だるまさんこちら向かんせ世の中は月雪花に酒と三味線…とまあ、こういきたいものです。

世界の多様性の確保

高浜原発 3、4 号機の運転が差し止めになった。
大津地裁もなかなかやるね。
2014 年にも住民から同じ申し立てがあったが、却下された。
同じ裁判長なんでしょ?
今回はさすがにシャレにならないと思ったのかしら。
こないだ 4 号機も故障したしね。
琵琶湖が汚染されたら、滋賀の人も京都の人も水が飲めない。
裁判長も周辺に住んでんのかな。
とにかく、ちったぁまともなことするんだな。裁判所も。

世の中、いろいろやばそうだが、希望もありそうだ。
近々、世界的な株の暴落があるとも取り沙汰されてるし、
日本国債も危ないという。
この国債の暴落に関しては、私にはどうもよくわからない。
理屈がよくわからない。

日銀が買い支えればいいだけなんじゃないかと思うが、
やはり国際的な信用もあるということで、やはりヤバイらしい。
経済オンチはどうしようもないが、それでよく社長やってるとも思うが、
そう言えば、前の前の出版社の同僚からは、
一番、社長をやってはいけない人がやってしまったと、
絶望的な顔をされたものだ。

いや、希望の話だ。

前回も触れたが、トランプだ。
マジで大統領になるかもしれない。
もはや完全に TV ショーと化してる大統領選だが、
とうとうトランプとルビオはペニスバトルまでし出したというから、
何をかいわんやだ。

ルビオは普段からトランプに “リトル・マルコ” と言われてたから、
頭にきて、あいつの手は小さいんだぞ、だから……
と言うわけだ。
そしたらトランプが、俺のはデカイと。

いやあ、希望がわくなあ。
あまりのバカバカしさに世界はまだまだ捨てたもんじゃない、
という気がしてくるから不思議だ。
これはゼランド的に言えば、かなり OK な兆候なのだ。

そもそもがんじがらめの閉塞感からアメリカ国民がアンチワシントンに動いて、
トランプとサンダースが浮上したわけだ。
ほかの候補は民主党共和党を問わず、
全員ウォールストリートほか、大企業から献金を受けてるわけだからね。
私だって支持するよ。
トランプじゃなくてサンダースだけど。

がんじがらめは一極化につながるし、それが無言の強制力を持つと、
抑圧される側のネガティブな感情のインテンシティーは急上昇する。
多様性が世界の本質であってみれば、この大統領選というお祭りで、
マメリカ国民の抑圧された何だかわからない不満が、
トランプを通して噴出しようとしているかに見える。

それも何ともアメリカっぽいコメディーショーとしてだ。
でも、こんなところに意外とブレイクスルーがあるかもしれない。
マジメな向きは怒るかもしれないが、これまでのアメリカの、
いや世界の政治経済は最悪最低の“茶番”だろう。
コメディーショーなんて高度なもんじゃない。

だから、いかにバカバカしく見えようとも、
トランプくらいの勢いがなければアメリカは変わらない。
オバマのときも勢いがあったが、バカバカしさはなかった。
別にトランプ自体を支持しているのではなくて、
これくらいのことは健全な世界なら起こってもいいし、
起こるべきだと言っているのである。

とんでもない方向にいったらどうするんだ!と言う人もいるかもしれないが、
じゃあ、今まではそんなによかったのかと聞きたい。
まあ、ひとりでノリツッコミしてもしょうがないが…

とにかく個人的には、かすかだが、雲間から日の光が見えてきた気がする。
そう感じる。
極めて誤解されやすい言い方だと自分でも思うのだが…

 

すべての分野の知識を取りまとめて調和させることのできる、
疑う余地のまったくない事実が一つだけある。
それはものごとが現実化する際の多様性と多面性のことだ。
私たちの世界の多変異性は、最も重要な基礎的特性なのだ。
――『「振り子の法則」リアリティ・トランサーフィン』ヴァジム・ゼランド

宗教的動乱はつねに社会の知的な活発さの兆しである。
――ウィリアム・ジェイムズ

 

テロリズムをはじめとする世界の混乱を見るにつけ、
ウィリアム・ジェイムズの言葉を思い出すわけだが、
さすがはプラグマティズムの哲学者である。

私はかねてより、ゼンランドとジェイムズは似てると思っている。
ふたりが共通して使う重要な言葉のひとつに「選択」があるが、
ここでは時間がないのでまた後日、検証してみたい。

ウィリアム・ジェイムズと言えば、漱石の愛読書であることは有名だ。
漱石が修善寺?だったかで喀血し、死の縁をさまよってるときに、
ウィリアム・ジェイムズは亡くなった。「それから」を書いてたころだ。
漱石はウィリアム・ジェイムズとベルグソンが好きだったみたいだが、
私はそこに実存主義者と現実家としての漱石を見る。

いや、何が言いたいのかと言うと、以下のウィリアム・ジェイムズの言葉だ。
ちょっとグロいので、苦手な人は読まないでください。

 

(略)1485 年にローマ教皇インノケンティウス 8 世の教書は、
ヴァルド派の根絶を命じた。
この教書は、ヴァルド派の撲滅運動への参加者たちが
あらゆる教会の苦役や刑罰の放免を申し渡し、かれらにいかなる宣誓も免除し、
不法に手に入れたあらゆる財産にたいするかれらの権利を合法化し、
さらに異端を殺害するすべての者の放免を約束した。

「ピエモント地方でわれわれの同志の誰かが殺されなかった町は一つもない」と
ヴォー人の一記者は述べている。
「ジョルダン・テルバンはスーサで、ヒッポリット・ロシェロはトリーノで、
80 代の老人ミカエル・ゴネトはサクレナで、めいめい生身で火あぶりの刑に処せられ、
ヴィレルミン・アムブロシオはコル・ディ・メアノで絞首刑に処せられ、
フェネストルのユーゴー・シャムはトリーノで生身で内臓をひき裂かれた。
ボビオのピーター・ゲイマラリもルツェルナで同じぐあいに腹わたをひき裂かれ、
しかもそのひき裂かれた腹わたに獰猛な猫がとびついてさらに彼を責めさいなんだ。
マリア・ロマーノはロッカ・パティアで生き埋めにされた。
マグダレーナ・ファウノはサン・ジョバンニで同じ運命にあった。
スザナ・ミケリニはサルチェノで手足を縛られ、雪の上に放り出され寒さと飢えで死んだ。
バルトロメオ・ファケはフェニレで剣の深手を負い、
その傷口に生石灰をつめこまれて悶死した。
ダニエル・ミケリニはボッボで神をほめたたえたために舌をひきちぎられた。
ジェイムズ・バリダリは爪の下、指の間、鼻の孔、口の中その他全身いたるところに
つめこまれたあげく点火された硫黄の火縄の炎につつまれて死んだ。
ダニエル・ロヴェルリは火薬を口につめこまれ、それに火が点じられるや
彼の頭は粉砕された。……サラ・ロスティグノルは足から胸まで横裂きにされて
エイラルとルチェルナのあいだの道路に放り出されて死んだ。
アンナ・シャルボニエは矛に串刺しにされてサン・ジョバンニから
ウラ・トオレまで運ばれた」

まあざっとこんなぐあいである。
1860 年にペストがヴォー州の全人口の半分を覆い、
17 名の牧師中 15 名がペストにかかった。
これらの牧師の地位はジュネーヴやドーフィニから補充された。
そこでヴォー人全部が神に仕えるためにフランス語をおぼえた。
たえまない迫害のために一度ならずかれらの人口数は
正規の 2 万 5 千から約 4 千にまで減った。
1686 年にサヴォア公は 3 千のヴォー人に信仰をすてて国にとどまるか
さもなければ国外に去れと命じた。
この命令を拒んでかれらはフランスおよびピエモンテの軍隊と戦ったが
つに降参してスイスに集団でおくられたとき、戦闘員中生き残ったか
あるいは捕虜にならなかったものは僅か80人だった。
しかし 1689 年にオレンジ公ウィリアムに力づけられ主任牧師にひきいられ、
800 名から 900 名にのぼるヴォー人がかれらの家郷を奪回するために
ヴォー州にひきかえした。かれらはボビへの途上で戦い、
はじめの半年間に 400 人に減りながらも、
かれらを反撃するために送られたどの軍隊にも抵抗した。
とうとうサヴォア公は、ルイ 14 世との忌まわしい盟約を破棄して、
かれらをかなり自由な状態にひきもどした。その時以来かれらは、
不毛なアルプスの谷間でだんだんに人口を増やし今日にいたっている。

これと比べればわれわれの悩みや苦労などものの数ではあるまい。
とても勝つみこみのない強敵に執拗にたちむかった、
このような戦いの模様が詳説されるならば、
われわれをとりまくちっぽけな闇の力――陰謀政治家や利権屋、等々――に
対抗する覚悟がわれわれのうちにみなぎらないだろうか。
このような闘争が首尾よく終始して暴君の喉ぶえをとらえることになりさえすれば、
どんなことが起ろうとも人生は生き甲斐がある。
――『信ずる意志』ウィリアム・ジェイムズ

 

今が中世でなくてほっとするが、おそらく人間の本性はそうは変わるまい。
現在でも似たようなことはいくらでもあるという言い方もできるかもしれない。
しかし、上記のようなあからさまな暴力は現代社会では起こしにくいはずだが、
戦争、紛争、その他、巧妙なやり方は、それこそいくらでも可能だろう。

先のトランプのポピュリズムやある種のレイシズムも、危険と言えば危険だ。
だが、それでも多様性を確保するために必要であれば、必要なのだと思われる。
恐ろしいのは一元化、極端化による権力の集中である。

これはアメリカに限った話ではもちろんなく、むしろあぶないのは日本だろう。
しかし、さすがにこの参院選においては自民党は苦戦すると思われる。
迎え撃つべき民主・維新は……orz
党名を募集してる場合じゃないだろう。

T 田氏の続編も書くつもりだったが、アンコウ鍋が呼んでいる。
ちょっと、ブラッドベリの言葉も加えておこう。

 

生きているうちは働くのが薬である。
人生を意のままに操るためには、
明るい色の目でしっかり上を見ることだ。
なにがしかの真実を織りまぜつつ、
暗い目をした連中とも伍していく。
生きているということには、
すばらしくも美しい事実があると思いおこそうではないか。
それでこそ、家族や友人に 差し迫る恐怖にも、
新聞やテレビで聞きおよぶ恐怖にも、
どうにか渡りあっていけるだろう。
――『ブラッドベリはどこへゆく 未来の回廊』レイ・ブラッドベリ

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