だるまさんこちら向かんせ世の中は月雪花に酒と三味線…とまあ、こういきたいものです。

酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting vol.15 「個の可能性」

人気ブログ『ヤスの備忘録』でもおなじみ、
社会分析アナリストの高島康司氏をお招きして、


1 世界で今、起きていること
2 人間の新たなる「精神性」「意識」「思考」

について、飲みながら自由闊達に話すシリーズ。
基本的に毎週更新。

〇『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』第15回
「個の可能性」

ゲスト:高島康司氏
聞き手:西塚裕一(五目舎)
2015年10月4日 東京・中野にて収録

西塚 はい、じゃあ乾杯しましょうか。カンパーイ! よろしくお願いします。

ヤス はい、カンパーイ! いつもどうもどうも。

西塚 『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』、今日は15回になりました。

ヤス 15回、すごいですね(笑)。

「帝国」対「マルチチュード」

西塚 さっきまでちょっとラインのスタンプの件(西塚が江頭2:50のスタンプに似てる)で盛り上がって、酔っぱらっちゃいました。おかしさ覚めやらぬ感じですが、どこからお話ししましょうか。

いつも、スピリチュアルにもっとディープな話をしようと言って終わるんですが、どうも途切れちゃってますね。一応、時事問題から入りますと、国会は27日まででしたが25日で実質閉会して、今は安倍の「新三本の矢」ですか? 安倍さんはもう経済的な話にシフトしてるという感じですね。安保法制がまるでなかったかのような、もう決まっちゃったかのように、まあ決まったんですけどね。その状態に関して何かひと言ありますか?

ヤス 僕の視点からですけど、安部ってとことん国民をバカにしていると思いますね(笑)。経済的にその「新三本の矢」を立ち上げれば、国民のすべての関心が移動するだろうと。それに乗っかったマスコミもね、大規模な宣伝をすれば、国民なんていずれ安保法制は忘れるよ、という程度にしか見てないと思いますね。

これは前にもちょっと言ったことですけど、中国人の有名な、いわゆる世界の要人の通訳をやってる人で、この人の手記がある。元外交官の孫埼亨さんがですね、『日米同盟の正体』という本の中で面白いことを書いてるんですね。その人の手記の引用なんですよ。その人が言うには、世界の要人を通訳してるとね、社会的な地位が高くなって、ある国の意思の決定を担うような人物になればなるほど極めて優秀で、やっぱり適わないなという印象を強くすると。しかしながら、日本だけは逆ですねって言うんですね(笑)。上にいけばいくほどアホだっていうことです。そうするとね、アホな連中が日本国民ってこのくらいアホだろうと考えているわけですから、彼らの見ている日本国民像というのは、いかに低いかということですね。

西塚 それはかなり重要な指摘ですね。ちょっと青ざめました。

ヤス たとえば、いわゆる佐藤(正久)隊長ですよね。自民党の参議院議員の。あのヒゲの隊長、安保法制を国民に説明するためのビデオを作りましたでしょ? 電車の中であかりちゃんという女子高生と喋るんですけど、あのあかりちゃんは、彼らが見ている国民の象徴ですね。はっきり言って、頭パッパラパーで、ワーッ怖いーッて、ミサイルが向けられてる、キャー!ヤダー!という程度なんですよね。

西塚 上から目線で。

ヤス 上から目線でね。そのような国民にわかりやすく説明してやるという形でくる。そういう認識って必ず破綻すると思います、どこかで。実際に現実の国民の層が、いわゆる戦後の価値を守るために立ち上がることも可能なんだという段階に至ったときにね、その現実そのものの認識をしそびれると思いますね。失敗すると思いますよ。

西塚 前回ヤスさんがおっしゃったチーム世耕に絡めた話もそうですが、その傲慢さですね。ビッグデータとかIT関係の解析や戦略は自民党は優れてるんだろうけれども、がゆえにですね、盲点というものも大きくなっていくわけだし、その傲慢さが盲点をさらに大きくしていく。しかも実質、権力を持っているような連中がそういうマインドと言うか、感情に陥ったときに、見失うものが恐ろしく多い。むしろ、あとから出てきたビデオのあかりちゃんのほうが賢いわけじゃないですか。ちゃんと正しく、冷静に物事を捉えてる。本当にあのとおりで、あのアニメーションのとおりのことが今起きている。でも安倍は相変わらず、まんまで、上から目線、傲慢、国民をバカにした感じ…あれが続くと本気で思ってるんでしょうか?

ヤス いや、だからね、続かないということを理解する能力がない。

西塚 ああ、それはもう致命的ですね。

ヤス 理解する能力がない。だから自民党解体の過程なんだと思いますね。最終的に現実に対するフレキシビリティーを失った、ある党の残骸、政治組織の残骸を我々は見てるんだなあと思いますね。

西塚 そうなると、あんまり政治の話を引っ張ろうとは思いませんが、やっぱり野党が今度は鍵になってきますね。民主党は逆に伸びるんですか?

ヤス いや、伸びないでしょう。国民の中にはっきりと民主主義の価値、戦後の民主主義の価値はやっぱり守らなくてはいけないといった、強いひとつの指向性が出てきたということですね。だから今回の安部政権の一番大きな功績というのは、日本国内に眠っている潜在的な、民主主義を守る、民主主義そのものの価値を希求するといったもの、そのスイッチをONにしたことではないかなと思いますね。それは何か大きな日本の中の我々の集合意識の底流として、かなり力強く流れ続けるだろうと思います。それをどのような政治運動に結びつけていくかということは、やっぱり政党という枠を取っ払ったところでないと無理でしょう。

西塚 無理ですね。ということで、共産党が一応呼びかけましたよね。

ヤス 連合政府ね。

西塚 安保法制に反対するという一点で一致しようという話でしたけども、それもどうなるか。実質、政権を担うということになれば、また違うでしょうから。他の野党も警戒するでしょう。でもヤスさんがおっしゃったことは重要で、戦後70年間のですね、日本人が享受した平和、アメリカの庇護のもとかもしれませんけど、日本人が享受した価値観はいったいどこにあって、それを母体にして本来我々はどうやって生きていくべきなのか、理想のライフスタイルとは何なのか、みんなでもう一回考えようということですね。そのきっかけを与えてくれて、安倍さんありがとうという(笑)お話だった。

ヤス そうです。そうなんです。

西塚 となると、哀れなのは安倍さんですね、ヘタすれば刑事告発されて被告になる可能性もあるということですから。

ヤス 前回も話したかな? (アントニオ・)ネグリ&(マイケル)ハートの書いた『帝国』って本があるでしょ? これは1991年かな、ちょうど湾岸戦争が終わったぐらいから10年間ぐらいかけて書かれた本なんですけど、この本が知識人に大ヒットして、現代では古典として読まれているんですね。『帝国』という本が何を言ってるかと言うと、いわゆる現在のように、ITを活用して政府が独裁権力化していくと。高度なIT技術を活用して国民を管理して、極めて高度な管理社会のもとにね、どちらかと言うと独裁的な政府が成り立つといったような感じのビジョンを作ったわけです。これが21世紀型のひとつの公権力だと。その公権力に対して「帝国」という名前をつけたわけです。

この本の一番のポイントは、そのような高度なITによって、ひとりひとりの国民を徹底的に管理するような能力を持つ政府が出てきたときに、それに対してどうやって戦えばいいのかということを書いているところだと思うんです。どのような結論を下すかと言うと、ITなんだからITを武器にして戦う集団が出てくると。この戦う集団を「マルチチュード」と呼ぶんですね。今から起こってくるし、もうすでに起こってるんだと思うんです。

西塚 なるほど。そうですね。

ヤス いわゆる現在の自民党のように、極めて高度なITを用いて個人個人を管理する。そしてビッグデータを用いながら選挙キャンペーンを行なって、得票数を増やして勝ってきたというような党。だから自分たちこそがまさに国民を操作できるといったような、安心感というか傲慢さがかなり出てくる。しかしながらそれはある裏面も示している。それは国民と言うか、管理される側も同じツールを持っているということなんですよ(笑)。我々のほうも戦うことができるということですね。

西塚 諸刃の剣ですよね。そうなると、まさしくネグリ&ハートが言っていたマルチチュードが勃興してきたという過程に今、我々はいるということになる。

ヤス そうです。だから言ってみれば、今回の12万人も集まったデモというのは、日本におけるマルチチュードの覚醒ですよ。

西塚 そう考えると、そのとおりですね。我々国民の中に何かこう、ヤスさんの言葉で言えばクリックと言うか、何か音を聞いた、魂の奥底に風が吹き抜けた、といったようなものが意識的か無意識的かはともかくですね、やっぱりあったと思うんですね。それがいつ発動するかわからないというものを確実に植えつけた気がします。それはわりと心強いと言うか、希望にもなる気はたしかにしましたね。

ヤス だから、やっぱりその民主主義的な価値を守るということ。もっと言うとですね、日本が大好きだ、と表現するじゃないですか、みなさん。日本が大好きだという表現の中には、嫌韓流であるとか嫌中流であるとか、過度のナショナリズムとかね、人種差別的な意識、いわゆる大和民族の優越感みたいなものの底流にある、日本大好きだ、という意識もあるわけですよ。そういうのとは関係なく、今住んでいるこの日本という環境が大好きだ、という意識もあるわけですね。そういうさまざまな要素を含めながら、日本大好き、といった大風呂敷に絡めた意識が比較的現代には多く、我々が一般的に共有しているんじゃないかと思うんですね。その日本が大好きであるがゆえに、積極的に海外に出てね、海外でビジネスを始めたり、海外にどんどん留学したりして積極的に冒険をやるという気はない。大好きなこの日本の中で自分は生きていきたいといった感じの意識ですね。

今回の政治的な運動ですごく大きなことは、日本が大好きだという、その意味の中身を問い始める運動が開始されたということではないか。大好きだと言うんだけども、何が大好きなのかと言うことですね。はっきりしたのは、平和な日本というのが大好きなんだと。ゆるい日本が大好きなんだと。それなりにゆるくて、ボーッとして生きられる。現在、我々が共有しているこの快適さを保障してくれる日本が大好きなんだ、という形ですね。

日本が大好きだという多くの人たちが抱いている感覚の中には、ネトウヨ的な感覚もあるんだけども、だんだんネトウヨがある意味排除されて、大好きだという大もとにある価値観、それを純化する方向に我々は向かっているんじゃないかと思うんです。

西塚 それはすばらしいと思いますね。何となく享受してきたゆるい感、食えてるからいいよ、そんな政治なんかよくわからない、難しいことはわかんないよと言ってきたんだけれども、無自覚に享受してきたものがですね、今回のことでハタとそれは何だったのだろうと。今ヤスさんがおっしゃったように、価値観が純化されていくことになって、今度はそれを守ろうとし始めた。じゃあ守るためにはどうしたらいいのか。どう考えたらいいのか。どういうシステムを作ればいいのか。どういう社会に変えていけばいいのか。といったところにいきますもんね。

安倍首相のキャラクターとイデオロギー

ヤス そうです。でね、はっきりしたのは、これはイヤだというものが出たんですよ。安倍が象徴する全体主義だと思うんです。安保法制がイヤだと言うんじゃなくて、安倍の全体主義がイヤだという感覚だと思います。あれだけは絶対にイヤだというのが出たのでね、じゃあ我々にとって何が守るべき価値観で、何が一番いいのかということがはっきり出てきたということだと思う。

西塚 まあ、NHKに介入するわ、内閣法制局長官は替えるわ、やりたい放題。

ヤス とんでもない。

西塚 とんでもないですよね。それをやっちゃおしまいだよということをことごとくやっていくという。本当に、脳ミソあんのかよという感じがちょっとしますけどね(笑)。

ヤス 我々の社会の民主主義的な価値の枠組みをどんどんぶっ壊していくってことですよ。

西塚 ちょっと話がずれるかもしれませんが、安倍さんという、まあひとりの人間として…これは首相だから、公人だから言っていいと思うんですけど、その精神構造は幼稚という以外に何なんだと思いますか?

ヤス ナルシシズムでしょ。

西塚 ナルシシズムですか。

ヤス ナルシシズムとコンプレックスじゃないかと思いますよ。本人も決して自分が優秀な人間ではないと思ってるでしょうし、実際優秀な人間では全然ないわけです。政治家としての大臣経験もないわけだしね。政治家として何か大きな実績を作ったという経験も全然ないわけです。本当にね。それでまわりは、かなり優秀な官僚や政治家なんかに取り囲まれてるから、本人自身がものすごいコンプレックスの塊りだと思うんですよ。そのようなコンプレックスがある反面ですね、まあコンプレックスがあるがゆえにですね、自分のアイデンティティーを強固に確保したいという願望がすごく強い。

西塚 なるほど。僕も近い感じで見てたんですけど、ある政治学者がですね、安倍さんのことを話してるんですが、安倍さんという人は場持ちもするし、一緒にいると愉快な人らしいんですね。相当愉快な人で、もともと清和会の流れですから、まあタカ派ではあるんだけども、ものすごく楽しい。たとえば石破(茂)とは違うわけですよ。石破は今回、派閥を作ったみたいですけど。人望といいですね、社交的な態度とか、会話といい、かなり洗練された人らしくて、わりとファンになっちゃう人が多いらしいんですね。

ヤス それは聞きます、僕も。

西塚 それでたとえば学歴も普通で、成蹊(大学)というのも、小学生からずっとエスカレートできただけなんで、まあただそれだけの話なんですけどね、だからわりとこなれた人なんだと思うんです。でも政治の世界は違うじゃないですか。敵に対してはかなり厳しい人らしいですが、身内にはものすごく人望があって、楽しいし、自民党内でも、敵対した派閥でもちょこちょこっと登用したりして、わりと気配りも微妙にするらしい。

そういった意味では、人間関係の機微をわかると言うか、何か慕われてる人と言うんですかね、やってることはともかく。意外とそういうことって国会であれ何であれ、わりと人間関係って重要じゃないですか。社長にしても経営人にしてもそうですね。そういうことが、けっこう作用しますよね、いろいろ。話が逸れたようですが、ちょっとそれを感じたんです僕は、それを聞いて。安倍さんは意外と普通で、つき合いやすい人なのかなと。ヤスさんも、そういうことを聞かれたんですか?

ヤス いや、安倍さんに実際何回か会ったことがある人たちがいて、そういう人たちに聞いたら実にいい人なんだと。親切だしいい人だし、すごく好感を持つと言うんですね、みんな。ただ頭おかしいよって言うんです(笑)。

西塚 (笑)おかしいというのは…

ヤス 国家に対する考えが方が全然変わってる。

西塚 右翼という。おじいさんの幻影を引きずってるんですかね。それとも根本的に何か…それこそ「美しい日本」を信じてるという。

ヤス 美しい日本を信じてるし、やっぱり日本を神の国だと信じてる人ですよね、おそらく。神国日本、日本は神の国であるということをね、心底信じてるし、そういうような意味では宗教的な信念に近いと思うんですけどね。そのような宗教的な信念を持っている人が、極めてコワモテでね、他人に対して強圧的な人格で振る舞うかと言うと、全然そうではないと思うんですね。だから個人が他人にどうやって振る舞うかってこととね、その人間が本来的に持っているイデオロギーというのは一致しないんだと思いますよ。

西塚 それはどう考えればいいんでしょうか。だんだん込み入った話になってくるかもしれませんけど、ずいぶん前の回の話にもつながりますが、いわゆるペルソナ的なものと普段の日常生活のビヘイビアみたいなものとの連関はどうなるんでしょうか?

ヤス 自分がどのようにして振る舞えば受け入れられるかということを熟知した人物ではあるでしょう。どのようにして振る舞えばまわりの人間が味方についてくれるのか。そしてどうやったら他人が自分の存在を受け入れて喜んでくれるのか、ということを熟知していた。それの能力はあるでしょうね、おそらく。

西塚 それは戦略的なものなんですか?

ヤス 十分戦略的なものだと思いますよ。

西塚 そうですか。僕はちょっと違うのかと思ってました。ひょっとしたらですけどね、実は安倍さんの魅力なんじゃないかという気もするんです。たとえば狂信的に何かを信じているとしても、そういう社交的な友好的な態度も示すっていうところに人がもし惹きつけられるとすれば、それは安倍さんの魅力であって、人間としての魅力じゃないかと思うんですよね。

ヤス 一種の魅力だと思いますよ、当然。

西塚 それと総理大臣とは違うという立場なんですけども、僕は。

ヤス なるほど。ただその人間としての魅力をね、自分の総理大臣になるためのリソースとして使いこなせるかどうかというのは、また別問題なんですよ。安倍さん自身にはそういう魅力はあると思います。安倍さんに実際に会った人から話を聞いてもそうだと言いますからね。だからそうだと思うんですね。

ただ、そのような魅力と本人が持ってる政治的なイデオロギーというのは、全然違ったものではないかなと思います。これは僕の眼から見たというだけでね、実際どこまで真実を言い当ててるかどうかは保証の限りではないですけども、やっぱり安倍さんに優れた能力があるとしたならば、自分の持っているキャラクター性といったものを、自分が政治家になるための政治的なリソースとして使いこなすことができたということだと思います。

自分のキャラクターを使いこなすってことは、演技をしてるということとも違うんですよ。そうではなくて、むしろ本来自分の持っている個性としての魅力を前面に出すことが、自分の仲間を作ったり、政治家として自分が出世をするための、極めて重要な武器になるということを早いうちからわかったのではないかと思いますね。

西塚 世間でもわりと好印象な人が多いらしく、まず一生懸命だと。英語でスピーチしてみたり、プロンプターがあるらしいですけども、一応英語でちゃんと喋るし、努力してると。頑張ってるじゃんってことですよ。

ヤス 別にこれは比較するわけじゃないですけどね。ヒットラーと会った人物もすごくヒットラーに魅力を感じるわけですよ。

西塚 ああ、なるほどねえ…

ヤス すごく頑張っているわけだし。やっぱりヒットラーの中にですね、ドイツ民族を引っ張ってくれる何か神々しさを感じるわけですね。『ヒトラーランド』という面白い本があって、アメリカ人のジャーナリストたちがヒットラーと長い時間を過ごした記録なんですけど、どのジャーナリストもヒットラーの魅力に巻き込まれていくんですね。それを戦略的に演じているというわけではなくて、ヒットラー自身がですね、自ら人間としての弱さを本当に吐露するわけですよ。さらけ出すわけです。俺は悩んでるとか。それにみんな、ほだされるわけです。

西塚 それはどう思われますか? たとえばいわゆるナベツネ、渡辺恒雄も相当独裁的で、いろんなところに介入してですね、いろいろ言われるんだけども、相当に面白い人物らしいですよね。魅力的だし、話は面白いしと、よく聞きます。似てますよね。そういう人たちは人間的な魅力に溢れてるんだけども、結果的にとんでもないファッショをするという…

ヤス だから逆に見るとね、そういう魅力がない人物は権力の頂点に君臨しませんよ。どんな人間でも、ある意味で権力の頂点にくる人たちというのは、すごい魅力の持ち主だと。カリスマですよね。カリスマじゃなくてもね、それなりの人間的魅力を持ってるということだと思います。それはやっぱり一般人を圧倒するような魅力ではないかと思いますよ。ただその魅力だけで見てると、いわゆる本人の持っているイデオロギー、何を信じているのかという部分が見えなくなるってことがある。だからスッパリ分けたほうがいいってことです。

西塚 そうですね。僕は逆なんですよ。安倍は嫌いだったし、バカじゃないかと思ってたんだけども、そういう情報があったので、ああそうかなるほど、魅力がある面もあるんだということで、ちょっと興味深かったんですね。

ヤス あと、その政治家の信じているイデオロギーの面だけを見て、そのイデオロギーからその人間の個人としてのキャラクターを類推したり、イメージを作ることも危険なんですよね。これはまた逆にワナにハマる。

西塚 最高レベルの人道主義を唱えている人がとんでもない人物だってこともありますからね。

ヤス そうなんです。だから本人の信じているイデオロギー、考え方から、本人のキャラクターを類推してイメージするということは、なかなかできないということだと思いますね。

「遊び」の現実的適応力

西塚 わかりました。時事問題は終えるとしてですね、僕はこの間、AIのイベントにいってきまして、結論から言うとですね、これからの個人のあり方と相当リンクしてるなあと。やってることは同じだな、向かってるところは同じだなという気がしました。いろんな話があったんですけども、ひとつは今までのコンピューター、AI、人口知能が大人の知能だったということらしいんですね。左脳的な。ものすごい複雑な計算をしてみたり、スピードを速めてみたり、とんでもない量の情報をインプットしてみたりという、普通の人間が左脳でやるようなことを、ものすごく拡大してきたという歴史らしいです。でも、唯一できなかったのは子どもの脳なんですね。

ヤス ああ、なるほどね。

西塚 単純に遊ぶとかですね、情緒的なもの、何が面白いのかとか、あるいは普通に立っているということも含めてですね、制御するにはどうしたらいいのかとか、これが最大に難しいところで、今ここにきてようやくそっちのほうの分野にきたという。逆に左脳的なものは相当進化してきてるけども、不可能と言われてきたような、もしくは相当難しいと言われてきた子どもに、ようやくきた。

さっきの安倍さんのキャラクターじゃないんですけど、僕の中で微妙に絡んできて、僕の小学生のことを考えてみても、あるいは我々日本人じゃなくてもいいんですが、全人類の子どものことも考えていくとですね、やっぱりちょっと思うところがあるわけですね。子どもの当時、将来こうなりたいとか、あるいは仲間とつるんでこんな遊びしたとか、そうしたことをやってるんだけども、だんだんいろんな情報をインプットして、システムに取り込まれていってつまらない大人になっていく。あるいはシステムに不平不満を漏らして一生を終えていく。というようなことになっているわけじゃないですか、基本的には。

ヤス フフフフ。

西塚 それをわかっているのは、たとえばイルミナティでも何でもいいんですけどね、一応そういうことをわかっているのがいるという構図がいわゆる陰謀論ですね。今回の安保法制の反対運動にあえて引きつけて言えば、いろいろ気づいた人たちが、ヤスさんが前回おっしゃったようにね、じゃあ我々は何が楽しいんだと。どういう生き方が楽しいのかってことに本気に取り組めば、本当に変わってですね、要するに楽しく遊べる社会ができるんじゃないかとちょっと思ったんですね。それはこの間のAIのイベントを見ながらも考えてました。今回あたりからそういう動きが本格的に始まっていくんじゃないか、あるいはそっちのほうを見ていない仕事でも何でも、要するにそういう方向とそうじゃない方向とに分かれていくのかなあという思いがしましたね。

ヤス なるほど。今そのコンピューターの話を聞いてちょっと思ったんですけど、今までのAIの開発の方向というのは目的合理的だったということですね。特定の目的、特定のタスクを実現するためのプログラミング。それをいかに高度に行なうか。それでその目的の達成の度合いによって、そのコンピューターの優秀さを測るといったような感じのやり方だったんじゃないかと。

遊びって何かと言うと、要するに基本的に戯れですよね。いわゆる特定の目的がない戯れですね。いろんなものと戯れてみるということが、一種の遊びです。何か特定の目的を指向するものではない。それはどういう効果を持つかというとですね、変化する環境に対するフレキシビリティーを勝ち得るためには、それがないと駄目だってことなんですね。そうすると左脳の目的合理的なプログラミング、そのタスクをこなすというだけのコンピューターであれば、人間の脳もそうでしょうけどね、まわりの環境が変化してしまうと全部駄目になってくるんですね。適応力が全然ない。適応力とは何かと言うと、初めから答えがわからないわけだから、さまざまな可能性を追求して遊んでみるしかないということなんですよ。ああいうこともできる、こういうこともできるというね。

西塚 おっしゃるとおりだと思いますね。そこなんです。そうじゃないとヘタすれば、たとえば単純に会社が倒産したとか、あるいはリストラにあったとか、ある種の想定した枠内とか常識的なラインから外れるというだけで、もう絶望するわけです。そんなことないわけですよ。

昨日も韓国人の知人と会って、その人は成功している人なんですけど、やっぱりどんどんいろんなことにチャレンジするわけですね。そのかわり失敗も多いですよ。日本人から見ればとんでもない無謀なことをやるんだけども、成功を勝ち取る場合もある。お隣の国ですけど、見てるとやはり日本人は何と言うか、ガチガチな常識なり、あるいはラインがあってですね、そこにいると安心なんだけど、そこから出ることに非常に臆病になるという。まあ僕もそうでしょうけど、そういう傾向がありますね。そういう社会の雰囲気を作ってきちゃったのかなと。

ヤス だから常識ほど怖いものはないと思います。現在の与えられた環境に対してね、どうやって適応したらいいかっていうことの、全部のプログラムが常識だから。そうなってくると、常識的に行動するということは、まあこれは必要でもあるんですけど、すべて自分の行動とか思考のいろんな要素を切り捨ててね、いわゆる常識ということだけに適応してしまうと、常識を支えている環境がひっくり返った場合には、まったく適応力をなくしてしまうことになるんですね。

西塚 そう思います。そういったマインドでは絶対に滅びますよ。

ヤス 滅びる滅びる。

西塚 科学も僕はそうだと思います。とりあえずの仮説でしかないわけですから。一時的な。そこにしがみついてどうすんのという話です。そのつどそのつど臨機応変に、フレキシビリティーを発揮して遊んでいくってことですね。

ヤス そうです。だからあまりにも常識的になるということは危険なんですね。ものすごいリスクを負います。常識的な自分自身というのはある一部に留めておいてね、いろんな可能性と戯れる、遊ぶという領域を自分の中にしっかり作っていくということがすごく重要ですね。

西塚 常識はある程度は持っておかなきゃいけないという、そこなんですね。常識を全部すっ飛ばしても駄目じゃないですか。破滅の道に向かったり、とんなでもないことしたり、ちょっと考えればわかるだろうということで経済的な被害を被ったり、そういうことがあるわけで。常識は今現在やっぱりあるわけだから、流れとしてそこはちゃんと見ておかないといけないということですね。

ヤス そうですね。ただね、あまり深く見すぎることはないと思うんですね。何が常識で一番大事かと言えば、社会的なコミュニケーションですよ。たとえば初対面の人、一回や二回しかあったことのないような人とキチンと対話をして、コミュニケーションをして、こちらが言いたいことを伝えるためには、やっぱり共有してるコミュニケーションのルールに則って喋らなくちゃだめなわけです。初対面の人にね、「よおッ!元気かよ?」じゃ、やっぱりね…そうなってくると、これが大人としての常識的な社会のコミュニケーションのルールだというのは、常識の中の一部としてちゃんとあるので。

西塚 もうマナーとエチケットの話しですね。

ヤス それに則ってコミュニケーションしたほうが絶対にいいわけです。

西塚 それはそうですね。言葉遣いに限らず、服装もそうだろうし。ときにはちゃんとスーツを着てネクタイを締めるということを含めた、常識に則るということですね。

ヤス 言ってみれば、常識の作用範囲はそこまででしょう(笑)。

西塚 ああ、なるほど。逆に言うと。

ヤス 社会的な円滑なコミュニケーションを保障するっていうところまでが、いわゆる我々が常識を信じていい範囲だと思いますね。

西塚 最低限のルールと言うか、前提。

ヤス それ以外にもいろんな常識がありますよ。人々はこうすべきだといったようなね。

西塚 ヤスさんがおっしゃったのは、初対面の人とコミュニケーションしやすいような、そのときの時代の常識ぐらいのものが常識だっていうことですね。

ヤス そうです。だからそのときの常識、そういう社会的なコミュニケーションを支える常識というのは、意外に変化しないんですね。極端に変化はしない。たとえば我々のオヤジ、オフクロの世代の人たちがまだ若いころ、それこそ40年前50年前に遡ってね、その当時の人たちに会ってもね、社会的なコミュニケーションのルールに則れば全然問題なくコミュニケーションできるはずなんですよ。だから一番常識で変わりにくい部分だと思うんですね。安定した社会的なコミュニケーションを支える常識というものは。

西塚 それは国も関係ないですね。

ヤス 比較的関係ないんじゃないかなと思います。当然違いはありますけど。これやっちゃいけないとかね。基本的な部分なあんまり変わんないと思いますね。まず最初に会ったらお互いに自己紹介する。微笑む。握手なら握手をする。お辞儀ならお辞儀をする。自分が誰か名乗る(笑)。お互いにイヤな気分にならないように、当たり障りのない話題から入るわけですよ。相手が何かの意見を言ったら、あからさまに否定するようなことはしない。そうやって一応仲良くなってくるというね、基本的なルールはあって、そのルールはけっこう各国だいたい同じようなものではないかと思いますね。

シリア空爆とエゼキエル書

西塚 ちょっと戻って申しわけないのですが、さきほど時事問題で聞きそびれてしまいました。先日の収録の間にロシアがシリアを空爆しましたね。それをちょっとお聞きしようと思って忘れていました。

ヤス まあイスラム国そのものは、財政的に支援しているのはアメリカであるという証拠はね、やはり膨大にあります。アメリカ軍の内部で、特に軍産複合体、ネオコン系のほうでね、イスラエルと一緒になってイスラム国を積極的に支援しているというグループは当然あります。ただ、そうじゃないグループもあるんですね。むしろオバマ政権系の人たちというのは、積極的に支援をしているわけではないんだけども、アサド政権を打倒するためにね、反政府勢力を支援すると。その一環に実はイスラム国も入ってたんで、結果的にイスラム国を支援することになってしまったという人たちが多いわけです。

ただその結果、アメリカというのは対イスラム国で見るとすごくちぐはぐなことをやってるわけですよ。アサド政権が最大の敵であると。しかしながらイスラム国と一番戦っているのはアサド政権である。イスラム国も基本的には敵であるけれども、アサド政権を倒すためにイスラム国にアメリカは資金援助をしていると。それはアメリカ国内でも散々非難されてることです。いったい我々は何をやっているのかと。

西塚 本当ですね。プーチンもあからさまには言わないけど、アメリカは何をやってるんだと。空爆はエスカレートする可能性はあるんですか。

ヤス いや、しますよ。今ね、空爆をどんどん開始してて、プロパカンダ戦争が行なわれてますよね。日本はアメリカの情報しか流れてこない。ロシアの情報は全然流れてこない。アメリカの言うことはめちゃめちゃなんですよ(笑)。ロシアが空爆しているのはイスラム国じゃなくてアルカイダだと。アルカイダはアサド政権を倒す我々の同盟相手なんだと言うんですね。それを聞いてみんなアメリカ人はびっくりするわけですよ。アルカイダが同盟相手ってどういうことだ。敵じゃないのかと。いや昔は敵だったんだけど、今は同盟相手だと言うのね。だからぐちゃぐちゃなんですね。いずれにしろ、そういうわけのわからんことを言って、ロシアを攻撃してるわけですよ。

ただロシアのほうは、『Russia Today』あたりでね、ビデオをどんどんアップロードしてる。そのビデオは何かと言うと、実際、地上で攻撃されたほうが録ったビデオなんですね。それが『Live Leak』というところでどんどんアップロードされてきてる。実際、攻撃されてるほうから撮られてるわけですね。それでロシア側は、イスラム国の拠点そのものを我々はやってるんだと。精密爆撃をやって、今までアメリカ軍が出せなかった大きな成果を収めてるんだとはっきり述べてる。

それで今、全体の状況がどうなっているかと言うと、まず第一にロシアの空爆はこれからもどんどん続きます。それから地上部隊を派遣してくる。これはまだ日本ではきちんと報道はされてないようですが、全体でも3000名ほどの地上部隊。前に1000名ほどの兵站部隊を送ったんですよ、ロシアが。それで今3000名規模の地上部隊がもうすでに派遣されたということなんですね。ロシア軍が借りてる軍港があるんですね、シリアの中に。そこにどんどん上陸してきてるんですが、そこにですね、イランの革命防衛隊も一緒に上陸していて、ロシア軍と一緒に戦うという体勢が整っている。面白いのは中国の動きなんですよ。

西塚 中国がどうしたんですか?

ヤス 軍艦を派遣してきた。

西塚 え、シリアにですか?

ヤス シリアに。現在ですね、その港にロシアから派遣された軍艦と中国の軍艦が一緒にいるんですね。数百名の軍事アドバイザーという名目で中国軍がもう入っている。

西塚 なんか、きな臭いですねえ。

ヤス そうなってくるともう軍のレベルでね、いわゆる中国、ロシア、イランの同盟軍ですよ。

西塚 そうですね。対アメリカ、対イスラエルとなって、日本も入るわけですよね。あとサウジアラビアか。

ヤス ロシアの空爆は、僕は成功すると思うんですね。今までのアメリカ軍の、半分はイスラム国を支持してて、半分は支持してないようなね、そういう中途半端な何やってんだかわけわからないアメリカ軍に比べると、はるかに有効な軍事作戦を展開するんじゃないかと思います。その結果、中東地域の覇権が変わる。

西塚 そうですね。中ロですね。

ヤス アメリカとかサウジアラビアの影響力がすごく衰えてですね、まあトルコの影響力も衰えて、最終的には、中ロ、イランによって中東の緊張が管理されていくといった体制に急速に移行してくるんじゃないかと思いますよ。

西塚 そのときに何かバカみたいなことが起こりませんか? それを許さない軍産複合体、エネルギーを含めて、何かやらかしませんか?

ヤス いやいや、極めて危険な状態だと思いますね。そこでアメリカが、じゃあ私たちは撤退しますで済むか。

西塚 済むわけないですよね。

ヤス そのときにやっぱり鍵になるのはイスラエルですよ。イスラエルがどう振る舞うのか。中ロそれからイラン、この3国の同盟による中東の管理ということに関して、イスラエルが協力的な姿勢をとるのか、敵対する側に回るのか。それによってアメリカとかヨーロッパがどっち側につくのか決まってくる。すごく不気味なのは、どんどん状況がエゼキエル書によく似てきているという(笑)。

西塚 あ、そうですか。エノクではなくエゼキエルのほうに。

ヤス という感じはしますけどね。

西塚 ヤスさんのメルマガじゃないですが、ドイツ銀行も含めた破綻問題も懸念されてますよね。そのへんが相まって、もう欧州、中東はかなりぐちゃぐちゃになる。

ヤス そうですね。中国軍がどれくらい介入しているか。だいたい情報が集まってきたので、今回メルマガで書こうと思うんですけど。中国がここまで動いたかという感じはしますね。それで日本ではね、何でロシアが空爆したのかと言うと、ロシアはシリアとは伝統的な同盟国であって、地中海に出るための軍港を借りているから、その利害があるからという説明をするんですけど、おそらくそうじゃない。ロシアがシリアに持っている経済的、政治的利害って大したもんじゃないんですよ。軍港ひとつですからね。それでもここまでロシアが関与しているのは何かと言うと、イスラム国の拡大を怖れてるんですね。

アサド政権というのはビンのフタですよ、言ってみれば。もしフタがなくなった場合、イスラム国の勢力がロシアにもどんどん侵入する。チェチェンを介して侵入するだろうと。それはロシア国内でも極めて大きな脅威になりかねない。水際でこいつを止めなくちゃ駄目だと。中国も同じだと思うんですよ。中国で爆弾騒ぎがありましたよね。あれは新疆ウィグル自治区でいわゆる東トルキスタン独立運動が極めて盛んで、爆発物を仕掛けた人たちはイスラム国の一派なんですね。イスラム国が東トルキスタン運動に深く関与してて、独立の武装闘争になってる。中核的な部隊はまさに東トルキスタン、新疆ウィグル自治区の中のイスラム国部隊なんですよ。それがどんどん入ってきてて、その拠点がシリアにあるんですね。シリアで戦闘員を訓練して、中国の新疆ウィグル自治区に戻ってくるっていうルートができあがってる。

中国のほうとしてはやっぱり根もとであるシリアの、東トルキスタンイスラミックムーブメントって言うんですが、この大もとを叩きたい。そういう政治的必然性があると。中国としては一応、鄧小平が立てた原則があって、中国の国益に関与しない地域に関しては軍事侵攻することはないと。我々は中立を保つといった鄧小平が立てた絶対的な原則があるんですね。しかしながら東トルキスタンの運動は、中国の国益にとって重大な問題になってくるわけですね。これが拡大すると国内の治安に極めて大きな影響があるわけですから。そうするともしですね、アサド政権のほうから中国軍に依頼があった場合、シリアに中国軍を送るという合理的な理由は十分あることになる。

西塚 エゼキエル書は、ちょっと忘れちゃいましたが、どんな見通しというか、流れなんですか?

ヤス ロシアとイランと北アフリカ連合軍、これが連盟してイスラエルに攻撃を仕掛けるという。イスラエル側にはトルコとヨーロッパ。そこで大戦争が起こるという預言ですね。

西塚 北アフリカと言うと、イスラムですね。

ヤス そうです。スーダンとかエチオピア。今ちょうどシリアにですね、ロシアと中国とイランの連合軍ができ上がりつつあるというような感じの流れですから。そこで覇権地図がどんどん塗り替えられる。それをアメリカがよしとしなければ、もうひとつ大きな政治的な事件を仕掛けてくるだろうと思いますよ。

西塚 経済的なものなのかもしれないし…

ヤス 空爆をやってるロシア軍そのものを弱らせると言うかね、空爆できないような状況にもっていくような政治的な事件。そうなってくるとウクライナに非常に大きな、ロシア軍を軍事的にウクライナに留めおかざるを得えないような何か大きな事件を起こすとかね、そういうことかもしれない。

西塚 あとはロシアを悪者にするようなイメージを作るような事件ですね。かなり緊張がありますね。

ヤス 緊張ありますよ。シリアというのはすごい緊張がある。いきなり情勢がすごい勢いで動き始めたって感じはしますよ。

世界を変える「個」のパワー

西塚 そのへん、大きなところで言うと、前回から言ってるような日本における安保法制の問題があって、ヤスさんともずっとテーマとして話している「個」の問題、「目覚め」ですね。依存しないで我々はどうやって生きていくのか。また、どう連帯して生きていくのか。それと今の世界の情勢。やっぱりひとつひとつが全然違うものではなく、リンクしてるように思います。別に総括するわけじゃないですが、僕なんか前からチラチラ言いますけど、構造とかリンクで考えちゃうところがあるのですが、ヤスさんご自身は世界のそういう構図と日本における状況、個人の中の内面の構図といったもの、そのへんの大きな連関に関して何かお考えはありますか?

ヤス あります。ユングが面白いことを言ってて、東西冷戦がちょうど始まった1950年代初めに言ったんですけど、現在の東西冷戦というのは人間の内面を象徴してるって言うんですね。現在の我々というのは、無意識および集合無意識の倉庫であると言うか、それを象徴している右脳と、意識と合理的な行動、合理的な理性といったものを象徴している左脳、これが分断して統合されてないという状況が、東西冷戦の分裂の表れなんだと言ってるんですね。僕はそれを読んだときに、またバカなことを言いやがってと思ったんですね(笑)。何が関係あるんだと(笑)。

西塚 ヤスさんはそう思ってたんですね、当初。

ヤス 若いころですから。それを読んだのは18とか19くらいなので。そのときは、そういう漠然とした印象を持ってしまった。現在はちょっと違った捉え方をしてるかなという感じがします。それは何かと言うと、やっぱりね、マルクスじゃないですけど、社会構造が変化する、経済が変化する、政治が変化する、要するに社会構造が変化すると、それに合わせて人間の意識も変わるじゃないですか。人間の意識がどんどん変わってくる。

具体的な例を挙げると、17、8世紀に資本主義がどんどん出てくる。資本主義は労働力を使いますね。商品としての労働力を使う。商品としての労働力というのは、農村共同体に生きてる共同体の一員ではないわけです。ひとりひとりが自分を労働者として、労働力を売りにきた人たちですから。そういう意味では個人です。そうなってくると、共同体の解体と個人主義化というのと、資本主義化といったことが軌を一にして進むわけです。だから資本主義化すればするほど、個人主義化の流れが進展することになる。個人主義化の流れの中では、個の意識がどんどん強化されるという流れになってくる。だから社会的な変化と人間の意識の変化は、だいたい軌を一にしている。

では、社会的な変化と意識の変化はどっちが先なのか。古い話ですけど、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』という本によると、人間の意識の変化のほうが先なんだと。カルヴァン主義みたいなのが広がってきて、目的合理的な行動形式ができて、その目的合理的な、いわゆる金を稼ぐために専念するという目的合理的な行動原則が先にあって、その結果として資本主義になったという考え方。

しかし一方で、そうではないと。逆なんだと。資本主義化したがゆえに結果として、そのような意識変化があったのではないかという解釈もある。どっちが先かと言うと、当然断定はできない。断定はできないんだけども、はっきりしてるのは、我々の意識の変化というのは、世界情勢であるとか、社会構造であるとか、そういう大きなものの変化の極めて重要な一部として、一緒に変化してるということですね。

西塚 そのとおりですね。そうすると、どうしても根本的なものに戻らざるを得なくなります。根本的な「創造」ということで言えば、「創造主」でもいいですけど、「大もと」でもいいですが、肯定的に何かを創造していくというものが大もとにあると思うので、さっきのマック・スウェーバーの話で言うと、僕はやっぱり人間の意識が変えていくという立場ですね、今のところですけど。とは言えもちろんフィードバックされるものはありますよね。でき上がった構造なり、システムから相当影響も受けるし。でも基本は人間たちの意識であり、意図が相当先にあるのではないかと思います。反論もあるでしょうけれども。

ヤス 基本的にはそうだと思います。この300年間ぐらいの歴史を見た場合、結論から言うと、個が自らの力の偉大さに覚醒する歴史だった思います。たとえば近代資本主義以前の世界というのは、個はまさに共同体の中に埋め込まれてました。共同体と離れた個は、意識がなかなか成立しにくいわけです。自分は親から、先祖からずっと連綿とつながっている鎖の輪のひとつにすぎないとして、個を認識してるわけですね。その中では純然たる個の意識というのはなかなか成立しにくい。

近代の資本主義になってくると、個の意識がどんどん芽生えるんだけども、じゃあ個がひとりで何かできるかと。多くの人たちと何か連帯した組織を作らないと、いわゆる大きな社会的な力にはならないという時代が長く続いてたわけですね。個は個であるんだけども、個が社会的な力を発揮する場合は、個を越えた組織なり、民族、国家、何でもいいんですけど、そういう個を超えた実体に対して個が逆に解体されねばならない。そうじゃないと、個だけでは何らの社会的な力にもなれないという時代が極めて長く続いてた。

西塚 それを僕なりに解釈すると、日本の場合は個がなかったけど欧米にはあった。前回は農奴の話も出ましたし、ツァーリズム当時の都市の話も出ましたけども、そういうのを含めて地域によっていろいろ差はあるんだけれども、人類とか地球規模の大きな流れで言うと、我々は個に目覚めていく過程にあるのだということでしょうか?

ヤス だと思いますよ。僕はそう思います。僕はスピリチュアル的な能力も何もないですけど、僕の感じとしてはそう思います。人類総体として、極めて長期的な流れの中に生きているんじゃないかと思いますね。

西塚 個に目覚めて過程ということで言えば、それは社会現象とかいろんな歴史的な事実の積み重ねの検証でも確認できるんでしょうが、ある種別のライン、スピリチュアル的なラインもありますね。スピリチュアリズムは今に始まったことではなく昔からあるわけで、そのラインでも次回ちょっと突っ込んだ話をしたいですね。

ヤス やっぱりですね、このインターネット社会、21世紀の変化って巨大だと思うんですよ。今まで文化的に個の意識というのを古くから持ってるような地域もあるんだけど、ただ個人というのが社会的な力になり得るためには、個を越えたさまざまな集団の一員にならなければならなかった。労働組合にしろ、政治党派にしろ、軍事組織にしろね。それは今言ったように、個を超えた何か全体的なものに対して、個を解体させていくという流れなんですね。組合が動員かけるってときに、動員の中に個人の名前が入ってるかと言えば、ないわけですよ。ひと塊りなわけです。マスですよね。だからそのマスの動員力を持ってる組織と組織のぶつかり合いによってね、歴史とか社会の流れが決定されるという時代が20世紀だったと思います。

我々が今どういう時代に入ってきたかと言うと、やっぱりインターネットを通してね、個が巨大な力を持ってしまうということです。ひとりの個人がですね、たとえばブログを作る、メルマガを書くでもいいですが、1日2万とか3万のアクセス数があったとすればね、個人のブログそのものが、ある意味で巨大な社会的な運動を引き起こすだけの力を持ってしまうということです。または個人のアイデアがですね、3Dプリンターを通して物質化すると。その物質化したものを直接、商品として売れるようになってくるわけです。それが大ヒットする。

西塚 クラウドファンディング。

ヤス クラウドファンディングもそう。いわゆる個といったものが、今までの20世紀のマスではなくて、マスから個へのね、極めて大きな飛躍と転換が今起こってるんだと思いますね。その結果ですね、個がどれだけの力を持った存在なのかということをやっと自覚し始めた。

西塚 そこでヤスさんがおっしゃったように、やっぱりスピリチュアリズムは無視できないし、どうしてもそこにいかざるを得ない。説得力も含めてと。そこになるわけですね。

ヤス ええ。その過程でですね、いわゆる個が自分の力の大きさに目覚める。目覚めることによって、ブログは書くわ、ツイッターはやるわ、いろんなコミュニケーションをするわけですね。フェイスブックとか、ツイッターとか、ブログなんかは典型的ですけど、個の世界を表現するわけですね。個が何を感じているのか。その個の感じ取るような世界を表現してみるとですね、実に多様な世界であったということなんです。とおり一遍に、まあみんなこういうことを感じてるよねー、といったような枠を、実ははるかに飛び越えた多様性がある世界になったんだと。実はスピリチュアリズムの本当の面白さって、そこにかかってくると思うんですね。

西塚 まったくおっしゃるとおりですね。じゃあ、ぜひそのへんを次回、突っ込んで質問したいと思いますので。今日はありがとうございました。

ヤス こちらこそ、どうもどうも。

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