だるまさんこちら向かんせ世の中は月雪花に酒と三味線…とまあ、こういきたいものです。

酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting vol.22 「トラウマと向き合う」

人気ブログ『ヤスの備忘録』でもおなじみ、
社会分析アナリストの高島康司氏をお招きして、

1 世界で今、起きていること
2 人間の新たなる「精神性」「意識」「思考」

について、飲みながら自由闊達に話すシリーズ。
基本的に毎週更新。

〇『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』第22回
 「トラウマと向き合う」

ゲスト:高島康司氏
聞き手:西塚裕一(五目舎)
2015年11月22日 東京・中野にて収録

西塚 みなさん、こんにちは。『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』の22回です。またヤスさんにおいでいただきました。よろしくお願いします。カンパーイ!

ヤス どうもどうも。カンパーイ!

西塚 この対話は、当初は周波数とかちょっとスピリチュアルなことをお話ししてたのですが、それから時事問題から入っていろいろとヤスさんに教えていただく形できたんですけど、そろそろと言いますか、前からずっと言ってるビリー・マイヤーのテーマに移りたいのですが、パリに始まるテロのことはやはり触れておきたいと思います。前回の我々の対談のちょっと前にいきなりパリでテロが起きたわけですが、エノク予言との類似性、関連性など、その後いかがでしょうか?

エノク予言との無気味な類似性

ヤス 前回も言いましたが、あのパリのテロはこれから起こる一連のことの出発点にあたるようなものだということですね。これが何かひとつの解決であるとか、何かの大きなエンディングと言うかな、ある歴史的なプロセスの終焉を見るような出来事ではなくて、まったく逆ですね。ある新しい歴史的なプロセスの始まり、その出発点にあたる出来事だと思いますね。

これから出てくる歴史的なプロセスというのは、特にヨーロッパを中心としたテロの拡大です。現在もシリア難民に含まれて4000名ぐらいのイスラム国の戦闘員がすでにヨーロッパの国内に入ってると言われてます。この4000名という数字は、パリの同時多発テロの起こるかなり前から出てきた数字です。フランスではなくて、たしかスウェーデンかどこかだと思いますが、全然違った国ですね、シリア難民を偽装したパスポートで入ろうとした人が逮捕された。そうしたら膨大な数の、数千冊にのぼるシリアの偽造パスポートを持ってたんですね。

それで、自分はイスラム国の戦闘員であると白状した。その戦闘員が言うには、現在すでに4000名ぐらい入ってると。このニュースが流れたのは確か8月の半ばぐらいですね。具体的な国名は忘れましたけど、たしかスウェーデンあたりだと思います。

西塚 スウェーデンだとすればですね、僕はどうしてもエノク予言を思い出してしまいます。エノク予言では、フランスとスウェーデンのことを言ってますね。そこから戦端が開かれるのか、あるいは内乱でひどいことになるのかは忘れましたけども、けっこうそれらの国が中心となっておかしなことが起きるという。何で北欧のスウェーデンなんだろうと思ったんですが、今の話を聞いてちょっと思い出したんです。

ヤス ちなみにエノク予言とは何なのかと言うと、1987年2月28日にですね、プレアデス星人とコンタクトしてると言われるビリー・マイヤーがクウェッツァルというプレアデス星人から授かったもので、21世紀に何が起こるかに関する予言なんです。僕が最初に読んだのは、8年から9年ぐらい前だと思います。それを読んだときは、あまりにも荒唐無稽な内容だと思いました。これが現実化することはまずないだろうと。これは1999年に関するノストラダムス的な予言と同じようなレベルのファンタジーじゃないかと思ってたんです。

西塚 僕もそう思いました。

ヤス しかしながら、現在起こってることがどんどんエノク予言のモチーフに近くなってきてるんですね。整理するとこんな感じなんですよ。まずですね、ヨーロッパ各地でイスラム原理主義のテロが起こるんですね。そのテロのひとつの拠点になるのがフランスなんです。どんどんテロが起きて、フランスのみならずヨーロッパ各地でですね、ものすごい強烈なナショナリズムの運動が起こってくると。それによってそれぞれのヨーロッパの政治が不安定化するんですね。社会不安が醸成される。その社会不安が次のテロを起こすための絶好の機会を提供する。

その結果、テロが起こる→ナショナリズムが醸成されて社会不安になる→社会不安になるとまたそれが次のテロを引き起こす引き金になるという形で、それこそ社会不安とテロが相乗関係になってどんどんどんどん混乱が進んでいくわけです。

一方、もうこれではヨーロッパの国々単独では対応できないということになってくる。対応できないので、EUがそれぞれの国の主権に制限を加えて、EUが独裁化していくんですね。ある意味でEUが超国家的な共同体としての姿を現わしてくる。これが第2の問題です。EUが、独裁化した共同体にどんどん変化していくという流れですね。ただ、この独裁化したEUの共同体はロシアとの関係が極めて悪い。最終的にですね、プーチン以降だと思うんですが、ロシアがヨーロッパに攻め込むという形で第三次世界大戦が起こるという流れなんです。

西塚 東から巨大な軍が攻めてくるとエノク予言にはありますが、あれはもうロシアと考えていいですか?

ヤス ロシアと考えていいですね。どこから攻め込むかと言うと、アルハンゲリスクっていう町なんですね。アルハンゲリスクはロシアのスウェーデン国境沿いにある町です。

西塚 笑っちゃいけないですけど、あまりにも現実感があるので、もう何とも言えない。

ヤス そのようなシナリオで第三次世界大戦が始まると。だから第三次世界大戦というのは、ロシア軍によるヨーロッパ侵攻で始まるということですね。ただ、これがいつ起こるかは明示はされてませんが、これが起こるためのあるインジケーターと言うか、こういう事件が起こったならば、これがあるよといった指標となるものが示されている。

3つあるんです。第1の指標はローマ法王がバチカンに住めなくなること。なぜ住めなくなるかとい言うと、具体的な説明はエノク予言にはないんですが、どうも見てるとですね、イスラム原理主義のテロがあまりにもいきすぎてコントロールが効かなくなる。それでローマ法王もバチカンには住めなくなるというのがひとつですね。

第2の予兆は、今言ったようにEUの独裁化です。第3の予兆はスイスのEU加盟ね。この3つのインジケーターがそろったときに、さきほどの事件が起こるというように読める。

西塚 ローマ法王はまだバチカンにいるし、EUはたしかに超国家の道を今歩み始めていると言っていいでしょう。もちろんスイスはまだEUには加盟していない。という段階にある。

ヤス じゃあ時期的にこれはいつぐらいに起こるのか。去年くらいかな、ビリー・マイヤーの公表されてるインタビューだと、2020年代にはもうこういう状態になると。だから今から言うと5年後ちょっとですね。

西塚 ビリー・マイヤーのエノク予言自体は、これはビリー・マイヤーの書籍にしかない予言なんですか?

ヤス ビリー・マイヤーの書籍にしかないですね。類似したものというのはほとんどないと思います。

西塚 図らずもビリー・ジョエル…いやいや、ビリー・ジョエルじゃない(笑)。

ヤス 大好きですよ(笑)、「ピアノ・マン」(笑)。

西塚 ピアノ・マン(笑)…図らずもビリー・マイヤーの話には突入してるんですけども、似たようなシナリオ、たとえば「エゼキエル書」であるとかですね、いくつかヤスさんのメルマガとかブログでも過去に紹介されてましたね。

ヤス そうですね。エゼキエル書はエリアが違う。中東なんですね。中東がどうなるかってことはエノク予言では具体的には述べられていない。ただエゼキエル書は、最終的にはロシアがイスラエルを攻撃するということなんですね。ロシア軍がどんどん伸長してきて、中東までいって攻め込むといった感じの予言ですけども、それはエノク予言とほとんど矛盾はしないんです。

西塚 しないですよね。そういういわゆる予言書じゃなくても、予言者とされてる人たちが見てる未来で、似たようなシナリオを言ってる人がいまね。

ヤス たくさんいます。シナリオの類似性ということで言えばたくさんいます。

西塚 ということは、その予言者たちに能力があるかどうかはちょっとわからないですが、大筋では同じような未来を見てるということですね。

ヤス 見てるような感じはします。

西塚 ロシアとヨーロッパを発端に、第三次世界大戦ってことですね…その端緒となるのが、今回のパリのテロだという。

ヤス だいたいその流れができつつあるってことですね。これから我々が注視しなくてはならないのは、ヨーロッパの国内でテロが連鎖するかどうかがひとつ。ヨーロッパでテロが連鎖したら、次の第2の段階として、それに呼応するような極端なナショナリズムの運動が起こるかどうかということ。第3に、極端なナショナリズムの運動によって社会不安が醸成されますでしょ? そのような混乱状態というのは、次の大規模テロを起こすのに一番有利な状態なんですよ。

西塚 そうですね。ヨーロッパが中心なんだろうけども、イスラム原理主義的なテロがですね、同時にアメリカであるとか、今ちょっと起こりつつあるアフリカであるとか、おそらく中国にもということで広がっていく。エノク予言によれば、ヨーロッパのみならず各地でヤバいことになるということですから。今はパリ以外、ヨーロッパ以外のところはあまり表立っては出てきてないようですが、今後はヨーロッパに限らずどこも危なくなってくる。

ヤス そうですね。どこでも危ない。ただやっぱりね、今回は集中するのはヨーロッパですね。ヨーロッパにイスラム国と言うかイスラム原理主義系のテロが集中してくるってことだと思いますよ。

西塚 ビリー・マイヤーがクウェッツァルから聞いたエノク予言の趣旨と言うか、その意図ですね。なぜそういうことを伝えたのかという意図は、このままいくとこういうことが起こるんだから、回避せよということでしょうね。

ヤス そうです。回避せよということです。

西塚 そのためには、じゃあ意識を変えなきゃいけないとか、そういう話につながる。

ヤス そうですね。基本的には。

「憎しみは与えない」の効果は果たしてあるのか?

西塚 その話のひとつとしてですね、ふたつくらい記事が出てて、たとえばジハーディ・ジョンによって殺された被害者の母親とか、あるいは今回のパリのテロで妻を亡くした夫のフェイスブックのコメントとかが、けっこう大きく取り上げられてますね。共通しているのは、要するにISには憎しみは与えないと。憎しみみたいな贈り物をお前らには簡単にあげないよってことです。それが全世界でものすごい感動を呼んでいる。

あのような意識というのは、そこでキョトンとしてしまうのはISのほうであって、本来受けるべき憎しみを受けられないわけですから、自分がどうしていいのかわからなくなってしまう。特にISって、けっこうガキンチョが多かったりするじゃないですか。当然、学歴の高いインテリ層も相当取り込まれてるだろうけど、同時に少年たちもいて、勧善懲悪に分けたある大きな物語の中で、当然自分らが善なんですけども、苦しめるべき相手から憎しみを受けないとなると、ハタと困る。

ヤフーにも出てたイギリスのブレイディみかこというライターの記事に、ISに監禁された男から見た体験談がありました。事実だと思いますが、いろいろISの若いヤツらが脅してくるんだけども、本当に子どもじみてると。これでお前の首をチョン切って、ケツの穴に入れてYouTubeで公開するとかなんとかといった、ちょっと吹き出しちゃうぐらいにベタなことを言う。もちろん、それはやらないんだけども。それでそいつらが一番びっくりしたのは、ドイツが難民を受け入れたときだったと。難民を排除するのではなく、受け入れたときにちょっと困惑してたと言うんですね。

そのへんのマインドと言うのかな、さっきのエノク予言の話で言えば、意識を変えなきゃいけないということのひとつのヒントがあるような気がするんですね。そのへんはいかがですか?

ヤス それはね、すごく重要なことだと思うんですね。ネットテレビやなんかでも宮台真司さんが同じようなことを言ってます。恐怖と復讐で反応すると思うツボなんだと。それは確かにそうなんですよ。確かにそうなんだけど、ただ僕はちょっと違う見方をしてます。それで本当にイスラム国がポカンとしちゃって、あてがはずれたという感じになったのかってことなんですね。僕はなってないと思うんですよ。

西塚 一部の少年たちだけのことかもしれないという…

ヤス 末端のレベルはそうなのかもしれない。ポカンとなったというような感情的な反応があったかもしれないけども、どうもイスラム国を見てて思うのは、こちらがこう出たからそれに合わせてこう出るといったような、こちら側の反応を考慮して動いているという集団じゃないように思うんですね。

そうではなくて、彼らには彼らの確立されたある意味でカレンダーがあってね、そのカレンダーはまさに彼らが持ってる原理主義的な世界観をいついつまでに実現するんだというカレンダーです。つまり彼らは、彼らが設定した予定表にしたがって一方的にいろんな事件とかテロを引き起こしていくだけの存在で、こちらがどう考えているかなんていっさい考慮しないという感じがするんです。

西塚 そのISが考えたカレンダーというのは、たぶん日付じゃなくて段階でしょうね。ここをクリアしたら次はこっちの段階とか、たぶんそういうものだと思うんですけど、それは具体的にどんなものなのでしょうか?

ヤス これはメルマガにも書いたんですけど、2001年が覚醒のときなんですね。9.11のテロがあって、それでテロをひとつの起点としてジハディストが自らの使命に覚醒する時期なのだと。2003年のイラク侵略戦争のときがジハディストの拡大ということになってるんです。2003年以降、確かにイラクの侵略戦争があってね、それでどんどんイスラム原理主義勢力が中東に拡大してるのは事実です。それから2014年かな、あといくつかあったと思うんですけど、2014年がカリフ国の設立の時期になってて、まさにそのカレンダーとおりに2014年の6月にですね、カリフ国の設立を宣言したんです。それで2016年がいわゆるハルマゲドンの準備期。西洋とイスラムとの最終的な衝突があるのが2016年なんですね。

西塚 来年じゃないですか。

ヤス 来年が。それはシリアのダービクという町で行なわれると言う。それで最終的なハルマゲドンが2020年なんですよ。どうも見てると、単純にそのスケジュールに則って、ただ機械的に動いているという側面があるように思います。僕らが、つまり相手がどう反応するかなんていっさい関係ない(笑)。

西塚 うーん、そうなるとそれこそ殲滅するしかないって発想にもなってきますよね。

ヤス 極端に言うとそうなんです。ただそのような状態になったときにね、ヨーロッパとかロシアとかアメリカがそれに対してどう反応するのか。彼らに有利な反応をするのか、不利な反応をするのか。反応の仕方によってはですね、そのスケジュールが遅れたり早まったりすることはあるかもかもしれないですけどね。

西塚 でもまあ、そのスケジュール自体を壊すことはなかなか難しいという。

ヤス だと思いますね。だから、こうやれば向こうがこう振る舞うだろうといったような見方そのものが、我々の幻想かもしれないっていうことなんですね。

ISを変えるのか? 我々が違う現実を創造するのか?

西塚 そうですね。となると、かつてのオウムとかですね、統一教会にハマッちゃった人を助けるような意味で、やっぱりその人たちの意識を変えない限りは無理だということになりますね。おそらく。

ヤス まあ、基本的にそうですね。

西塚 となると、ガチガチのイスラム原理主義にハマッてるISの人たちの意識を変えるしかないということになりますね。そうするにはどうしたらいいのかということになってきますよね。

ヤス 簡単には変わらないでしょう。ただ、ハウツーでこうやれば変わるといったタイプのものではちょっとあり得ないと思うんですね。そうすると、我々に有利と言うか、このエノク予言的なものが実現しないような現実を我々自身が積極的に創っていくしかないんだと。ただ我々の左脳中心の脳で考えてみた場合にね、どのような現実ならエノク予言を抑止できる現実になるのかということは、分析的な知性では限界があって予想ができないと思うんですね。

西塚 お手上げ状態ということですか?

ヤス いや、それは我々が、本来の我々に内在しているような現実を創る能力というところにアクセスせねばならないということですね。

西塚 たとえばアクセスしたとしたら、イスラム原理主義のカレンダーに則ってる人たちに何か影響を及ぼすことができるんでしょうか?

ヤス 彼らがどうなるかはわからない。そうじゃなくてね、その実現を阻止するような違った現実ができる可能性がありますね。

西塚 その違った現実のときには、彼らの存在はどういうふうなことになるんでしょうか?

ヤス それは予想がつかない。

西塚 どう変わるかはわからない。

ヤス なぜ僕がこういうことを言うかと言うと、これから話すビリー・マイヤーに関することをちょっと先取りして言ってるからなんです。話をビリー・マイヤーに戻しますとですね、やっぱりビリー・マイヤーが述べてるような思想というのはかなり重要だと思います。

それで、ここではちょっとスピリチュアルという言葉は使わないほうがいいだろうなと思うんですね。あまりにもこれは手垢に染まった言葉なので。だから別の言葉で、「新しい精神性」とかですね、僕はそういうふうに呼んだほうがいいかなという感じがしてます。それでその新しい精神性といったものが、どうしても今は必要になってくるのではないかと思うんですね。

それはどういうものかと言うと、前の対談の続きなんですけど、何度も言ってるように1618年から1648年の30年戦争があった。30年戦争でそれこそ死に物狂いの宗教対立があって、それで数千万人に及ぶような人々がヨーロッパで殺されてしまった。その結果ですね、宗教によらない普遍性を希求するという流れが出てきた。その流れの中で台頭してきたのがデカルトであり、「我思うゆえに我あり」といった認識主観の発見だった。その認識主観はどんな宗教に所属してたとしても、疑うことはできないものであると。

私が認識する限りにおいて、この世界が存在し得ると。認識している私があるということ自体は、疑い得ないんだよということね。ここに宗教を超越したひとつの原理性、ひとつのプリンシプルを求めるということだと思うんですね。それが同時に新たな「個」の発見につながると。デカルトによって発見された個というのは、そのままカントを通じて17、18世紀、19世紀とどんどん自我哲学として強化されていくわけですよ。

一方、いろんな経済学のモデルとか法学のモデルを通して、たとえばジャン・ジャック・ルソーの「一般意志」のモデルを通して、社会を構成する主体は実は個なんだとなる。個のやりとり、財の交換などによって、経済のネットワークができ上がる。すべてのことを、自立した個の活動を前提にして説明していくといった物事の見方がだんだんと一般化してきます。

それで19世紀から20世紀にかけて、個の存在がすべての物事の基礎となる絶対的な存在になるわけですね。それは長い目で見るならば、17世紀の宗教戦争が作り出したある意味で最終的な帰結だったのではないかという感じがするんです。

西塚 アジアに先駆けてヨーロッパでは17世紀の30年戦争によっていち早く近代的自我が芽生えて、個によっていろいろなものが決定され、運営されていくというような社会ができあがった。中国、韓国はちょっとわかりませんけども、日本においてはまだ個はなくてですね、お天道様とかお蔭様と言われるようなものに個を溶け込ませていた。日常のいろんな取り結びに関しては、俺がとか私がとかあったんだろうけど、いわゆるヨーロッパ型の近代的自我はなかったので、ある意味では無責任な、主体性のない、何だかわからない気分とか、大きなものに流されてしまう危険性も持っていた。

それがここにきて、今度はその個の限界と言いますか、近代的自我の限界と言ってもいいようなものがおとずれている。そんなお話でしたよね、前回は。

封印されてきた無意識

ヤス そうです。近代的自我の限界にぶち当たったのは20世紀の初めのほうなんですね。それは「無意識」の発見ってことですよ。個というのは、自分が思考する範囲でね、自分がどういう存在で何者であるかってことをすべて把握できるんだと。明晰な思考で自分自身を全部把握できて、コントロールできると。基本的に人間というのは、自分の意識で全部コントロールできるんだというひとつの思想ですよね。これが自我哲学の根本にあったし、それが個を考えるための重要な前提と言うか、ビジョンだったと思うんですね。

ただ20世紀の初頭でフロイトとかユングが何を発見したかと言うと、実は人間の内部にまったくコントロール不可能な何ものかが存在していると。それは個の意識の埒外にある何かだってことですね。それを無意識と呼んだわけです。

西塚 意識できない意識というものがあるぞと。そういう層があるということですね。そこでちょっとごちゃ混ぜになっちゃうかもしれませんけど、近代的な個というものがいわゆる理性によって把握するものと、感覚によって、私は私だからとか、それは俺が感じたんだからといった、同じ個でも理性的な判断による個と感覚的なもので分かれてくると思うんです。でも言ってることは同じ個である。個人である。自分である。自分の意識であるという言い方をして、そのへんの腑分けがないから、理性的で論理的な帰結による判断と感覚的なものの判断は、同じ個から発してもですね、真逆になる可能性がある。

そういう意味で僕は個人的には、個の危機という気がするんですね。僕は両方とも危険であって、論理だけになっても大虐殺につながるような原理原則に従ってしまって、とんでもないことをやりかねないし、感覚に従っても間違いだらけで、雰囲気とか気分によって本当はやっちゃいけないこと、いってはいけない方向にどんどんいってしまうという危険性がある。だから中道をいくしかないということになる。その中道とは何かということで、やはりそれなりの原理原則、何かの機軸といったものが必要であると。

そこで最大のヒントのひとつとして、ビリー・マイヤーの書籍があるというところで前回は終わりました。そしてパリのテロが起きてまさにエノク予言に近づいているということですが、そのエノク予言自体がですね、ビリー・マイヤーの書籍からもたらされてるということを考えると、これはある種のシンクロであるし、ちょっと不気味なぐらいにビリー・マイヤーがクローズアップされてきている。本人自身がアピールしてるわけではなく、必然的に浮き彫りにされてきたという気がするわけです。僕はもともと興味があったものの、感覚的に言ってはいけませんが、ちょっと不気味なわけです。何でここにきてビリー・マイヤーなのかと。

僕はヤスさんのブログを見てビリー・マイヤーとかエノク予言を初めて知り、そこから興味を持って入っていった人間で、たぶんそういう人たちは相当多いと思います。特に日本の場合は。あそこまで訳して詳しく紹介したものはおそらく日本にはなかったのではないでしょうか。そういった意味では、コルマンインデックスもそうですけど、ネット社会になってからは、ビリー・マイヤーを最初に本格的に日本に紹介したのはヤスさんであることは間違いないと思います。本は以前から出てましたけどね。

そのビリー・マイヤーが今、本当に重要になってきている。だからこの対話で取り上げるのは、ある種当然と言えば当然なんですよ。ビリー・マイヤーのどれをどうテーマにしようかということは、またこれから決めていかなきゃいけないんですが、あまりにも巨大すぎて僕自身ちょっと手にあまるんですね。そのあたりは、やはりヤスさんに整理していただかなければならない。

だから、現実のパリのテロからビリー・マイヤーに直結してしまったというのが、今のところ僕の正直な感想なんですね。

ヤス ビリー・マイヤーに直結するんですけど、その自我の歴史や個の歴史はどうやって展開されてきたのたか。デカルトからカント、カントは18世紀前半ですね、自我哲学はカントで完成を見るわけです。カント学派が相当強い隆盛を誇る。その間いろんな哲学が生まれるんですが、次の自我哲学の大きなきっかけになったのは現象学のフッサール。これが19世紀の後半ぐらいに出てくる。

ホブズボームという歴史家がいるんですけど、彼は「短い20世紀」という時代概念を提唱しました。そして同時に「長い19世紀」ということも言うんですね。19世紀の歴史を見るとですね、18世紀の終わりから19世紀の初めにかけてナポレオン戦争があって、その大きな戦争の終結を見てね、ヨーロッパの秩序を取り戻す。どちらかと言うと、王侯貴族を中心とした秩序に戻っていくわけですが、それが行なわれたのが1815年のウィーン会議です。ウィーン会議で、ある意味でウェストファリア条約のような内容がもう一度確認されて、ヨーロッパの秩序がまたできあがる。

1815年にある種の秩序ができてからは、巨大な戦争はヨーロッパにないんですよ。たとえば1848年、ヨーロッパ各地で起こった社会主義革命といようなものはあります。でも19世紀は、17世紀、18世紀の血で血を洗うような熾烈な民族間の紛争みたいものはないんですね。ある意味でかなり安定した時期だと言えます。そうすると1815年から1914年の第一次世界大戦まで、確かに1870年の晋仏戦争、プロシア=フランス戦争はありましたけど局地戦争みたいなものですよ。局地戦争みたいなものを大きな戦争として数えなければ、ほとんど100年間近く戦争がないわけです。極めて安定している。

その安定の中でですね、個を前提とした自我哲学、個の活動性を前提として社会を見たり物事を説明してくということが当たり前の状態になってくる。それから何が始まるか。そうした19世紀が終わったあとに何がやってくるのかと言うと、さきほど言ったフロイトとユングが発見したような無意識が台頭してくるわけですよ。

第一次世界大戦はなぜ起こったのか。理性の延長として起こったとはちょっと考えられない。第二次世界大戦はどうか。第二次世界大戦の極めて大きなきっかけになったのはヒットラーですが、ヒットラーが象徴していたものは、理性や自我や個だったのかと言うとそうではない。ヒットラーが当時強調してたのは、個の向こう側、彼岸にあるもの。民族であり、怨念であり、いわゆるアーリア人としての集合無意識みたいなものを訴えてくるわけですね。それはある意味で個の否定なわけですよ。

そのようにして見ると、第一次とか第二次世界大戦のあのような破壊が起こる過程の中で、何が源泉としてあったのかと言うと、個が放逐した無意識の部分ですね。それがワーッと台頭し、席巻し、それが巨大な破壊を巻き起こしていった。そうなると20世紀の第二次世界大戦以降に出てきた課題は、その無意識の部分の強烈な破壊性をどうするのかということです。第一次、第二次世界大戦で噴出された想像を絶するような破壊性が我々の個の内部に宿っている。強烈なエネルギーのレイヤーが無意識として個の意識に統合されないまま、ずっと放逐されていたという状態ですね。これをどうするのかという非常に大きな問いが出されてる。

西塚 それが今あぶり出されてきたんですね。フロイトなどによる無意識の発見があって、個の違う側面、あるいは個ではないものの存在が認識された。そしてその存在を実際に証明するかのように戦争が起こるんですね。戦争が終わったあとは、我々はかつてのナショナリズムや民族主義というものに対する強烈なトラウマがあることによって、大きな戦争まではいかずに済んできたけれども、今そのトラウマが薄れてきているんだという話を前回しましたね。

トラウマが薄れてきて、要するに直接的な体験の記憶ですね。体験談がなくなってきたときに、また今ちょっと右傾化しておかしなことになっている。しかもテロも起きているから、それに対する報復という意味もあって、さらにきな臭いことになってきている。これまでは我々にトラウマがあったぶん、無意識とは直接に向き合わずに済んだ。回避してたんですね。それがここにきて、どうやら直面せざるを得なくなってきたということでしょう。この無意識のカタをつけなきゃいけない、という段階にきたということですね。

ヤス そう。戦後70年間の我々の歯止めになってきたのはそのトラウマなんです。だから無意識みたいなものを放逐した場合、どうなるかってことですよ。それはナショナリズムや民族主義という形で出てくるだろうし、往々にして強烈な破壊性をともなって出てくる。そのような我々の個に内在している無意識の力、これを解き放ったときにどれだけの破壊につながったのか。それを体験したものだけが知る強烈なトラウマがあった。これが大きなブレーキになっていたのは間違いない。

もうひとつのブレーキは経済成長です。個の内部に沈滞している破壊性をとりあえず欲望に転化したと言うか、それと向き合わなくてもいいような状態が、経済成長の過程の中でずっと作られてたわけですね。ひとりひとり日常生活の楽しみの中に溺れろと。

西塚 埋没できるわけですね。

ヤス 埋没できる。消費の楽しみの中にとりあえず溺れなさいと。そうすれば我々は自分自身の持っている無意識の潜在的な破壊性と向き合わなくてすむ。そういった図式を内包していたものが消費社会だった。あるいは内包していたがゆえに消費社会が成立していたのかもしれない。

西塚 でも、戦争につながるような無意識とか怨念は当然なくなってはなかったわけで、ずっとそれは虎視眈々と言いますか、向き合わないという形で温存されてきた。

「転移」と「逆転移」

ヤス まさにそうなんですよ。もうひとつ、ユングはこの無意識をどう手なずけるかということを真剣に考えた人だと思うんですね。それでユングの得た結論というのは、この無意識の強烈に荒れ狂う力をですね、人格の中に統合するということです。そうすることによって、無意識と意識のバランスがいい状態を作り上げる。そしてそこには、自己といったものの元型があると唱えるわけです。

自己とは何かと言うと、自分の内部にある超越的なものなんですね。これをやはり活性化するしかないんではないかと。活性化することによって、今までの無意識の強烈な破壊性と意識のバランスをとるしかないんではないかと。ユングは心理学の方面からそう捉えるわけですね。

西塚 元型というのは形があるということですよね。アーキタイプ。それは何なんでしょうか?

ヤス ユング派の国際学会のホームページがあるんですけど、僕はそこにときどきいって読むんですね。現代のユング派が書いているいろんな論文を読むとすごく面白いんです。そこでひとつ議論になってるのは、自己、「Self」という大文字のセルフと言うんですけど、大文字のセルフという元型、アーキタイプが人間の無意識の中に本当に存在してるのかどうかということ。

ほとんど精神的な病というのはこのセルフという元型で全部説明されちゃうんですよ。トラウマとかね。このセルフが本当にあるのかどうなのかという議論がなされてる。その論文を読むとかなり多数のユング派の深層心理学者が、あるとしか思えないと言うんですね。

西塚 僕の雑駁な知識で言うと、実際にそのシンボルとして形が表わされてましたよね。たとえば人間なら持っている本当に元型的なもの。具体的には忘れましたけどシンボル化したものですよ。

ヤス マンダラがそうですよね。

西塚 マンダラもそうだし、星みたいな天体みたいのもあったかなあ。具体的な形としてある。幾何学と言うか、形象としてあるということに興味を持って、それがどう発動していくのかなということです。

あまり話が飛んじゃいけませんけど、ビリー・マイヤーの書籍の中にもそのことが出てきて、いわゆるコンタクトしてくる高次元の存在はやはり形で認識するということがあったと思います。宇宙の言葉は数字だという話も何かで読んだことがありますし、だから幾何学的なものなんだと思うんですよ。その形。意識の形と言うんですかね。それと理性がどう絡むのか、あるいはヤバい方向にいくときにはどう絡み合ってるのか。これは大問題になってくるので、とてもここでは今すぐ扱えない話なのでやめますけど、そのへんユングはどう言ってて、どう解決しているのか。

ヤス 国際ユング学会のホームページで、彼らは自己が存在するとしか思えないと言うわけですが、その事例が面白いんですね。たとえば精神カウンセリングをやるじゃないですか。ユング派の深層心理学者がね。そうすると「転移」と「逆転移」という現象が起こると言うんですね。これもよく知られている現象で、転移って何かと言うと、たとえば幼少期に父親に虐待された26歳の若い女性がいると。彼女はいろんな精神疾患を持ってるんだけども、だいたいの精神疾患の原因になってるのは、10歳のころに父親に虐待されたという経験であると。そうすると心理学者というのは、彼女の持ってるトラウマの源泉に迫っていくわけですね。どんどん。催眠療法や何かあらゆる手段を駆使しながらトラウマの経験そのものをあぶり出していくわけですよ。

そうするとですね、その26歳の女性が目の前で10歳の女の子になるわけですね。そして目の前にいる心理学者を自分の父親だと思って錯覚する。これを転移と言うんです。それで「お父さん!何で私にこんなことしたの!」と泣き叫んで、恨みつらみを言うわけです。すると今度は心理学者の中にも逆転移という現象が起こってくる。

逆転移とは何かと言うと、自分にも娘があったと。10歳のときに娘が寝小便をして、せっかんをした。そのときに娘が本当に悲しそうな顔をして自分を見つめたと。その記憶が実はこの心理学者のトラウマとしてあった。それが蘇ってくるんですね。そして、自分が本当に彼女の父親であるかのように心理学者が錯覚するんです。それで命がけでね、魂の奥底から「ごめん!申しわけない!やりたくてやったわけではないんだ!ごめん!」と言って本当に謝る。それこそそこでトラウマを演じるわけですね。そして演じることによって治るんです。

西塚 それは聞いたことがありますね。そうなると本当にトラウマというものは、直面して向き合わないと取り除けないっていうことですね。

ヤス そう。すごく面白かったのは、それを体験したユング派のどの心理学者も論文で書いているのは、転移と逆転移を経験すれば治ると。でも、なぜ治るのかがわからないって言うんです。だから自分たちが実感するのは、私たちの魂の奥底にあるもの。それから患者の奥底にあるもの。その両方が共調して何かが動き出すんだと。治癒に向かって動き出しているその超越的な何か。これを私は自己と呼ぶって言うんです。

西塚 なるほど。面白いお話ですし、ある種感動的でもありますね。僕が感じるのは、それは日常的にもあるなあということなんです。たとえば何か普通にケンカしちゃってですね、会社の同僚でもいいし、恋人同士でもいいんですけど、ケンカしちゃう。口ゲンカでも何でも。そうすると、ケンカして、お互いにいろいろ恨みもつらみもあってわだかまるわけですね。わだかまって、ずっと考えて、忘れようとするんだけども思い出してですね、ことあるごとにムカついてきたり、悲しい思いをするんだけども、ずっとそのままですね。

でも普通によくあることだけど、また会って、あのときはごめんってどちらからともなく言ったり、私のほうこそ悪かったとかですね、そういうことがあるとそこでわだかまりが解消される。そこでハッピーになって、もっと仲よくなるかもしれないわけです。そういうものの無意識版という気がするんです。

ヤス 心のわだかまりを解消したってことだと思うんですけど。その場合はね。ただユングの言う転移と逆転移という現象は、まさに血みどろの演じ合いですよね。今言ったようなこととはちょっと違うかなって感じがします。

西塚 あまりに軽すぎますか?(笑)

ヤス そんなに血みどろの演じ合いを必要としないので。

西塚 しないですね。僕はどうしても構造として考えちゃって、それのひどい版っていう解釈をしちゃうわけです。さっき僕が言った、軽いですね、日常の風景みたいなものの中にも、そこでフッとわだかまりがなくなるというのも、不思議と言えば不思議だと思うわけです。それのもうちょっと根深いものと言うか、バージョンが違うっていう意識なんですけども。それとは全然違うものなんでしょうか?

ヤス いやいや、同じものかもしれない。もしかしたらね。ただ転移と逆転移で心理学者たちが言うには、自分の意識では抵抗できないんだそうです。自分の心の奥底で、自分がその彼女の父親であると本当に思い込んでしまう。それで患者のほうは、目の前にいる自分を本当の父親であるかのごとく思い込んでしまうと。この力はものすごく強烈で抵抗できないと言うんですね。

西塚 今の例では、たまたま心理学者のほうにも似たような娘がいたわけですね。そしてたまたませっかんした経験もあった。まったくそういうことがない場合でも、その女の人に「何で!」と責められたときに、その心理学者が隠してきたトラウマが出てくるのでしょうか? 娘をせっかんしたということがなくても、何かのトラウマに関連づけられちゃうということですか?

ヤス 関連づけられて出てくる。一気にバーッと。

西塚 ああ、それは面白いですね。

ヤス そうなんです。心理学者の奥底にあるトラウマが出てくる。患者は患者でそのままトラウマを出してるわけですね。お互いのトラウマを相克するような関係で演じるわけですよ。それでよくなる。

西塚 心理学者側のほうも何かしらそれで解放される。

ヤス 自分の持っているトラウマから解放されるわけです。心理学者たちは、何か非常に高い次元の統合へと導くような力を感じるというふうに言うんですね。

西塚 そういう話になるとわかりますね。その力は何だかわからないと。

ヤス わからない。それは自己としか言いようがないっていう言い方をするんですよ。

西塚 だとすれば、自己というのは、よりよきものに統合しようとする力であり、むしろかつては神と言ったようなもの。創造ですね。そういうものが自分の中にあるとしか思えないという話につながりますね。

ヤス そうです。それでユング派の深層心理学者が口をそろえて言うのは、自己の力をいかに引き出してくるのかということが、治療の最終的な狙いだって言うんですね。自己の治癒作用をね、どうやって引き出すのかが最終的な狙い。それを引き出すことに成功したならば、絶対的に治癒すると。一番バランスのよい自己の形成へと向かって進むんだと言うんですよ。

「引き寄せの法則」から「創造の法則」へ

西塚 強烈なトラウマというのは、いくつもあるものなんでしょうか?

ヤス いくつもあるでしょう、やっぱり。

西塚 そのつど、それをそういう方法によって解消しなければ、なかなか人間は幸せになれないというか…

ヤス そうですね。人間の内部に、ユングが自己と言ったような無意識の荒れ狂う強烈な野蛮性と破壊性、それを意識に統合することによってより高度な自己を作り上げていく。その統合機能というものが、我々の内部にあるってことだと思うんですね。自分の内面にあるということ。

一方、フランスのパリのテロが一番の象徴なんだと思いますけども、これからですね、我々が70年間、経済成長によってまたは第一次、第二次世界大戦の強烈なトラウマというリソースによって、ある意味で抑止されてきた無意識の破壊的な力がどんどん表面化してくる。表面化してきた最初のケースが、実はイスラム国の原理主義という形をとって出てきたということだと思うんですね。

そうするとイスラム国に限らずですね、抑圧されてるさまざまなトラウマ、無意識の破壊性といったものがどんどん表出してくるような時期に我々は生きてるってことですね。この70年間向き合わなくてよかったもの。それとどう向き合って、その破壊性をどのようにして乗り越えるかということがすごく大きなテーマになってくる。

西塚 まったくおっしゃるとおりですね。それは本当に面白い見方と言うか大きな見方であって、第二次世界大戦以降、人類が向き合ってこなかったもの、忘れてきたものがイスラム国としてまた立ち上がるわけですね。さっきの治療の話で言えば、たとえばイスラム国を患者と見立てたとするとですね、イスラム国ではない欧米側が仮に心理学者だとすれば、逆転移が起きてですね、欧米社会の中でも何かのトラウマが出てくる。

僕から見ると、それは消費社会によって生み出されたさまざまな搾取であるとか格差、管理社会によって自己実現とか自己解放がなかなかできないといったようなトラウマであると。それらがイスラム国によってあぶり出されてきた。それらの演じ合いがどういうものになるのかはわかりませんが、いずれにしろお互いにトラウマを解消しない限りは、おそらく次の段階にはいけないでしょう。

ただ、それが戦争だとあまりにも不幸なので、さっきの医者と患者ぐらいのレベルでですね、それをどうやって統合していくかということですね。人間の個人にあてはまるとすれば、たぶん集団にもあてはまると思います。そのひとつの重要なカギとなるのがビリー・マイヤーだと思います。

ヤス そうだと思いますね。この対談を読んでる人にとっては、ビリー・マイヤーと聞くとすごく唐突な感じがすると思うんですけど、実はそうでもない。この人間の心の中にある強烈な統合作用。それを呼び起こしていくしかないということです。ユングが自己と呼んだものとほぼ同じものだと思うんですね。

それをビリー・マイヤーは宇宙の創造の法則、普遍的な宇宙大の創造の法則と言った。我々ひとりひとりもその小断片であると。だからその小断片である我々の内部に、創造そのものがね、非常に高度な精神性として宿っているということ。やっぱりそれを呼び起こすしかないんだろうなと思う。それはおそらくユングの言う自己に限りなく近いのではないかという感じがするんですね。

西塚 そうなると、ビリー・マイヤーの書籍の中にはそれを呼び戻す方法とかですね、瞑想の仕方から具体的に書いてありますよね。

ヤス 具体的に書いてある。

西塚 それを今度ひとつひとつ解き明かしながら、具体的にテーマにあげて見ていきましょうか。そういうことをしばらく続けていくしかないかもしれないですね。

ヤス そうですね。それしかないと思う。

西塚 だいぶ整理されてきたようですから、次回はもうちょっと具体的なテーマをあげてやっていきたいと思います。これは本を読んでない人にはちょっとわかりにくいかもしれませけれども、そうならないように努力します。

ヤス 最後にひと言なんですけど、スピリチュアル界にはあまりにも多くのものがあって、それは混雑した道のような状態で、言ってみればいいかげんなものがほとんどだと思うんです。ビリー・マイヤーの本を読むとですね、我々の内部に持ってる創造性の力といったものが、現実的にどれほどのものなのかということがよくわかる。すごくそれは面白いですね。極めてね。

ただここで重要なのは、たとえば「引き寄せの法則」ってあるじゃないですか。ビリー・マイヤーの本の中で何度も創造といったものに焦点を当ててように、実は我々自身に現実を作る能力があるんだと。あらゆる現実を我々が自分自身の好きなように作る能力があるってことなんですね。その能力を感知することによって、たとえばイスラム国のテロが激増して未来がとんでもないことになるということも、変更することが可能になるだろうと思う。

ただそのときにですね、私たちはこういう未来がいいなといったような特定の未来を想念してビジョン化してね、それで願えばいいのかと言うと全然そうではない。実はその引き寄せの法則には、非常に大きな落とし穴があるということですね。

西塚 そのへんも含めていろいろな事柄を具体的に参照しながらやっていきましょう。そのほうがきっとわかりやすいと思うので、そういう方向でやりたいと思います。

ヤス そうですね、そうしましょう。

西塚 じゃあ次回もう少し詳しくやりたいと思います。よろしくお願いします。ありがとうございました。

ヤス こちらこそ。どうもどうも。

Commentコメント

お気軽にコメントをお寄せください

メールアドレスが公開されることはありません。