だるまさんこちら向かんせ世の中は月雪花に酒と三味線…とまあ、こういきたいものです。

酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting vol.24 「予言とは何か」

人気ブログ『ヤスの備忘録』でもおなじみ、
社会分析アナリストの高島康司氏をお招きして、

1 世界で今、起きていること
2 人間の新たなる「精神性」「意識」「思考」

について、飲みながら自由闊達に話すシリーズ。
基本的に毎週更新。

〇『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』第24回
「予言とは何か」

ゲスト:高島康司氏
聞き手:西塚裕一(五目舎)
2015年12月6日 東京・中野にて収録

西塚 みなさん、こんにちは。『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』の今日は第24回ですね。よろしくお願いします。カンパーイ!

ヤス どうもどうも。はい、カンパーイ!

西塚 前回はビリー・マイヤーの件で、ヤスさんがどうやってビリー・マイヤーに出逢ったかという話も出たんですが、またそれは後ほどつなげていきたいと思います。最初に時事問題ですね。今週いくつか気になることもありまして。アメリカのテロがありましたよね。13人でしたっけ? 亡くなった。あと相変わらずトルコとロシアの仲が改善しないと言うか、プーチンは強気だし、ずっとトルコは後悔するだろうみたいなことを言って、まあ外相レベルでも何かやってましたが、結局は同じような主張をトルコが繰り返し、何の進展もないという。どうなるのかなあと。あのへんの仲が悪くなるとどうなるのか、あとでヤスさんにも解説していただきたいんですが。

日本国内でも、たとえば流行語大賞なんかがあって、あの中に「アベ政治を許さない」とありましたよね。あれは僕はちっちゃいことですけど気に留まったと言うか、安倍政権に対する否定的な言葉がですね、流行語大賞みたいなものに一応ノミネートされる。まだ健全と言うほどのものでもないですが、少なくとも強権は発動されてないと感じたぐらいですが、ヤスさんはいかがですか、今週は? コメントしておきたいことなどありますか?

第三次世界大戦への別れ道

ヤス やっぱりトルコとロシアとEUの関係ですよね。これはメルマガにも詳しく書いたんですけど、やっぱり今ね、これからどちらの方向に進むのか。簡単に言うと、楽観的な明るい未来があるのか、そうではなくて真っ暗な、それこそ第三次世界大戦みたいなね、大きな戦争を予感させてもおかしくないような悲観的な未来になるのか。その別れ道に立ってるような気がするんですね。

それで西塚さんも知ってるように、われわれというのは予言に興味があるじゃないですか。何で予言に興味があるかと言うと、予言というのは多くの人間が持ってる集合無意識に抑圧されたようなね、ある恐怖のシナリオが現われているものです。あともうひとつ予言に意味があるとしたら、特に宗教的な内容の予言ですね。旧約聖書もそうだし、新約聖書のヨハネの黙示録もそうだし、またコーランの中には三つの予言があるし、それからいわゆるムハンマドの言行録、ハディースと言うんですが、それに内在している予言もあると。

宗教的な予言はだいたい神の降臨の前兆としての予言なので、予言の自己実現を目指すような集団がすごく多いわけですね。そうなってくると、予言のシナリオに合わせた行動をすると言うかな、予言を実現するために行動するという自己実現的な予言にならざるをえない方向性がある。そのふたつの意味から、いわゆる予言というものに興味を持っているということが、われわれのある意味で共通している了解なのかなと思うんです。

それでですね、特に最近の予言を見てると、たとえばエゼキエル書というのがあります。エゼキエル書は旧約聖書の中にある予言なんですが、そこにはハルマゲドン予言があるわけですよ。ロシアと欧米との対立がですね、本当に修復不可能なところまで拡大するという。一方では、ロシアとイラン、それから北アフリカ諸国の一部ですね。この連合軍がイスラエルに攻め込むってことにもなってるんですね。そのイスラエルの背後には何があるかと言うと、トルコおよびEUなんですよ。これが血みどろの戦争になる。

それからですね、ビリー・マイヤーのエノク予言というのがあって、1987年の2月28日に出されたものなんです。この予言の中にはですね、イスラム教の狂信者がヨーロッパ全土を、ある意味で長い間支配するような状態になるとある。テロも激増してヨーロッパを長い間支配する。それからロシア軍によるヨーロッパ侵攻ですね。そのモチーフがはっきり出てる。

つまり第三次世界大戦に向かうような予言が複数あるんですね。アロイス・イルマイルとかね、いろいろあるんですが、だいたい共通しているモチーフというのは、ロシアによるヨーロッパ侵攻ということ。あとロシアによるイスラエルの攻撃が第三次世界大戦を起こすための引き金になるということなんですね。

予言が実現するには、欧米とロシアが修復不可能な対立関係にならなくちゃいけないんですが、今そのような対立関係に入るかどうかのギリギリの転換点にきてるかなという感じがします。

西塚 そのひとつとして、今のロシアとトルコの関係ですよね。現段階でのヤスさんの見立てで言うと方向性としてはどういう感じになりそうですか?

ヤス いやあ、五分五分ですね。アメリカ国内からも軍人を中心に、ロシアと連合を組むのが当たり前だろうと。むしろアサド政権こそがね、イスラム国みたいなイスラム原理主義のテロ組織の歯止めになっているんだと。

西塚 アメリカの軍部の中からもあると。

ヤス 軍部の中からもあります。ロシアと協力するのがまっとうな方向なんだと。たとえば軍部出身の元NATO軍の司令官でね、ウェズリー・クラークという将軍がいるんですよ。この人はアメリカの軍事問題に対するいろんなニュースのコメンテーターとして出てますね。この人の主張と言うのはもうずっと一貫しています。とにかくロシアと共闘するべきなんだと。それでアサド政権を残すべきだと。なぜオバマがアサド政権を倒すことにあれだけ躍起になっているのか、まったく理解ができないと言ってオバマ政権を批判してるんですよね。

これがおそらくですね、かなり多くのアメリカ人の一般的な見方かなって感じがします。でね、実はそれに大きな影響力を与えているのがRussia Today、RTのアメリカでの人気なんですね。ちょっと名前は忘れましたけど、ロシアのメディアのスプートニクに出てたんですが、アメリカの情報戦略の専門家がですね、結果的にロシアはプロパカンダ政策でアメリカを魅了しつつあると。成功してるんだって言ってるんですね(笑)。それは、RTの成功によるところがかなり大きいと僕は思います。

西塚 実際、ニュースとしてもRTはかなり速いみたいですし、それで2位でしたっけ? 全米での視聴率が。

ヤス RTそのものがプロパカンダのメディアであることは間違いないんです。相当内容がロシアよりだし、ロシアの主張を代弁しているようなメディアであることは間違いない。だからたとえばウクライナ紛争の場合、東部ウクライナの親ロシア派の人たちの主張をRTは主に代弁しているわけで、ウクライナのキエフ政権そのものを敵対視するわけですね。それはまあ一貫してる。

ただアメリカ人の見方というのは面白くて、一般の主要メディアでだいたい西側よりの意見を確認したあとにRTを見るんですね。それでバランスをとってどっちが本物かなって見るわけです。ただ、ことシリア問題に関してはRTを見る前からね、やっぱりアメリカ全土でひとつの疑念があるわけですよ。何かと言うと、なぜアサド政権を倒すことにそんなに固執するのかと。むしろイスラム国みたいな凶暴な組織のイスラム原理主義運動の唯一の歯止めになっていたのがアサド政権ではないか。アサド政権をぶっ倒すということにどういう意味があるのかと。

普通に見ててもそうした疑念があるわけですよ。その疑念にですね、きちんと状況証拠を集めて答えてくれたのがRTではないかなと、僕は思いますけどね。

オバマの最後の抵抗?

西塚 前もそういうお話が出ましたけど、オバマ自体は個人的にはプーチンの言ってることもわかるし、そっちに理があると。でも、ああいう政策をとらざるを得ないのは、僕も何なんだろうと。圧力なのか、脅かされてるのか、そのへんは何なんですかね。

ヤス やっぱりパワーゲームで負けたんだと思いますよ。軍産複合体、ネオコン系、それからウォールストリート系が、もう圧倒的にオバマ政権の中で強いわけですよね。オバマさん自身というのはもともと市民運動の出身だったんですね。NPOとかNGOとか、むしろ公平な社会を目指している市民運動の出身者です。

オバマ政権のブレーンになってるようなシンクタンクがいくつかありましてね。そういうシンクタンクはみんなどちらかと言うと民主党の左派系のシンクタンクです。大きな政府によって所得の再配分をして、矛盾のない、不公平性のより少ない社会を実現していこうという。そういうリベラルなシンクタンクが圧倒的に多いわけです。

環境問題でもだいたい同じようなメンタリティーだと思いますけどね。本来それが、オバマさんの背後にあった思想だったと思うんだけども、それがね、パワーゲームに勝てなかったんですよ。

西塚 もうじゃあ、苦渋の判断ですよね。本人はやりたくないんだけども、こういう発言をしなきゃいけないし、こういう政策をとらなければいけないという。特に中東に関してですけど。どういうふうな力学なのか、僕にはちょっと具体的にはわからないんですけども。

ヤス 少なくとも、イケイケドンドンではなかったわけですね。シリアのアサド政権が悪いから、ほらやれーッ!と言ったような感じでは全然なかった。それは2013年の夏にですね、アサド政権が毒ガスを使ったと疑念を持たれたことがあって。アメリカは事前に、毒ガス兵器を使って一線を超えたならば介入するぞと言ってたではないかと。シリアを空爆してアサド政権を潰すという姿勢を鮮明にするわけですよね。でも、だからと言ってすぐにやらなかったわけです。そうではなくて、ちょっと猶予を与えるわけですね。アサド政権に自らの態度を変更すると弁明する猶予を与えた。

猶予を与えているうちに、イギリスのほうからはわれわれは参加しないと。アメリカ軍のほうからもいろいろと、私は空爆には参加したくないというような反対意見が出てきた。結果的に反対意見に押し切られる形で、オバマ政権は2013年の夏に空爆を断念するわけですね。

ここがポイントなんですけど、なぜあえて猶予を与えたのかなんですよ。普通、猶予なんか与えないです。議会にも相談しない。いきなり最高司令官である大統領が米軍に動員体制をとってですね、シリア空爆をもう翌日とか翌々日にいきなり始めるんですよ、普通ね。

西塚 それはやはり情報として、アサド政権というよりは反対勢力が化学兵器を使ったというような証拠なり、かなりの確度の高い情報としてあったんじゃないんですかね。

ヤス 当時はね。国連の報告からも上がってきた。毒ガスを使ったのは実はイスラム国側であるないだろうかと。ただ確証はなかった。当時、オバマ政権がですね、アサドに対して猶予を与えた時期は、本当にどちらが使ってるかわかんないっていう状態だった。

西塚 じゃあ、何でですかね。

ヤス そのような形で、最後にちょっとオバマが…

西塚 抵抗した?

ヤス オバマの抵抗だと思いますよ。

西塚 卑近な言葉で言うと、駄々をこねたと。

ヤス 駄々をこねた。と同時にちょっとね、アサドに余裕を与えると。どう弁明するのか。化学兵器をこれからどうするのか。数日間ですけど若干の余裕を与える。その余裕というのが、すべての情勢を異なった方向に動かしていくんですね。その余裕の中で何をやったかと言うと、まずプーチン大統領が、アサド政権こそがイスラム原理主義運動の歯止めになってるとして、空爆してはならないという長いエッセイをニューヨークタイムズに載せるわけですよ。

これはすごくアメリカでインパクトを持った。オバマは何をやってるんだみたいなね。それに対してまたイギリスの議会では、シリア空爆にイギリスは参加しないということをはっきり明言する。それとほぼ同じタイミングで、今言ったように米軍の内部からですね、私はシリア空爆には参加しないんだといったような、言ってみれば命令拒否者みたいなのがたくさん出てきた。それで決定的に流れが変わるわけです。ただ僕はこれ、オバマが意図してやったと思うんですね。

西塚 なるほど、最後の抵抗だったんですね。最後の抵抗であり、ひょっとしたら最大のよきことをしたかもしれない。

ヤス そうだと思いますね。もしね、あそこで空爆してたら2013年の時点で、おそらくロシアとアメリカおよびNATOとの敵対関係というのは、修復できないくらいの決定的なものになっていた可能性がありますね。

西塚 そう思うと何と言うか、寸止めと言うか、危なかったと言えますね。今から振り返れば。じゃあかなり重要なポイントですね、世界史の中でも。

ヤス そうですね。今回もトルコによるロシアのスホーイ24の撃墜は歴史的な転換点だと思いますよ。もし、ロシアを主軸にしてイスラム国を叩くという国際的な包囲網ができた場合は、おそらく第三次世界大戦を避けるという方向に一気にいくと思いますね。

西塚 アメリカがそれをよしとするかということですね

ヤス 対イスラム国の国際的な包囲網の中には、当然アサド政権が入ると。だから国際的な包囲網ができたという段階で、アサド政権は潰す対象ではなくなるわけですよね。むしろ支援する対象になる。この国際的な協調路線ができたならば、おそらくですね、いわゆる第三次世界大戦みたいのは避けられると思います。

西塚 そのとおりですね。論理的に言っても、それは本来は当たり前の帰結ですよね。ISがテロを起こす敵であって、それを封じ込めるという。本当は戦争とか暴力で解決しちゃいけないんだけども、封じ込めていくということで言えばもうロシアもアメリカもシリアもないわけで、有志でもないわけで、世界的なコンセンサスとして協調していくのは本来当たり前のことですね。

ヤス 当たり前のことです。だから本来当たり前のことが当たり前のように行なわれればいいんですが、別に第三次世界大戦とか、欧米とロシアの敵対関係といったものは、ある意味で合理性がないわけですよ。どちらにとっても大損なわけですからね。その合理性のないような敵対関係そのものを解消するきっかけにはなりますね。

トルコの思惑とは

西塚
 僕はヤスさんのメルマガで知って、その後プーチンが演説したからわかってきましたけど、例のロシア機の撃墜ですね。それはISを利するような、しかもエルドアン大統領の親族も絡んでいるような、要するに利権じゃないですか、簡単に言えば。そこを空爆したので、それは止めてくれって撃墜したって話が出てましたけど、それはプーチンも言い出してるんでたぶん事実でしょう。

本人のエルドアンは、そんなことがあったら辞任するとか言ったみたいですけども、要するに私利私欲が邪魔をしてそういうコンセンサンスにいたらないという。それはきっと日本の辺野古でもどこでもあるような構図で、いかにくだらないか。でも、それが人間の持つ性なのかわかりませんけども、当たり前のこと、こうすればよくなるってわかっていながら、個人なり特定の国なりその規模はともかく、その私利私欲が枷になってうまく進まないという。

まあ、ままならないというのは同じなんだなという、ちょっと虚しさも感じますけどね。じゃあ強権発動してリーダシップをとっていく場合は、どうしても摩擦を起こさざるを得ないだろうから、それはそれでそれが発端になって戦争になっても困るので、そのへんは各国も難しいんでしょうね。いろんな要素がありすぎて。

ヤス 今ね、プーチンも言っているように、トルコがイスラム国の石油を買ってて、それを現金化して日本に輸出していると。日本のどの石油会社が買ってるかと言うと、三井石油が買ってるんですね。日本まで原油を運ぶタンカーもですね、それからイスラム国が占拠している油田ですね、イラクとシリアの内部の油田を占拠して、そこから出てくる原油を全部盗んでるわけですけど。その原油をトルコまで運ぶタンクローリーの隊列ですよね。それを経営しているのはエルドアン大統領の長男の会社であると。BMGというね。それはよく知られていることで。

まあこれから、どんどんそういうの出てくるでしょう。イスラム国にエルドアンファミリーが深く絡んでいるということはですね、これはおそらく疑いがない事実だと思うんです。しかしながら、トルコがイスラム国をなぜ支援しているのか。エルドアンファミリーの私利私欲だけなのかと言うと、おそらくそうではない。私利私欲もありますよ、ただそれはどちらかと言うとマイナーと言うか、あまり重要じゃないほうの理由なんではないかなと思いますね。

西塚 トルコが支援してるというのは、じゃあどういうことなんですかね。アメリカが絡んでるんですか?

ヤス アメリカとNATOが絡んでるんですね。EUのほうが絡んでるかな。これはメルマガに書いたんですけど、トルコには悲願があるんですね。それはEUの加盟なんです。トルコは1987年からEUの加盟申請をずっとやり続けていた。ただ全部拒否されてるんですね。

なぜ拒否されてるかと言うと、たとえばクルド人の人権問題があるではないかと。さらに100年前のね、アルメニア人の虐殺をやったのはオスマントルコだけども、オスマントルが行なったアルメニア人の100万人以上の虐殺、これを今のトルコは認めてないよねと。その歴史的な責任をどうするんだってこともあるし、それから最終的にですね、トルコのようなイスラム国が果たしてヨーロッパなのかどうかという疑念があるわけですね。

そのようなことがネックとなってですね、87年からずっと加盟申請してるんだけど拒否され続けてるんですよ。

西塚 トルコがEUに入りたいというのは、やっぱりロシアの脅威ですか? それとも欧米側にいきたいってことですかね。

ヤス アイデンティティーとしては自分たちを欧米だと思ってるわけね(笑)。

西塚 思ってるんだ。トルコがですか?

ヤス トルコが。たとえば日本だってそうじゃないですか。自分たちをアジアだと思ってんのかと、日本で。むしろアメリカとかヨーロッパに対して極端な親近感を勝手に感じてる。一方的な片思いですけどね。

西塚 ロシアがオスマントルコを滅ぼしたというその恨みとか恐怖で、ちょっと欧米側にっていう…

ヤス それもひとつあると思う。ロシアの南下政策で、ロマノフ朝のときからずっとオスマントルコとロシアって仲悪いですから、いろんなところで局地紛争起こしてますから。それはひとつ背景にはあると思いますね。ただ、自立した近代国家として、やっぱり欧米に認めてもらうというのがEU加盟の非常に大きな背景なんではないかなと思いますね。

西塚 そうなると今回のトルコとロシアの対立は、あれは認めない可能性が高いですね。本当はトルコが折れれば解決するんだけど、謝罪ひとつで済むじゃないですか。まあ済むかどうかはともかく、進むじゃないですか、一歩。

ヤス だから今回の事件は、あれはやっぱり仕掛けられてたと思いますよね。初めからね。だってスホーイ24も国境線上スレスレに飛んでるわけで、これが国境侵犯があったとしてもですよ、17秒だって言うんですよ。トルコとギリシャって仲悪いんですね。だからお互いに国境線上スレスレにですね、お互いの軍用機がしょっちゅう飛んでる。トルコのギリシャに対する国境侵犯って、8600回とかそんなもんですよね。

西塚 じゃまあ、よくある話だと。

ヤス よくある話なんですね。そうすると、トルコには今言った悲願があるんだけれどもと。EUのほうでは、トルコがヨーロッパであるとは考えられないというような潜在的な意識が強くて、1987年からずっと排除されてきた。何度交渉してもダメであって。現在も交渉は頓挫したような形になってるんですよ。

なぜ予言を実現しようとするのか?

西塚 そうですか。ちょっと話を戻すようですけども、じゃあそのいわゆるエゼキエル書とか、エノク予言の、エノクは中東のことは書いてないかもしれませんが、その第三次世界大戦にいくシナリオとして重要な別れ道と言うか、ロシアとトルコの関係が今後どうなるか。急転直下で何かよくなるようにはちょっと思えませんね。このままズルズルいくのか、何かそれともアクションが、おそらくロシア側から何かあるのかっていうことですよね。

けっこうこれは怖いと言うか、あまり楽観できない。むしろネガティブな将来しか見えてこない。なぜこの話をしているかと言うと、やっぱりエゼキエル書とかのいわゆる予言ですね。それで僕はヤスさんのご指摘が重要だと思うんですが、予言があるとして、それを自己実現するかのようなことをしてしまうことが人間にはあるじゃないですか。予言書というのは世の中にいっぱいあるでしょうけども、ヨハネでもいいですよね、聖書関係のハルマゲドンでもいいんだけども、そこでいわゆる原理主義的な人たちは聖書の予言を実現していこうというメンタリティーを持つ傾向がある。

僕が単純に思うのは、いくつも予言があっていいんですよ。でも、その予言をもし支配層なり、世の中をある方向に持っていきたい権力者がいるとすれば、予言を出してですね、それを民衆に実現させちゃえば一番楽じゃないですか。というような怖さが予言にはあるなという気がするんですね。予言に対する僕のイメージとしては、未来を先取りしてるという部分と、ある種意図的にですね、民衆なり世界を誘導していくという側面が両方あるという印象をずっと持ってたんです。ヤスさんは予言書とか、そういうものに対してどのようにお考えになりますか?

ヤス いろんな予言があると思うんですけど、今言ったように整理するとふた通りだと思うんですね。ひとつは、いわゆる伝統的な宗教に内在してる予言ですよ。千年王国思想をキリスト教もユダヤ教もイスラム教も持ってますので、そのような神の降臨によって千年王国が創られる。その前に必ずハルマゲドン的な破滅的な現象がある。したがってですね、そういう破滅的な現象というのは、神が降臨して千年王国ができ上がるという最大の予兆なのであると。だとしたならば、その予兆を早期に起こすことによって、神の降臨と千年王国の実現を早めようといったタイプのメンタリティーがあるだろうし、そのような運動にもなってくるだろうと。

もうひとつ、宗教性とほとんど関係ない予言があります。これは、ときおりいろんなところに出現するサイキックの述べた予言とかが、だいたい中心的なものなんですけども。これが当たるかどうかは別にして、それはやはりその当時の人間に広く共有されている集合無意識、その集合無意識は基本的に何かと言うと、恐怖の対象ですよ。ずっと無意識の中に抑圧されてるような恐怖の対象。それを具体的に象徴的に語ったというのが、第二の予言のカテゴリーなんではないかなと思いますね。

西塚 そうなると、あるネガティブな怖い予言を読んだときに、あるいは聞いたときに心に残りますよね。嫌だから回避したいし忘れたいんだけども、一回聞いちゃうと、要するに取り込んじゃうと、そのネガティブなシナリオが存在し続けるわけです。そして、どういうメカニズムが働くかはちょっとおいといて、それが現実化していく。あるいは現実化させていくような方向に人は動くときがある。何と言うか、ものすごく矛盾してることなんですけども、避けたいものが、避ければ避けるほど強固に印象に残り、沈殿し、要するに消えないわけですね。避けたいものを自分で引き寄せるか、あるいは自分で作り出していってしまうという。

個人ならともかくそれが集団になった場合、これはシャレにならなくなってくる。そういう意味では、予言はタチが悪いと言えばタチが悪いですね。特にネガティブな予言は。だから予言は嫌いだし、予言書を紹介したりしても、そんなネガティブなものを拡散するなという意見も確かに一部ではあります。

でも、そんなことを言ったら、たとえばヨハネの黙示録などはキリスト教の中でも最大のネガティブな予言なわけであって(笑)。となるともう、全人類のほとんどが、かなりネガティブなシナリオのもとに日々生活しているってことになってしまう。

ヤス そうですね。基本的にそうだと思いますよ。

西塚 じゃあ、対抗していくのかどうなのかとなった場合に、予言とはそもそも何なのかと。そこからまず始めて整理していかないと、いたずらに怖がったり、真逆のことを言えばもうみんなハッピーになるんだと、日本は何も問題ないよとか、人間はアセンションするんだとかいったような、それも予言なので、そこでファンタジーの世界にどっぷりいくのか、どっちかしかなくなっちゃうじゃないですか。

そうじゃなくて、その両方をちゃんと検証すると言うか、そういう立場って必要ですよね。それをヤスさんにもお聞きしたいし、今後も話していきたいことなんですね。

ヤス 僕はユングが好きでよく読むんですけどね、第二次世界大戦に入るちょっとくらい前、1930年代の初めだと思うんですけども、人間自身が実は一番人間のことを理解していないと言うんですね。彼が理解してないと言った人間の側面は何かと言うと、それは集合無意識だと思うんです。

われわれ自身ね、現実のかなりの部分をわれわれが構成している。作り上げている。ただそれは、引き寄せの法則で作り上げてる…まあそれもあるかもしれないけどね、そういうわけではなくてですね、やっぱり自らある特定のものに基づいて自分が未来をビジョンし、そのような未来の現実化に向かって決定的な形で動いてしまってると。そういった側面はやっぱり否定できないと思うんですね。本人が意識しているかどうかに関わらず。そうした未来のビジョンの源泉を探っていくと、意外にやっぱり宗教的な予言にいき着いたりするってことなんですよ。

西塚 それは、意識的か無意識的かに関わらず、宗教的な予言みたいなものをどこかで聞きかじったりするってことですか?

ヤス 文化の中にやっぱりありますから。たとえば学校で習う。学校で習わなくても誰かが言ってる。僕が子どものころ、小学校3年から中1くらいまでアメリカにいたんですけど、やはりですね、ある意味で教会といったものがコミュニティーの生活としてはなくてはならないものなんですね。信者であるかどうかは別にして。信者はだいたい毎週日曜日には礼拝にいくしね、日曜学校みたいのがあって聖書を教えてもらって帰ってくるわけだし。

信者じゃなくても、たとえばコミュニティーの何かのPTAの会合があると言ったって、それは教会で行なわれたり。また教会のチャリティーのパーティーみたいなものもしょっちゅうあって、そこにいくと別に祈るわけでも何でもないんだけども、牧師や何かがきてて、親しく交流しながらバーベキュー食べたりするわけですよね。

あらゆる意味で、コミュニティー運動の中心として教会というものが存在している。そのような中でキリスト教の倫理観や思想を信じるかどうかは別にして、そういったものに深く影響を受けるというのは当たり前になってくると思うんですね。たとえばヨハネの黙示録的なものをね、自分が本当に信じるかどうかというのは別問題なんですよ、本来ね。

しかしながら、自分の文化に内在してて、日常生活の中で当たり前と思ってるようなそうした宗教的な予言のモチーフが、本当に現実性のあるものとして頭をもたげてくる瞬間あるんですね。どういう瞬間かと言うと、要するに予言のモチーフに合致した出来事が起こり続けるとそうなるんですよ。

たとえばヨハネの黙示録の中に、ハルマゲドンまでにいたる7つのトランペットというのがあってね、そのうちのひとつとして、いわゆるユダヤの第三神殿が建築されるんだと。神殿の丘にね。現在その神殿の丘にはアルアクサ・モスクというイスラム教の寺院が建ってるんですけど、これが崩壊させられて、その跡地にですね、いわゆるユダヤ教の第三神殿が建つと。それは何番目のトランペットかは忘れましたけど、そのうちのひとつとしてあるわけですね。そのような自分の知識があって、それで今アルアクサ・モスクで何が起こってるのかを見たらね、場合によってはこれは予言の実現ではないかと思えてくるわけですよ。

アルアクサ・モスクで今何が行なわれてるかと言うと、イスラエル国防軍とアルアクサ・モスクの中に立て籠ったパレスチナの若者たちとの、本当に血みどろの戦闘みたいのが起こってるわけでしょ? それが起こっているすぐ外ではシオニストの集団たちがですね、アルアクサ・モスクのところに第三神殿を建てようぜみたいなスローガンで運動をやってるわけですよ。そうした、アルアクサ・モスクがいかに混乱した状態なのかということを何度も見せられると、待てよと。これは場合によっては、第6番目か5番目かは忘れましたけど、これはトランペットではないのかと漠然と思ってくるわけですよね。

それで本当に、たとえばアルアクサ・モスクを崩壊させるような運動がシオニストの中で起こってね、いわゆるユダヤ教の第三神殿を建てるんだっていうような運動が本格化した場合、これはもう間違いない、われわれはこの予言のモチーフの中にいるんだというような、ある意味で信じ込むような人間が増えてくるわけですよね。

だから予言のモチーフといったものがもともと前提にあって、それとちょっとでも一致するような現象が多発した場合というのは、本来は別にそのような宗教心がないような人たちでもね、文化的にそのような予言のモチーフが共有されている場合、そのような予言のモチーフに対して極めて強い現実性を感じてしまうということだと思うんです。

西塚 そうですね。それはあると思います。それはたぶん予言じゃなくてもですね、まあアニメとか普通の小説でも、思い込みの強い読者にとってはけっこうあることだと思いますね。そもそも、じゃあ予言とは何ぞやっていうことですね。そのヨハネならヨハネ様が書いたんでしょう、あるいは言ったということになるわけです。エゼキエルならエゼキエルさん、エノクならエノクさんということになるのかもしれませんけども、それはいったい何なのか。

要するに、未来を見たっていうことなんでしょう、おそらく。一応、前提としてはそういうことでしょう。私は未来を見てきた。あるいは、未来を見てきたという人から教えてもらった。これはそういうふうに考えればいいでしょうか?

ヤス うーん、難しいところですけどね。いろんな要素はあると思う。ただはっきりしてるのは、ある特定の文化圏というのは、特定の宗教による影響が大きいわけですよ。だからその特定の宗教が作り出す独特の心理構造というのがありますね。たとえば、ローマカトリックの一般的な文化圏であるならば、キリストを裏切ったユダヤの末裔として、ユダヤ人に憎しみを感じるのは当たり前の感性になってくるんですね。

それから自分がたとえば他の男性、ないしは他の女性に対してね、よこしまな性欲を抱くと。やっぱりこれはキリスト教的な倫理からしてみれば、絶対に許しておくことができないとなる。そうなると、人間が本来、自然として持つような性欲であるとか、欲望といったものがどんどん排除されてですね、無意識の中に抑圧されるわけですね。暗い力としてね。そうなってくると、やはりキリスト教ならキリスト教独自の人間の独特の心理構造って存在すると思うんですよ。

西塚 それでちょっと思い出しましたけどね、イスラムの場合は、あれはムハンマドか、ムハンマドが性欲を感じたらしいんですよ。そのときどうしたかって言うと、まあイスラム教自体はもともと何人も奥さんを持てるんだろうけども、外に出て、ムハンマドがムラッときたんでしょうね、それでどうしたかと言うと、家にかけ戻って奥さんと会ったって言うんですね(笑)。だから、そういうことはよくないことだという、何かそういったものがあったんでしょうね。だから人間くさいと言うか、印象に残ってるんですけどね。そのくせ一夫多妻制なので、またそれはキリスト教とは全然違うメンタリティーを醸成していくんでしょうけどもね。その性の問題はひとつありますよね。

それと予言。予言というものはどう考えればいいのか。しかもそれが宇宙人だったり、要するに地球外知性的生命体か、未来からきた人なのか、過去の古文書にあるものなのか、いろんなパターンがありますよね。でもやっぱり、まことしやかに言われて残ってきてるものは限られてるわけであって、たぶん箸にも棒にもかからないものはゴマンとある気がします。それで、ビリー・マイヤーはまた先の話になりますけども、これまでもいろいろ淘汰されて淘汰されて、いくつかが残ってきてるという感じがするんですね。そのビリー・マイヤーにしろ、キリスト教の聖書でもいいんですけど、出逢う人は出逢って、そこで何かしらインスパイアされて自分自身に取り込んでいくわけですね。

そのへんをあまり言うと哲学的文学的な話になって曖昧になっちゃいますけど、僕はそこは不思議な気がするんです。でも歴史を見れば、今の特に中東とか、ISのテロとかを見てると、無視できない事柄じゃないですか、予言なり何なりは。というところにまた結びついていくことで、やっぱり予言、プロフェシーというものはかなり重要なファクターであり、ないがしろにはできなくて、ちょっと真剣に考えたほうがいいんじゃないかなという。そんな感じが個人的にはしています。

予言は集合無意識にある恐怖のシナリオ

ヤス 今おっしゃったように、予言で残るものと残らないものがあると。確かにそうなんですよ。残るものというのは、その予言の読者にあたるような人々ですね、ある特定の文化圏に生きてるような人々の抑圧した恐怖値と言うか、集合無意識というのがね、それと一致したということ(笑)。だから残るんだと思います。リアリティーを感じてね。まったく一致しないものって残らないですよ、全然ね。

西塚 となると、これは卵が先かニワトリかみたいになっちゃって、ひょっとしたら、どうなんですかね、われわれが作り出してるとも言えるんですか、予言自体を。

ヤス おそらくそうでしょうね。その超越的なね、宇宙人か神かわからないけれども、まあ与えたというようなこともあるんだろうと思うけども、ただそれ以上にすごく重要なのは、残ってきた予言というのは、われわれが集合無意識に抑圧した多くの人たちが共通して感じる恐怖のシナリオですね。それを最も象徴的に表現しているから、それが生き残ったということだと思うんですね。それが予言のモチーフになっている。

そのように予言を捉えると、別に宗教的なものだけではない。たとえばアメリカの予言ってありますでしょ? 『Web Bot』なんてそうだし、それはコンピューターによる感情値の分析ですよね。『Web Bot』の手法は、どちらかと言うとはるかに科学的な方法で、別に何かサイキックであるとか、神のお告げとかそんなことは全然関係ない。感情値と言って、言葉に込められた感情の量ですね。それを解析する特殊なソフトウェアを開発して、それでどのようなキーワードが感情値を持つのか。

西塚 特にディスカッション的なサイトにスパイウェアを張りめぐらせて引っ張ってくると。

ヤス 引っ張ってくる。どのような言葉がどのような文脈で最大の感情値を持つのかを検出するんですね。その感情値の中身なんですけど、楽しい、ハッピーな感情値もありますが、ほとんどが恐怖値です。感情値の値が最大になりやすいのは恐怖値なんですよ。そうするとですね、『Web Bot』が表現しているのは、ほとんどの多くのアメリカ人が恐怖のシナリオとして共有しているものということになります。

西塚 それはですね、僕がバカみたいにいつも言うゼランドに言わせると、恐怖は当たり前なんだと。要するに、恐怖があったからこそ人類は生き延びてきてるわけで、いろんな環境によって死んじゃえば子孫を残せないわけですよね。だから、とりあえず身の危険を感じたときに逃げるとかですね、たとえば自然現象とか、自分より強い相手、自分を殺そうとする相手とかですね、崖っぷちで落ちそうになるとか、まあいろんなシチュエーションがあるだろうけど、そのときに芽生える感情が恐怖であって、恐怖があるからこそ生物は生きてきている。だから恐怖が強いのは当たり前で、とにかく決定的に一番強いんですよ。だから僕は、恐怖値というのはある程度差っ引いて考えなきゃいけないって気がするわけです。

どういう意味か言うと、普通に日常的な事柄、たとえば明日学校で苦手な徒競走があるとかですね、明日会議でプレゼンがあるとか何とかって言うようなときに、人間には遺伝子的に組み込まれた恐怖心があるから、やっぱりよくないことに反応するようになってるわけですね。自分でネガティブな想定をしてしまう。それはいらない恐怖心だったりするときもあると思うんです。僕が見る限り、ヤスさんはほとんどないんじゃないかと思うんだけど(笑)、自分の恐怖心で押しつぶされちゃう人もいるわけですよ。あるいは自分の力を発揮できない。

それはもう組み込まれてるからであって、逆にそういうものだと意識すれば、それを取っ払うこともできるんでね。だから、おっしゃるように予言は、そういう恐怖という一番強い感情が凝縮されたようなものだと。だからこそまた力を持つんだろうけども、そこはもうちょっと客観視できるような術があってもいいのかなと思います。

ヤス そうなんです。実はね、客観的に見るための術が予言だってことだと思いますよ。たとえば『Web Bot』というのは、アメリカ人がどのようなことに一番恐怖を感じているかってことですよね。ドルの暴落によってハイパーインフレが起こって誰も食えなくなると。それでアメリカ自体も第三世界化してくるといったようなね、ある意味で貧困の恐怖ですね。その結果、その過程の中から大きな革命が起こって、第二のアメリカ国家が生まれてくるといったような、これはまあある意味で希望のシナリオなんですけども。

いずれにしろですね、『Web Bot』が表わしているものは、アメリカ人が一番避けたいと思ってるシナリオですよ。それは『Web Bot』のみならず、実はアメリカは将来的にはこういうことになるんだと言ったような、サイキックが行なってる予言とほぼ同じ内容なんですね。アメリカにもたくさんサイキックがいますからね。サイキックではなくてね、将来のアメリカはこうこうこういうふうになるんだ!といった、極めて恐怖値の高い未来のビジョンを喧伝しているような、言ってみれば予言者みたいな人はたくさんいるんですよね。ほとんど同じシナリオですよ。

そのようなシナリオを見ると、まさにアメリカ人が集合無意識に一番恐怖の対象として抑圧してるようなシナリオなんだなと思いますよ。したがって、それを表わしたのが予言だろうなという感じがしますけどね。

西塚 ちょっと話がはずれちゃうかもしれませんけど、ヤスさんに整理してもらおうかと。予言と予知は違うんですよね?

ヤス 違うと思います。

西塚 予想の予の予言と、預ける預言もまた違うでしょうし。

ヤス 預ける予言は違う。明らかに。

西塚 あらかじめの言葉の予言と、予告とか予知も違うんですよね? そのへんちょっと整理して…

ヤス
 あんまり僕も整理されてないんですけど。ただちょっとね、この延長で話しますね。

だからね、やっぱりサイキックの人たちはいると思う。ただそのサイキックの人が何を見てるかと言うと、やはりですね、多くの人たちの集合無意識の中身を考えてるんじゃないかと思いますね。そこに見えてるものというのは、恐怖のひとつのシナリオなので、それをひとつの予言という形で発表するってことだと思いますよ。またその予言という形で未来を予知するわけですね。

西塚 それはヤスさんがメルマガとかブログで言ってらっしゃるようにね、ネガティブな予言が起きないというのは、予言を顕現させると言うか表に出すことによって、自分の恐怖の対象を見られると。意識できるというところで回避作用も働くということで、予言の功罪じゃないですが、別に怖がらせるという意味だけじゃなくて、むしろそういう負のシナリオを回避するような方向に持っていくという意味でも、予言がひとつ役割を果たしているんじゃないかという話がありますね。

ヤス そうですね。だから言ってみれば、何か超越的な存在みたいのがね、未来はこうこうこうなってくるんだという形で提示してるんではなくて、それはまさにわれわれの内面を見てるんだということですね。

それで、ちょっと予言が怖いのは、本来それはわれわれの内面で共有されているような共通の恐怖のシナリオであるにも関わらず、それを示唆するような現象が実際にいくつか起こってきた場合にね、今われわれは、逃れられない破滅に向かってるんだってことを信じる人間も多くなってくるわけですよ。そうすると、破滅するということを前提にして人間は活動するようになってくる。それは場合によっては、その活動自体がね、自己実現的な予言になってくるということだと思います。

西塚 そういうことですよね。だからまた戻るようだけども、これまでのヤスさんの論旨の中には、予言はそういうものを回避するためにもあるんだという話があるじゃないですか。だから、そうなると僕もちょっとわからなくなってくるのは、予言の意味合いですよね。ひょっとしたらですよ、高次元か、あるいは自分たちで引っ張り出したものかはともかくですね、人類って言ってもいいでしょう、個人でもいいんだけども、ネガティブな方向にいかないようにさせるためのある種の可視化された負のシナリオであって、そっち言っちゃいかんぞというものを、あらかじめ見せてくれてるって言い方もできますよね。

ヤス そうですね。

西塚 それに、たとえば神とかインチキ宗教とか、何かのバイアスがかかってくると、これからはこうならなきゃいけない、しかもそのあげくの果てには千年王国がきたりとか、あるいはカルマが解消できたり、そういったハルマゲドンのようなガラガラポン!のあとにわれわれは、あるいは自分は救われるんだから、それはしょうがないんだというものを植えつけられちゃうと、自己実現的にその負を通り抜けようとしますよね。

ヤス そう。だからむしろ早いうちにその否定的な恐怖のシナリオを実現することによって、つまりガラガラポンを早期に実現することによって千年王国にいくというようなね。

西塚 ISのテロなんてのはそのショートバージョンと言うか、今そういう感じなんじゃないんですかね。

ヤス だと思いますよ。イスラム国の戦闘要員がテロを起こすってそうだと思いますよ。

西塚 ですよね。そのイスラムのそういったメンタリティーと言うか、ある種の希望をかけてるのかもしれないけど、でもガラガラポンを早めることによって社会的恐怖がまき散らされて、その社会的な恐怖をキリスト教の信者たちが見て、また自分たちのシナリオに合わせてガラガラポンをやり始めるというふうになってくると、みんなが負の予言を飲み込んでいってもう破滅しかなくなってくる(笑)。

ヤス そうです。だから自ら破滅を招くんですね。なぜ自ら破滅を招くかと言うと、破滅すると思い込んで行動するからですよ。

西塚 そこでね、そうじゃないだろうってことですよね。

ヤス そうです。それは自分の内面から出てきてるってことをやっぱり見なくちゃならない。だから自分の内面のダークサイドを見るための鏡なんだと。予言というのは。

超越的な力は個に内在している!

西塚 たとえばエノク預言なんていうものは、前回もずっとお話してますけども、ビリー・マイヤーからもたされた。しかも1987年ですからね。そこに負のシナリオがあるんだけども、それはむしろ回避させるためのシナリオとして可視化されてるとも言える。だから、そもそも予言とはどういうものなのかということを考える意味でもね、やっぱりビリー・マイヤーに戻らざるを得ないと言うか、まずは軸に立てると。そこから検証していってもいいんじゃないかなということです。

ヤス だから、これは何度も同じことをわれわれは喋ってるんだけども、要するに予言の実践や自己実現してしまうような心情っていうのは、極めて危険な意識ですよ。危険ですよね、これ本当にね。

西塚 危険ですね。僕が今思うのは、まあシナリオがあるとしますよ。どんな予言にせよシナリオがあるんだけど、もうそのシナリオだけに則っていく人って、そういう純粋な人もいるだろうけど、あんまりいなくてですね、自分の今までのルサンチマンとかトラウマとか、ものすごくネガティブなものを全部そこに押しつけて一緒に晴らしていくと言うか、解消していくというようなマインドの人たちなんじゃないかなと。

しかもひとりじゃないわけで、各自ひとつの予言に従っているように見えながら、実はそれぞれがオリジナルに抱えてるいろんなものを全部引っ張り出して、まとめて発散していく可能性もあるわけで、そうなったらもう止められないという。

ヤス 止められない。だから予言のシナリオに則って自分が活動している場合、その予言のシナリオと言うのは世の中の破滅ですが、世の中の破滅を早期に実現すると神が降臨して千年王国に入る。それは自分自身が救われるということですよ。自分自身の救いを早めるがためにね、ハルマゲドンを早期に実現したいというメンタリティーになってくるわけですよね。

だから自分のダークサイドを見てるわけです。全部ね。自分のダークサイドの自己実現をしようとするという努力は、ダークサイドの集合無意識の中に埋め込まれたシナリオを本当に現実化してしまうという結果にならざるを得ない。そのようなサイクルに一回入ってくると、ほとんどコントロールつかなくなってくるわけですね。おそらくね。

そのようなわれわれの最もネガティブな意識状態から、われわれはどうやってそれを超克して脱することができるのかということね。

西塚 やっぱりそれしかないし、その話しかしてこなかったと思います。先ほどおっしゃったように、予言に沿った行動を起こすことが、結局は自分が救われたい、自分の自己実現をしたいということだとすればですよ、その予言に従う方法というのは最悪な方法であって、他に違うやり方があるはずだし、あるんだぞと。

そのひとつが、今のところはカッコつきですけどもビリー・マイヤーの書籍に著わされているような、ある種の思想、哲学、考え方というものの中に、少なくとも負の予言に従ったり宗教的なものに従っていくようなものではない、むしろ真逆の方法があるということをまず言いたいですね。それを打ち出していきたいと言うか、予言とか宗教だけじゃないよってことです。

ヤス そうそう。だから、今言ったことを逆にパラフレーズすると、いかに人間が自分自身の内部のネガティビティーを乗り越えられるかってことですよ。だからそれを特に予言なんていう形で、その内部のネガティビティーを放出するとね、逆にむしろ内部のネガティビティーをどんどん放出して、それを拡大再生産するようなことになってしまうってことですよね。

西塚 いろいろ巻き込みますしね。

ヤス 巻き込みます。人間がどうやってその内部のネガティビティーを乗り越えていけるのか。また乗り越えていけるような意識状態とは何なのか、ということですよね。そうすると、われわれが準拠すべきだと思っているビリー・マイヤーが何を言ってるかと言うと、ひとりひとりが実はその内面に超越的な偉大な力を持っているんだと。それは宇宙そのものを創造した、創造的なエネルギーの一分化なんだと。それにどのようにアクセスするか。アクセスすることによってでき上がってくる新しいタイプの意識ですね。

西塚 外部にはないということですよね。

ヤス 外部にはない。外部にはないその意識ね。われわれひとりひとりに内在してる新たな力というのは、まさにその個の中にしか内在しないわけですよ。民族の中には内在してないわけですね。また国家の中にも内在してないわけですよ。それはひとりひとりの個の中にしか内在してないわけです。

というふうに考えると、たとえば日本民族を非常に特殊な民族として持ち上げたりね、ある特定の国家を偉大な国家として持ち上げたり、そして持ち上げた民族とか国家の中に個を埋没させて組み込んでいく思想というのは、ほとんどすべて間違ってるってことになりますね。

西塚 さらに言えば、あるスピリチュアル的な自給自足の自主共同体があったとしても、それもちょっと危ういかもしれませんね、そういった意味では。

ヤス そうです。だからやっぱりね、立ち返るべきところは個なんだと思います。

西塚 個であるということですよね。

ヤス 個の中に内在しているようなこの力の源泉を発見するのは、これは個なんだということ。その個をですね、別な実体の中に埋め込んでいく。個の上位にあるような存在を実体化して、民族にしろ国家にしろ、何かの共同体でもいいんですけど、その中に個を解体して埋め込んでいくような思想の流れというのは、ことごとくマイナスなんだと思いますね。個の覚醒を遅らせるってことだと思いますよ。

西塚 そうですね。本当にそこから核心に入っていくしかないんですけどもね。僕がこれまでに読んできたものの中に、やはりビリー・マイヤーに近いものがいくつかあるんですね。だから、それぞれを具体的に照らし合わせながら、そしてヤスさんに質問をぶつけながらですね、それは違うんじゃないかとか、要するに差異を検証することによって、逆にビリー・マイヤー的な思考があぶり出されると言うか、際立ってくると思うので、そのへん対話の仕方とか、キーワードの出し方も一週間またちょっと考えたいと思います。もっとより具体的にやっていきたいですね。また来週おつき合いいただければと思います。どうも今日はありがとうございました。

ヤス こちらこそ。どうもどうも。

Commentコメント

お気軽にコメントをお寄せください

メールアドレスが公開されることはありません。