゆる面白いものを開発するとか、別に社会システムそのものに大きな影響を与えるものではない。

西塚 脅威ではないと。

ヤス 脅威ではないですね。しかしながら、経済がどんどん下がってくる。終身雇用制もぶっ壊れてくるとなると、システムの安定性が相当不安定になってくる。この不安定になった状況の中で発生してくる遊びというのは、遊び=自由なコミュニケーションということも含めていいと思いますが、システムそのものを解体しかねない影響力を持っているわけですね。

たとえばさっきの例を使うと、会社があると。その会社がどんどん右肩下がりになってきた。これからみんな契約労働に変えますからと言って、今までの終身雇用性が放棄されて、全部一年契約になったと。それで全部、実績主義なった。そういう状態になってくると、会社がこのまま温存されるかどうかもわからない。先が見えない。いつ自分がクビを切られるかわからない。そこで、合う合わないの人間たちが出てきて、派閥のグループを作る。その派閥のグループの中に、やたら仕事のできる人間が何人かいた。彼らが率先して、今の会社のやり方はおかしいと、絶対におかしい、このままいくとヤバいよねと言ったときにね、彼らはどうするか。外に出て会社を作ったほうがリスクが少ないかもしれない。どっちにしろクビになるんだったら、最後に会社の中で暴れてやると言ったほうが、むしろリスクが少ないかもしれない、ということになってくるわけです。

今、我々はそういう状態になってきていて、システムがあらゆる部分で不安定化してるので、本来いろいろなシステムの中で出てきた遊びの部分といったものが、逆にそのシステムに対するブラックスワン的な働きをしてくるということなんです。今回もですね、そのように弱くなったシステムというのを、安倍政権的なものはいわゆる道徳的な規範を押しつけることによって、強権的に支配しながらね、その遊びの部分を徹底的に抑圧して、もう一回システムのタガをしっかりと嵌めようとしてるわけですよ。

それによって生活の絶対的な安定性、1979年とか80年くらいの時代の、あのまったりとした日常に戻れるくらいの安定性が確保できるんだったらまだいいかもしれない。でも、おそらくそれは不可能です。だとすれば、不安定の中でタガを締めれば締めるほどですね、反発はするだろうし、反発は遊びとなって出てくる。まったく規制されない自由なコミュニケーションが百花繚乱状態で出てくるんですよ。あらゆる領域で出てくる。

西塚 それは前回おっしゃった、それこそ『帝国』のマルチチュード。規制するツール自体が本人たちの首を絞めるよということになるでしょうね。

ヤス 極めて高度なITを使って、ある方向に誘導しようとすればするほど、むしろそれに対する遊びの領域がどんどん拡大する。反作用のほうがでかくなる。たとえば、今回の『教えて!ヒゲの隊長』ってあるでしょ? あれなんか典型的だと思いますよ。

西塚 なるほどね。

ヤス 『教えて!ヒゲの隊長』というのを作ったと。あれは本当に国民を幼稚化したビデオなんですが、『ヒゲの隊長に教えてあげてみた』のほうが面白いわけですよ。あっちのほうがヒットしてるわけですね。あれは、自由な規制のないコミュニケーションの過程から、遊びで作られたものなんです。ああいった類いのものが巨大化してくるということなんですね。

西塚 あれは、あっと言う間に出てきましたからね。

ヤス あっと言う間に出てきた(笑)。そうするとね、これから安倍政権に対するアンチ、安倍政権ではない、本来の民主主義を目指す大きな流れを盛り上げるために一番重要なことは、遊びの部分をね、スローガンといった使い古されたような言葉の中に吸い上げないことなんですね。遊びの部分を十全に放って、遊びの部分からいろんな言語表現だとか、ビデオであるとか、カッコいいもの、面白いものを出せるような状況にいかに持っていけるかということだと思います。

西塚 そのへんはヤスさんはどう思われますか? たとえば、僕はヤスさんのお話を聞いてて、ひょっとしたらヤスさん自身も、ある種のリスクと言うか、危機感を感じてらっしゃるのかなあと勝手に思ったのは、そうやってITツールを使って、頭のいいヤツとかセンスのあるヤツは、あっと言う間に作り変えて違うメディアを作っちゃったりする。それはそれで野放しのままでいいのか。またぞろ違う形で違う全体性が出てきて、ある強制力を働かせてですね、何かギクシャクして、面白くなくなっちゃうんじゃないかというような不安とか、そういうのはあまりないですか?

ヤス いや、それは必ずあると思う。だから言ってみれば、システムと反システムのぶつかり合い。いわゆる真面目とのぶつかり合いと言うかね、これは闇と光でもいいんですけども(笑)、それは必ずあるんですね。

西塚 そのへんは、どういうふうに捉えてらっしゃいますか?

ヤス 複雑性って理論がありますでしょ? 定常状態というシステムの安定した状態があって、そのシステムの安定した状態は極めて微妙なものなんです。要するに、いろんな変化に対する適応力があるがゆえに、そのシステムは安定してるわけです。ただね、いくつかの条件がちょっとバランス悪くなると、一気に流動化するような方向に流れていく。そういう形のものがシステムのひとつの動きだと思います。

「カオスの縁」という概念があって、いくかの条件が覆ればちょっと不安定になってしまうという、そのギリギリのカオスの縁のところで何とか行き来していることが、実は一番安定したシステムなんだということです。それはなぜかと言うとね、環境の変化に対して適応力があるということなんですよ。

システムと反システムは必ず存在する。システムのほうが巨大で、それに対する遊びの部分があまりにも規制されてしまうと、窒息するような全体主義になる。そのようなシステムは長続きしない。だからと言って、遊びの部分だけが巨大化すると、システムを食っちゃって、もう無限に流動化していくわけです。だからそこに絶妙なバランスがある。どこが絶妙なバランスなのかということを発見する知性がすごく重要だと思います。

西塚 そうですね。

ヤス 僕はどこが一番の絶妙なバランスかということはよくわからないけども、ただ重要なのは、まず個に全部遊ばせてみろと(笑)。

西塚 そこですね。その規則は別に外部にあるわけじゃなくて、個人個人がそういうことに気づくということ。そのようなダイナミズムがあるらしいぞと気づいて、自分でバランスをとっていく個が増えれば、おのずとバランスがとれるという。

ヤス そうです。

西塚 しかないんじゃないかなあと。

ヤス だから下からいろんな遊びを行なう。いろんな活動を行なう。やっぱりシステムはアンチシステムから始まると思うんですね。個が集まることによって、個の様々な活動が下から集積してね、全体として安定したシステムができ上がるという方向だと僕は思う。

その意味では、アダム・スミスの「神の見えざる手」であるとかね…アダム・スミスは18世紀、市場といったものが経済のかなり大きな領域を管理するようになって、運営するようになって初めての時代に生きるわけですよ。そうすると、そのままシステムの中から、果たして安定した経済ができ上がるのかということが極めて大きな問題になる。その中で、いわゆる個の欲望にまかせて大丈夫なんだということを出してきた。アダム・スミスの「神の見えざる手」そのものが現在、有効視されることはないですけど、しかしながら問題提起の水準としては、現在極めて似たところにいると思いますよ。

ジャン・ジャック・ルソーもそうですね。ルソーの「一般意志」も同じ問題です。それぞれの政治的意見があるような個人がバラバラに集まってね、それでまとまるのかと。いや、そうじゃない、討論させてみろと。その一般意志というものが必ず出現してくるという。

西塚 ルソーにしても、アダム・スミスにしても、やっぱり信頼があると思うんです。人間に対する信頼というよりも何か別のもの。ヤスさんがいみじくもおっしゃったように、たとえば300年前のブルゴーニュの農民をここに連れてきて、対話させてみろと。個の意識というものは、全然違うはずだと。たしかに江戸時代の人間、熊さん八つぁんをここに持ってきて話したって、話は通じますよ。礼儀を通せば。でも、ちょっと個が違うぞと、おそらくなるわけで、そういうような形で個は変質してくる。

だからそういった意味で、何か大いなるものとつながってるといったような、何かに信頼している気がするわけです。アダム・スミスにしろ、ジャン・ジャック・ルソーにしろ、どうしてもそこにいかざるを得ないのではないか。ヤスさんがこのシリーズでよくおっしゃってるような、個と超越性。要するに超越性というものを想定する、あるいは大いなるもの、神でも仏でも何でもいいんですが、個を超えた大きなものがあるというほうが、あったほうが個の多様性が担保される。ヤスさんはたしか、そのようなことをおっしゃった。そっちのほうが安心感があるし、かえって個の多様性が健全に機能するんじゃないかと。そういう言葉ではありませんでしたが。

今日のお話を聞くと、やはり安定性、社会システムの安定性の中にいろんなアイデアがあり、遊びが出てくるということと照らし合わせていくと、たぶんそういうことをおっしゃりたかったのかなあと思うわけですね。その大きな装置のひとつが、かつては宗教だった。今は、本当は安倍政権がそれに代わるものを日本で出さなきゃいけないんだけども、それを出せてないどころか、真逆だという。そんなようなお話かなあと思うんです。

ヤス ただね、僕が怖いのは、安倍政権は出してくると思いますよ。

西塚 ああ、何かモデルなり、物語を…

ヤス その超越性を出してくる。憲法改正の一部として出してくる。いわゆる自分たちの言う「美しい日本」とは何なのかと。日本とはどういうものなのか。極めてスピリチュアルな共同体の概念を出してきますよ。

西塚 そうなるとですね、ヤスさんとお話しているテーマの核心にも入ってきます。神道とか何とかいろいろありますね。何でもあるんだけども、そこに吸収される、巻き込まれるという流れがあれば、僕はそれが一番危険だと思うし、自分自身も嫌だ。そこだけはちょっと気をつけていきたいところですが、そっちの流れにいきますか?

ヤス だからそのときにね、一緒に提示してくるのは経済的な安定性でしょうね。自分たちのモラルと言うか、自分たちの提示したスピリチュアルな日本の概念に従えば、これだけのリワードがあるぞと。

西塚 僕はですね、今回の安保法制もそうですが、メディアもいろいろ流しますから、安倍のトンチンカンな受け答えにしても、みんな気づいちゃったじゃないですか。一回気づくとこの流れは止まらないんじゃないですか?

徹底的に遊ぶ!茶化す!

ヤス そうそう。気づくのはそうなんですけど、ただ問題は、その気づきをどこまで持続できるかってことなんです。たとえば安保法制反対というのはひとつあり得る。いいんですけど、また反原発運動というのもすごく重要でね、これも大事なんですけど、そういう政治的なスローガンだけではね、続かない。このシステム全体に対する反システムの動きを、いかに持続させるかということ。それは、遊びをいかに持続させるかということなんですよ。

西塚 そうですね。本当にそう思う。

ヤス それをスローガンという形だけに限定して、吸い上げちゃったらダメだろうということなんです。だから遊びの部分をずっと持続させると。

なぜこういうことを言うかと言うと、自民党の憲法改正草案を見てるとそうなんですよ。あの憲法改正草案というのは、まさに明治憲法そのものでね、元首として天皇を位置づけてる。そうするとですね、日本国家というものに対する定義をせざるを得なくなってくるんですね。現在の、現行憲法の日本国家の定義というのは、主権在民の民主国家の日本国家です。それとは違った定義を持ってこなければならない。そうすると、やはりスピリチュアルな日本国の根源というところに至らざるを得ない。

ポイントは、我々は戦後の憲法に保障された、かなり自由な空気の中で安定してきたこの日本が大好きで、その中でずっと生活してきた。しかしながら、安倍的なものが回復してくる。突っ張り出してくる日本というのは、やはり戦前的な日本です。ただ戦前的な日本というのは、イデオロギーとかね、暗い面だけではない。全体主義の楽しみってあるんですね。全体主義って心地いいんですよ。考えなくてもいいしね。

西塚 思考停止は気持ちいいということですね。

ヤス 思考停止は気持ちいいんですよ、本当に。思考停止して、全体主義の中で自分が何か強大な全体的なものに解体される気持ちよさ。解体されればされるほど、自分には経済的な報酬がやってくるという感じ。たとえば、紀元2600年祭ってあったんですね。1940年だったんですよ。

西塚 紀元節は、神武天皇の誕生日でしたっけ?

ヤス 神武天皇が即位した日。これはわかっているわけじゃないですよ。もっと言えば神武天皇なんていないんですよ。これはもう神話の人物だということはわかってるんですけど。

西塚 (笑)それはまたやりましょう。

ヤス そのときにですね、11月10日のたしか午前11時何分かに、当時の1億500万ですよ、日本国民。それが同じ時刻にですね、全員宮中のほうに向いて天皇陛下万歳!をするんですね。1億500万ですよ。そしてあらゆるところで数十万の行事が行なわれてるわけですよね。何が言いたいかと言うと、それは苦痛なのかということなんです。おそらく苦痛じゃない。

西塚 中には苦痛な人もいっぱいいただろうけども、マジョリティとしては苦痛じゃなかった。

ヤス 心地よかった。何で気持ちいいかと言うと、ひとつは当時の1940年の世界というのは、やはり西洋列強に支配されていた。西洋列強というのはキリスト教文化ですね、基本的に。その中で唯一大国として、非キリスト教的な、白人でもない国というのは日本だけなわけです。自分たちとしては、してやったりというような。

西塚 なるほど。溜飲を下げるわけですね。優越感に浸るということですね。

ヤス そうそう。言ってみれば、それと同じような体験を保証してくれるわけです、安倍的なものは。将来的に。そうするとね、何が基軸になるかと言えば、反対!っていうことだって大事ですよ。ただそれよりも、遊んじゃうということなんですよ。徹底的に茶化す(笑)。

西塚 本当ですね。武術で言うと、合気じゃないですが無化する。

ヤス 無化する。

西塚 筋肉しにしても、緊張してるとやっぱり凝るじゃないですか。そうじゃなくて、もう融通無碍と言うんですか、まあそうなると仙人とか達人の次元なのかもしれませんが、新聞読んだときの反応も含めて、凝り固まらないと言うか…

ヤス そう。いつでも斜に構える。パッとずらすというような態度かなと、僕は思いますね。

西塚 そうですね。今日はちょっとできないかもしれませんが、宇宙人情報がいっぱいありますね、プレアデスでも、シリウスでも何でもいいんですけども、これは僕の完全に個人的な意見ですが、そういう本はある程度僕も読みますが、共通して僕が感じるのは、やっぱり思考する、考えるということなんです。その重要性、大事さを訴えている気がしてしょうがないわけですね。

だから思考停止の気持ちよさって、もちろんあるんだけれども、でも思考し続けて、ものすごくインテンシティをかけていった果てに、次元のジャンプかアップかはわかりませんけども、何かあるんじゃないかなという気がしています。だから、のほほんとして終わりなき日常を生きるんだ、それで僕は私はいいんだと言う人がいてもいいですが、遊ぶという意味で言えば、僕はそうじゃなくてもっと違う遊び方がしたい。

ヤス 思考による遊びは十分成り立つし、もともと遊びは思考を刺激しますよね。言語による遊びって、極めて思考的に高度なものだと思いますしね。

ちょっと話を戻しますと、安保法制で盛り上がったのは、いわゆる民主主義へと向かうひとつの流れなんですね。ほっとくとですね、政治的なスローガンとかね、それに吸収されてしまいますよね。だから『ヒゲの隊長に教えてあげてみた』を作ったような感じの遊び感覚を、これからもずっといかに絶やさないかということです。実はこちら側にきたほうが面白いんだぞと(笑)。

西塚 ヤスさんと協力してガンガンそういう本も出したいですね。形態も本だけじゃなく、いろいろやりたいですね。

ヤス たとえば今、安倍さん自身もそうだし、安倍さんの奥さんもスピリチュアル系って言われてるからね。

西塚 アッキー(笑)。

ヤス 安倍さんのもともとの魂は、たとえばどこの惑星からきたのかとかね(笑)。

西塚 アハハハハ。

ヤス レプティリアンかもしれない(笑)。

西塚 本当ですね。面白いですね。そういう遊び感覚を含めた意味で、ガンガンやっていきたいですね。取り締まられたり邪魔されたら、それはそれで面白い。それをどう遊ぶか。

ヤス そうそう。そういうものですね。

西塚 僕はまだまだ勉強しなくてはいけないし、ヤスさんとお話してて、僕がじゃあシリウスってどうですかとか、こんな本があるけどどう思いますかと質問してもいいんだけども、やはり現実問題としての日本の流れ、時事問題、世界情勢を絡めた形で話していけそうな気がしてるんです。僕もちょっと違う勉強のテーマを与えられたような気がして、本当に面白いです。ありがとうございます。次回、またバカなことを言うかもしれませんが…

ヤス 言ってください、バンバン。全然バカなこと言ってないよ。

西塚 いえいえ。何かひと言ありますか、今回は。

ヤス 遊びの輪をいかに絶やさないか。「1億総活躍社会」と言うんですけど、狙いはいいんですが、何かそれを使ってね、とんでもないビデオとか、面白いものを創れないのか、踊れないのかと、あれで。

西塚 「1億総チャカシ社会」みたいな(笑)。

ヤス そうそう、みたいな感じですね。それがある意味、言語文化、映像文化、ダンスも含めて、いろんなものを創ってくると。多くの人たちを巻き込んで茶化して遊んだほうが絶対面白い。それでお金にもなるとなったら膨大な流れになる。

西塚 そうですよね。経済的にも無視できないし、みんな乗っかってきますよ。ガチガチの自民党も乗っかってきちゃいますよね。乗っかざるを得ないだろうし。

ヤス だからまあヒゲの隊長は、彼は十分キャラクター化されましたけどね、安倍さんももっとキャラクター化されるべきなんですね。面白い感じの人だしね。もっともっとマンガに描かれて、もっともっと茶化される。キャラクター化される(笑)。

西塚 なるほど。換骨奪胎というか、本当に無化される。そのへんもっと突っ込んで、次回以降またお話しください。今日はありがとうございました。

ヤス どうもどうも。面白かったですね。

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