今日の朝、
と言ってもアップするころには昨日になってるかもしらんが、
娘と話してたら流れがYouTuberの話になり、
まあ、息子がそれっぽいものになってるってこともあるからだが、
何でもヒカキンだ何だと(ひとりしか知らないのがミエミエだが)、
そういう連中のことは昔から知っていたが、
つい最近のYouTuber事情というか、
ちょっと触れてみて驚いたというから、
どうしたい?と聞いたら、
娘いわく、
ウチらが知ってるころより、
今ははるかに大勢のYouTuberがいて、
もちろんマスコミというかテレビなんかには出てこないから、
ほとんどの人は知らないが、
でも知ってる人は知ってるわけで、
特に小中高生の間ではアイドルやカリスマになってるYouTuberが、
とんでもなく増えていると。
それで、中にはストーカーまがいというか、
あこがれのYouTuberに会いたがる連中も当然いるわけで、
これはこれまでのアイドルに会いたがる連中と大差はなく、
また結果的にストーカーになることも多いらしい。
で、YouTuberの活動はわりと個人情報がバレやすいから、
ファンのほうも簡単に住んでる場所を特定できるらしく、
メールしたり、電話したり、ピンポンしたりする。
で、さすがに女の子のYouTuberだとやはり不安なわけで、
またイケメンの男の子にしても微妙にウザかったりするわけで、
中には問題提起?として、
そういうファン?ストーカー?
とのやりとりを動画にアップするということもあるらしい。
それを見て驚いたと。
いいかげん追っかけられるYouTuberも、
ファンだかストーカーだかがピンポンしてくると、
一応は応対して、キミねえとか何とか言いながら、
これアップしていい?と聞いてからアップして、
みんなにどう思う?と問うわけだ。
私は見てないので、
こういう書き方はいけないのだが、
そういうことを言っている22歳の女がいた、
ということで許してもらえればと思う。
で、そのやりとりがだいたい以下のような内容らしい。
らしい、だらけで申しわけないが。
YouTuber、以下Y キミさあ、人の迷惑ってのも考えたほうがいいよ。
ファンもしくはストーカー、以下F え? 何でですか?
Y 何でですかって、いきなり家に来られても迷惑じゃない。
F え? どうしてですか? 私、あなたのファンなんですよ。
Y でもさあ、普通に考えてみてよ。いきなり知らない人が訪ねてきて、
話したいとか、サインくださいとか言われても、ちょっと困っちゃうでしょ?
俺(私)だって、普通の人なわけだし…
F どうしてですか? 私、ずっとあなたの動画見てるし、ファンなんですけど。
娘の話と微妙に違うし、
実際、娘にしても記憶で話したわけで、
そもそも実際の通りではなかったのだろうが、
まあ、ニュアンスとしてはそういったことだ。
要するに、
全然、話が噛み合ってないというか、
YouTuberの話がまるで相手のファンだかストーカーだかに伝わっていない。
それは恐ろしいくらいに断絶があったそうな。
で、娘は似たようなことは、
普段でも自分の周りでときどき感じていたらしく、
これはもうまったく頭の中の構造が違う、
「新人類」が出現しているのではないのかと、
ビビったというわけだ。
80年代前半に大学生をしていた私みたいなオヤジが、
22歳の女の子から「新人類」が出てきて驚いていると言われて、
どう反応すればいいのだろうか。
しかし私はと言えばマジメに捉えて、
簡単に言えば、それが人類の流れであり、
これまでの常識のようなものに縛られない連中が、
あちこちに出はじめたというだけのことだと、
鼻の穴をふくらませて語ったのだが、
でも、それって倫理的、道徳的にどうなのよ?
彼ら彼女らに小さなころから安易にゲームやスマホをを与えて、
結果、現実とモニターの世界との区別があいまいになり、
しょっちゅう見ているYouTuberは隣のお兄さんやお姉さんになり、
これまでならいろいろ乗り越えなければならなかった垣根が、
一挙になくなってしまったのではないか。
それはそれで危険なことなのではないか。
スマホとかYouTubeの規制を、
真剣に考えるべきではないか、
といった意味のことを娘に言われたのだ。
しかし私は、
それはもう流れなのだから止められないし、
止めるべきでもない。
その流れの中でまた、
新しいその倫理観とやらを作っていくしかない、
としごくまっとうなことを言うわけだが、
相手は釈然としない顔をしている。
いや、わかるよ。
娘じゃなくてもそういうことを言う若者はいるだろうし、
意味もわかる。
でも、私が驚いたのは、
娘のような年代の人間でも、
これまでの「常識」や「モラル」といったものをある種、
無防備によりどころにするのだなあということと、
でも、ひょっとしたら、
それは基本的な倫理観に基づいているのかもしれない、
と一瞬思ったことだ。
だとすれば、
私の倫理観はかなり希薄だ。
でも、それこそ80年代初期にしても、
それまでの「大人」が理解できない若者が出てきて、
これはもはや「新人類」だと言って話題になったわけだ。
だから、そういうときはおそらく、
それまでさして支障もなく運営されてきた社会なりがどこか飽和し、
このままだと行き詰まるだけで何の発展もなく、
ロクなことにはなりませんぜということで神の采配!が働き、
新しい種というかガキというか、
そういうものが生まれるのではないか。
それでなくとも、今や乳母車とは言わないか、
バギー?ベビーカー?にすらスマホを設置する場所があり、
赤んぼがYouTubeを見てる時代なわけだ。
今、オギャーと生まれた子どもが、
われわれと同じ感性を持つはずもないだろうに。
いや、娘の言ってることはわかるが、
彼らの、何でですかあ?と言うのもわかる気がするわけだ。
つまり「自由」なのである。
でも実は、とうとうわが家の中ですら、
私は異端になっていくのかなあという気がして、
心細くなっただけの話なのである。
Commentコメント
新人類
懐かしい響きですが、いつの世にも出るんですねえ。
YouTubeも飽和状態となれば、次なる表現は何をもって?
モラルはスマホの中、まぼろしの中に存在する?
随筆がエッセイと呼ばれ、写真付きのブログになり。
だけど、文字を読むのがめんどくさい世代が、YouTubeに群がるのかしら。
娘さんの持つ危機感
まさに真っ只中の世代だから、逆に気付けたのですね。
ところで、最近建築中の建売り住宅の玄関からは、棺は絶対出せませんね。
ドアが狭いし、玄関口に目隠しの為か、ついたてみたいな塀をこしらえてありますから、長い棺をかいて出すのは無理。
もしかしたら、いずれは病院で亡くなっても自宅へ帰ることなく、斎場へ行くことがスタンダードになるということをふまえての、設計なのかなあ。
これも死生観の新人類発想でしょうかねえ。
たき様
コメントありがとうございます。
新人類はたしかに古い言葉ですね。
モラルというやつも時代や地域によって、
微妙なバリエーションがあるようですが、
これからは根本的な問題にぶち当たりそうですね。
つまり、時代や地域の人々のモラルというよりも、
地球人類のモラルとは何ぞや?
といったことになりそうです。
最近の家の玄関からは、
お棺が出せないんじゃないかということは、
考えもしなかったです。
すばらしい視点ですね。
たしかにそうかもしれません。
もはや病院で死ぬことが当たり前で、
通夜も葬式も斎場で行なうものなのでしょう。