だるまさんこちら向かんせ世の中は月雪花に酒と三味線…とまあ、こういきたいものです。

『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』vol.41 「日本人のメンタリティー」

人気ブログ『ヤスの備忘録』でもおなじみ、
社会分析アナリストの高島康司氏をお招きして、

1 世界で今、起きていること
2 人間の新たなる「精神性」「意識」「思考」

について、飲みながら自由闊達に話すシリーズ。
基本的に毎週更新。

〇『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』第41回
「日本人のメンタリティー」

ゲスト:高島康司氏
聞き手:西塚裕一(五目舎)
2016年4月9日 東京・中野にて収録

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西塚 みなさん、こんにちは、『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』の今日は第41回になりました。また、ヤスさんにおいでいただきました。よろしくお願いします。カンパーイ!

ヤス どうもどうも。

西塚 先週に引き続き、あんまり酔っぱらって突入しないですね。

ヤス えらいですね(笑)。

西塚 いやいや、さっきから話してはいますが、何と言っても、ヤスさんのメルマガでも書かれてましたけども、パナマ文書ですね。今、ものすごい話題ですが、僕は高城(剛)さんのメルマガも見てるんですね。あの人は本当に世界中を回ってる人で、2カ月前にバージン諸島にいってたらしくて、高級レストランで泡食ってる連中を見たそうです。韓国人、イギリス人、アメリカ人、ロシア人が右往左往して大騒ぎしてる。これは何かあるなと思ってたら、2カ月後にこれなんで、ああ、これだったのかと。だから、これからもどんどん都合の悪いことが出てくるだろうという記事でした。

そしてヤスさんのメルマガを見たら、さらにその裏を書いている。それを読むと、アメリカ人の情報が全然出てこないというのはへんだ。不自然だと。違和感だらけだと書かれてる。

ヤス だって、おかしいですよね。アメリカ人がまったく出てこない。ターゲットでも、キャメロンとかプーチンとか、本人がどうしたとかじゃなくて、親族とか周りの友人がでしょ? まあ、キャメロンは自分自身、ちょっと株を持ってたよということだったんですけど、プーチンなんか本当に何も持ってないですよね。

「パナマ文書」の本当の目的とは?

西塚 本当だったら、プーチンなんか一番矢面に立たされるのかなと思ったら、ないということは、本当にないんですね、あれ。すごいヤツだなと思いました。脇が甘くないんですよ。

あれはアメリカの何かしら、意図的なものがあるのではないかということなんですが、アラブの春とか、あれはヒラリーですね、公言してはばからなかったような、要するにネットを通じて若い層から反体制的な、民主的な動きが湧き起こるような運動を起こして、本人たちもまさかあそこまでいくとは思わなかったというくらいに成功する。今回も似たような形で何か絡んでるのではないかと。あの記事は刺激的でしたね。あのへんはどうやってお調べになるんですか?

ヤス まず、あの情報を最初に明らかにした団体について調べるんです。たとえばBBCが最初に報じたのならば、そのBBCという集団がね、何かの利害に基づいてるかどうかとかね。

今回の事件を追っていくと、ICIJという組織なんです。ICIJという組織は初めて耳にするじゃないですか? いわゆる調査ジャーナリストの世界的な連合組織であって、NGOだっていうわけです。それを聞いただけで、本当かよ?とやっぱり思いますね。

実はNGOというのは一番怪しい。たとえば、2000年から2005年くらいまで続いた「カラー革命」がありました。中央アジアでね。キルギスであるとか、ウクラナイナとか、タジキスタンとか、ああいうところの、どちらかと言えば親ロシア派の独裁政権が潰されてね、欧米寄りの政権に全部転換させられたという事件がありました。

その転換の担い手になったのが青年運動なんです。学生を主体としたような、非暴力なんですけどね、青年による反政府組織。彼らが中心になってる。反政府組織がどのように形成されたかというと、その背後関係は明らかになっている。本にも書かれてるし、ドキュメンタリーにも撮られてる。仕掛けたアメリカ政府も全然隠してないわけですね。

反政府組織に資金を提供したのは、アメリカのNGOばっかりなんです。フリーダムハウスであるとか、フォード財団であるとか、ジョージ・ソロスのオープンソサエティとかね。そういうところが資金を提供して、組織のノウハウを教えて、訓練まで提供している。国務省のどこかの部局が、アメリカまで連れていって訓練したという記録まで残ってるんですね。

それとほぼ同じような構図で、実は「アラブの春」でも行なわれていた。アラブの春の中心となった青年団体は、ほとんどアメリカ系のNGOによって資金が援助され、トレーニングされてる。アラブの春の場合は、いわゆる革命コンサルタントという異名をとるCANVASというベオグラードに拠点のある組織、これが実地訓練をやってる。

そうすると、まずアメリカのNGOと聞くとですね、本当かよと思うわけです。だから背後関係を調べる。誰が資金を提供してるかということですね。そのNGOのホームページにいくと、どういう組織から資金をもらってるか、だいたい公けにされてます。

それを見ると、アラブの春とカラー革命を主催した団体とほぼ同じ財団が、今回のICIJの大口の献金者なんですね。その中にアメリカ政府の部局で、合衆国国際開発庁というのがあるんです。USAIDというんですけど、それがアラブの春もカラー革命もメインの提供者なんですけど、そのUSAIDが今回のICIJの大口の献金者でもある(笑)。

だったらこれ、見え見えだろってことになりますよね。そこが、ハイ、こういうドキュメントがありましたって出してくる。そして、アメリカの政治的な庭と言われてるパナマの法律事務所から出されて、アメリカ企業とかアメリカの政治家の名前がいっさい出てこない。それは意図的にやってるだろうということになりますよ。

その目的は何なのか。これはけっこう簡単です。そのような仮説で、自分と同じことを考えてる記事はないのかと調べていくと、膨大に出てくるんです(笑)。

アメリカを世界の租税回避地にする!

西塚 それはアメリカですか?

ヤス カナダですね。モントリオールにあるグローバル・リサーチ・センターというシンクタンク、そこがいろいろと優秀な記事を載せてる。そこに載ってる記事は、だいぶ同じ疑いを感じて調査をしている。

それから、バーニー・サンダースの支持者たちはけっこう知的水準が高い人たちが多くてですね、そういったブログをたくさん持ってる。その中にやっぱり自分たちが調査をした結果、こうだったよと、ほぼ同じようなことを書いてるんです。

そうすると、日本で言われてるような事件では全然ない。はっきりとした意図があって行なわれてるということですね。実は次回のメルマガに書こうと思ってるんですが、ちょっとわかってきた。

西塚 北朝鮮ですか?

ヤス 北朝鮮もある。パナマ文書で今回わかったのは、実はある企業があった。イギリス人が所有者になってる企業で、パナマのモサック・フォンセカで法人登記した企業ですけど、北朝鮮のフロント企業だったんです。北朝鮮のミサイルがあるじゃないですか? そのミサイルを海外に売ったときの代金のやりとり、決済をその会社を通じてやってたんですね。その所有者がイギリス人だったと。現在、彼は北朝鮮でビジネスをやってるという。それが今回のパナマ文書で明らかになったんですね。ひとつはね。

北朝鮮をターゲットにおいてることは間違いない。もうひとつわかったのは、けっこう大きな金融機関があってね、ここがちょっとびっくりするようなことを出してきたんです。これからアメリカが、本当にデフォルトをする可能性があるから気をつけろという警告だったんですね。これはソシエテ・ジェネラルというフランスのすごく大きな銀行のアナリストです。

どうもアメリカ企業の決算の状況を見てると、かなりの借金をしていると。アメリカの社債市場がおかしくなる可能性があるから、ヤバいと言ってきたんですね。ちょうどそれと同じタイミングでこのパナマ文書が出てるんですよ。それでちょっと調べてみたんですけど、世界の最大の税金逃れのオフショア市場とはどこなのか? 実はアメリカそのものだと。オフショアじゃなくて、オンショアなんですね。

アメリカは何をやってるかというと、自分のところに流れてくる資金に関しては、たとえばいくつかの州があって、ネバダ州とワイオミング州とサウスダコタ州、それからデラウェア州、この4つの州は、実はほとんど税金がかからないんですね。海外から流入してきたものに関しては。それから口座の秘密性が守られる。法人税はない。所得税みたいなものも企業には課せられないということなんです。だから税金は全然課せられない。ある程度のライセンス料のようなものを払えば、口座は自由に持てる。それでアメリカ国内に投資ができるんですね。

どうも見てるとですね、パナマを潰すことによって、自分たちがいわゆるオフショア市場、アメリカそのものがオフショア市場になるということが、今回の目的のひとつに入ってる。どうしてかというと、やっぱりアメリカ企業は本当にヤバいんだと思うんです。そうすると、かなりの大きなお金、世界の富裕層のお金をアメリカに引き入れる。そのためにはパナマをぶっ潰す必要性があったということでしょう。おそらくね。

西塚 じゃあ、最大に今ヤバくなってるアメリカ全体のために、租税回避地を全部ぶっ潰すということがはじまったと。

北朝鮮攻撃に備えてロシアを揺さぶる

ヤス そうですね。それで、すべてをアメリカに集中させる。海外から流入してくる資金によって、アメリカ経済を延命させるという策です。ひとつはね。あともうひとつは、北朝鮮絡みだと思うんです。まあ、次のメルマガに書こうと思うんですけど、中国の新聞にですね、中国のある将軍の、北朝鮮の攻撃が近いだろうという長い社説が載った。ついこの間。

その内容なんですけど、米韓の合同軍事演習の規模を見たら、あれは演習ではないと言うんですね。朝鮮半島の史上最大の演習だと。あれは即刻、北朝鮮を攻撃できる能力を備える規模の演習だと言うんです。アメリカは今ふたつのことを怖れてる。ひとつは北朝鮮のICBMに載るような核の小型化。それはもう成功しつつあるし、今は成功したと宣言された。

あともうひとつは、ICBMが大気圏外に出て、大気圏内に突入してくるときのその熱にね、核弾頭が耐えられるかどうか。熱の耐性の技術ですね。このふたつなんだけど、このふたつは完成間近だと。そうすると、アメリカの西海岸全体が北朝鮮の射程の中に入ってくる。それがはっきりする前に、おそらく潰したいんだろうということなんですね。

4月30日に演習は終わるんだけども、それまでに北朝鮮の攻撃がないかどうか、注意して見なくちゃダメだという社説だった。そして、攻撃が行なわれるとしたら、今度4段階で行なわれるだろうと細かく段階まで書いてあるんですよ。

ちょうどそれが出た直後にパナマ文書が出てる。その論文を読むと、この攻撃を行なうためのポイントは何かというと、実は中国ではない。ロシアだと。北朝鮮の周辺海域というのは、ロシアの海域と重なってるので、北朝鮮に対する攻撃をロシアが納得するかどうかということが、実はキーになるんだということがポイントだったんですね。

それを見るとですね、このパナマ文書によってプーチンを揺さぶることで、無理やり北朝鮮の攻撃を納得させるということが、ひとつの目的としてあるかなという感じがします。

西塚 なるほど。日本で報道されてるものだけを見ててもダメですね。アラブの春も含めて、ちょっと調べればいろいろとわかってくることがある。そういった意味では、本当に表に出てこない連中もいるんでしょうね。インターネットにすら出てこないという存在。

それはおいといても、ちょっと調べればわかることが、前回のリンダ・モールトン・ハウの調査報道のお話でもありましたね。チリに隕石が落ちたことも、毎日新聞は、あれはロシアの人工衛星が落ちたんだと。その根拠がアメリカのメジャーのメディアが報道したからという。要するにコピペだって話が前回出ました。だから、その域を出てなくて、少なくとも日本以外のニュースに関しては、からっきしダメですね、日本は。

ヤス ダメですね。

西塚 日本国内だったら、まだちょっと気骨があるとういか、ネチネチという言葉は悪いけども、スキャンダルでもちゃんと報じますけどね。ブログにしてもそうですが、海外になると徹底的にダメなのは、やっぱり言葉、英語ができないということと、徹底したガラパゴス状態だということ。

ヤス あともうひとつは、やっぱり考えないということです。若い連中ほど考えない。まあ、年寄りも考えないですけど(笑)。考えるということは、われわれの文化ではないと誰かが言った(笑)。日本は本当に思考しない。

西塚 もう本当に淘汰されていくしかないのかもしれませんね。かつてはこういう、考えなくてもすむ、いい国があったよで終っちゃう話なのかもしれません。ということまでちょっと考えちゃいますけどね、最近。

ヤス 確かに。

西塚 僕、個人が考えてもしょうがないけど、大きな流れとして見れば、それでも出てくるとは思いますけどね、若い連中にしても。前々回の話で、高校からハーバードにいっちゃうような連中というのは、頭の作りが違うというお話がありました。東大にいく連中とは違うんだと。官僚とは全然違うよという。

だから、ああいう人はいるわけなので、日本じゃなくても、海外で活躍してるそういう連中が、また日本を復活、復興させるということはあり得るかなという。

ヤス たまたま、日本生まれだったというタイプの人ですね(笑)。

西塚 ああ、そうかもしれません。それはどう考えたらいいんですかね? 今の日本は、幸せなことなのか、あるいはまあ、なるようになるしかないんだよと思っているしかないのか。

ヤス オールオアナッシングではないと思いますが、やっぱり非常に大きいのは、何かというと、まず閉じるんですよ、僕ら。独自の言語圏の中で閉じるしね。前にも何度も話してるように、何か優秀な技術でもあったら、オールジャパンでとか、やっぱり日本が!日本が!と言う。そうして、異文化の出身者、違った民族の出身者を無意識的に排除してるわけです。

それで、自分たちの文化と親和性があるよう集団を作って、どんどんその中に籠って閉じていくという流れなんです。全部、内向きのベクトルですね。

日本人の欧米コンプレックスとアジア蔑視の源流

西塚 それは、やっぱり明治維新以降ですか? 僕はちょっとそこは、儚いというか、僕は落語とかけっこう好きなんですけど、あれが全部の世界観じゃないんだろうけども、少なくとも明治維新前はですね、オレがオレがじゃないんですよ、日本人のマインドも。

士農工商の武士にしろ何しろ、まあ、私は武士だからとかありますよ、オレは町人だ、オレは魚屋だって、私は大家だとかですね、そういうのはあるんですが、それでもある種、分をわきまえてる。それぞれにイヤなヤツはいますが、でも、ちゃんと相手を認めたケンカをするんですね。

それが明治維新以降、外国コンプレックスなのかもしれませんが、日本のすばらしさをちょっと思い出しては、それを誇りたがるというのがありますね。どうしても噴き出てくる。それで経済が発展してるときはまだよかったんだけど、それ以降はそれを誇るし、『「NO」と言える日本』もそうですけどね、何と言うか、折々に出てくる。

根本的に欧米に対するコンプレックスがあって、マンガにしても、だいたい少女マンガというのは、昔はみんな外人じゃないですか? 要するにバタくさい顔なんです、みんな。だから否定してるわけです、自分たちのことを。おそらく。

ヤス 近代の日本人の基本的なメンタリティーがあると思うんです。それはおそらく明治維新以来、変わってない。それは何かというと、欧米に対する極端なコンプレックスと、その裏返しとしてのアジア諸国に対する極端な優越感ですね。だからそのふたつのものがアンバランスな形で同居していて、自分たちが最終的に何ものであるのかということの落ち着きの悪さがあるわけですね。

だから、言ってみれば幼児みたいなものですよ。欧米に対するコンプレックスを持ってるんだけど、アジア諸国に対しては優越感を持ってるというのはね。何と言いますかね、人格としてほとんど完成されてないということじゃないでしょうか。

西塚 よく日本の幼児性ということが言われますけど、そういうことですかね…。大きく言えばたぶんそうだと思うんです。でも、幼児性というと、これは細かく分析しなくちゃいけないんでしょうけども、もちろん欧米人が持ってる幼児性もありますね。ものすごく善悪がはっきりしてるし…

ヤス そうそう、彼らは彼らの幼児性があります。

西塚 それとは違う幼児性なんだろうけども、そうすると日本はGDPで2位までいきましたけども、だからまだいいのであって、地球的には欧米がどうしても主流になってますから、欧米の幼児性というのが隠されちゃうということなんですか?

隣においしいものがあったら、みんなそこでちゃんと仲よく暮らしてるのを全部蹴散らして、自分で持って帰っちゃうというような幼児性。ガキ大将というか、ジャイアンみたいなものですね。それが席巻して、今もそうだということなんでしょうけども。

でも、そのイジメられっ子の幼児性というのは脆弱で、もっとダメだよってことなのか。

ヤス 欧米の場合、幼児性は幼児性としてあるんだけど、幼児性というよりはむしろ、戦略的に見てね、どのような世界の状態が自分たちにとって一番居心地がいいかということから考えるわけです。それで世界情勢全体をデザイニングしていくという形ですね。

それでまあ、Winner takes everythingなんですけど、やっぱり勝ったものが総取りしてしまうというシステム。自分にとってベストのシステムというのを自分たちがデザイニングして作る。その志向性が一番強いのがアメリカだと思いますよ。

確かにそうしたメンタリティーも幼児性と言えば幼児性かもしれない。でも、日本が持ってるようなコントロールが効かない幼児性とは、根本的に質が違うものだと思いますね。

西塚 そのへんの線引きが今後、微妙になってくると思うんです。欧米式のある種の幼児性、要するに総取り、強いもの勝ちというのは、それが高じればどうしたって戦争になるわけです。弱肉強食になるのは当たり前なので。

日本的なメンタリティーで言えば、そうならないように、突出しないようにするという。そうするとそういう争いも起きないと。その代わり抑圧されていく。それが高じると、とんでもない陰湿なことにもなっていく。その両極端な現われなのかなという気がするんですね。

そうすると、やっぱりその中間をとらなければならない。いつもの話、というか普通に考えればそういう話になるんだけど、その中間というのがやっぱりクセもので、じゃあどういう中間なんだ?ということですね。

欧米が言う中間と日本が言う中間も違うだろうし、今すごく粗雑な論理になっていて、そこにスピリチュアリズムが入ってきちゃうと、いやあ、そのままでいいんですよとか、自分は自分でいいんですよ、何も間違ってませんよ、あるいは好きなことやればいいんだとか、その中間層というのはすごく分厚くて、これがものすごく気持ち悪い(笑)。

だから、そこは整理されなければいけないんじゃないかと、僕は思うんですけどもね。やっぱり原理、原則というか、教条主義的になるわけじゃなく、何かが必要だという立場です。

それは明文化されるものではないかもしれない。ある種、体感も含めたものなのかもしれませんけども。マニフェストみたいなものではなくて。そこが僕は興味のあるところなんです。

ヤス ひと言で言うならば、たとえばアメリカが持ってる幼児性というのは“獣性”ですよ。それは幼児性といったものとはちょっとニュアンスが違ってるかなと思います。明治以来の日本人のメンタリティーというのは、極端な欧米に対するコンプレックスが前面に出るのか、それともアジア諸国に対する極端な優越感が出てくるのか。このふたつの側面のどちらが前面に出て日本の歴史を主導するかによって、われわれのこれまでの歴史が決まってきたという感じだと思うんです。

たとえば戦前の状態を見ると、明治維新以来のかなりの時間というのは、欧米に対する劣等感というのは、日本が富国強兵を目指す主要な動力源だったわけです。それが、昭和初期に入ってくると今度は、欧米に対するコンプレックスの裏返しとしての対抗意識ですね。ものすごい対抗意識、恨み、ルサンチマンの爆発みたいなものが出てくる。

ルサンチマンの爆発みたいなものが刺激となって、今度はアジア諸国に対する極端な優越感、支配者としての優越感が前面に立つ。それでアジア諸国に対して残虐なことをさんざんやるわけですよ。戦後は、むしろ欧米に対するコンプレックスのほうが前面に立つ。かなり長い間、欧米に対するコンプレックスが前面に立って、それが一時は日本を世界第2位の経済大国に押し上げるだけの大きな、メンタルのレベルでの動機形成にはなったと思うんですね。

しかしながら、それが中国に追い抜かれるにしたがって、今度は欧米に対するコンプレックス云々よりも、アジアに対する優越感、そして欧米に対するコンプレックスの裏返しとしての、極端な日本優位論というかナショナリズムが前面に立ってくる。戦前回帰、昭和初期回帰が今はじまっているのは、そういうメンタリティーなんだと思うんですね。

そうすると、特に明治維新以来の日本の近代史というのは、極端に言うと極めて単純なメンタリティーに支配されている。その極めて単純なメンタリティーの呪縛から、われわれは脱することができていないということなんですね、全然。

日本のナショナリズムは愛国主義ではなくて、言ってみれば欧米に対する劣等感の裏返しとしての極端なナショナリズムなんですね。アジアに対する優越感も、言ってみれば欧米に対する劣等感の裏返しとしての優越感ということになってくる。そうすると、われわれのメンタリティーの基本的な色合いというか、主張というのかな、主軸になっているのは欧米に対する極端な劣等感ですよ。

西塚 今のそのナショナリズム、ナショナリストということで言うと、欧米も含めて言えると思うんですけど、英語が正しいかどうか…アメリカでも日本でも良質な、良質という意味は、僕にとって共感できるという意味なんですけど、そういう人たちはナショナリズムではなくて、パトリオティズムというんですかね。そっちのほうがわかりやすいんです。だからナショナリズムとはちょっと違うんじゃないかと。

ヤス 全然、違う。

西塚 パトリオティズムというのは、あってもいいのかなと思うんです。当たり前の、愛国というよりも、むしろ郷土愛に近いものだと思います。それはよくわかる。ホームグラウンドとして、自分が生まれたところとか地域がある。それに対する愛情とか、誇りは当然あると思います。それとナショナリズムを混同したらまずいのではないか。

いわゆる軍国主義の時代でも、兵隊さんの中にもその両者がいたのかなという気がします。そういった意味でも、言葉も含めて、感情でも、ある程度分けないとおかしくなりますね。

ヤス 確かに。本来のpatriotismというかね、愛国主義という言葉そのものは僕は嫌いなんだけど、本来のあるべき愛国主義とはどういうものかというと、世界中にいろんな文化があって、その中にはアメリカが押しつけるグローバリゼーションみたいなものもあるだろう。しかしながら、われわれにはわれわれの文化的な価値があって、この文化的な価値のもとに、われわれが自らの生活世界を作る権利があるんだという主張ですよね。

他の文化圏に対して、いいとか悪いとかの問題ではない。これが、われわれの文化の固有な価値観なんだと。この固有な価値観にしたがって、われわれが自分たちの生活世界を組織化する、形成する権利があってもいいではないかということなんですね。

すべての人間が、同じようなグローバリゼーションの文化に解体されるということそのものがおかしい。そういった感覚が、本来の意味でのpatriotismなんだろうと思います。

西塚 僕もそう思います。プーチンが言ってるのはそっちなんじゃないかと。

自国文化の価値の固有性を理念化するということ

ヤス プーチンが言ってるのはそうです。プーチンだとか、プーチンの背後にいるイデオローグのアレクサンドル・ドゥーギンが主張してるのは、そういう意味でのpatriotismなんですね。アメリカでも、もともとそういうpatriotismはあります。アメリカはアメリカの文化圏としての価値があるんだと。それは他の文化圏の価値観に解体されない独自のものであって、われわれはその独自性を守り抜くぞといったタイプのものですね。

西塚 そのへん、ヤスさんにちょっと確認したいのですが、いわゆるそのパトリオティズムですが、ドゥーギンもそうなんですか? ちょっと覇権主義っぽい気がしますが…

ヤス ドゥーギンというのは二面性があります。ドゥーギンが受け入れられるところは、新ユーラシア主義を標榜してる部分。もともと1920年代、ちょうどソビエトができたくらいのころに出てきたユーラシア主義というのは、patriotismなんですね。覇権主義では全然ない。

ロシアはロシアの独自の文化的な価値観があるから、価値観を守る権利はわれわれにあるんだと主張した。言語学者のトルベツコイとかね。ドゥーギンもそうなんですけど、ただ、その背後に巨大な覇権主義がありますね。

西塚 そうですよね。

ヤス だから、ドゥーギン自身は相当問題のあるキャラクターであることは間違いない。

西塚 ちょっと怖いものがあるんですね。また感覚的に言ったらいけませんが、かつてのラスプーチンに近いような怖さといいますか、プーチンがやられちゃって、ロシアがおかしくなったら怖いですから。

ヤス そうそう。だからプーチンとはあまり近い関係ではないですね、この人は。

西塚 あ、そうなんですか?

ヤス どちらかと言うとね。アドバイザーとは言ってるんだけども、会ったこともないみたいです。ただ、プーチンはドゥーギンの書いたものをよく読んでるし、またプーチンの周辺にいる側近たちに、やっぱりドゥーギンの信奉者が何人かいるということらしいです。

西塚
 なるほど。じゃまあ、時の首相が誰だか忘れましたが、北一輝は読んでるけど会ったことがないみたいな、そんな感じ(笑)。

ヤス ああ、そうそう。そうするとね、ロシア的な新ユーラシア主義とユーラシア主義、とくにトルベツコイあたりが言うユーラシア主義というのは、まさにユーラシア主義として理念化してくわけです。どんどん。これがわれわれの理念だと。それは欧米のいわゆる民主主義と市場原理、そういうものに解体されない独自の価値観なんだということで、それを理念するわけですよ。

フランスでもフランス革命の後に出てくるんですね、フランスそのものの本来の理念、文化的な理念とはどういうものだったのか。ドイツもそうです。それは、場合によっては、それぞれの国の極右によって利用されかねないといった危険性はあります。

危険性はあるんだけれども、それはグローバリゼーション、民主主義の絶対化、市場原理主義の絶対化によって、国民の文化的な集まりを民主主義と市場原理というふたつの原理のもとに解体していくということ。それに対するひとつの抵抗運動、文化的な独自の価値観の主張ということ。これをまず理念として掲げるわけです。

日本の場合、明治以来、この本来の日本文化の価値の理念化に失敗したんだと思いますね。完璧に失敗した。だからね、まだアンバランスなんですよ。一方で欧米に対する極端なコンプレックス、もう一方では、その裏返しとしての欧米に対する極端な敵意。それと連動してのアジア諸国に対する極端な優越感。そういう非常に落ち着きの悪いところで右往左往するということね。

西塚 それは、それこそヤスさんの専門になるかもしれませんが、僕の感じで言うと、しょうがなかったと思います。基本的には。欧米列強に対抗するために富国強兵で国を強くして、国家の体制を整えていったということは、まあそうなんだろうと思うんですけれども、ひょっとしたら、軍につながる官僚たちに何か問題があって、それで舵を急激にきって、それを止められなかったという。ベタな言い方ですが。それがいつの時期からなのかというのは、僕は勉強不足で詳らかにはできないですが、やはり官僚だと思うんです。

官僚の話はこの対談でもよく出てきますが、ある個人ではなくて、何かの空気と言いますか、それが得体が知れない。特定の個人はそれほど力を持ってないでしょうが、でも日本というか、日本人に脈々と流れてる何かのラインがあるように思います。

それが妙に作動した結果、敗戦を迎える。そこから一からやり直せればよかったのかもしれませんが、それこそ富国強兵と同じで、今度は経済大国に向けてまた同じようなことをやって、まあこうなってるという、僕はそんな見方なんですね。

さきほど獣性ということをおっしゃいました。幼児性にしろ、獣性にしろ、その背後にあるのは、やっぱり感情だと思うわけです。ヤスさんもおっしゃるように、とにかく感情というノイズはできるだけ排除する。

それは直感知の話題のときにも話しました。湧き起ってくる直感は、うまく規定はできないけども、そこにたどりつくまでにはいろんな感情のノイズ、雑念があるわけだから、それを排除しないとたどりつけないし、混同してはいけないと。

僕は直感とか感覚といったものを信頼してきました。そこにちょっとヤスさんとの齟齬があって、僕の理解が足りなかったわけですけども、ヤスさんは、直感ではなくて理論とか理性にいくべきだとおっしゃってるように聞こえた。

僕は理性などはもっとも危ないものであって、黒を白と言えるのが理性、論理であって、そんなものよりは自分の感覚を信じたいというようなことを訴えたかったんだけども、そこで言葉がうまく疎通できなかった部分がありました。対談を後から読み返すとわかるんですけど、でも思いとしては共通してるものもあった。

だから、やっぱり一番問題なのは、簡単に言えば感情なんです。おっしゃるように。明治維新政府、それ以降の政府が失敗したこと、僕に言わせれば、官僚、軍部がおかしくなって暴走して、それを誰も止められなかったということ。そのへんのことを、感情ということをキーにした場合、何かありますか?

コンプレックスの元にある「恐怖」の感情

ヤス いわゆる欧米に対する極端なコンプレックスは、感情が前提にありますよ。

西塚 それは、ある程度は全員が持っていたということなんですか?

ヤス いや、それはやっぱり官僚が持ってますね。このコンプレックスは何かというと、脅威でもあるんです。恐怖でもあったわけです。それと獣性。たとえば、中国を中心とした冊封体制という外交関係があるじゃないですか。それは兄と弟の関係ですよ。言ってみれば、獣性とはほど遠いものなんですね。

中国が朝鮮半島そのものを侵略して、そこから自治権をすべて奪い取って奴隷化するかと言えば、そんなことはしないわけです。中国にもいろんな王朝がありますから、冊封体制の中でも朝鮮半島に対する介入の強さというのは、それぞれ違ってはきます。たとえば元あたりは相当強く介入してくる。それに対して、明であるとか、宋であるとか、介入は極めてゆるやかだったりします。ただ、欧米のようにですね、ひとつの国を植民地にして、そこの国民を奴隷化まではしないわけです。

中国を兄として祀ってれば、完璧な自治権を与えられるといった温和な体制です。それに対して、欧米を中心にした体制は、弱肉強食の本当に動物的な体制になるわけですね。それが帝国主義以降の体制です。

その帝国主義以降の体制で、それこそ野獣が迫ってくるわけですよ。迫ってくる野獣にいかに対抗するか、というところで築き上げられてくるメンタリティーがある。まず、第一に脅威としてとらえる。その脅威としてとらえた欧米に、範を求めると言いますかね、彼らに範を求めない限りは自分たちが生き残れないという、ある意味で論理的な選択をとった。

彼らと同じようなシステムを構築しない限りは、自分たちも一緒にやられる。ある意味で、当時の正しい判断だった。

西塚 そうですね。同じ土俵に上ろうということですね。

ヤス そうすることによって、欧米から摂取できるところはとことん摂取する。その結果、かなりアンビバレントというかな、なかなか落ち着きの悪いメンタリティーができてくる。すなわち、欧米をまず脅威としてとらえる。脅威としてとらえる延長で反欧米であり、欧米に対する極端な敵意を持つ。

しかしながら、敵意を持ってる欧米を師匠として仰がざるを得ない。彼らの持ってる優秀な社会システムや技術をすべて自らのものとして、できるだけ早くキャッチアップせねばならない。そこで欧米に対する極端なコンプレックスが出てくるわけです。

西塚 それはどうなんでしょうか。間違ってたら教えてほしいんですけど、その欧米化、近代化する途中で、たとえば陸軍と海軍で、それこそ範を求めるのはそれぞれフランスとイギリスだったりしますね。医学だったらドイツに求めたり、もともとはオランダだったりという。

それをうまく統合して、日本国家が普通に栄えて進んでいけばいいのに、その範を求めたフランスならフランス、イギリスならイギリスで、それぞれ官僚たちがまた反目し合います。すごく閉鎖的になっていくという。そのへんのメンタリティーというのは何なんでしょうか? もともと日本人にあるのか、システム的なものなのか。

ヤス いや、どの官僚制でもみんなそうだと思います。中国でもそうだし、アメリカでもやっぱりね…

西塚 どこの国でも。

ヤス どこの国でもそうだと思う。それは何かというと、権力を目指すような人たちが集まってね、ひとつの機構を結成すると、必ずそこですさまじい出世争いが起きてくるということですよ。蹴落とし合いというかね。誰が、どのグループが覇権を確保するかという争いが必ず起こりますから。

その覇権争いの材料として、フランスに通じるのか、ドイツに通じるのかと、やっぱり利用されてくるということはありますよね。

何が言いたいかというと、明治維新以来、官僚および政府の指導層と言われるような人たちの共通したメンタリティーは、この3つだったのかなと。

もう一回要約すると、欧米に対する脅威ですね。脅威の延長としての敵対心。

西塚 怖いということですね。

ヤス 怖いことの延長としての敵対心。第2に、そのような欧米に範を求めて、師匠としてしたがわなくてはいけない。

西塚 学ぼうということですね。

ヤス それは欧米に対する強いコンプレックスを醸成します。その裏返しとして、遅れたアジア諸国に対する蔑視と優越感。このメンタリティーが、日本の指導層のメンタリティーとして定着していったわけだし、それが日本の官僚機構、政治機構、日本という国を構築しているすべての指導層の、基本的なメンタリティーになっていったということだと思います。

こうしたメンタリティーを持ってる人たちが、日本の近代を主導した。別の選択肢があったかというと、おそらくあったと思う。たとえば自由民権運動というのがあった。明治10年代に出てきたのですが、そこでスローガンになっていたのは、明治維新の徹底だった。

明治維新というのは社会改革なんだけど、社会改革を徹底してないではないかと。身分制も残ってるし、明治維新で言っていた維新を徹底しろと。それが自由民権運動だった。自由民権運動は下からの革命なんですね。下からの社会革命です。

だから、場合によっては、下からの社会革命による近代化という全然違う道があった。おそらくですね、自由民権運動的な下からの社会革命という、全然違った近代化の道をとってたら、ドゥーギン主義というか、むしろ本来のpatriotismの理念化に至ったのではないかと思いますね。

西塚 それは興味深いですね。逆に、ものすごい覇権主義になったかもしれないけれども、いずれにしろ違ったものでしょうね…

ヤス 違ったもの。われわれはあなたたちとは違うんだと。われわれにはわれわれの文化的な価値があって、それを理念として表現するとこういうことになると。その理念を表現するひとつの媒介としてね、おそらくヨーロッパの哲学を使ったのではないかと思うんです。ルソーを媒介にして日本の価値観を再定式化するとかね。

アンビバレントなメンタリティーをどう乗り越えるか?

西塚 こういうこともありませんか? 一部かもしれませんけど、アジアの韓国や中国に対する蔑視もあったけども、やっぱり欧米に対する蔑視もあって、それこそ石原慎太郎みたいなものですね。あいつらはダメだと。だらしないと。

これは吉本隆明も言ってたんですね。吉本隆明が誰かから聞いたわけです。戦争中にアメリカ兵を見たと。そうしたらチューイングガムをかんで、くちゃくちゃやってる。隊列も組めない。みんな好き勝手に立ってる。これは楽勝だと。こんなだらしない連中に負けるはずがないと確信したと言うんですね。

でも、負けるわけです。それは確か坂本龍一と村上龍との鼎談でしたけどね。それで、徹底的に個人主義にやられたんだろうというような結論でした。僕はそんなに単純なものではないと思いますけども、でも日本の場合は、みんな優秀で組織化もされてるし、隊列もちゃんと組めるし、要するにドイツ的に強いと思ってるわけです。あんなだらしない個人主義で、ひとりひとりが勝手にやってるようなアメリカに負けるはずがないとみんな思っていた。でも結局は負けた。それはいったいどういうことなのか。

それは、ひとつは蔑視だったんだけども、でも80年代になっても、それこそGDPが世界2位になって、アメリカを脅かすようになったあたりからまた、欧米蔑視が一部ではじまったと思うんです。特に経済界の連中ですね。あと一部、ネトウヨじゃなく、当時ネトウヨという言葉はないですけど、一般庶民ですね。やっぱり日本ってすごいじゃんということで、欧米蔑視に走る。

ヤス その蔑視は、アジアに対する蔑視とはまた違う。自分たちよりも本質的に劣ったものに対する蔑視じゃないわけですよ。

西塚 コンプレックスの裏返し?

ヤス 簡単に言って、コンプレックスの裏返しです。

西塚 強がりということですか。そう考えるとわかりやすいけど(笑)。単純にそういうことなのか。

ヤス コンプレックスの裏返しなので、敵意になったりね、極端な優越感になったりするわけです。極めてアンビバレント、ものすごく安定しないものですよ。

西塚 どっちにしろダメですね。そういうメンタリティーは。

ヤス ダメです。

西塚 僕はどこに結びつけたかったかというと、集団になるとみんなロクでもないことをするから、どうしても個人ではないかと思うわけです。個人が個人たるときの、その感情のコントロールの仕方とか、どう生きていくかということ、世界とどう関わるのかということですね。

そこでビリー・マイヤーその他、この対談のあちこちでキーワードも出てくるんですが、だから今、大きな話と中間と、そして個人までいくような話は、ある程度整理していかないといけない。一足飛びに上にいったり、個人にいったり、マクロとミクロであっちこっちしてると、それこそスピリチュアル的なワナにもハマってしまう。もはやそういう時代ではなく、いいかげんもっと違う展開を示していかなければならないところにきてるんじゃないかと思うんです。

世界を見ると、それこそ前回の話にも出たリンダ・モールトン・ハウみたいな人が調査報道をして、言うべきことを言っていたり、インターネットの普及によって、おもしろい情報が山のようにある。

高城(剛)さんのメルマガを読んでも共感したのは、インターネットの力というのは、ダウンロードではないと。アップロードだと言うんですね。僕もまったくそのとおりだと思います。要するに閉じるのではない。

だから、閉じるのではなく、開いていくという方向、そこさえ一致すれば、僕はだいたい話ができるんです。いい悪いではなく、閉じる方向というのも理論的にはあり得ます。閉じていって、そこで何かしらの世界観を作って、そこで核爆発を起こすと言う人もいるでしょう。僕はそうではなく、まずは開いてからという立場ですね。

ヤス そうですね。特に日本に関しては、われわれの持ってるような近代を乗り越えなければダメなんですよ。

西塚 昔から言われてますね。

ヤス 160年間持ってるこの居心地の悪いね、コンプレックスなのか優越感なのか、その裏返しとしての敵対心なのか、恐怖感なのか。とにかくこの居心地の悪さは、アイデンティティーの不安定性。これは乗り越えなくちゃダメだ、どこかで。

西塚 「近代の超克」は昔から言われてますね。それこそポスト・モダンは思想界でも前から論じられています。たとえばフランシス・フクヤマも『歴史の終わり』みたいなことを言ってましたが、今言ってることはそういうことではない。近代的自我の超克のことを言ってるわけです。これからやらなければならないこととして。

ヤス そうですね。いくつかの文脈で考えられるんだけども、今の文脈につなげて言うと、ひとつはこの日本的なアンビバレントなメンタリティーをどうやって乗り越えていくか。そうなると、日本的近代がどういう価値を持っているかということを理念化せねばならないわけです。

それは、たとえばドゥーギンではないですが、ユーラシア主義であるとか、何でもいいですね。普遍的な価値観として許容可能なひとつの理念として提示せねばならない。これは日本文化に根差したひとつの理念なんだと。これが日本の近代が、特に戦後の日本が築いてきたわれわれの価値観であるということね。これを高らかに謳って僕はしかるべきだと思うんです。

なおかつ、欧米が作り上げた哲学が普遍的な次元で遭遇している、いわゆる自我をどうやって超克するのか、ということに対する明確な解答をその価値観が提示することができれば、これはすごいことです。

テクノロジーの進化は人間の意識を変革できるのか?

西塚 そうですね。これからどうなるのか。たとえば高城さんは、1976年から95年に関してはPC革命だったと言う。96年から2015年まではインターネットの革命であって、これからどうなるかというときの論議として、やっぱりAIを分母として、ロボティクスとナノテクノロジーとDNA、要するに遺伝子工学だと言うんですね。

だからやっぱり、外部から人間の意識がガラッと変わることが、テクノロジーの進化とともに出てくるというのは、わりと僕は信ぴょう性が高いと思うんです。でも、それはそれとして、どっちにしろそっちに進んでるのは間違いない。問題はそのときの内面ですね、人間の。

ヤス もっと言うとね、意外に人間の内面は変わらない。たとえば160年前にできてるじゃないですか、われわれのこのアンビバレントなメンタリティーって。この160年で何をやったのか。インターネットが拡大して、10年前、20年前では信じられないようなテクノロジーが入手可能な状態になってる。スマホもそうだしね。それでも、われわれの基本的なメンタリティーは変わってないわけですよ。

そうするとね、テクノロジーそのものによってメンタリティーが変わるということは、おそらくない。今までの歴史的な流れから言ってね。

西塚 よく言われますが、たとえばカメラ・オブスキュアの発明によって、ダ・ヴィンチやフランドルの画家まで影響を与えたように、芸術の世界ではテクノロジーの変化によって意識が変わると言われるのは、単純に作品に対する意識とか、何と言うか、表現が変わってきただけであって、メンタリティーは変わらない。基本的なメンタリティーは変わってないだろうということですか?

ヤス 変わってないと思う。

西塚 それはおもしろいですね。

ヤス コアのメンタリティーは全然変わってない。コアのメンタリティーが変わるためには、コアのメンタリティーが存在する領域に対する、何かの操作性のある働きかけをやらないと難しいと思います。その操作性は、ある意味で旧態依然とした方法なんですよ。理念化ということなんですね。

日本人だったら日本人でもいいんですが、ああ、これだったらぴったりくるといったような、ぴったりくる理念化の方法があるんです。その理念化の方法が、たとえば自我哲学が遭遇してる極めて大きなアポリア、自我をどうやって乗り越えるか。そういうことに対するテーゼを提示できれば、普遍的な次元で賞賛されるわけです。そのような賞賛を受けることによってガラッと変わったりしますよね。

むしろテクノロジーは、そのプロセスを早めたり遅くしたりするということじゃないかと思います。

西塚 そうですね。影響が大きいということでしょう。あと、パソコンがあって、インターネットがあって、次に出てくるのはドローンだと言います。ドローン革命だと高城さんあたりは言うわけですね。あの人はかなり早くからドローンに注目していましたが、どういうことかというと、インターネットのリアル化だと。

次なる移動体、ポスト・インターネットとして、今ドローン革命で、どの国が最初にインフラを作るか、どこが最初に広めるかで、ものすごい競争がはじまってる。

ヤス そうですよ。ドローンというのはけっこう単純な技術で、開発可能なんですね。だから、技術的に極めて困難なブレイクスルーがあってどうのこうのではなくて、今スマホに使用されてるようなカメラであるとか、通信技術であるとか、GPSとか、そういうものをドローンというフライングマシーンに合体させれば、簡単にできてしまうというくらい、ある意味技術的な水準はそれほど高くはない。つまりドローンで、どのような領域を通じて何をやるかなんですね。

西塚 そこですね。その争いらしいです。

ヤス それは争ってますね、今。

西塚 やっぱりそうなんだ。

ヤス 今、ものすごい勢いで争いが進展してて、ドローンを適用できるような新しい領域を開発したところがですね、シェアを独占するわけです。

西塚 インターネット前夜と言われる93年には、アマゾンもヤフーもグーグルもなかった。あっという間に出てきた。そういうものが、これからも出てくるだろうということですね。

ヤス
 出てくるでしょう。びっくりするようなサービスが出てきますよ。ドローンに関係するようなものでね。今、グーグルが買い取った会社かな、全世界、たとえばサハラ砂漠であるとか、Wi‐Fiがまったくつながらない領域があるわけですね。インターネットも全然つながらない。そこに通信衛星ではなくて、ドローンを飛ばすわけです。ドローンと言っても、巨大な飛行機のようなドローンで、地上に降りないんです。24時間365日飛び回ってる。

西塚 UFOみたいじゃないですか(笑)。

ヤス これはアンテナなんですよ。

西塚 燃料はどうなってるのかな。空中補給するのかな。

ヤス いや、太陽電池で。

西塚 本当にSFみたいな光景が見られる(笑)。

ヤス ドローンで何か新しいビジネスの領域を切り開くということが、極めて大きな争いにはなってる。ここがポイントなんですが、だからといって、われわれのメンタリティーは変わらないんですね。

西塚 それはまた別の話だということですか。ドローンでFedExみたいなものとか、通信でも何か変わるかもしれない。でも、メンタリティーとは関係ない話。根本的な話だと。

ヤス そうなんです。だから、このメンタリティー、日本人の欧米に対するコンプレックスとアジアに対する蔑視とか、欧米に対する恐怖とか敵対心といったような、そういう3つのセットとしてあるメンタリティーを、教育の中で何が補強してきたかというと、僕は英語教育だと思う。これはロクでもないです。日本の英語教育というのは。英語に対するコンプレックスを徹底的に植え込むんですよ。

西塚 要するに〇×ですからね。意味は通じても、ひとつ単語を間違えたら×なんですから。

欧米コンプレックスを助長する最悪な「英語教育」

ヤス そうそう。それは、完璧なティーチャーとして欧米人を祀り上げるんですね。それで、彼らの発音を真似よと。ああなれと。われわれが模倣すべき理想的な人格として祀り上げていくのが、日本の英語教育だったんです。

西塚 それは意図的なのか、それとも自発的にそうなったのか。

ヤス 自発的です。GHQがどうのこうのとありますけど、GHQもやりましたよ。GHQは何をやったかというと、アメリカは実はいい国なんだよということを宣伝するような教科書をたくさん書いて、これで英語を教えろとやるわけです。

それをアメリカはやるんだけど、日本人がね、GHQの予想を超えてのめり込んでいく(笑)。ここまで受け入れられるとは思わなかったと、GHQの報告書が述べるくらいにのめり込んだわけですね。われわれが選び取った。

西塚 やっぱり、雰囲気なんでしょうかね。前も同じ話をしたかもしれませんが、小林よしのりのマンガであるんですよ。簡単に言うと、小林よしのりの実家筋が真言密教か何かのお寺で、家族の集まりがあって、植木等もそこにくることになった。

植木等の家も真宗系のお寺なんですね。それで、超有名人がくるってことで、みんな親戚が右往左往して準備している。それは植木さんには失礼だろうとか、食事は何を出そうかとか、どこに座ればいいかとか、そういうことでしょう。みんな準備に追われて大騒ぎしてる。

それを親戚の小さな子どもが見てるわけです。大人たちが右往左往してるところを。やがて植木等がくる日になって、それでみんなもう下にもおかない気遣いをして、招き入れる。そしてずっと一連の流れを見ていたその子どもの何とかクンは、見ると植木等の前で土下座をしてるんですね。子どもが。誰もそんなことを強制してないんですよ。それでみんながびっくりするという。そういうマンガだったんです。実話らしいんですけど。

何で土下座したのか。要するに周りの雰囲気を感じ取って、これはとんでもない人がくるに違いないと子ども心に思った。自分に何ができるかとなれば、やはりそうなるわけですね。僕は、けっこう笑えない話だと思いました。

その何とかクンのような日本人がたくさんいてですね、ましてや官僚の上の連中みたいのが、これは違う、この発音は欧米とは違うとか、その教え方はちょっと違うんじゃないかと右往左往するのを下が見ていれば、どんどんモンスターが作られていくわけですよ。欧米がモンスター化していくわけですね。

それで何だか知らないけども、宗教みたいなことになっていくという。だから、やはり上の態度なんでしょうか、結局は。

ヤス ただ、上の人たちは、自分たちが自主的にやってるんじゃなくて、それを当たり前のこととしてやっている。

西塚 そうか。そこが怖いとこだな…

ヤス 欧米に対してコンプレックスを持ってね、彼らを優秀な民族として崇めたてまつるというのを、当たり前のこととしてやってるわけですよ。英語教育によってそれを補強してるという自覚もないですね。だから、日本の英語教育は根本から間違ってる。もっと間違った方向にいこうとしてますね、今ね。

西塚 何か変えましたよね。

ヤス 小学校から英語を導入する。なおかつ、喋れる、コミュニケーションできる英語にしなくてはダメだということで、どんどん外国人のティーチャーアシスタントというのをね、TAというんですけど、どんどん導入すると。

西塚 それはいいんじゃないですか? ネイティブの言葉は。

ヤス ネイティブはいいんですよ。何かというと、彼らは崇めたてまつるアイドルの対象なんですね。彼らと同じように発音せねばならない。

西塚 ああ…

英語の「発音」にこだわる人間の愚

ヤス たとえば、ショーンKが相当引き落とされましたけど、その引き落とされ方を見てるとそうですね。いろんな雑誌がネイティブスピーカーにインタビューをして、それでショーンKの英語はどうですか?と。そうしたら、あの発音はおかしいと、発音の批判からはじまるわけです。

西塚 え? 彼の英語は発音がおかしいですか?

ヤス いや、僕は全然おかしいと思わない。

西塚 ヤスさんも前に、ショーンKの英語は、勉強してるとしたら相当勉強した人で、全然問題ないとおっしゃってましたね。僕もYouTubeで見ましたが、本当にネイティブじゃないですか。

ヤス ネイティブですよ。それを無理にですね、いろんな外国人に聞かせて、発音がおかしという言質をとってくるんですね。何かこれちょっと違和感あるよねって。

西塚 それは悪質ですね。

ヤス 悪質です。そうやって、あれは日本人の発音なんだからということで、無理矢理引き落としていくというやり方です。

西塚 それ、誰がやってるのかなあ…

ヤス それは、やってる本人自身、意識はしてないかもしれない。日本人だったら、絶対ネイティブの英語のはずはないだろという思い込みですよ。それは絶対発音に出るはずなんだと。じゃあ、オレが証拠をつかんでやるってなもんですね。

西塚 じゃあ、前回のお話じゃないですが、まず感情ありきで、気に食わないと思ったら
それに合わせた証言を取ってくる。

ヤス そうです。

西塚 最悪ですね。

ヤス 最悪です。英語を喋ることは、まず発音なんだと。われわれが欧米人並みにならねばならないと。

西塚 意味が伝わればいいですよね。

ヤス そうです。伝わればいいだけです。本当に。はっきり言って、インド人の英語が聞き取れるのか? シンガポール出身の人たちの英語ってわかるのか?ですよ。彼らなんて、ローカルなアクセントだって欧米人が言ったら、わかれ!って怒鳴り散らしてますよ(笑)。お前、オレの英語がわからないのかと言って。オレはマネージャーだぞ。聞き取れって(笑)。

おもしろい話があって、ルーマニア出身のハーバード大学の教授がいた。この教授の英語が、あまりにもルーマニア訛りが強くて聞き取れない。そうしたら学生がですね、ハーバード大学の本部に文句を言いにいったらしいんですね。あまりにも訛りが強くて聞き取れないと。

そうしたら大学側が、聞き取れと(笑)。お前が聞き取れと言って、学生を諭したらしいんです。聞き取れるようになるのはお前の義務だと。別に正しい、スタンダードな英語なんてない。これは彼の英語だ。聞きとれ!(笑)

西塚 すばらしいですね。

ヤス そうなんです。そういうものだということです。だから英語の訛りなんて誰も責めない。聞いてもないですね。中身があるかどうかが勝負ですよ。そのかわり、中身がないと判断されたら怖いんですけどね(笑)。

西塚 なるほど。

ヤス アホなアメリカ人ほど発音にこだわる。高卒でね、頭がパッパラパーのアメリカ人ほど、われわれが世界でナンバーワンだと思ってるから、こだわる(笑)。

西塚 話の内容ではなく、お前の発音はよくわからんと、そっちになっちゃう。

ヤス そう。だから、中身がないからなんですよ。中身のある人たちは発音のハの字も言わない(笑)。

西塚 何が議論になってるのかもわからないような人たちだとしたら、話にならないですね、そうなると。

ヤス ならない。だから今言ったように、ちょっと話が戻りますけどね、日本の英語教育の罪って巨大です。

西塚 そうですね。僕はあまり考えたことはありませんでしたが、ヤスさんは英語の教師もやってらしたから敏感だったのでしょうけども。けっこう、それは深刻な話しかもしれません。

ヤス いや、深刻ですよ。本当に。

「正しい英語」というのはない!

西塚 それがある限り、たぶん延々と日本人の欧米コンプレックスは抜けないですよ。海外にいったヤツは別ですけど。

ヤス たとえば、日本の企業でも商社マンであるとか、海外で仕事をやらざるを得ない人たちはすごく多い。彼らの英語なんていったら、ジャパニーズイングリッシュそのものです。それでいいんですよ、別に。誰も咎めないというか、それでいいとわかってやってるわけですね、みんなね。

西塚 ソフトバンクの孫(正義)さんなんかも、中学生レベルの英語らしいですが、けっこう商談をまとめるっていいますからね。

ヤス そうですよ。それでいいんですよ。

西塚 ちゃんと言いたいことを言う。

ヤス だからね、向こうは中身しか聞いてない。

西塚
 楽天の三木谷(浩史)さんにしても、大してうまくないんだけど、ちゃんときっちり伝えられるといいますね。

ヤス そうです。ただ、それだけ。言ってみれば、スタンダードの英語はないっていうことなんです、今ね。これがスタンダードだと感じてるような人たちこそ、ローカルな英語だと言われてるんです。英語ってスタンダードじゃなくて、国際言語だからね。ただ、中身が通じないと話にならないというだけ(笑)。

西塚 そういった意味では、英語と米語は違うということはありますか?

ヤス 米語というか、アメリカだって、やっぱりいろんな地域がありますからね。まあ、米語はありますよ。

西塚 いわゆるアメリカンイングリッシュと、それこそキングスイングリッシュとは言わないけども、意外とイギリス人はアメリカの英語をバカにすることがあると聞きましたけども。

そう言えば、以前、僕の知人の女性がイギリスの労働者階級の人と結婚したんですね。それで僕の家でその結婚式のビデオを見てたんです、仲間とみんなで。その仲間の中に貴族出のイギリス人がいた。そのビデオは、結婚式でちょっとパーティーをやってるときのビデオだったんです。

それでみんなでワイワイガヤガヤ言って見てたんだけど、昔からその貴族出のイギリス人はシニカルなことしか言わないんですが、何かニヤッとしてるから、どう思う?って聞いたら、いや、英語がどうのこうのって言うんです。言葉がどうしたこうしたと。そんなことは誰も気にしてないので、こいつは何を言ってるのだろうと、ちょっと印象的でしたね。

要するにちょっとバカにするわけですね。言葉のやりとりを聞いて、やっぱり下のクラスだなみたいな意味だと思うんですが。

ヤス 残念ながら、そういうことを言う人というのは、中身で勝負できない人ですよ。語学のことを言う人は、中身で勝負ができないんですね。

西塚 それで、去年カミさんが娘とイギリスにいったときに、その貴族出のイギリス人に会ったらしいですが、ちょっとしょぼくれてたらしいんですね、いろんな意味で(笑)。

ヤス 極端に言うと、社会的な競争力のない人ですね。

西塚 まあ、そうかもしれませんね。人のことは言えませんが(笑)。

ヤス だから言語というのは、そういう人たちが優越感を保つためのひとつの受け皿になるわけです。悪い意味の受け皿です。

西塚 僕は英語というといろいろ思い出すんですが、小島信夫という作家がいて、彼は東大の英文科を出て、『アメリカン・スクール』で芥川賞をとった小説家ですね。明大かどこかで英語を教えてたはずです。

彼の小説で、いとこか誰かが、独学で英語を勉強してるといった話がありました。それは英和辞書で単語をかたくなに学ぶといったもので、小島がそんなことをしても英語は学べないよみたいなことを言う。でも、その彼は余計、意固地になって辞書と首っ引きになるわけです。それをまた小島が何となく批判的に見てる、憐れんでいるというような話でした。その彼のかたくなな感じがよく出てて、何ともやり切れないような話でしたね。

ヤス 僕から見ると小島さんにしろ、そのかたくなに英語を辞書で勉強してる人も、両方ともかたくなだなと思いますね。

西塚 ああ、なるほど。

ヤス だから、正しい英語はないんだってことを、まず自覚せねばならないということですね。相手に通じるための最低限の文法しかないということなんですよ。最低限のボキャブラリーしかないということ。それをつなぎ合わせて、お前は何が言いたいのか、ということだけです。本当に。

西塚 特に英会話に関してはそうでしょうね。前にヤスさんがおっしゃったことで印象に残ってるのは、英会話とは別にですね、たとえば翻訳したり、英文を書くといった場合は、また意味合いが違ってくると。英会話でコミュニケーションするということに関して言えば、まったくそのとおりですね。伝わればいいんだし。

ヤス 伝わればいい。お前はアメリカ社会に受け入れられたいのか? アメリカに住むのか? 住むんだったら話は別ですよ。住んで、ローカルコミュニティーの一員として、自分が認められたいというのであれば、それなりの作法を学ばなくてはいけないし、向こうの文化を学ばなくてはいけない。でも、そうではないだろと(笑)。

海外にいって英語を喋りたいんだろと。それは旅行者か、ビジネスマンかはわからないけど、やっぱり訪問者ですよ。そうすると会う人間も限られてくる。そういうローカルな他人たちではない。ちゃんと用があって会う人たちですね。ビジネス的な用がある。何かコミュニケーションの必要性があって会う人たちですね。

西塚
 旅行者にしても、タクシーの運転手だったり、ホテルマンだったり、レストランの給仕だったり、そういう人たちと会話ができればいいだけですね。

ヤス ビジネスの交渉だってそうですよ。言ってることがわかるかどうかなんだってこと。だからね、発音がどうのこうのってネイティブが言うんだったら、そいつは大したことないヤツだから、話をするなということです。

西塚
 (笑)。

ヤス ロクでもない(笑)。本国で社会的な競争であぶれて、日本にきた連中だから。

西塚 僕もこんな英語ですが、海外にいってそういうふうに感じたことは一回もないですね。

ヤス ないでしょ? そうですよ。

西塚 喋ってると向こうが、ん?と、聞こえなくてもわからなくても、質問されたりして、理解しようとしてくれますね。それでコミュニケーションくらいはとれる。むしろ日本人ですね、発音が違うとか…

ヤス だから、そういう日本人とつき合ってもしょうがないです(笑)。英語ができるということに優越感を持ってるような日本人というのは、どういう人たちなのかということです。それ以外に何か誇れるようなアイデンティティーない人たちが多い。

西塚 そういった意味でも、英語は象徴的ですね。確かに。欧米コンプレックスの象徴でもあり、日本人のある種のメンタリティーの弱さの象徴でもある。それはおもしろいな。

ヤス だから、英語を喋るということをひけらかす人間は、信用できないから、やめろと。

西塚 (笑)。

ヤス アホみたいな連中なんですよ。それしか自分のプライドを確保する根拠がない連中の集りだということです。

西塚 いや、でもヤスさんが言えばいいけど、英語ができないヤツはそれを言えないんですよ(笑)、普通は。

ヤス でもね、英語ができなくていいんですよ。それは本当に。

西塚 まあ、そうなんですけど。

ヤス それはやっぱり、(西塚が)コンプレックスを持ってるから(笑)。

西塚 いやあ、でもやっぱり、じゃあ、お前喋ってみろと言われて、いやオレは喋れないけど、関係ないよと言ってもいいんだけど…(笑)

ヤス それは、韓国語だったら言えるじゃないですか(笑)、中国語だって言えますね。別に中国語が喋れるからって、エラソーな顔して何だよ、お前、オレできないよとか(笑)。

西塚 そうそう。でもですね、たとえば、私は英語が喋れないと。あんなものは言語的にどうのこうのと言って、日本語のほうがずっと優れてるんだというのも、ある種コンプレックスの裏返しだと思うんです。

ヤス 裏返しだね(笑)。

西塚 それも違うなと。でも、おもしろい話ですね。われわれが当たり前だと思ってるものの中に、実はわれわれが克服しなくてはならない、ものすごく大きな問題が隠されている。そういうことの象徴という意味では、英語教育というのはまったくおっしゃるとおりだと思いました。それが非常に興味深かったです。

もう、そろそろ時間もきましたので、また次回よろしくお願いします。今日はありがとうございました。

ヤス こちらこそ。ありがとうございます。

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