だるまさんこちら向かんせ世の中は月雪花に酒と三味線…とまあ、こういきたいものです。

『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』vol.31 「個の渦」

人気ブログ『ヤスの備忘録』でもおなじみ、
社会分析アナリストの高島康司氏をお招きして、

1 世界で今、起きていること
2 人間の新たなる「精神性」「意識」「思考」

について、飲みながら自由闊達に話すシリーズ。
基本的に毎週更新。

〇『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』第31回
「個の渦」

ゲスト:高島康司氏
聞き手:西塚裕一(五目舎)
2016年1月31日 東京・中野にて収録

西塚 みなさん、こんにちは。『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』の31回になります。また、ヤスさんにおいでいただきました。よろしくお願いします。では、カンパーイ!

ヤス どうもどうも、じゃあ、カンパーイ!

西塚 まあ、飲む前にいつも雑談から入るんですけど、その中で本番で話せばよかったなと思うことがたくさん出てきますね。それはともかく、先週ザッとですね、僕の気になったところを引っ張ってきて、全部はお聞きできないかもしれませんけど、いくつかあって、大統領選がまたおもしろいというか、ブルームバーグが出てくるんですか、今度は。

ヤス 本当に立候補するかどうかですね。

西塚 ブルームバーグって、あのブルームバーグですよね。

ヤス ニューヨーク市長ですね、元ね。

西塚 何か、シンクタンクじゃないな、何でしたっけ?

ヤス 『ブルームバーグ』というメディアを持ってますね。メディア王。

西塚 あんなにお金持ちだとは思わなかったです。

ヤス いや、すごい金持ちですよ。トランプ並みの金持ちです。

西塚 無党派で出るということですから、どういうことですか? もうバックも何もなく、義憤に駆られて、じゃあオレが出ると、そういう感じなんですかね?

怒っているアメリカ国民

ヤス 全体的な流れで言うと、現在のアメリカの国民の中にすごいストレスがあるんですね。共和党と民主党、現在の政党政治そのものに対する不信感があるわけです。たとえば、現在のオバマ政権に対する支持率は40%切るぐらいだと思うんですね。それに対して、上下両院の議会に対する信任というのは、確か20%を切る。

すなわち何かというと、現在のアメリカの民主主義の根幹のね、議会制民主主義に対するものすごい不信感がある。不信感の根源になってるのはリーマンショックですね。リーマンショックがあって、立て直すときに、リーマンショックを引き起こしたウォールストリート、大手の金融機関の責任を問うたのかと。問えなかっただろうと。現在のアメリカの政治は、基本的に大企業に占有された政治、もう多国籍の大企業に占有された政治なんだということです。

このような大企業に占有された、Corporatizmって言うんですけど、共和党であろうが民主党であろうが、ほとんど大企業に政治家は買われてしまってる。だから、大企業の利害関係が国家の政策として貫徹されるという状態にある。こんな状態は、アメリカ国民の利害を代表してない。だから、買われてしまったような民主党とか共和党そのものが、無意味なのでないかというストレスですね。

西塚 僕もここのところずっと感じてるんですが、話が広がっちゃうかもしれませんけども、今の構図として、たとえば世界を自分たちのいいように、といっても陰謀論ではなく、わりと自分たちが御しやすいように、利益を得られるような構造のまま温存して、しかも強化したいといった連中がいるとすれば、まず大企業を囲うわけですね。もちろん政治家も囲って、政治家は大企業に優遇措置をとる。税金を安くしたりとか。そうすると中間層の没落とよく言われてますけども、結論を言えば格差が激しくなりますね。

そうなると大企業、少なくとも大手に勤めている人はやっぱりドロップアウトしたくないですから、低所得者層にはなりたくないから、企業の言うこと、上司であるとか、取締役の言うことを聞かざるを得なくなるじゃないですか。つまり大企業をコントロールすれば、同時にその下のグループ企業、中小企業、また働いている民衆を支配できるわけです。さらに底辺の人はもっとひどいことになったりするけども、ドロップアウトしたくないという恐怖があるような、むしろ中間層以上の人たちを支配しやすくなります。

今はかつての分厚い中間層がなくなりつつあって、むしろ企業が別の意味で中間層のようになっていて、民衆を支配する道具と化しているのではないか。中世で言えば、教会みたいなもんですよ。神と教会と民衆があるとすれば、神が支配層だとすれば、教会が企業にあたるもので、その大企業が下を支配するという構図になりつつあるのかなと。

テレビを見てたらですね、テレビもそうだと思うんです。タモリとかたけしはちょっと違うかもしれないけど、さんまやその下の、僕から見れば何でテレビに出てるんだろうという実力の連中がMCをやってます。それで下の連中が一生懸命しゃべって、おもしろいのを査定するわけですね。ちょっとネタを振って、おもしろいことをやらせる。要するに司会、MCが支配している。差配してるわけですね。

その構図を見てると、やはりテレビ局には逆らえないから、テレビ局の意向に沿ったことを中間層にあたる、たとえばさんまなり、ちょっと下の連中がテレビのコードに引っかからないような、トラブルにならないような、どこかから圧力があっても、その枠内で納まるようにコントロールするわけですね。だから、ちょっとハミ出ようとする芸人は叩かれちゃう。

ベッキーでもそうですね。今はベッキー報道もちょっとは出てきましたけども、あんまりみんなが触れないときに、マツコデラックスがベッキーのことを言ったら、さんまが「ベッキーは知らんわ、アホ!」とか言って封印しちゃうわけです。その構図が何かイヤだな、この感じは何だろうと思ったら、さっきの企業の構図と同じじゃないかと。

おそらくマスコミも含めて、テレビ界の中にもですね、あるコードに引っかからないように進行させるには、子飼いのタレントを支配して、そいつが下を支配するという構図を作ればいい。だから、本当に面白いヤツというのは出てこないですね、テレビには。そういうふうな新しい支配構造、まあ昔からあったのかもしれないけど、ちょっと極端になってきてるかなと。

ヤス ひと言で言えば、あらゆる側面でピラミッド型のヒエラルキー化がどんどん進んでいるということですね。そのヒエラルキー化の支配・被支配の構造が、どんどん固定化されてるってことです。じゃあ、ヒエラルキーのトップにいるのは誰かと。今、大企業を囲うと言いましたが、そうではなくて、トップにいるほうが大企業になるんですね。むしろ政治家を囲ってるって感じですよ。

西塚 そうですね。たとえば軍産エネルギー複合体みたいなものが企業の塊りと言えば塊りで…

ヤス そうです。あれは軍事産業の塊りですね。

西塚 さらにその上の話をすると、また突拍子もない話になっちゃうので、そこを一応頂点とすると、いわゆる無国籍でグローバルな資本、そういう企業が上にいて、それが政治を支配し、そのグループにつながるような企業も当然支配して、そして民衆を支配するというヒエラルキーがカチっとできつつあるということですね。

ヤス そうです。歴史的に言えば1929年の大恐慌からはじまって、1930年代の大不況ですね、ものすごいパニックをともなう不況。これは資本主義の大転換期だったんです。資本主義がこれから生き残れるかどうかの極めて大きな転換点だったのが、1930年代。

歴史の歯車がちょっと狂ってたら、本当に資本主義は生き残れなかった。どういうことかと言うと、資本主義の持っているあらゆる矛盾が爆発したわけです。もう資本主義の市場のマーケットメカニズム、資本の論理だけではひとつの社会を維持することは不可能だということが証明されたわけです。

普通の資本の景気循環に大不況から社会を回復させる力はない。じゃあ、資本主義以外の選択は何があったかと言うと、これは社会主義です。当時、1930年代の社会主義のひとつのモデルはスターリンのモデルですね。プロパガンダも多いけども、曲がりなりにも当時の社会主義のソビエトは経済成長してたわけですから、最初は。

それは非常に大きなショーウィンドウになるわけです。その結果、アメリカでも社会主義ムードが強まる時期が1930年代ぐらいにある。そうすると資本主義の体制的な危機になり、社会矛盾を是正できる政策をとるかどうかがひとつのポイントになった。つまり格差を是正する。そのために失業保険であるとか、社会保障とか、さまざまな給付を行なう。

それから第二にですね、国家が経済政策を立案する。国家が経済政策の立案主体となって、バランスのいい経済成長を導く。第三にさまざまな労働政策を実行して、最低賃金制であるとかね、給料の保障性であるとか、国民健康保険、社会保険みたいな社会福祉も含めて。それによって分厚い中間層を作り出していく。そういうことでもして、いわゆる社会矛盾を是正しない限りは、資本主義は生き延びられないという体制的な危機があったということですね。

それがうまくいって、逆に分厚い中間層を作り出していく。それが国内需要の極めて大きな源泉になりますから、豊かな中間層の内需に頼るだけで経済成長することが発見されたのが1950年代、60年代なんです。それが戦後の資本主義のモデルになってくる。政府が資本を徹底的に管理することによって、ルールに従わせ、投資の分野も政府が管理し、社会保障の給付を行なうように義務づけるといったさまざま規制を企業に設けることによって、バランスのいい社会を築いていく方向にいったわけですね。それが分厚い中間層を形成することになった。

政府が社会の安定をすべて担うというシステムは、やっぱりそれなりにコストが高い。国が予算に困るわけですね。どうしたかというと、国債を発行して資金を集めた。国内の投資家だけでは足りないので、海外で国債を売りたいわけです。当時、1970年代ぐらいまでの時期は、現在のように国際的な金融市場は自由化されてないんですね。一般投資家が米国債を買うことは当時は不可能だった。資本の移動の自由がない。

ということで、じゃあ国債を売るために金融市場を自由化しようということになる。これが1985年のプラザ合意になってくる。それ以降、資本の力がだんだん強くなる。国は金がなくて、国のほうがだんだん資本のほうにおもねってくるわけですね。資本は何を要求するかというと、規制緩和なんです。今までは、たとえば社会保障をこれだけ与えなくちゃダメだという規制があったんですが、それを取り外してほしいと。

要するに、資本が自由な活動をどんどん広められるように規制緩和を要求してくる。1990年代になってくると、われわれが投資できるように民営化の領域をどんどん広めてほしいと。たとえばアメリカで言えば、刑務所が民営化され、株式会社化されるとかね。水道会社が株式化されるという感じで、今まで公営とされてきた事業がどんどん株式化されて、企業の投資領域になってくる。その結果、資本の力はどんどん強まる。

そうすると、これはグローバルな競争の過程でもあるんですが、分厚い中間層は賃金が高いので、やっぱりこれは大きなブロックになるわけです。だからどんどん賃金を下げたい。自由にクビを切れるような制度にしてほしいと。つまり、さまざまな労働者保護の規制を取っ払って欲しいということになってくる。それがどんどん進展していく。その結果どうなったかというと、今われわれが持っているようなシステム、資本が最大の権力を得てしまったシステムですね。必然的に何ができ上がるかというと、資本が自らの利害を完結できるようなシステム、まさに資本がトップに立つようなピラミッド型のシステムです。

西塚 金融資本主義に代表されるシステム。

ヤス そうです。その結果に対して、最初の話に戻りますが、多くのアメリカ人が憤っているわけですね。とんでもないと。民主党にしろ共和党にしろ買われてしまってる。資本が作り出したこのピラミッド型のシステムに真っ向から反抗できるような別の勢力がないのかってことですね。だからと言って、ひとりひとりのアメリカ人が大っぴらにそれをやるとね、さっき西塚さんが言ったように、ひとりひとりがまだ企業に勤めているわけですから、リスクがでかいわけです。

西塚 実際、フードスタンプに頼っているような人が4600万人いるという話ですから、もういつ暴動、革命が起きてもおかしくないレベルじゃないですか。ましてや保守も革新も一致して…左のほうは社会保障制度をもっと充実させなきゃいけないということで、結果的には大きな政府を求める形になってると思います。リバタリアンとかティーパーティーなんかは違うかも知れませんけども、やっぱり政府は小さいほうがいいと、われわれに管理させろというのかもしれませんが、今では少数派なんですか、彼らは?

ヤス いやいや、まだまだ僕は強いと思いますね。政府もいらない、ましてや大企業もいらないわけです。だから、すべてコミュニティで管理される。

西塚 共和党のルビオはどこに入るんでしたっけ?

ヤス ティーパーティーに親和的な人ですよ。

西塚 そうですよね。今、けっこう弱くなっちゃって、むしろトランプとかクルーズとか、そっちのほうが強くて、いわゆる昔からいるリバタリアンとかティーパーティーみたいなものが小さくなってるのかなって気がしたんです。強いことは強いんだろうけど…

ヤス アメリカが強いストレスを持ったときに、その社会をもう一回立て直したいと。現在の企業を中心とした社会、中間層が没落したあとにでき上がったピラミッド型の社会、そういったものに反抗したいといった場合に、何が社会再生のモデルになるかというと、彼らが最初に考えるのは独立直後のアメリカのコミュニティ主義なんですね。

コミュニティ中心の自給自足的な小さな共同体にまとまるということ。それがひとつのモデルになって、準拠点としていつもそこに戻ってくる。だからリバタリアンもキリスト教原理主義、福音主義者もみんなその点では共通してる。

西塚 だから、どちらかと言えば今、共和党のほうに分があると言うか、民主党か共和党かと言えば、共和党のほう、もちろん政党に対する信頼性が薄れていることもありますが、アイオワを見ても、民主党よりは共和党のほうにという…まあ、もともとそうなのかもしれませんが、僕は詳しくないですけども、何かそういう印象を受けるんですね。共和党のほうに傾いてるかなと…

ヤス アイオワというのは、ある意味でアメリカの縮図と言われてましてね。アイオワ州の選挙の結果が、実質的に大統領選挙に影響してくるというか、そのとおりになってくるという。だから、アイオワを制した党が大統領選挙を制するということが言われてはいます。

ただ、アイオワを見てると、共和党は強いのかというと強くない。逆にえらい弱いですね、今。むしろ圧倒的に民主党のほうが強い。トランプが言っていることはアメリカ人のストレスを表現してるわけですね。だからティーパーティー派もリバタリアンも、それから福音派もだいたいトランプ支持に傾くということが多いんですよ。

トランプは自らが大金持ちであるにもかかわらず、いわゆる企業が独占した現在の政党制度はおかしいのではないかと。われわれはアメリカ人の原点に戻るべきだと何度も言うわけです。だから共和党の内部で一番の支持率を勝ち得るのは間違いない。でも実際にトランプとクリントンを戦わした場合、どちらに分があるかというと、もうクリントンの圧勝ですね。アイオワでもそう。

クリントンの支持者、民主党の支持者はどういう考え方を持ってるかというと、現実的に考えてみろと。独立直後のアメリカのコミュニティ主義に戻れるわけないだろうと。コミュニティを中心とした自給自足的な経済に戻るってこと自体が幻想だ。現在のアメリカ経済の企業はそんなものをはるかに超えてるというわけです。

コミュニティだけで食うという基盤を確保できる水準では全然ない。われわれはグローバル資本主義の中で生きている。何が重要かというと、富の再配分だと。富の再配分をやるためには強力な政府がいる。それは大きな政府なんだということで、それを主張しているのが民主党ですね。

西塚 普通に考えれば、クリントンの圧勝だとみんな言ってますね。クリントンが候補になるとは言いますが。トランプもね、意外と共和党でがんばってるという話もあるので…

ヤス もしね、共和党の候補にトランプがなるのなら、クリントンが圧勝する可能性が強いですね。

中国はやはり覇権国家だった!

西塚 わかりました。ちょっとまた別の話ですが、教えて欲しいんですけど、中国は今までのこの対談の話の流れで言うと、中国共産党というのが第一であって、民衆も貧しい国家に戻らないために共産党が強くあってほしいということがありますね。それと同時にですね、例の香港の事件、反体制の本屋のオヤジとか書店員がおそらく拉致されてると。いまだに彼らは出てきません。

今回の誰でしたっけ? 中国の人権派の記者が、亡命しようとしてタイでいなくなっちゃったりする。おそらく拉致だろうと。要するに、そういう反共産党の人間を拉致して、何をしてるかちょっと危ないですよね。何であえてそんなことをやるのか。習近平は腐敗をなくすということで、ガンガン取り締まってるみたいで、とうとう上海閥も本格的にやって、いわゆる江沢民一派を一掃しようとしてる。もうかなり本格的にやってるみたいじゃないですか。

だからそういうのを見ると、それだけ共産党の力を確保したい、ちょっとでも不安定にさせないために、確固たる強力な体制を作り上げていきたいという気持ちの表われだともとれるんですが、だんだん僕はですね、習近平は危ないのかなって気がしてきたんですね。それこそスターリン的な共産党独裁の、本当に強固なファシズム国家にしたいのかという。実際に経済的にも、前に比べれば翳りが出てきてるし、ちょっと違う意味で怖くなってきたというか、大丈夫なのか習近平は? というのがあるんですけど、そのへんはいかがですか?

ヤス 最近、ピルズベリーという人がですね、『Chaina2049 』という本を書いたんです。これはある意味で面白い本です。彼はアメリカのCIA出身の中国専門家なんですね。親中派で有名な人だったんです。彼が言うには、中国はハト派とタカ派が当然いるんだけども、中国政府で主な権限を持っているのはハト派であると。ハト派がどういうことを考えているかというと、中国は覇権国家になるわけではない。経済的な大国にはなるかもしれないけども、アメリカが作り出したシステムに対して離反はしないと。

アメリカが作り出したグローバル経済の秩序の中でね、経済大国として最大限の利益を得たい。そのゆっくりとした過程の中で、われわれ中国は民主化したいんだということをはっきりと表明していたと。そのような中国をわれわれは信じたというんですね。だから、できる限りの援助をした。軍事情報まで与えた。それからテクノロジーも十分にアクセス可能な状態にした。それが習近平政権が出てきたときにガラっと変わったというんですよ。

今から考えてみると変わる予兆はたくさんあった。しかしながら、われわれがあまりにも親中派だったので、その中国の本音を見誤った。それを私は反省すると。中国の本音は全然違うところにあった。本音を言っているのはタカ派のほうだった。タカ派は何を言ってるかというと、やっぱり100年の中国の夢。

タカ派のイデオロギーの根幹を成しているのは、ある意味で巨大なトラウマである。1840年にアヘン戦争がある。中国は欧米列強に負けて半植民地状態になり、それから内戦を経験し、本当にボロボロになりながら独立したのが1949年だと。それから長い間アメリカによって国際的に封じ込められて、中国封じ込め政策でね、やっと国際社会に復帰したのが1971年。かく長きにわたって中国は苦難の状態にあった。

本来中国というのは、自ら世界の秩序を構成する構成メンバーになるべき国だと。もっと言うと構成メンバーではなくて、中国こそが世界秩序を構成する権利を持った国なんだというわけです。天から選ばれた国なんだと。その天から選ばれた国が、本当にこの200年近い間ないがしろにされて、蹂躙されてきた。それはやはり欧米の勢力に蹂躙されてきたんだという。

西塚 それはいわゆる中華思想ですか?

ヤス そう中華思想。必ずその復讐はしてやると。

西塚 へえ。まあ、天帝とよく言いますけど、あれは神でもなんでもなく…いや、本当は神に近いのかな。

ヤス 神に近い。それをまともに信じてるし、天の命を受けた国がまさに中国であると。中国こそが世界の秩序の構成者になるべきなんだというんです。

西塚 そうすると、過去のトラウマが中国にはあるので、みんなそこには絶対に戻りたくない。だからこそ共産党を強くなきゃいけないと。それは間違いないんでしょうけども、その根本にはいわゆる中華思想があって、覇権主義があるということですか?

ヤス もっと言うと、二度と過去の歴史を繰り返してはならないというのはどういうことかというと、偉大な中国を取り戻せねばならないと。彼らの言う偉大な中国とは何かというと、世界の秩序の構成者としての覇権国としての中国ですよ。

西塚 習近平もそっちの思想なんですか?

ヤス 2010年から13年にかけて、手の平を返したように中国政府が本音を見せはじめたと。いわゆるタカ派が中国の政権の中心部に居座ったぐらいのときだと言うんですね。要するに中国は今まで本音を隠し続けてたんだけども、本音を隠さなくてもいいくらいの国力を身につけてきたと、どうも彼らは自らを判断した。

しかしながら、現在のオバマ政権の主流を成してるのは、まだ親中派である。そのようなタカ派の中国に対する現実認識を受け入れることを拒否していると指摘した本だったんですね。おそらく中国は強い中国、いわゆる覇権国になる中国を目指して進みはじめていると思いますよ。

西塚 なるほど。やっぱりちょっときな臭くなるというか、イヤですね。今までのそれこそ尖閣とか、南シナ海も含めてですね、ひと筋縄じゃいきそうもないですね…

ヤス ただね、すぐ出てこない。

西塚 ケリー国務長官がいきましてね、中国に。まあ北朝鮮の問題で、何を言ったかちょっと僕はわからないですけど。

ヤス 北朝鮮に対する制裁で中国に対して協力を求めたんだけど、中国は北朝鮮の市民生活そのものを苦しめる経済制裁に対しては反対であると。逆効果であると。北朝鮮が暴発しかねないということを言ったんです。

ただ、中国は中国を中心とした世界秩序を形成するという野望というか、それが本来の中国の姿なんだっていうことですね。それが今の習近平政権の背後にある思いですね。むしろ、歴史のトラウマに裏づけられたそうした思いが結実したのが、今の習近平政権であると言えると思います。

そう言うと、えーっ!とビックリするかもしれないけれども、安倍政権なんかを見れば全然、違和感を感じない。安倍政権の背後にあるのは日本会議でしょ。日本会議の考えてるものは、やっぱり神の作った神聖国家としての国家神道の復活だし、戦前型の天皇制国家の復活ですよ。それを復活させたいという、ある意味で敗戦のトラウマに裏づけられた強烈な思いがあるわけですね。願望があるわけです。その願望を前面に出した政権なわけですよ。

この間、日本会議の総会があったんですね。その総会の中で何が言われてるかというと、安倍こそが唯一、神から天命を受けた人なんだと。この政権をおいてほかにわれわれが天皇制国家を樹立する政権はあり得ないというようなことを言うわけです。数万人規模の人がそこに結集するわけです。そういうふうに見ると、別に習近平政権、中国のタカ派がね、そういう願望を持ったということは特別に奇異なことではない。

日本はまたぶっ壊れるしかない!?

西塚 僕も奇異なことだとは思いません。言い方を変えれば、日本と同じように危ないんだなという感じです。確かに日本会議は本格的な神道を、というか国家神道なんだろうけども、信じてた人たちが敗戦後、日の目を見なかったんでしょうが、民主党が政権をとって自民党が野に下ったときに、自民党を助けたのがその人たちだったということですね。それで日本会議がどんどん力をつけて、自民党はもう吸収されてしまったという。

話は変わりますが今回、琴奨菊が日本人力士として10年ぶりに優勝したと大騒ぎしてるんですけど(笑)、一部ではちょっと宣伝しすぎだと。何か意図的なんではないかと。僕はそこまでは思いませんが、ただ新聞に出るくらいなので、そこにイヤなもの感じてる人はいるらしい。東京新聞でしたけども。

あまり敏感になりすぎるのもどうかと思いますが、ちょっと“日本”を押し出すと、何かこれはおかしいのではないかというようなことを一応、言う。そうしてバランスをとらないとおかしくなっていくという意識が働いてる気もします。だからお互い、ナショナリスティックな人たちと、いわゆるリベラリズムのほうの人たちとの間でも、無知が高じて感情的になったときに、これはまた利用されますね。ここぞとばかりに。

それがイヤだなって、僕は最近の報道を見てるとチラチラと感じるんですね。ちょっと過敏すぎるだろうということと、あまりにもナイーブだろうってことの、今すごくバランスが悪くなってる気がします。

ヤス いや、バランス悪いですよ。僕は何度も言ったかもしれないけど、現在の日本というのは衰退の最終局面です。確実に衰退しています。100%。

西塚 V字復活はないですか?(笑)

ヤス あり得ない。一回ぶっ壊れないと無理なんですよ。

西塚 そこなんです。経済的な意味ばかりじゃなくてですね、V字復活と言ったのは経済的な意味でしたけど、衰退なのかどうかってことなんです。ひょっとしたら、バランシングしようとしてるだけなんじゃないかって気もするわけです。

ヤス 日本の歴史を見てるとね、一回ゼロポイントまで引き落とされて、ぶっ壊れるわけです。焼け野原になるんですよ。今、われわれは焼け野原になる過程です。

西塚 『堕落論』のときのように(笑)。

ヤス そうそう。ゼロポイントまでいって、また復活するんです。そういう意味でのV字復活はあり得る。

西塚 僕はそういうふうに見てるんです。僕は出版界しか知らなくて、いろいろな業種はわかりませんが、そういう気がするわけです。だから全部、木っ端微塵になるというような過激な言い方はできないけども、戦後以来、特に出版の流通の構造とかですね、やっぱり壊れる。本当に壊れるしかないんですよ。そこからまた新しく何かができ上がってくるんでしょうけども。

地震とかは別です。地震とか天変地異とか戦争とかは別の話だけど、そういうことは各業界にあるんでしょう。だから、それは普通に何年も前からわかる人はわかってて、それが今起きてるといういうぐらいの見方なんですね。ただこれが経済で、世界的なドルも含む崩壊がともなうのであれば、やっぱりこれはちょっとシャレにならないかもしれない。

ヤス 日本が衰退の最終段階にあるとはどういうことかというと、これは何度も対談で繰り返したことなんですけど、日本というものに対するこだわりの強さなんですね。これが日本を衰退させるんです。さっきの琴奨菊に関するものもそうです。日本人!日本人!日本人!ってヤツですね。

また、“ジャパンアズナンバーワン”みたいなものの再興を夢見てるようなメディアがたくさんあって、たとえば日本がいかにテクノロジー的に優れているのか、ちょっと何かやると日本万歳、オールジャパンで結集するとかね…

西塚 昨日の韓国戦もすごかったです(笑)。

ヤス 韓国戦もそう。たとえばiPS細胞でノーベル賞をとった山中(伸弥)先生。ああいう人が出ると、やっぱり日本だ!日本だ!日本だ!って言うわけです。現在、第4次産業革命って言われてる時期にいるんです。産業革命というのは大きくて、産業革命に合わせて社会構造も何も全部変わってしまうんですね。

第1次産業革命というのは18世紀の終わりから19世紀の初めまで。日本は19世紀の終わりだったんですけど、いわゆる蒸気機関を中心とする機械がですね、さまざまな産業に取り入れられるということです。第2次産業革命というのは19世紀の終わりのほうです。重化学工業が起こってくる。第3次産業革命は1930年代から40年代にかけて。いわゆる家電とか自動車といった耐久消費材が生産の中心になってくる。これが分厚い中間層を生んだ大きな社会構造革命の原点になってくるんですね。

現在は第4次産業革命と言われてます。その中核になってるのはIT産業ですね。そのIT産業の中核を担ってるのは大企業じゃないんです。本当にベンチャー。もしくはもっとちっちゃな個人のチームなんですね。たとえば、どんなふうに生まれてくるかというと、今、時計型のコンピューターって流行ってるじゃないですか、iWatchとか。サムスンも出してます。ウェアラブルの時計型のコンピューターがすごく流行ってて、これがけっこう売れてるんですね。

これなんていい例なんですけど、あの時計型のコンピューターの最初はペブルというものなんです。このペブルという時計型のコンピューターを作ったのは誰かというと、4人のチームですよ。普通の若い4人のエンジニアのチームのアイディアで、時計型コンピューターを作った。これが2012年。そのときにお金がない。お金がないので、キックスターターというクラウドファンディングを使うわけです。クラウドファンディングを使って、そこでこういう製品を発売したいと訴える。そうすると先行予約でみんなが買うわけですね。それで数億円を超えるお金が集まってきた。それで実際にペブルを生産して、販売した。それがまたすごく受けて、ものすごい勢いで売れた。それを見て、アップルをはじめ各社がですね、これからはウェアラブルの時計型コンピューターだと流れをつかんで、発売していったということなんですね。

だから今は、ベンチャー企業というよりも、企業化してないような小さな集団が作り出してくるんですよ。小さな集団というのは国境がない。たとえば、リトアニア人とアメリカ人と日本人と韓国人と中国人のチームが一緒になって、ネット上でアイディアを交換して新しい製品を作って、キックスターターで資金を集めてそれを製品化していって、それが売れたらベンチャーとして大企業化していったり、またそのベンチャーが最終的に大企業に買われたりするという世界なんです。

そこにはまったく国境がない。シームレスでアイディアが展開する世界なんです。ここで、いわゆる日本!日本!日本!と言うと、排除することになるんですね。いわゆる人種的な排除になって、日本人以外のものを全部排除して、日本ということで固めてくる。そうなると、シームレスにあらゆる多様的なものを合算してユニークなものを生むというね、現在の第4次産業革命のスタイルから最初に抜け落ちる。

現在の日本はどんどん抜け落ちていってると思いますよ。その結果、日本からは新しいテクノロジーが生まれてきてないんですね、全然。われわれはみんな誤解していて、これは日本のメディア操作だと思うんだけど、海外で出て売れてるテクノロジーは、どんどん売れて売れて売れて、やっと半年後の日本のニュースで紹介されるというくらい、時間のギャップがある。

西塚 それは本当に前から感じてました。というのは、ヤスさんがいろいろと海外の製品の情報を見せてくれるじゃないですか。こんなの見たことないよ!というのがたくさんある。それは、普通にYouTubeに転がってるような映像も含めて、あるいはホームページに飛ばなきゃ見れないものも含めてですね、いくらでもあるのに、何で日本のメディアには出てこないんだろうと。あれでちょっと僕は焦りましたね。ああ、これは日本のメディアだけ見てたら、絶対取り残されるなっていう(笑)。

ヤス とにかく日本というものにこだわりすぎてね、第4次産業革命の主流となってるものは、シームレス、ボーダレスで多様的な個人が結び合ってね、新しいものをクリエイトしてくという流れです。民族性にこだわった場合は決定的にマイナスですよ。

西塚 そうですね。日本人の常で、クールジャパンとか、まあアニメも含めて言われちゃうと、またそこに閉じこもっていくという。

ヤス だから“ジャパン”というものはね、取っ払わなければダメですよ。やっぱりユニークなものというか、国際的な競争力のあるものは“ジャパン”を取っ払わないと生まれてこない。簡単に言うと、多様なアイディアを持った個人の集まりからしか生まれてこないんですよ、絶対。

西塚 そうですね。クールジャパンって言ってるだけでもうダメだという…

ヤス もうダメですね。“ジャパン”がついた段階で、もう終わるんです。

西塚 まだ“ジャパン”が本当に世界の中で特殊で、ユニークで、ちょっとブランド化してるときだったらまだいいんですけど、あれは80年代で終わってますね。

ヤス 終わってます。もう30年前ですよ。それは第3次産業革命の余波で、まだまだ発展しているときですよ。時代が決定的に違う。第4次産業革命ですからね。産業革命を起こす主体が全然異なってる。

西塚 何か、どうしてもこだわりたいものが国レベルであって、アメリカみたいな多民族国家にいる人たちも、やっぱりアメリカとはこういう国だという、要するに民主主義の国であり、世界の中でもそういったものを広める使命があるとすら思ってる傾向があるじゃないですか。

たとえばいろいろ、黒人、プエルトリコ、ヒスパニックでも、みんな争ってはいるんだけども、宗教も違うし、でもアメリカってことになるとけっこうまとまってしまう。いわゆる日本の何とかジャパンにこだわるのも似てると思うんですけども、僕はそういうのは、いわゆる宗教団体とは区別しますが、やっぱりそれは信仰だとしか言いようがないんですね。要するに根拠がない。

ヤス 根拠はない。ナショナルなものに対する極端なこだわりですよ。

すべて「個」から生まれる

西塚 それは何なんですかね……何回も出てきたテーマですけども、何か自分が不幸だったり、あまり気に食わない日常生活をしているときに、何か超越的なものに頼りたくなったり、神頼みじゃないですけども、それを打ち消してくれ何かに縋りたくなるっていうことなんでしょうか?

ヤス 第4次産業革命に絡めて言うとね、第4次産業革命が明らかにしたのは、個の力の偉大さですよ。個と個が連帯した場合に巨大な力が発揮されて、やっぱり変えられるんだということですね。それはビリー・マイヤー的な意味での個の覚醒です。

まさにその個が覚醒するという方向にわれわれは確実にいる。だからいくつかのユニークな個人がネットワークで何かを生み出しただけで、巨大なものを形成できるわけですよ。たいていは、みんなひとりからじはじまりますから。個になるということは、どの文化でもそうですけど、特に日本文化ではそうなんですけど、巨大な恐怖心をともなう。

西塚 その恐怖心というのはどこからくるんでしょうか? 今までの生活の安定感とか、そういうことももちろんあるでしょうけども…

ヤス 個であるということの偉大さ、個であることがどれだけの力を発揮できるかということに対する認識がない場合…

西塚 ああ、やっぱり無知からくるんですね、簡単に言っちゃえば。

ヤス 無知からきますね。だから、何か巨大なものに対して自分が組み込まれないと、自分というものは生きていけないだろうということですね。

西塚 それは、しつこいようですが、ゼランドも言うんですね。いわゆる“振り子”と言って、あらゆるところで、お前はひとりでは生きていけないと、洗脳と言うと何か主体がありそうですが、そうではなくて、そう思わされるわけです。いろんな意味で。もう生まれたときから。どうしてもそういうものが出てくる。

操り人形みたいなもので、糸でつながれてると不自由なんだけども、安心感があるわけですね。倒れないから。ただ、その代わりにいろいろ操られちゃう。好きなことができない。ときどきは好きなこともできるんだけども、いざというところで引き戻される。この糸にずっとつながっていると、ひとりで立つのが不安になるわけですね。その糸を切っちゃえば、本当は自分の足で歩ける。でも、そこに気がつかない。

ヤス そうなんですよ。そこに気がつかない。気がつかないし、糸を切ることに対するものすごい不安感ですね。

西塚 そうですね。不安感と恐怖感。それは僕はおもしろい比喩だったので覚えてるんですが、まったくそのとおりだと思います。だから、イヤなんだけども安心感があるわけですね。でも、糸を切っちゃったときにどうなっちゃうんだろうと。倒れちゃうんじゃないかとかね。そうじゃないんだと。別に自分で歩けばいいじゃんというだけなんですが…。

ヤス したがって、その恐怖心が大きなモメンタムになってね、個を超えた巨大なもの、ナショナルなもの、企業であるとか、そういったものに自分を埋め込みたいという強烈な衝動になりますよね

西塚 そうですね。あらゆる手を使ってそういうものだよと、また喧伝されるわけですね、メディアとかで。どこまで自覚的なのかどうかはともかく、わかってる人はきっとわかって行動してると思います。それがどれだけ世界中を支配しているのか。でもひとつは、そんなことを考えないバカ野郎がですね、操り糸を切って好きなことをやっていくわけですね。そうするとそれはもう操れなくなるので、むしろそこになびいてきますよ、逆に。企業でも何でも。

ヤス そうなんですよ。実際、ひとりでやる人たちは、オレは個人として偉大な力を持ってるなんて全然思ってない。そうではなくて、ただただやりたいという好奇心と欲望が強いってだけですね。気がついてみれば、やっちゃってるというような感じの人たちですよ。だから本来、人間の内面から湧いてくるような強烈な衝動に対して、いかに忠実に生きるかどうかということです

西塚 何回も出てきているテーマでもあるし、なかなか言葉では言えないんだけども、でも何とか言語化してきたいと思います。その感覚をどう表現したらいいかというようなことですが、やっぱりある程度は伝えられると思うんです。いろいろな例をあげながらでも。でも、難しいじゃないですか、言葉で言うと。何かウソ臭くなるし、的確じゃなかったりして。言葉にした瞬間にもう変わってくる。

ヤス 変わってくる。言葉にすればね、ひとりひとりが偉大な人間なんだとかね。

西塚 それで終わっちゃいますよね、ヘタすれば。

ヤス そう。ひとりひとりが偉大な潜在力を持ってるんだとか、説教臭いことを言ってもしょうがない。だから、目の前の成功体験を積み重ねることだと思います。ひとりで何ができるかを見せつけることです。

西塚 そうですね。それが増えれば、ああできるんだ、じゃあオレもと。

ヤス とにかく見せつけるってことね。だから西塚さんが個人として成功することはすごく重要(笑)。

西塚 重要なんですね。この間の新年会でも、何か見てるんですよ、僕のことをね。でも僕の言い方で言うと、仮に失敗したら、それはそれで何がダメだったかというサンプルにもなるんだから、見ててくれという言い方をするんです。僕はもう、成功失敗はとりあえずおいといて、見せるしかないかなというつもりではいますね。

ヤス まさにそうなんですね。われわれひとりひとりがロールモデルになるしかない。

西塚 いや、ヤスさんはもう立派なモデルですからいいんです。なかなかマネできないところだと思います。

ヤス ときどき、いろんなことを言われます。あなたは特殊な能力があるからとかね。語学ができるからとか言うんだけど、やっぱり思えないんです、そういうふうには。そうじゃなくて、好きだという衝動があって、その衝動にしたがって生きてたらこうなったというだけですよ。

西塚 Banging the doorですね(笑)。

ヤス そうそう。そうなんです、本当に。

西塚 ドアがカチャッと開いてしまったという(笑)。

ヤス カチャッと開いちゃったってだけですよ。好きだという衝動に合わせてたら、そうなったからしょうがないだろうと(笑)。僕は組織では生きられないからね。生きられないというか、あまりにも過激で無理だということがわかった。

西塚 あまりにも不自由でしょうし。

ヤス 不自由です。

西塚 不愉快になってきます(笑)。

ヤス 宮仕えは無理なんだと(笑)、本当に。

西塚 なるほど。

ヤス だから、ひとりで生きても大丈夫なんだよといったようなモデルを積み重ねる。われわれ自身が現実を創る能力を持ってるし、現実の変革能力を持ってるんだってことを、現実を創り出すことによってひとりひとりが証明するということですね。

西塚 そういった意味で、今はちょっとわからないので逆にお聞きしたいんですが、昔のアメリカは日本と比べれば、能力が高かったらどんどん自分で会社も選べたというし、それこそ個が強かったんじゃないんですか?

ヤス いや、今でもそうですね。本来のアメリカのいい伝統というのは、そこですね。個の力、個というものに対する楽観的なまでの信頼感があります。

西塚 ましてや相手のことも尊重して、前のお話の例にもありましたけど、さっさと帰ってしまう上司に対して、日本人が気に食わないと言っても、そんな契約も何もないし、むしろ仕事が全部終わったらそれは本人の自由だろうと。日本の場合は何となく、部下がまだ仕事してるのに帰るのは…という。

だから本来、そこはいいはずなんだけど、今のアメリカがああいうふうになっちゃってるというのは、やっぱり政治システムの問題でしょうか?

ヤス まあ、アメリカという国は振り子で言えば、たとえば日本というのはゼロ地点まで叩き潰されないとわからない国なんですけど、アメリカはそこまでいかないんですね。極端に振り子が振れた場合は、必ず大きな押し戻しの力が働いて、別の方向にいくんですよ。

今のアメリカは、ある意味で別の方向にいってる。企業が作り出したピラミッド社会に対する反抗の方向にいってるんですね、徐々に。その反抗の方向にいくための、押し戻しの起点になるのはいつも個人主義です。その個人主義がどういうものに結実するかというと、ひとりひとりの自立した個人がコミュニティを形成して、自立した個人が形成したコミュニティによってすべてを管理するというコミュニティ主義、地域社会主義に至るんですね。

西塚 日本の場合は本当にことごとくぶっ壊れないと、なかなかスタートできないということですか?

ヤス そうです。だから、どこの時点で個になるかです。敗戦後の“個”の誕生の気高い宣言は『堕落論』(坂口安吾著)ですよ(笑)。まさにね。われわれは個なんだと。個によってわれわれは生きていくんだ。その自由と楽観、それから解放感を赤裸々な言葉で謳ったのが『堕落論』ですね。だから僕は『堕落論』は読むべきだと思う。

西塚 そう思います。そんなに長くないですしね。

ヤス 社会的な価値観に対するこだわりであるとか、または他人の目に対するこだわりであるとか、他人の感情に同調しなくてはならない同調性バイアスであるとか、そういったものを全部かなぐり捨ててるわけですよ。『堕落論』というのはね。

西塚 僕の言い方にすると、人間をちゃんと認めてるんですね。人間だからそうなるんだという。そこに戻れという感じがするんです。

ヤス そう。人間の本性に戻って生きるしかないだろうと。それがお前だろ?ってことですよ。だから、今は堕落論的な回帰が僕は必要とされてると思います。

西塚 まあ、坂口安吾自体も無茶苦茶な人でしたけどね。個ではありましたね、確かに。

ヤス 坂口安吾はね、戦後のルポルタージュとかおもしろいですよ(笑)。無茶苦茶ですよね。無茶苦茶なんだけどおもしろい。終戦期の時代というのは、日本人が個であって、個で何を成し遂げたかという時代ですね。闇市の時代なんですけど。ものすごいエネルギーの時代ですよ。

西塚 そうなると、また飛ぶわけじゃないですけど、イランの制裁解除があって、ロウハニ大統領がフランスにいったりして、いろいろ大きな契約を結んだりしている。その反面、難民を無制限に受け入れようとしたドイツでは、難民による婦女暴行みたいのがあって、やっぱり規制せざるを得なくなってるじゃないですか。

ある種、堕落論というか、戦後の日本ほどじゃないんだろうけど、坩堝化してますよね、ヨーロッパ自体が。そこで本来、難民だからといってみんな聖人君子じゃないし、いろんなことをやるわけですよ。そこで人間の本性というのが、どれだけ伝統文化があっても、経済的に豊かであっても、やっぱり摩擦が起きてくる。そう言った意味では本当に世界的に、堕落論じゃないですが、本性に戻って個からはじめろという流れになってるのかなと思います。

ヤス それしか解決がないってことですね。前にわれわれがテーマにした抑圧されたものの噴出なんですけども、ひとつの社会に内在した歴史的な怨念であるとか、集合的なトラウマ。それを個人として引き受けてしまうとね、大変なことになると思います。それは集合的なトラウマの干渉行動となって現れるわけだし、集合的な復讐心となって現れるだろうし、だから集合的な怨念のエネルギーの放出過程の中に巻き込まれたら、とんでもないぞってことです。

西塚 個人レベルでも、ある種の集団でも、国レベルでも、もう収拾がつかなくなるし、一国で、まあメルケルさんが言ったようにドイツでね、いろいろドイツにもトラウマがあるので受け入れざるを得ないんだろうけども、やっぱり一国ではとても受けられないという。もう今、証明されているわけですし。

ヤス そう。一国では受け入れられないことが証明されて、ドイツの中では強烈なナショナリズムとか民族主義が出てくる。その民族主義とかナショナリズムといった、いわゆる個を超えた集合的な流れね。そういったメンタリティーにわれわれが飲まれてしまうと、まさにそこで個がなくなるんです。

西塚 そういう津波や渦に巻き込まれたらもう、途中だったらまだ抜け出すことができるけども、ある程度までいったら逃れられないじゃないですか。

ヤス 逃れられない。

西塚 じゃあ、どうすればいいかというと、やっぱり自分がひとつの渦になるしかない。小さくても自分から渦を起こしていくということかなと思うんです。それしか、今のところ対抗できないんじゃないか。フラフラしていて、あっちこっちで飲まれそうになったらまた逃げていってと。それでもいいですけども、それがサーフィンだという言い方もできるかもしれないけど、僕としては小さい渦でも渦になれば、ベーゴマじゃないけど、回りながら移動して、また似たような渦があれば、それがよければ一緒になってまた大きくなってもいい。そうすればもっとでかい渦にも対抗できる。暗黒の渦にですね。そういうことなのかなと思うんですね。

ヤス そうですね。言葉で言えばそうです。集合的なメンタルな流れ、集合的なメンタルの渦、津波のような怨念の放出の渦から“イチ抜ける”ってことです。イチ抜けて、たとえばドイツ人でイチ抜けたと。そして個々の移民と話すわけですね。友だちになってね。お前ら、どう歩んできて、どうなったんだと。そうすると、また全然違ったシナジー効果があるわけですよ。

そこで移民とかドイツ人じゃなくてね。言ってみれば、モハメッドとヨハンの対話になるわけですよ(笑)。そこでは、違った友情もあれば、恋もあるわけです。その時点に戻ればね、おそらく別の渦が作り出されますよ。

西塚 そう思います。僕は“嫌韓”でも本当にそう思いました。韓国の人たちと知り合えば知り合うほど。特別、韓国人が好きなわけじゃないんですね、要するに普通なんです。普通につき合ってるだけ(笑)。

ヤス だから個の中に戻るとね、みんな同じなんです。あんまり変わんないですって。

西塚 同じです。日本人にもイヤなヤツはいっぱいいますからね(笑)。

ヤス 日本人のイヤなヤツよりも、韓国人で合う連中と喋ってたほうがずっと楽しいですよ。だから個として平凡であれと。平凡であるとは何かというと、自分が突出した個であるとかね、社会のリーダーであるとかね、そんなくだらないことを思うなと。そうじゃなくて、徹底した個人としての日常的な、平凡な、当たり前の意識を中核におけと。それを中核において、それを超えたすべてのものに抵抗する(笑)。ナショナリズムにも抵抗するし、社会的な価値観にも抵抗するしね。個の日常意識を中核におくということ。

西塚 ここで僕がヤスさんにお聞きするこういう話も、別にアジテーションではなくて、普通の情報としてヤスさんからお聞きしてるわけですね。勉強とも違うんです。それでいろいろ発信していきたい。多くのみなさんと会えるわけでもないので、まあヤスさんが勉強会をやられてるときは生身で会えるけども、やっぱり多くの人に伝えるためには、手段として本が必要だし、こういうネットも必要だということですね。ヤスさんには毎週、わざわざおいでいただいてますが、できる限り続けたいと思っています。

ヤス まさにね、個としてのネットワークをいかに個が張るかということですね。それが可能なのが第4次産業革命なんですよ。この流れに乗らない手はない。本当にね。

西塚 いろいろリンクもできます。

ヤス リンクもできる。本当にそうです。『Change.org』という活動がありますね。あれをはじめたのはひとりの青年ですよ。全部ひとりなんだということですね。アイディアを持ってるヤツがやってみようと思ったら、同じ志しを持った個が集まる。

西塚 やり続けたわけですね、彼は。

ヤス そう。そうしたらひとつの渦になるわけです。必ず。

西塚 やっぱりそこがテーマですね。わかりました。また次回、違う切り口を持ってきます。今日はありがとうございました。

ヤス いえ、こちらこそ、どうもどうも。

Commentコメント

お気軽にコメントをお寄せください

メールアドレスが公開されることはありません。