だるまさんこちら向かんせ世の中は月雪花に酒と三味線…とまあ、こういきたいものです。

Will you dance? 5

前回、日本人が「 “何か” にやられちゃった感が出ている最初のドラマのように思われ」ると言ったが、もう少し厳密に言えば、何かにやられちゃってるんだけど、まだ踏ん張っているし、再生・復活の余地を残しているということかもしれない。

実際、ドラマのラストはそう思わせるような形で終わるし、各登場人物のキャラがまた的確と言うか、適材適所に配列されている。

ってまた、各登場人物のキャラや役割、相互関係など、物語のファンクションを説明していくと長くなるし、もともと言いたかったこととどんどん離れていくから、それでもまた戻ってくるのは確実なのだが、もどかしく思う人もいるかもしれないので、ひとまずドラマの内容には立ち入らず、テーマソングのことを話す。

と言いながらも、ひと言言っておくが、物事の本質とか、真実がどうしたこうしたということは、紋切型に言い終わらせたり、ある種のアフォリズムで結論づけたりしがちというか、それが一番簡単なのだが、それらはその議論なりに関わっている人間がとりあえず安堵しやすい休憩所みたいなものにすぎないのであって、休憩所というからにはちょっと休んでからまた先へと進まなくてはならないわけだが、たいがいは休憩所でダベってなごんで「また明日」ってことにして、翌日、また同じところをぐるぐる回る。

だから、物事の本質とか、真実がどうしたこうしたということは、延々と思考を紡ぎ続けていく人間同士のやりとりの中にしか生まれず、その人間同士という場合の “人間” とは、古代文献に登場する人間でも、その著者でも、コンタクティーでもコンタクト先でも、チャネラーでも懸かったものでも、なんでも指す。

だから、特に “スピ” 系の書であれば、たとえばシュタイナーの言葉を借れば、

 

私はまったく意識的に、「誰にも分かる」表現ではなく、集中した思考を働かせて内容に向かわざるをえないような表現をするように努めた。

だから、私の著書は、読むこと自体が、すでに霊的修行のはじまりとなるような性格を示している。

実際、このような書物を読むのに必要な、慎重で平静な思考作業こそが、魂の力を強め、霊界への接近を可能にするのである。

ルドルフ・シュタイナー『神秘学概論』より

 

と述べている通り、書いてあるものを単なる “情報” として読むのではなく、「思考」そのものと “なって”、「魂の力を強め」、「霊界への接近を可能に」しなくてはならない。

特に “スピ” の書であれば。

もっと言えば、今はもういわゆる “スピ情報” は不要であり、いやあってもいいが、人によっては不要であり、本来、不要なはずの人がそのへんをわからずにいまだにスピ情報を追いかけていると、今はまたスピ情報もフェーズが変わってきているので、本来の意味のトンデモ情報をつかまされやすくなり、ますますわからなくなってしまう。

そういう情報を発信している当人たちがわからないのだから仕方ないのだが、そういう情報を発信している人も、その情報につかまってしまった人も、それは “自分で気づく” ことでしか軌道は修正できないし、そのまま気づかないとしても、それはそれでもはや  “お役目” である。

おおざっぱに言って、この 3 年間がいわば最後のチャンスみたいなものなのだが、逆に言えば 3 年後には、すべての人たちが自分の  “役目” を果たしていくことになるだろう。

ともかく、面倒に見える思考から逃げてはいけないし、このドラマ自体にもそのテーマが組み込まれているが、それはもう少しあとで語る。

また話がずれたが、『岸辺のアルバム』のテーマソングだった。

これも有名な曲であり、ジャニス・イアンの「Will you dance?」だ。

YouTube にちょうどいい感じのものがあったのでリンクする。

 

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