人気ブログ『ヤスの備忘録』でもおなじみ、
社会分析アナリストの高島康司氏をお招きして、
1 世界で今、起きていること
2 人間の新たなる「精神性」「意識」「思考」
について、飲みながら自由闊達に話すシリーズ。
基本的に毎週更新。
〇『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』第23回
「衰退へ向かう日本」
ゲスト:高島康司氏
聞き手:西塚裕一(五目舎)
2015年11月29日 東京・中野にて収録
西塚 『酔っぱらいオヤジのSpiritual Meeting』の23回です。乾杯しましょう。よろしくお願いします。
ヤス どうも、よろしくお願いします。
西塚 いや、雑談から流れてきてますけども、昨日は勉強会お疲れさまでした。
ヤス いえいえ、こちらこそ。
西塚 今月はパリのテロもありましたし、いろいろなお話が出たのでしょうが、先ほどの話に戻るようですけども、何かいきなりキツイと言いますか、日本は滅びると(笑)。あえて挑発的と言うか問題提起としておっしゃってるんでしょうけども、このままいけば間違いなく日本は滅ぶなと言う話をさっきまでしてまして、ちょっとそれをもう一度話していただけますか? まあ印象なんでしょうが。
このままでは日本は滅ぶ!
ヤス そうですね。印象をちょっとだけ超えた部分があるのは、たとえば60年代からずっと90年代ぐらいにかけて、日本国内で一般的に出てくる議論は何だったかと言うと、日本はいかにダメな国家か(笑)、いかにこの国には問題点が多いのかってことだったと思うんですね。自分の国がダメだと非難ばかりしてて、なぜわれわれ日本人は自分の国に誇りを持てないのかということが言われていた。
でも今考えてみると、そういうメンタリティーというのは実にヘルシーなメンタリティーだったんじゃないかと思うんですね。なぜかと言うと、現実と向き合ってるからなんですね。かなり厳しい現実と向き合ってるから、乗り越えなくちゃいけない問題が多々あると認識しているという状態なんですね。あれも問題これも問題と。だからわれわれの国はダメなんだと。だからもっと努力しなくちゃダメだと言ったスタンスと言うか、メンタリティーだったんではないかとは思います。
だから、それは自虐的でも何でもない。実にヘルシーなメンタリティーですね。特に日本という国にとってはそうだったと思います。それがですね、21世紀に入ってからどんどん日本が負け込んでくる。決定的になったのは3.11ですね。あの津波と福一の放射能漏れの事故は、僕はその後の日本人のメンタリティーが大きく変わるある意味で転換点だったのではないかと思います。
現実に向き合ってそれをどう乗り越えてくかというようなメンタリティーではなくて、まずですね、自分の心地いいファンタジーを作ると。そのファンタジーは何かと言うと、自分の文化とか国がいかに偉大であるかといったようなもの。国の偉大性、文化の偉大性のファンタジーを作る。第二にですね、そのファンタジーの中に籠もるわけです。籠もることによって、第三に現実を直視しなくてもいいような状態を作ると。
西塚 ダチョウが砂の中に頭を突っ込むというヤツですね。
ヤス そうです。それから第四に、そのファンタジーと矛盾するような現実が出てくると、そうした現実は存在しないかのごとく現実そのものを報道しない。現実のそのものの存在を否認するという状態になるわけですね。
西塚 なかったことにしちゃうわけですね。
ヤス この4つの条件がすべてそろった段階というのは、歴史を見るとね、あらゆる文化、あらゆる国が衰退する最終局面なんですね。それは歴史上あらゆる文化の中で見られる局面だと思います。
今、戦後に作り上げた豊かで非常に高度に経済が成長した、ある意味で先進資本主義国の完成系に近いこの日本が衰退する最終局面に入ったんだと思いますね。3.11で僕はそうなったと思う。最終局面に入る選択をわれわれはしてしまった。ファンタジーに籠もるぞ!と(笑)。幻想の中に籠もって現実をわれわれは見ないぞと。
西塚 そうなると、第二次世界大戦を経てあんなバカなことはもうやりたくない、戦争は二度とゴメンだっていう人たちがまだ存命中で、生々しいトラウマがある限りは歯止めになったけれども、それが薄れたら危ないって話がありましたね。
全世界的に国単位でもそうであって、個人でもそうであるという。キーワードはトラウマでしたが、トラウマということは現実ってことですよね。こういうことをしでかしてしまった! あるいは前回のユングの話でも、患者が昔、おとうちゃんにこんな目にあわされてしまった!ということをずっと封印はしてるんだけども、やはりそれは、トラウマという現実に向き合わない限りは解消できないということでしたね。
となると、今のヤスさんのお話だと、日本人は「ジャパンアズナンバーワン」から引きずってるような、あるいはもっと遡ってですね、いろんな日本の歴史をほじくっていいことばかりを集めてきて、そこに立て籠ると。グローバルな世界の中で日本がいろいろ抱えてる現実問題を全部ネグレクットして、かつては理想の国家だったし、今もそうだというファンタジーを作り上げて、そこに入っていってるという。
ヤス そうです。だから言ってみれば、北朝鮮のプロパカンダと同じような感じですよね。
西塚 それは安倍がやってる云々じゃなくて、われわれがそれを選択してるということですか?
ヤス われわれが選択した。選択しない限り安倍政権みたいのものはできないですよ。
西塚 そういうことですねえ。
ヤス いくつかの条件が作用した。第一に前回お話したようにトラウマがまずなくなった。トラウマを共有するような世代がどんどん亡くなってきた。経済的繁栄に埋没してね。どのような感情を持つことがどのような危険性をもたらすのか、また国粋主義、ナショナリズムに走ること、国粋主義という感情を持つことがどのような破壊にいたったのかという、身体的トラウマを共有している世代が亡くなったということね。トラウマが極めて薄くなってきたということが、ひとつ条件としてあると思う。
トラウマが薄くなってきたので、特に3.11後の状況は、ファンタジーとしての偉大な日本の中に逃げ込むことによってね、現実を見ないようにするという選択をしやすくなったんだと思いますね。
戦前の記憶を持つ人というのは、日本万歳的な、大和民族万歳的なファンタジーの中に籠るということが、最終的にどれだけの破壊をもたらしたかということをよく知ってるわけですよ。戦前、戦中もそうですね。戦況の記録が全部折り曲げられて大本営発表できますでしょ? さも日本軍が勝ってるかのような幻想を作り上げるわけです。そしてそうした幻想の中に籠るわけですね。われわれは八紘一宇の偉大な日本帝国を作っているんだと。神の国の日本帝国なんだと。だから世界を制覇することは当たり前なんだといったような、心地よいファンタジーの中に自分が籠ってしまう。
籠ることがどれだけの破壊をもたらし、どれだけ自分たちの生活の糧が奪われる状態になったかをよく知ってるわけですよ。だからちょっとでもそのようなファンタジーに籠ろうものならね、それに対する身体的拒絶反応があった。そういう世代がいなくなったってことですね。だから簡単にファンタジーを選択する。
日本人の傲り
西塚 となると、あの2009年、10年の民主党というのはチャンスだったですね。
ヤス チャンスだったですね。本当に。
西塚 鳩山(由紀夫)さんも本当にくだらない政治献金問題あたりケチがついて、まあ沖縄の問題もありましたけども、最低でも県外とか。あのへんからいろいろこう崩されていっちゃったんだろうけど。
あのすぐあとに3.11ですからね。菅(直人)のわけわからないやり方でどんどん…今の安倍政権に代表される自民党はことあるごとにいかにもネガティブな言い方で、あのときの民主党がこうしたああしたというような負のイメージで語りますが、実は全然そうではなく、ある種よりよき方向へ向かう端緒をつかんだと言うか、可能性のひとつであったのに、今じゃ、そら見たことか的な、あの民主党に戻っちゃいけないみたいなすごいネガティブなことになってませんか? 前提として。
ヤス いやいや、そうです。だから言ってみれば、偉大な日本を傷つけたみたいな感じで見られるわけですね。国賊民主党みたいな感じで見られるんですけど、ところがどっこい、別に僕は民主党支持者というわけではないんですが、視点を変えてみると全然そうではないと。
当時の鳩山民主党が何をやろうとしていたか。鳩山さんもいっぱいミスは多いですよ。すごくミステイクが多い人なんですけど、基本的なコンセプトとして何をやろうとしたかと言うと、やはり現実と向きあった。現実と向き合った場合、日本というのはもはや成長限界を迎えた資本主義の成熟経済だと。それがどうやって今後、現在の日本国民の生活水準を失わないでね、持続できるかということを考えようとした人ですね。それに対するモデルを作ろうとした人ですよね。
西塚 いわゆる地域分散型ですよね。
ヤス 地域分散型。地域持久圏経済というのかな。そういうものを作ろうとした。
西塚 僕も何と言うか、華やいだと言うと大げさかもしれないけど、わりと明るい気持ちになりましたよ。日本にもこういう政党がいて、そっちの方向を目指せるんだと。かなりのパーセンテージの国民がそう思ったと思うんですよね。
ヤス 確かに。でもね、当時の国民の反応の仕方を見たら、たとえば鳩山さんの所信表明演説。「新しい公共」という概念を唱えるわけですね。新しい公共という概念こそですね、地域を主体とした自給圏経済の旗揚げみたいなものだったと思うんですけど、徹底的に日本国民がそれを叩きましたね。
西塚 特に大企業系と言うかですね、僕も巷の飲み屋ですけどもね、あのころTPPも含めてものすごい大議論になるわけですよ。僕が否定されるんだけども、みんなだいたい大手のところに勤めてましたね。製造業とか、輸出産業。そのへんの人たちはもう話にならないですよね。どっちがいい悪いじゃなくて話がかみ合わないんですよ。まったく。あれは参ったなあって記憶がありますけどね。
ヤス だからさっきの東芝とシャープあたりのね、日本の家電産業の衰退。サムソンとかLGにやられたその衰退というのがひとつの例なんですけど。日本の技術水準が偉大なんだと。これで売れないわけがないといったような、はっきり言ってどうしようもない幻想の中に入ってるわけですよ。現実を見ろと。
西塚 その話は『videonews.com』で知ったのですが、かいつまんで言うと、東芝と日立はまあ世界一を誇る技術を持ってると。実際、テレビなら解像度とかね、いろいろな性能は抜群なんだろうけども、それにあぐらをかいて全然海外でのマーケティングをしてこなかった。その結果、海外市場では韓国のLGとかサムソンに全部やられちゃったと。なぜならば、サムソンとかLGは一年ぐらい社員を現地に派遣させて、そこに一緒に現地人と生活させて、そこでいろいろ調査させる。その国の国民には何が不足で何が求められているのか。
たとえばインドであれば泥棒が多いから、冷蔵庫には鍵がかからなきゃいけない。あとテレビで言えば、インドの国民はみんなクロケットの競技を観ると。でも長くて6時間7時間もやると。ずっと見てるわけにはいかない。裏のチャンネルでは観たいドラマもある。でも気になってしょうがない。だから韓国企業は、画面の上にクロケットの現在の結果報告を映すようなテレビを開発する。そしたら当然みんなそっちのほうを買うわけですよね。
だからマーケティングと言うか、要するに消費者側ユーザー側に立った視点ですよね、単純に。物売りの基本じゃないですか。それでその番組に出演してたコンサルタントが、東芝だかNECにそれを伝える。海外ではこうこうこうなっていると伝えて、その会議の場で御社のマーケティングはどうなってるんですかと聞くと、いや、われわれにはマーケティングの部署はないと。東芝もNECもそうだったらしんですが、ないと。何でないんですかと言うと、そんなものは必要ない。なぜですか? われわれが作ってるものは世界一のものだからだと(笑)。売れないはずがないんだという論理ですよ。
ヤス いやあのね、世界一の技術ってオーバースペックなんですよね。市場のニーズに合ってないんですよ。あまりにも細かすぎてね。使わなくてもいい技術。なくてもいい技術なんです。
最近、インドネシアの高速鉄道で新幹線をどんどん売り込んだわけですけど、最終的には中国の高速鉄道に負けましたよね。負けた一番大きな理由と言うのは、インドネシア政府はあまり予算を使いたくないと。高速鉄道を建てるのは民間企業なんですけども、民間鉄道の政府保証が必要になるかどうかがポイントだった。
日本政府の場合は政府保証を要求したんだと。それに対して中国の場合は政府保証を要求しなかったというような政治的対立だって言うんですけど、よく見るとそうじゃないんですね。それもひとつありますよ。そうではなくて、明らかに新幹線がオーバースペックなんですね。そこまでのスペックって実はインドネシアの要求にあってなかったってことなんですよ。
西塚 そうですね。しかも価格を下げなかったらしいですよ。単純に中国が下げたらしい。日本ほど優秀じゃないんだけど、あなたの予算に合わせますよと。安かっんですね。じゃあ、そっちにしましょうって言う、単純にそんだけの話みたいですよ。だから日本も下げればいいんだけども、下げない。プライドもあるし、確かに優秀らしいですよ。でも、オーバースペックだったっていう。
そうなると80年前後のですね、ビクター対ソニー、VHSとベータですね。ビデオ戦争。当時僕も本を読んで面白かったんですけど、負けるわけないんですよ。僕もいくら読んでも絶対ソニーだろうと。全然、優秀なわけですね。それが一番でっかいマーケットのアメリカで何で負けたかと言うと、アメフトが録れなかったんですね。3時間とか4時間やるわけですね。ベータは2時間だったかな、ちょっと忘れましたがそのくらいですね。でもVHSは画質は落ちるんだけど、最大で6時間かそのくらい録れる。一発で録画できるのでアメリカ人はVHSを選んだと。
さっきのインドの話と似てますね。ソニーは技術にすごく自信があったわけで、録画時間じゃないだろうと。画質だろうと。でもそうじゃなかった。録画時間なんです。ベータはかなり質がいいにもかかわらず、滅んでいくんですよね。今まったく同じことやってるんですね。
ヤス マーケティングがなかったというのは、さっきのインドネシアに対する新幹線の売り込みにも通じるところがあってね。よくインドネシアにいってる日本人のコンサルタントがいろんな記事を書いてるんですよ。面白いのはね、ジョコ政権になったと、今年ね。ジョコ大統領の政権になってから、実は公共投資の大幅変更があった。
今までのインドネシアと言うのは、いわゆる政府が大規模な投資を行なって国家の威信をかけたね、大規模プロジェクトが圧倒的に多かったんだと。それに対してジョコ大統領は何をやってるかと言うと、大規模プロジェクトを全部見直して、現地の住民のニーズに合うものだけを選定してるっていうんですね。そういう流れなんだと。
それで、ジョコ大統領政権から見たときにね、現地のニーズに合わないような無駄な大規模プロジェクトは全部放棄されてて、その代わりにですね、都市インフラの整備であるとか、交通網の整備であるとか、現地の国民のニーズに合うプロジェクトがどんどん強化されてきてるという流れに入ってると。
そのようなジョコ政権の政策を見るとね、新幹線が支持されないのは当たり前だろうと(笑)。それは初めからね、このプロジェクトに参加する前からわかってるはずだと言うわけね。それは言ってみれば、マーケティングができてないというのと同じことです。
西塚 同じですね。なるほど。こう言っちゃ何ですけど、僕も一応日本人ですからね、贔屓するわけじゃないんだけど、そのへん本気になってマーケティングやれば日本人は優秀だと思うんですよ。
ヤス いや、優秀ですよ。
西塚 だからそれをやらないのは、やっぱり傲りですよねえ。
ヤス 傲りです。それね、50年代、60年代、70年代、もっと言えば80年代までは日本人はやってたんですね。徹底的に。
西塚 やってるし、日本に来て外人が驚くのは過剰なサービスですからね。徹底的にユーザーに過剰なぐらいに気を遣って、配慮して、電車の中ではアナウンスがバシバシあるじゃないですか。ホーム降りるときだってどうのこうの、イギリスだったら「Mind the gap」くらいのもんですよね。それをガンガン言うと。そういうものを持ってるんだから、本当はどんどん輸出でも何でも、製造業でもトップを走ってもいいはずなのに、やっぱりちょっと慢心したんですかね。何なんですかねえ。
ヤス いや、今言ったように、ファンタジーの中に籠っちゃうんですね。単純な傲慢じゃないです。自分では傲慢って意識してないですよ。意識しないから怖いんですね。技術は一番優秀であると。日本がいかに優秀かというファンタジーを一回作り上げて、そのファンタジックな世界の中に籠ってしまったら日本人は怖いってことなんです。なかなか外に出てこない。たとえば『ピーピングライフ』という有名なテレビ番組がありますけど、日本人のオタク的な日常生活を集めた優秀なビデオですが、やっぱりね、日本人の一番突出したメンタリティーというのは、自分の作り上げたファンタジーの世界の中に籠ったら出てこないってことですね。
西塚 まあ、オタクってことですね。
ヤス オタクなんですね。あれ、ほんと怖い。
西塚 それがエンターテインメントのソフトとしてパッケージ化されて、輸出されて楽しまれるぶんにはいいんだけども、国がらみとかですね、国際的なところでみんな競争しなきゃいけないのに…(笑)。
ヤス やっちゃうと、もうヤバい。でも、すでにやってるわけで。一度籠ったら本当にね、最終的な破壊まで進むんですよ。
西塚 それはどうなんですか。ちょっと冗談っぽい言い方になっちゃいますけど、じゃあ日本国自体がですね、世界のオタクだとするじゃないですか。国レベルで。そのときの日本国としての再生とか復活はないんですかね?
ヤス ないですね。だから日本の歴史なんかを見てるとね、破壊と復活ですよ。だから籠ることが不可能だというところに追い込められないと無理だっていうことでしょうね。
西塚 そう言った意味では、また違う言い方をしちゃえば、じゃあ日本はそれで破壊されても違う形で何か復活するだろうと。それが今の日本の姿と同じじゃないかもしれないんだけどってぐらいの話ですね。いずれにしろ滅びると。このままだと。
ヤス このままダメになるでしょう。あらゆる意味で。だからアメリカのようにね、内部に籠ってダメになって、ダメになったからって、よし!みんな頑張ろう!俺が間違ってた!って言って復活するメンタリティーじゃないですね。ほんとに。
現実逃避の装置としてのスピリチュアリズム
西塚 この間ですね、まあすごいお疲れだったんでしょうけども、安倍さんが何かの会議で、たまたまTVで見たんですけど、何かちょっと遅れてきて、慌ててパッとこう席に着いて…
ヤス ああ、プーチンのね。
西塚 いや、あれではなくて、日本のどこかの小さな会合ですね。そのときの顔が虚ろで、大丈夫かなって感じだったんですよ。まあ相当疲れてたんだとは思うんだけども。何かね…
ヤス 今の安倍さんは虚ろですね。顔変わった。
西塚 自分で何やってるか、わかってらっしゃらないんじゃないかなと思いたくなるくらいの感じだったんですよ。心ここにあらずって感じですよね。ちょっと不安になったんですけども。
ヤス 戦前の歴史、明治維新以降の歴史というのは、たとえば明治10年代、20年代、いわゆる日清日露の戦争で成功するわけです。成功してからですね、だんだんだんだん現実感覚を失ってくるわけですね。日清戦争が起こった1894年から95年。日露戦争は1904年から5年になるんですけど、日清日露の勝利と言いますかね、一応形ばっかりだったんだけどひとつの勝利をすると。それから第一次世界大戦で一応戦勝国の中に入れられる。その過程ですね、だんだんある意味で傲慢になってくる。自分たちの作り上げたファンタジーの中に籠るような傾向が出てきて、決定的に籠るような傾向が出てきたのは、面白いことに1923年。関東大震災以降ですね。
西塚 同じですね、じゃあ。
ヤス 極めて似た歴史を繰り返してると思いますよ。
西塚 そうなると、このあと恐慌がくるわけで(笑)。
ヤス そうです。恐慌がくるわけで、恐慌がくるとどうするかと言うともっとファンタジーの中に籠るんですよ。現実がなかったことにしようという状態になるんですね。なかったことにしようとするから、まともに恐慌という危機的な状態に対処できない。対処できないともっと悪化する状態になるんです。
そのようなことを繰り返している結果どうなるかと言うと、ファンタジーに籠ることすらもうできないという状態に追い込まれていく。そこまでいったときに初めてね、俺は何をやっていたんだとシラフに返る。シラフに返ったときというのは1945年のあの敗戦だったと思うんですよ。あれだけの焼け野原を経験してシラフに返るんですけど、私はシラフに返ったというある意味「シラフ宣言」みたいなものが、たとえば坂口安吾の『堕落論』みたいな作品だったと思いますね。
西塚 あれは感動的でした。堕ちよ、というヤツですね。
ヤス 今までのすべてのファンタジーをそぎ落として、原点に戻ろうよってことですよね、あれね。
西塚 田原総一郎も言ってましたが、敗戦を機に鬼畜米英から真逆になる。本当に大人はもう信用しなくなったって言ってますけども。あの感じですよね。まったく逆転してしまう。そのぐらいいいかげんなものだったっていう。そのトラウマがあの世代にはまだあるんですよね。でも大きな声にはなかなかなってこない。経済的な繁栄をバックにして声もかき消されつつあって、もうほとんど亡くなってきてる状況。
ヤス まあそうね。爺さん、婆さんですね。どんどん亡くなってきてる人たちが多いので。
西塚 メディアで力を持つ人も少なくなってくるし。安倍さんなんかは僕らよりちょっと上の世代ですよね。強引に結びつけるわけじゃないんだけども、そこでさっきヤスさんがね、前からずっと言ってるように、トラウマに向き合わなきゃいけないと。ユングの話も含めて出てきました。でも、それを向き合わないようにさせると言うか、意識的か無意識的かはわからないけども、ある種のスピリチュアリズムがあって、それは引き寄せの法則ですとか、アファメーションでもいいですが、要するに、こういうことをすれば現実に向き合わなくても済むというような装置がいくらでもある。それが今、隆盛を誇っている。
ヤス そうですね。それが現在の日本のスピリチュアリズム文化の根幹にあるものですよ。日本に限ったことでもないのですが。いかに現実を直視することを回避できる装置を作り上げるかってことですね。
西塚 たとえばそういった意味の自己啓発とかですね、あれはやっぱりご多分にもれずと言うか、欧米のほうが、特にアメリカが進んでるんわけじゃないですか。流行った時期も早いし。ということは、それだけ苦しんでた人もいたんでしょうけども、日本はあまり関係なかったと言うとへんですが、一部ありましたよ、オカルトブームとかもちろんあるんだけども、そこまでいかなかったと思うんですね。産業にしてもそんなに大きなものではなかったと思うんです。
ここにきていきなり…まあオカルトブームみたいなものは、第一次とか二次とかって言われるようなものはありますけども、今は最大の産業になってるんじゃないでしょうか、おそらく。何でそうなったんだろうなと。アメリカで流行ったような形なのか、それともさっきヤスさんがおっしゃったようなね、ファンタジーに籠るという、一億総籠りみたいな、総オタク化したところとリンクしたのか。そのへんはどう思われますか?
ヤス 僕は総オタク化したところとリンクしたと思いますね。やっぱりアメリカのスピリチュアリズムは、それは危険な面はあるんだけども、たとえば自己啓発であるとかね、それも全部スピリチュアリズムに含めるんだったら、ある意味の合理性があるんですよ。アメリカってとてつもない競争社会です。その中で日々サバイバルしてなくちゃダメなんですよね。実際、日々サバイバルする上で自分自身の持ってるあらゆる側面を強化せねばならない。コミュニケーション能力であったり、コンピューターのスキルであったり。その強化するためのひとつのトレーニングとしてスピリチュアリズムがあるという形なんですね。
西塚 なるほど。スキルアップであったり、ある種ドーピングみたいなものですね。
ヤス ドーピングみたいなものです。いわゆる自己啓発があるってことなんです。そうなってくると、そのような自己啓発というのは安易な漠然とした世界を取り戻すのではない。漠然とした心地いい幻想を作るのではなくて、自分を本当に啓発して、競争社会の中で実際に勝っていけるような人格を作り上げていく。そうすることによっていかに年収をアップしたか。そういう現実的な結果が問われるスピリチュアリズムなんですよ。
西塚 ああ、合目的的なわけですね。
ヤス すごい合目的的ね。それも健康的だとは言いませんけども、ただそこには合理性はあるでしょ? 理由はわかりやすいんですね。いい意味でコーチングというのもあれば、自己啓発セミナーみたいなものもあれば、相当多くあるんですね。ものすごい競争社会の中で生まれてくるだけにですね、最終的に厳密に結果が問われてくるというものだと思うんですね。
西塚 そのスピリチュアルビジネス自体が競争になってて、やっぱり優秀なスキルをもってるコーチとかですね、メンタリストとか、そういうところは伸びていったりしているということでしょうね。
ヤス まさにそうですね。
西塚 それはすごくわかりやすいと言えば、確かにわかりやすいですね。
ヤス だから、スピリチュアル業界そのものもすさまじい競争の中にあって、それで実際に、たとえば自己啓発だったら、年収を伸ばすことが本当に成功できたような人たちだけが残るわけです。
西塚 現実は変えられると。『7つの習慣』とか、ナポレオン・ヒルとか、カーネギーとかいっぱいありますもんね。また日本の常で、それが輸入されてですね、一部のすごくマニアックな連中だけのものだったのが、本屋にいっても今は精神世界とかスピリチュアリズムの棚があって、ほとんどが欧米のテキストですよね。
ヤス 欧米のテキストが全然違った文脈の中に移植されるわけですよ。どういう違った文脈かと言うと、いかに現実から逃避して、現実を見なくて済むような心地よいファンタジーを作るか。または、作りたい、そういうファンタジーに籠りたいという人たちの文脈の中に入ってくるわけでしょう。
敗戦コンプレックスの反動
西塚 そうそう。すごく雑駁な言い方をしちゃいますけどね、特に3.11以降にそういうものが増えて、僕もセミナーにいったり、いろいろ個人的な興味があって取材してきてますから、わかるんですね。それで今はですね、むしろ日本こそが実は本当のスピリチュアリズムと言うか、欧米のいろいろなハウツーとかノウハウは確かにそのとおりなんだけども、本当のものは日本にあった!的なことになってるじゃないですか(笑)。そっちが今ちょっと伸びてきているような気がして、それはそれで危ないという言い方をするとちょっと傲慢かもしれませんが、まあ気に食わないわけですよ(笑)。
何かそれは違う気がします。別に日本は大したことはない。でもこれね、実を言うとヤスさんからけっこう学んだことも大きいんですよ。僕はどちらかと言うと日本大好きのほうなので、ヤクザ映画が好きだったりですね、落語も好きで。いろんな日本の文化は好きなんです。日本語自体もユニークだし、母音言語だとかですね、言霊にもつながっちゃうんだけど、かなり興味深いものはある。でもちょっと今、それがいきすぎと言うか、また新たな幻想を作りつつあるなとも思うんですね。
ヤス そうです。だからやっぱり日本人の基本的なメンタリティーが作り出したものだと思いますよ。3.11以降のね。そのメンタリティーは何かと言うと、まず現実逃避して、自分の心地よいファンタジーの中に籠りたいんだと。そのファンタジーの大もとにあるようなものは、日本は偉大な国家だよね、われわれ日本人は世界に冠たる民族で偉大だよねと。その偉大さに酔いしれて、その心地よさの中にまどろんできたわけですね。
西塚 以前はアメリカに憧れたときがあるわけじゃないですか、戦後から。そういうメンタリティーもあるんだけども、ここにきてそうなるってことはある種のコンプレックスもなんでしょうか。
ヤス いやいや、すごいコンプレックスですよ。背後にコンプレックスがあるのは間違いないと思います。欧米よりもやっぱり日本なんだと。それはあるんですけど、まだアメリカに憧れてアメリカを目指してたときのほうが、はるかに精神的には僕は健康的だったと思いますね。現実を見ているわけですから。明らかにアメリカのほうが生活水準が高い。明らかにカッコいい文化があると。あれを目指すべきだと言って、やっぱり見てるわけですね。それもなくなったってことです。それもなくなって、本当に自分が偉大だという自己幻想の心地よさの中にまどろんでいたいということね。そうすることによって厳しい現実に直面することを全部回避したいんだと。
西塚 かつて村上龍がアメリカ一辺倒だったじゃないですか。ピーター・フォンダを使ってスーパーマンの映画撮ったりしてましたね。佐世保時代の昔のトラウマ、あるいはコンプレックスなんだと思います。だから福生にも住んで、『限りなく透明に近いブルー』のような小説も書く。
とにかく全然違うと言うんですね。佐世保でそばに住んでるアメリカ人の家を見ても、大きな芝生の庭があってですね、バカでかい冷蔵庫を開けてアメリカ人がビールをガバーっと飲むわけですよ。でも自分の家だかでは、おじいちゃんが浪花節を聞いて唸ってると。むちゃくちゃ暗いと(笑)。そのギャップがすごっかたらしいんです。強烈な印象としてあるというようなことを言ってました。それだけだと単純な話になりそうだけども、意外と僕は根が深くてですね、そういう日本人の心性がある日怨念となって、実は日本こそがと、そこに反転していくじゃないだろうかと。それは無駄なエネルギーというかですね…
ヤス だから言ってみれば、自己幻想を作り出すためにコンプレックスが利用されるわけですよね。たとえば、敗戦後の日本人は何かと言うと、自己否定ですよ。日本を全体的に否定する。否定して、なぜわれわれはあんなバカなことをやったのかと反省する。二度とこのような状態にならずに豊かになるためにはどうしたらいいのかと真剣に考えるわけですね。ものすごい現実的な思考だと思いますね。それは外部から田吾作とか土人と批判されるぐらいの現実性です。現実的な流れがこっちのほうであれば、こっちのほうに乗るしかないという形のね、原理も原則もすべて捨て切るくらいの現実性ですよ。
だから今は、現実に対するフレキシビリティーと言うか、現実を直視するという能力をなくしてるってことです。その村上龍の体験はよくわかりますよ。僕が最初にアメリカにいったのは昭和43年、1968年の1月なんですね。1968年って言ったらまだまだ日本ってそんなに豊かじゃないですよ。当時、僕が住んでたのが、うちの親父が勤めている北海道大学の官舎なんですね。きったねえ官舎でね。
西塚 カッコいいですよ、官舎って。
ヤス 官舎? いやいやボロボロですよ。ボロ家。
西塚 でも何と言うか、今はマンションとかでしょうが。やっぱりいいですよね。
ヤス いや、よくない。だってすごい家でしたよ(笑)。
西塚 いやいや、まあ(笑)、内実はともかく響きとしては。
ヤス ああ官舎ね。まあ官舎に住んでて、本当にちっちゃな家ですよ。そこからですね、昭和43年にいきなりアメリカにいくじゃないですか。はっきり言って、村上龍じゃないけど、別世界ですよ。その別世界の中で、お前はわれわれのメンバーなんだって組み込まれていくわけですよね(笑)。だから、その驚きはよくわかります。
西塚 そこでヤスさんは、でも日本のほうがすばらしいんだと、そこにはいかないじゃないですか
ヤス いかない、いかない。
西塚 それは何なんだろうなって気もするし。
ヤス いや、僕はいかなかったんだけど、まわりの友だちがいった。アメリカ人の。何人かいるんですね、日本ラバーみたいのが。俺はゼロがカッコいいと思うんだと。俺は日本の戦闘機が一番カッコいいと思うんだ!アメリカよりすごいよな!とかっていうヤツがいるのね、アメリカ人で(笑)。
西塚 確かに(笑)。でもそれはちょっとマニアックでね。グラマンよりゼロ戦だとかね。それはわかるんですよ。
ヤス そういうマニアックなヤツがいて、あのとき日本が勝ってたらどうなってたと思うかって言うヤツが出てくる。でも、やっぱり日本万歳にはいかなかったね。
西塚 そこの差と言うか、いい悪いじゃないんですけどね、その差ですね。それは個人的な事情もあるんだろうけども。その最小公倍数みたいなものがやはり日本を形作っていくんだろうし、そういった意味で言うと、どうしてもルサンチマン的な籠る系になっていくというメンタリティーは何なんだろうな。やっぱり敗戦コンプレックスなのかなあ。
ヤス 敗戦コンプレックスという日本独自のものがあるんですけど、やっぱり国家がどんどん衰退していくとみんな籠るんですよね、どの文化も。籠って、自らの偉大さを鼓舞する。自らの偉大な美意識が作り上げる幻想の中にどっぷり染まって、その中に逃げ込むってことをやります。だから今の北朝鮮ですよ。それがだいたいどの国でも見られるような、国が本当に衰退していく最終局面のひとつの現象ですよね。
西塚 そこでまた突拍子もないかもしれないけど、三島由紀夫を思い浮かべるわけですね。まあ11月25日もすぎましたけども。彼は彼で最終的に完璧に自分の美学に籠って自決しますが、だから本当に籠ったときというのは、死が近いと言うか、滅びですよね。それは個人の問題だけど、何か僕は似てる気がして。
ヤス いや、似てる似てる。言ってみれば美しく死ぬっていうことですよね。極端に言うと、死んだとしても俺は現実を直視しないぞという宣言ですね。
西塚 究極の逃避と言うか。
ヤス 究極の逃避ですよ。
西塚 それで残された人、生きてる人がどう思うかはまた別なんだけども。その美学はわかるんだけども、僕自身はそこにあまり美学を感じませんね。
ヤス いや、僕も感じない。
西塚 やっぱりとことん、まあ寿命がいつ尽きるかはわかりませんが、それまでは現実を直視していきたいという(笑)。
ヤス そっちのほうが面白いですね。ある意味、人間の創意で作り出したものというのは、別に大したことないんですよ(笑)、あんまりね。自己幻想みたいなもので、せいぜい共同幻想的なものでね。それは幻想であるということを脱することはできないので、そんな大したことじゃないと思います。
ビリー・マイヤーにいたる必然性
西塚 しかもその幻想のやり取りも、相対的なものだとこんなに虚しいものもないですよね。もうこの対話も23回目になってますけども、ヤスさんには近代的自我の発生からね、いろいろ語っていただきましたが、われわれ人間というのは、人間関係の取り結びとかやり取りの背景に何かこう、法則なり何かしらがあるのではないかとそのつど、その時代時代で追い求めてきたように思います。
ヨーロッパの30年戦争ですとか、中国だったらアヘン戦争とかいろいろなことを乗り越えながら、反省もし、何か基準とか基軸のようなものを打ち立てて、バカなことをしないようにとしてきたんだけど、また同じことになっていく。それを繰り返してきている。
じゃあ、どうするんだというところで今、ビリー・マイヤーの話が出てきているわけですけどもね。そこにいかざるを得ないと言うか、少なくとも僕が知る限り、これはヤスさんから教えてもらったビリー・マイヤーだけども、今のところそこに最大のヒントがあるように思う。まだまだ勉強しなくてはいけないことがあるし、もちろん全部読んでるわけでもないんだけども。
ちょっとこれは、他のものとは違うのではないかと言うのは、僕もおそらく平均で言えば、いわゆるスピリチュアル的だと言われるものを多く読んできてるほうだと思うんです。それではっきり言えるのは、それらとは違うということなんですね。
僕のことはともかく、ビリー・マイヤーに関してですね、どこでどういう形でヤスさんはお知りになったのか。そのへん、ビリー・マイヤーとの出逢いをちょっとお聞きしようと思うんですが…
ヤス 出逢いと言うか、単純なものですよね。ビリー・マイヤーは日本でも矢追純一あたりが、テレビの『木曜スペシャル』で放送してたりしてた。UFO事件としてね。矢追純一が初めてビリー・マイヤーを報道したのは、確か1980年か81年ですね。
西塚 80年前後ぐらいから、テレビではもうビリー・マイヤーの名前は出てたってことですね。
ヤス 出てた。日本ではね。極めて鮮明なUFOの写真を撮ったり、UFOのコンタクティーとしてね。それくらいだったですよ。
西塚 そのときに、ヤスさんはテレビでお知りになったと。
ヤス 81年は僕はアメリカでしたけど、特別にそういうものに興味があったわけではなかく、一応名前だけは知ってたってくらいかな。
西塚 じゃあ記憶をたどると、ビリー・マイヤーという名前を最初に聞いたのはテレビを通して80年ぐらいということですね。
ヤス そうですね。81年ぐらいだと思いますね。テレビで見た覚えがある。
西塚 そのときどう思いましたか?
ヤス いや、すげえ鮮明な画像だなと。本当かよこれ!と思った。こんな鮮明な画像が撮ってあるのならば、異星人の存在って認めてもいいんではないかぐらいのね。
西塚 ほお。そう思いました?
ヤス 思いましたよ。非常に単純に。
西塚 これはインチキだとはお思いませんでした?
ヤス インチキである可能性もあるかなと思ったけど。ただもしね、本当にこのビリー・マイヤーという人物が真実を語ってるとしたならね、やっぱり異性人の存在を認めてもいいんではないかなという感じも受けた。
西塚 最初の印象として?
ヤス 最初の印象として。
西塚 それは僕は決定的に重要だと思うんですよね。
ヤス あ、そう?
西塚 ええ。ビリー・マイヤーがコンタクトしているというセミヤーゼにしろプターにしろですね、ビリー・マイヤーは地球外生命体の存在を知らしめるというミッションを持ってるわけだから、それに対して証拠を与えると言うわけですね。自分たちの、まあUFOとは彼らは言いませんね、ビームシップを撮らせたわけです。結果的に1000枚近い写真になる。
それを世の中に出すまでに、彼には葛藤があるわけじゃないですか。無名だし、お金もないし、どうしようというところで発表していく。それを見てもしヤスさんのように、こんな鮮明な写真が本当にあるなら、これは存在しているのかもしれないと思ったってことは、彼らが意図したとおりの効果をあげたということなので、理想的な形なわけですね。でも、いかんせん実はビリー・マイヤーの周辺とか、あるいは当時すでにアダムスキーがいましたからね。UFOの国際的な学会とか研究団体でも賛否両論があったでしょうし、ビリー・マイヤーは徹底的に否定されるということになっていくわけです。
だからですね、僕は今、初めてヤスさんの話を聞いて面白いなと思ったんです。まず肯定から入っていったというところは、僕は大きいと思うんですよね。
ヤス いや、あの当時から、僕は他の人間が何を言ってるかってあまり考慮しないほうで(笑)。すべてやっぱり自分中心なんですね。
西塚 自分の考え。直感として。直感と言うのかな。
ヤス 直感と言うより、何と言うかな、別にね、自分がこのように判断したってことを重要視してるわけでも何でもなくてね。特にUFOに興味があったわけじゃないので。テレビでチラチラ観てて、これはすげえなと思って。こんなのが本当だったら、認めてもいいんじゃないかなぐらいに、ただ漠然と思ったというだけです。
西塚 僕は個人的には面白いんですよ。ちょっとね、個人的な話になってあれですが、だいたいヤスさんがね、他人の目というのがあるんだと最近気がついたという…(笑)、これはまた別の話だけど、それはほんとに面白すぎです。また別にお聞きしたいくらいですが…
ヤス そうそう、他人の目が存在するって初めて気がついた(笑)。ああ、そうなんだと。
西塚 面白すぎですよ(笑)。話を戻すと、それからちょっと切れるわけですね、ビリー・マイヤーに関しては。その次と言ったらへんですが、のちのちは実際にビリー・マイヤーのことをブログでも出されるわけですからね。それまで、今おっしゃった81年ぐらいにすげえなと思った以降、再びビリー・マイヤーの名を聞くのはどのあたりになるんですか?
ヤス 別に自分の関心の焦点ではなかったというのが長かったんですね。それで2007年の5月に『ヤスの備忘録』ってブログを立ち上げるんですよ。
西塚 あ、じゃあ2007年まできちゃうわけですか。それから?
ヤス きちゃう。その間、別に何かどうっていうわけではない。UFOに関する興味はありましたよ。ただ興味があると言ったって一般的な興味だけでね。こういう異性人がいたら面白いなっていう程度ですよね。強烈なものでは全然ない。
西塚 普通の一般の人たちが思うようなくらいの興味。
ヤス そうですね。むしろ当時から自分の一番大きな関心は、社会がどうなるかということなので。そういうタイプの本をたくさん読んでいた。現実的なほうでね。
2007年の5月に、『コルマンインデックス』のことを書き始めたんですよ。何でコルマンインデックスを書き始めたかと言うと、どうも何かよく当たってると。未来の表現がね。何でこんなに当たるのかなと。当たる根拠が何かあるはずだと。場合によってはコルマン博士が言ってるような、宇宙の意識の進化のカレンダーといったコンセプトが成立するのかもしれないと思ったわけですね。
それでコルマンインデックスに興味を持って、それを翻訳をしてブログに初めて載せた。それでどんどんアクセス数が増えると。そうなってくるとコルマンインデックスがある意味の起点になって、やはり他の予言にも興味を持った。コルマンインデックスぐらいに的中してるように見える予言があるのかということで。
西塚 コルマンインデックスにあまり入りすぎてもいけないんですが、最初なぜコルマンインデックスだったんですか?
ヤス 『EARTH CHANGES MEDIA』というのがあるんですね、アメリカでね。これは気候変動専門のチャンネルだったんですよ。ネットラジオでもあって、いろんなゲストを招いて、そこで地球の気候変動のみならず、社会的政治的変化に関して面白いゲストを招いて話していた。まあ、言ってみれば『COAST TO COAST AM』のネット版みたいなやつだったんですね。そこにですね、コルマンインデックスのコルマン博士が初めて出てくるんです。2000年代の初めかな。2001年とか2002年くらいにコルマン博士が出てきた。
このコルマン博士が言ってることは極めて論理的でわかりやすかった。それでコルマン博士のマヤカレンダーの解釈が面白かったんですね。これは面白いなと思って、この人の本を読もうと思って読んでみたんです。最初の本というのは確か1999年に書かれて2000年に出された本なんです。2000年に出された本を、僕は確か2005年か2006年くらいに読んだんですね。そうしたら、ことごとく当たってる。いわゆる歴史の見方と言うか、これからどういうことがあるかってことがことごとく当たってるわけです。
なぜ当たるかと言うと、実はそのマヤカレンダーというのは、基本的に人間の意識の進化のカレンダーなんだと。そいいうような解釈をするわけですね。それに基づくと、今後このような方向で変化するはずだといった、ある意味で予言的な予定表を立てる。それが当たるわけですね。それから関心を持ったんです。僕は社内研修でも英語を教えてたんですけど、上級のクラスにそのコルマンインデックスとかを全部刷って持っていって、みんなどう思うかって読ませて聞いてたんですね(笑)。意見をね。ディスカッションをやってたんです。
それで2007年に、ブログにコルマンインデックスを実際に書くようになる。アクセス数を伸ばす。それでコルマンさんと同じくらいに的中率が高い予言が、他にもあるのかどうかという興味を持った。それで調べていったんです。調べていったらビリー・マイヤーに偶然、出逢ったという感じですかね。
西塚 そのとき、かつての80年のときに見たあのビリー・マイヤーだとわかったんですか?
ヤス わかった。あのビリー・マイヤーだったのかと思って、あらためてビリー・マイヤーのコンタクト記録を見た。特に面白かったのは第215回のコンタクト。1987年2月28日に行なわれたコンタクト記録のエノク予言ですね。
西塚 ああ、エノク予言ですね。
ヤス エノク予言が出てきて、なかなか内容として面白かった。内容として面白かったんだけど、最初にそれを読んだときの印象は、やっぱりこれはファンタジーだろうと思いました。まさか、こんなような世の中になるわけがないだろうと思った。
西塚 87年に書かれたものですしね。しかも読んだのも2007、8年。
ヤス 最初にそれを読んだのはもうちょっと前なんですけど、いずれにしろそのぐらいですね。
西塚 あれ、2007年にブログを始められて、コルマンインデックスを中心にアクセス数が増えて、それでビリー・マイヤーにいくんでしたよね?
ヤス 実際はそうです。
西塚 本はもっと前にお読みになっていた。
ヤス 読んでいた。実は2007年にコルマンインデックスを発見して出したわけではなくて、はるかに前に読んでるんですね。
西塚 コルマンインデックス自体を。
ヤス コルマンインデックス自体は、最初は2002年くらいです。2001年か、2002年くらいに初めてコルマンインデックスを読んで、これは面白いなと思って。だからブログに反映するような作業は全部もっと前にやってたんです。
西塚 ああ、そういうことでしたか。
ヤス コルマンインデックスを読んで、これ当たってる、これ面白いなと思って、他に的中度が高いと言うか、ある程度の現実性を感じるような予言はないのかと。その予言の蒐集ははるかに前にやっていた。それでいろいろな予言を読んで、その予言に対する対策ということも前からやっていた。
西塚 そういう下地があったわけですね。
ヤス その下地があって、すでにエノク予言とか全部持っていた。その順序で書いていったってことですね、ブログにはね。
西塚 それでブログにアップしたわけですが、それでもこんなことはないだろうと(笑)。
ヤス まさかこんなバカなことはないだろうと思った。ただね、やっぱりどこかで記録に留めておいてもいいかなと。それは全部とことん外れてもいいかなと。
西塚 エノク予言は強烈な予言なんで、強烈なインパクトがあったでしょうけども、それ以外のビリー。マイヤーの他のコンタクト記録とか思想とかですね、そっちのほうにはいかなかったんですか?
ヤス いや、読んでた。そのときから。ただ英語のサイトもですね、2002年とか2003年はまだあんまり充実してなかったんですね。それが、僕がブログを書き始めた2007年ぐらいになってくると、コンタクト記録やなんかでもはるかに充実して大量に出てくるようになるんですよ。それはマイケル・ホーンという人なんですね。
マイケル・ホーンがビリー・マイヤーのアメリカにおける正式な代理人になった。それがいつだったかちょっとわからないんだけど、やっぱり2007年か2008年ぐらいではないかなと思います。そのマイケル・ホーンの努力によって、英語の翻訳版がすごく充実して出てきたってことがありますね。
西塚 日本で出たのって、あれはいつだったのかな。ビリー・マイヤーの本は出てましたよね。
ヤス 前からありますね。僕が日本語でも出てるって発見したのは、だいぶあとになってからです。
西塚 たぶん当時は、ほとんどマニアックな人しか買わなかったと思います。
ヤス そのマイケル・ホーンがそれなりのクオリティーの高い文章でビリー・マイヤーの本を出してた。それでマイケル・ホーンがアメリカで評判になるんですよ。それでスピリチュアル系と言いますかね、やっぱり『COAST TO COAST AM』にも出るようになるし、『GAIAM TV』にも出るようになるし。
西塚 今、どんな立場なんですか、マイケル・ホーンは。
ヤス まったく変わってません。ビリー・マイヤーのスポークスマンとして。
西塚 ちょっと広げて、スピリチュアリズムみたいなものを…
ヤス 全然やってない。まったくスタンスは変わってないですね。
西塚 なるほど。それこそFIGU JAPANの報告書と言うか、小冊子にときどき出てきますよね。わりと彼には誠実なものを感じるんですよ。何となくですけど(笑)。
ヤス 僕も思う。非常に誠実ですよね。彼ね。
西塚 そういう印象を持つんです。
ヤス それでマイケル・ホーンがある意味でビリー・マイヤーのちょっとしたブームをアメリカで引き起こしたと思うんですね。
西塚 それはいつごろなんですか?
ヤス 2007年とか8年ですよ。
西塚 そんなに昔じゃないんですね。
ヤス 昔じゃない。やっぱりマイケル・ホーンの力ってすごく大きかったんじゃないかなと僕は思いますよ。彼ってね、コミュニケーション能力に極めて長けた人で、実にわかりやすくビリー・マイヤーのね、一番クオリティーの高い、まあティーチングと言いますかね、クオリティーの高い哲学みたいなものを要約的に説明するんです。ましてや『COAST TO COAST AM』には3000万人も聴取者がいるでしょ? そうすると、その番組にマイケル・ホーンが出ること自体が巨大な影響力ですよね。
西塚 そうですね。それによってビリー・マイヤー自体が認知されていくという。
ヤス そうです。それで認知されると同時に英語の文献もどんどん増えてくるわけですね。どんどん翻訳されて出てくるということで。それで僕も読めるようになる。読んでみると、やっぱりその内容のクオリティーの高さに愕然としますよね。何だこれはと(笑)。
西塚 それから、大雑把に言うと今にいたる感じなんですかね。
ヤス それで今にいたる。でね、僕はこの対談の文字起こしをブログに出してるんですけど、西塚さんは読んだかどうかわからないんだけど、手塚さんというハンドルネームの人が僕のブログにコメントを書いてきて、ビリー・マイヤーというのは糸を使ってUFOを吊るしたりしてね、インチキをやってると証明された人ではないかと。いかにコンテンツの高いものを書いたとしてもね、それだけ信用できない人物が言ってることは、やっぱり私は信用できません。ヤスさんはどうなんですかっていう。
西塚 へえー。そういうコメントがあったんですか。それはちょっと見てないですね。コメントは返したんですか?
ヤス 返した。そのような疑惑がビリー・マイヤーに対して持たれているのはよくわかってるし、証明されたと言い切ってる人もいますよねと。ただ僕は証明されたって言い切ってる人たちのインタビューも見たしね、彼らの言ってることをいろいろ読んだんだけれども、偏執狂的なヤツが多いんですよ、やっぱり。アメリカ人で(笑)。
西塚 あまり調べてないから言っちゃいけないんだけども、僕が知る限りでは、証明はされてないと思いますよ。そもそも証明しようがないじゃないですか、まず(笑)。
ヤス そうね。本当に偏執狂的な人が多い。ただ僕自身は、ビリー・マイヤーが実際にUFOのコンタクティーであるかどうかはあまり関心がないんだと。本来、関心を持ってるのは、ビリー・マイヤーの哲学的なコンテンツの高さなんだっていうふうに書いたのね。そうしたらその手塚さんという人はすごくいい人で、こういう面白いブログがありますよって僕に紹介してくれたんです。そのブログがですね、ビリー・マイヤーの翻訳者の書いたブログだったんです。
西塚 明瀬(一裕)さんという方ですね。優秀な方ですよね。
ヤス あの内容はすごく面白かったですよ。
西塚 面白かったですね。
ヤス 翻訳者として別にUFO云々にはまったく関心がないと。ただ、彼の持ってるコンテンツの高さに惹かれて書いてるわけですよね。
西塚 僕もあの方は優秀な方だと思いました。ときどきちょっと翻訳の部分でわからないことがあるので、お聞きしたいぐらいなんだけども、極めて文章がうまいし、わかりやすい。あの彼のブログの文は、ビリー・マイヤーとの要するに謁見記ですよね。あれがまた実にいいんですよ。淡々と描写してて、ビリー・マイヤーがよくわかるし、なかなかいい文章だなあと。
ヤス ですよね。だからビリー・マイヤーのいわゆるUFOコンタクティーとしての部分ではなく、ビリー・マイヤーの書いた極めて精神性の高いコンテンツ。そのブームが、これから静かに起ころうとしているのではないか。それは宗教以後の世界。
西塚 本当にそうですね。それで、そのインチキだと証明されたではないかという根拠はね、もうちょっと探ってみてほしいと思いますね、個人的には。
ヤス ただね、この手塚さんという方は実に良心的な人だと思ったし、返事を書いたらそのブログを送ってきて、ビリー・マイヤーを色眼鏡で見ていたので、そうではなくて私もヤスさんと同じような方向でもう一回見てますと言うんですね。すごくありがたいなあと僕は思いますね。
西塚 ああ、なるほど。じゃあ、ますますもうちょっと掘り下げていきたいですね。
ヤス 最後にもう一回言うと、これは前回言ったことと同じことなんだけれども、どんどんどんどんこれからですね、われわれは現実を無視したファンタジーの中に籠って衰退を迎えるわけですね。
西塚 われわれというのは日本人ということですか。
ヤス 特に日本人は衰退を迎えてる。これはわれわれのひとつの衰退の姿なんだけれども、ただ他の文化圏では別な衰退の姿があると。それはコントロールの利かない原理主義的なメンタリティーの噴出によってですね、社会秩序がバラバラに引き裂かれるといったような、抑圧されたものの噴出という流れです。そのような野獣のようなメンタリティーをどのように制御していったらいいのか。
それから、われわれの持ってるオタクっぽいファンタジーの中に籠るということ。それは僕の目から見るとね、恐ろしい暴力性を感じる。そのオタク的なファンタジーに合わないものをすべて拒否して否定する。徹底的に拒否する。そのファンタジーのメンタリティーと相反することを言う相手をね、とことん破壊するという。
西塚 ああ、なるほど。僕はまだ、特に日本人のオタクにそこまでは感じないんですよ。そこまでのね、パワーはないと思うんです(笑)。
ヤス いやいやそうじゃなくてね。今の安倍にはある。
西塚 ああ、そうかそうか。そういうことか。
ヤス そういう意味では安倍はありますよね。だから、ただほっといてくれではないんですよ。自分たちの世界観を否定するような、あらゆるものを暴力的に否定してくる。そういう暴力性を内包してるんですね、この籠るということは。しかもその籠る暴力性といったものと、原理主義的なメンタリティーの孕む暴力性というのは、実はあまり変わってないかもしれないということなんです。そうすると、その暴力的なメンタリティーに対抗するための新しい意識を何が何でも必要とするってことです。
西塚 そういうことですね。それを単純な図式で言うと、「籠る」「閉じる」ということではなく「開く」ってことですね。
ヤス 開くってことです。そうそう。
西塚 開いていく方向と言うんですかね。
ヤス そうですね。それをもっと言うと、われわれの内面に本来内在している何ものかに対して開いていくってことです。
西塚 読んでる方は、早く頭からビリー・マイヤーにいけよ!と言う人もいるかもしれませんけど、やっぱりその流れとかありますから。ビリー・マイヤーオタクではないので、やっぱりそのへんはいろいろ現実的な問題と関連させながらいきたいなと。まあ、これは僕のわがままかもしれないけど、そういう形でおつき合いできればと思うんです。
ヤス 確かに。ビリー・マイヤーオタクになってもしょうがないですからね。ほんとそうです。
西塚 じゃあ、次回またよろしくお願いします。今日もありがとうございました。
ヤス どうもどうも。ありがとうございました。
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