人は “思い” の世界に生きている。
“思い” ったっていろいろあるわけだが、ぶっちゃけ “気分” でもいい。気分と言えば、だいたい “いい気分” と “よくない気分” くらいしかないから、わかりやすい。ゼランドふうに言えば “魂の快・不快” ということになるのだが、私は “気分” でいいと思う。
年がら年中、気分のいい人は幸せだろう。たいがいは、いい気分のときもあれば、いやな気分のときもあって、いやな気分が多い人は、やはりいやな気分だろう。人はひとりでは生きていないので、まわりにいい気分の人が多ければ、やはりいい気分になるのだと思う。
じゃあ、どうすればいい気分になるのかと言えば、本当はそんなことは人に聞かなくても自分がよく知っているはずなのだが、わからなくなっているから、事が面倒なのだ。
いい気分だと思っていても、実はそうじゃなかったりする。そういうときはたいてい理性が判断している。憧れの仕事に就いているから、いい気分だ。好きな人と一緒にいる(はずだ)から、いい気分だ。目標を達成できたから、いい気分だ。〇〇だから、こうだ。というわけだ。理屈で正当化して、納得する。
逆に、いやな気分のときは本当にいやな気分のときが多い。いやな気分はごまかせない。理性が、〇〇だからいい気分のはずだと大声で教えてくれても、気分がすぐれないことはよくある。
だから私たちは、よくない気分は大事にしたほうがいい。唯一、信頼できるからだ。
大勢の人が憧れている仕事だから、そして自分は今その仕事をしているんだから、気分がわるいはずがないと思っていても、それが本当にやりたいことでなければ、いつもどこかでいやな気分になっているはずだ。でも、理性がごまかしてくれる。それは別に仕事だけではなく、生きている以上、生きていくことにまつわることごとくに対して言えることだ。
気分がわるいことは異常事態なのである。普通じゃない。少なくとも、自然ではない。
自然の中の草花や動物は気分がわるいだろうか。気分なんてものもないのだろうか。私にはわからないが、ウサギを食べるオオカミを見て、オオカミはわるいヤツで、ウサギをかわいそうだと思うのは人間である、ということはわかる。
自然は、それぞれの生物がそれぞれの役割を果たしている。腹いっぱいのライオンは、目の前をトボトボ歩く小動物を寝ぼけた目で見ているだけだ。
人間と動物とを分けるのは “意識性” である。動物は本能のままの行動が自然と調和している。意識性とは、客観視できる観察眼を持っているということだ。人間には高い意識性があるので、事態を観察・把握することができ、コミュニケーションツールとしての記号・言語も創造した。
人は眠っているときは意識性が下がる。だから無意識で見る夢は、無意識状態の気分によって創られる。夢の素材は、これまで見てきたものや、エネルギーの海のようなところにある、まだ現実化されていない無限の可能性の中から引っ張ってくる。
夢は、瞬間瞬間の気分と一致した素材によって創られた現実なのだ。でも夢だから、夢から醒めて向き合うこの世の現実とは違う。しかし誰もが知るように、夢を見ている間はそれが夢だとは気づかない。現実の世界とまったく同じように、景色を見、物に触れ、匂いを嗅ぐ。
夢の中では、気分と一致した素材がすぐに現実化されるので、目の前に知らない男が現われて、コイツはオレにわるさをしようとしているかもしれない、と恐怖を感じると、そのとおりにわるさをする。さらに恐怖や不安を感じると、その気分に見合った素材を使って、どんどん恐怖や不安をもたらす場面が繰り広げられる。
まれに、これは夢だと気づいて、何だこれは夢なのだから、怖れることはないと思えば、目の前の男を素晴らしい友人に、あるいは絶世の美女にすることができる。そう思えばいいだけなので簡単だ。しかもすぐに現実化する。
これは “明晰夢” というものだが、なかなか簡単には見られない。明晰夢では意識性が高くなっているので、自分の気分もコントロールできる。だから明晰夢では、自分の好きなストーリーを創ることも可能なのだ。
しかし、普段は無意識が見せる夢しか見ないから、日ごろの生活で潜在意識に溜め込んできた気分によって、
夢が無秩序に展開される。
夢では理性の支配から限りなく解放されるので、つまり日常生活を拘束している常識とか論理から自由になるので、夢を見ている瞬間瞬間の気分によって、どんなに荒唐無稽なシナリオでも可能になる。
そして、われわれが生活している現実は基本的に夢の構造と同じなのである。現実化されるまでに夢とは違って時間がかかるだけだ。それ以外は、同じだというのだ。
そして私たちは、日常の世界でもよく眠りこけてしまう。いや、実際に疲れてグーグーと居眠りをしてしまうという意味ではなく、毎日、機械仕掛けのように歯をみがいたり、同じ道を通って通勤したり、同じ店で同じ相手と同じような話をして昼飯を食ったり、自分の気に障ることを言われれば、同じように反応したりしている。
つまり、無意識に反応しているということだ。夢で言えば、そのときの気分に見合った現実が展開されることになる。
ただ、物質的なこの世界での現実化は、夢とは違ってタールがゆっくりと動くようになされる。だから、日常の無意識の反応も、繰り返されなければ現実化されない。しかし、毎日毎日同じように行動し、潜在意識にいやな気分を溜め込んでいると、いつかその気分に見合った現実が訪れる。
だから、なるべく、いい気分を保たなければならないのだが…
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